友達の妹が、入浴してる。

つきのはい

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◇ ◇ ◇

 その日の夜は静かな夜で、夏弥は無事に寝付くことができた。
 鈴川家の匂いと枕だけは、まだ少し慣れが必要だったくらいだ。

 一日がやけに長く感じられた彼だったが、夢見の時間は短い。
 朝目が覚めると、夏弥は一瞬自分がどこで寝ていたのかもわからず、記憶喪失にでもなったのかと戸惑った。

 洋平と美咲が暮らしていた201号室。そのリビングの窓際のベッド。
 そこで寝ていた事をようやく思い出し、むっくりと身体を起こす。

 清潔感のある白いカーテンは、朝日をたくさん取り込んでいてすでに眩しかった。
 次いで、視界の端の妙な違和感に夏弥はハッとする。

(あれ? 美咲の部屋の戸が少し開いてる……)

 夜中にトイレにでも立ったのか、そのライトブラウンの引き戸が数十センチ開いていた。
 昨日、夏弥が寝ようと電気を消した時には、確かにぴったりと閉まっていたはずだった。

 リビングやトイレに人の気配は無さそうなので、その戸の向こうにはまだ美咲がいるはずだ。

 なぜ開いているのかわからない。

 ただ、夏弥はひとまず顔を洗ってスッキリしたい気持ちに駆られていた。

 ベッドから起きて、洗面台のある脱衣室へと歩き始める。すると、

「う……んんっ……ふぅ……」

 その若干開けられた戸の隙間から、思春期の男の子に聞かせちゃいけない程度の、そこそこ刺激的な声が聞こえてくる。

(美咲、ダメだろその声は……。朝から油断も隙もないな。いや、向こうは油断だらけで隙だらけな寝姿なんだろうけど)

 美咲に誓って、洋平に誓って。ついでに秋乃にも何かを誓って、夏弥は今聞いた寝息をスルーし、ふたたび脱衣室へ向かったのだった。

 今の寝息を忘れようと心掛ける自分は、やっぱり相当な博愛主義者である、と夏弥は感じていた。

 脱衣室に入ると、乾燥機のランプが点滅していた。
 それは運転を終えた機械が「終わったから電源切ってくださいね」とおしらせしているサインで。

(あれ? 昨日、俺しっかりスイッチ切ったよな……?)

 昨日の自分の消し忘れかと思った夏弥は、何気なくその乾燥機のフタを開けた。

 開けてしまった。

 カチャッと開いたその乾燥機の中には、見慣れない白いネット袋が入っており、夏弥はそれを見たことで一気に目が冴えたのだった。

 瞬間、夏弥のとある記憶がよみがえる。
 一か月ほど前、秋乃と同居し始めた頃に注意された、その時の言葉だ。

「――まぁ、なつ兄が知らなくても無理ないけどさ~。そのまま乾燥機にかけると、は痛むかもしれないんだよ? デリケートなのですよ、オンナの子は!」
「はっ。そんなに言うなら自分でやってくれ。人に任せておいてそんな――」


 秋乃から教えてもらった時の夏弥は、ハッと鼻で笑っていた。
 しかし、今の夏弥はとても鼻で笑えるような精神状態じゃない。

 ネット袋の中から主張の強いピンク色のそれらが見えてしまった時点で、時の流れを切り取ったかのように彼の動きも思考も停止していた。

「あの」

 直後、背後から声をかけられた。

「あ、の、?」

 思わず夏弥はセリフをなぞってしまった。

(誰もいないはずの背後から、なぜ声が?)

 夏弥はゆっくり振り返る。

 そこには、先ほど寝息を立てていたはずの美咲が立っていた。
 青筋を立てるでも、声を荒げるでもない。
 脱衣室のドアに手をかけて、もう一方の手で眠たげな目をこすってらっしゃる。

 ショートボブカットの茶髪は、寝ぐせでぴょこんとハネていて生活感たっぷりだけれど、相変わらずその顔立ちは作り物めいていて、どことなく品がある。

「それ、あたしの」

「……だよね」

 寝起きのせいで、美咲はローテンションだった。

「だよね」と応えた夏弥の方は、内心叫びたいほどの恥ずかしさである。
「だよね」が言えただけ、褒められたものかもしれない。

(……見てるか洋平。二日目だけど、同居人チェンジはこれにて終了とさせていただきたいんだが。そろそろどうだ? 見てるか洋平。めーでーめーでー)

「んっ」

 夏弥が乾燥機の前から一歩引き下がると、それを見た美咲は中から問題の白いネット袋をささっと取り出した。

 その後、彼女は流れるように自分の部屋へと戻っていったのだった。

 ぎゃんと何か叫ばれるかと思っていたけれど、美咲にどこか冷めているところがあるからか、奇妙な落ち着きのなかでそのハプニングは終わりをむかえた。

 夏弥はそれから、本来の目的通りに洗面台で顔を洗う。

 しかし、美咲のアレが脳裏に焼き付いてしまったせいか、違う意味で顔を洗っているような気がしたのだった。

◇ ◇ ◇

「行ってきます」

「ん」

 夏弥の方が身支度に時間がかからないこと。
 そもそも一緒に登校する理由がないこと。
 乾燥機ハプニングのせいで居づらさ1000%だったこと。

 いろいろ理由を付けられそうだけれど、夏弥が201号室を先に出たのはほとんど居づらさ1000%のせいだ。

 夏弥はもう、それ以上深く考えることをやめた。

 玄関を出てアパートから学校へ向かう途中、夏弥の視界は新鮮だった。
 朝のくっきりとした空と街並みは、夏弥にとって初めてみる景色だ。

 アパートのはす向かいにある昭和レトロなタバコ屋も、オレンジ色のカーブミラーも、錆びかけたガードレールも。
 反対側の歩道のバス停に立ち並ぶ人達の姿もすべて、この時間帯の、この角度からは見たことがなかったものだ。

 そんないろいろが、夏弥に新しさを感じさせるきっかけだった。

「おっはよー夏弥~」

 夏弥は途中の交差点で、奇遇にも洋平と出くわした。

 いつも通り、ナチュラルパーマのオシャレなヘアスタイル。
 明るい髪色と切れ長の瞳。涼しげな口元も、その整った顔にはお似合いだった。

 小さい頃は、まだ洋平もこんなにイケメン君じゃなかったはずなのに。

 夏弥は冗談とやっかみ半々でそんな事を思いつつ返事をする。

「はよっすー」

 二人は横並びで学校へ向かいだした。

 夏弥は洋平のアパートから。洋平は夏弥のアパートから。
 お互いに相手の妹と一日を過ごしてみてどうだったのか。

 まるでその感想を言い合うために、あらかじめ一緒に登校することを約束していたみたいだった。

 歩き始めて早々、洋平が話しかけてくる。

「なぁ、どうだった? 美咲との共同生活初夜は♡」

 夏弥は、ちゃんとスルーすべき言葉を見極めてから答えた。

「どうって言われてもなぁ……」

(どう表現すべきなんだろう。……終始冷たくあしらわれていた気もするけど、いきなり男子と同居することになれば誰だって困惑するよな? それに、本当に一から十まで全部冷たかったかというと、決してそんなわけでもない。美咲の態度は確かに冷たかったけど、ただ単に冷たいわけじゃないんだよなアレは)

 夏弥が返事に困っていると、

「思ったよりもヘビーだっただろ?」

「あ、それは思ったかもしれない」

 昨日の晩を、ライト・ミドル・ヘビーのどれですかと尋ねられたら、夏弥はまずもってヘビーを選ぶことだろう。

「まぁ夏弥の性格自体、ちょっと女子に気を張るところもあるし、相手が美咲じゃ疲れるよな~」

「ああ、疲れたね。……家に帰って疲れが癒されないのって辛くね? ダメじゃん。家の役割果たせてないよ、今のところ。むしろ今朝も疲れた」

「俺の苦しみがわかったか~。うんうん。でも美咲はたぶん、俺といるより夏弥と一緒にいるほうが過ごしやすいのかもしれないけどな」

「そうか? 俺と美咲ちゃんが一緒にいるところ、洋平まだ見てなくね? 彼女、かなり過ごしにくそうに見えたんだけど……?」

「いやいや。あいつ男子全般毛嫌いしてるからな⁉ 一つ屋根の下で暮らして問題無いの、たぶん俺と夏弥くらいだぞ?」

「俺にはわからん。ともかく、男子を嫌ってそうだなって雰囲気は、会って数分でバッチリ伝わってきたよ。というか、そっちは? 秋乃と過ごしてみてどうだった?」

 夏弥は形式的に質問してみた。その答えはほとんどわかっていたのだが。

「いや普通じゃん? 別に久しぶりに会った感じもしないしな。秋乃は中学の時も夏弥の実家のほうで見掛けてたし、一緒にゲームもしただろ。特に変わったところもないって感じ。一緒にいて楽。……美咲じゃこうはいかんのよ!」

「まぁ……うん。そうだな。否定はしない。それより、当初の目的の、女の子の連れ込みは問題なかったのか?」

「それも夏弥が言ってた通りで我関せずだった。秋乃いいよなぁ。気を遣って隣の部屋に行ってくれるし。時々、隣の部屋で「今の判定おかしいっしょ⁉」とか「なんでそっちから行くかねぇ⁉」って奇声あげてる時あるけど」

「ああ、それもう不治のやまいだから。……目、つぶってあげて。いや、耳ふさいであげて。耳栓いいぞ耳栓」

「え。女の子連れ込んで、その子と俺が耳栓するの? 新しすぎるだろ」

「ぷはっ、確かにっ」

 二人でそんな会話をしていると、突然うしろから声をかけられる。

「――鈴川先輩っ!」

「「え?」」
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