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「へぇ。……それで、告白されたんだ?」
「うん。屋上に呼び出されて、そこで」
――中学生。異性をちゃんと異性として意識し始める頃だ。
人気のない屋上で、男子と女子、一人ずつで待ち合わせ。
ありきたりだけど甘酸っぱい予感しかしない。
両頬に手のひらを当ててしまいたくなるような、ドキドキするシチュエーションと言ってもいい。舞台装置ができ過ぎている。
夏弥としては、少し羨ましく思えていた。
そんな絵に描いたような、ピュアな青春のひとコマ。
冴えない男子には縁遠いイベント。告白される側なんてもってのほか。
さすが鈴川家といったところかもしれない。
「それで、返事は?」
「まぁその……オッケーして付き合うことになったの」
「! そうだったんだ」
「うん」
今まで夏弥は、美咲がモテるという事実だけを洋平から聞いて知っていた。
けれど、しっかり誰かと付き合ったことがあるという情報は初耳だった。
「それで? 期待通り楽しかったんじゃないのか?」
「いや、期待とかそういう感じじゃなくて……。ちょっとどういう物なんだろうって思っただけだし。テスト? テストじゃないか。恋愛ってたぶん男子よりも女子のほうが関心強くて、当てはまりやすいから。クラスの子はみんなそういう話するの。中学校なんて特に」
「それは結構想像つくな。じゃあ、美咲自身は、その男子に好きって気持ちはなかったんだ?」
「うん。……だって向こうがコクってきたんだよ? あるわけないじゃん。そんなに普段からカラミがあった男子でもなかったし」
「まぁ、それもそうだよな」
告白されたら好きになるタイプ。という人間が男女問わずいるけれど、どうやら美咲はそのタイプじゃないらしい。
「今思うと、あたしは流されてただけ」
「流されてた」
「そう。別にあたしは男子に興味なんてなかった。けど、周りの子は、みんな誰々がカッコイイ~とか言うじゃん。……例えばあのバカとか」
美咲は、自分の毛先を指でいじりながら「バカ」の二文字を口にした。
その代名詞から、夏弥の脳裏に洋平の顔が浮かび上がる。
なかなか不名誉な代名詞だけれど、ほとんどこれはご愛嬌みたいなもので。
「だから情報を集めてみる意味で、付き合ってみてもいいのかなって思って。それだけのために付き合ったって感じだし」
「なるほど。……じゃあ手を繋いだり、その先とかも情報として……? あ、ごめん! こ、この質問はいいわ。答えなくていい!」
ナチュラルに会話を進められていたせいか、夏弥は勢いのままデリケートな事情にまで首を突っ込み始めていた。
これは失言だった。お互いのプライベートのために適度な距離感を保つべきだと考えていたのに、夏弥自身が口を滑らせてしまったのだ。
とっさに自分で質問を否定したけれど――。
ただ、意外にも、美咲は夏弥の質問にしっかりと答えてくれた。
「な……いや、いいけど。手は繋いでみた。繋いだけど、別になんとも。相手の手汗と体温がキモかった、以上。……その先ってキス? キスはしてない。ていうか、手汗ですらキモいから、キスも大体ダメだと思う」
「ぶはっ。「以上」って……」
「本当にそんな感想しかないんだから仕方ないでしょ。夏弥さんが質問してきたから答えてるんだけど?」
「ああ、ごめん。……そうだね」
「うん。……だから、あたしはちょっと、恋愛観が違うんだって思う。もし恋人ができても、連絡なんて毎日取らなくったっていいし、デートもいい。手を繋ぐのも、キスをするのも、その先も、したいなんて思わないよ。……けど周りはしたいらしいじゃん」
「まぁ……そうだね、周りは」
「うん」
美咲は一つうなずいて、モノクロウサギの壁掛け時計に目を向ける。
「そろそろ歯みがきして寝るから。トイレはたぶんもういいし。洗濯もまた先にしていいから」
「ああ。わかったよ」
その会話を最後に、美咲は洗面台のある脱衣室へ向かった。
(連絡を取り合うことも、デートすることもいいって。それじゃあ恋人の定義とか付き合うことの意味すら揺らぎそうな意見だけど。それでも、きっとそれが美咲の本音なんだろうな……)
五分ほどして、歯みがきを終えたらしい美咲が脱衣室から出てくる。
「じゃあ」
「ああ。おやすみ」
美咲はいつものように、ドライで低空飛行なテンションだった。
歯を磨いたあとはその「じゃあ」の一言だけを言い置いて、自分の部屋へ戻っていく。
夏弥は昨日のように、「もう寝るの?」なんて質問はしなかった。
(してたまるか。俺は学んでいる)
夏弥はそう心のなかでずっと思いながら、壁掛け時計の針をじっと見つめていた。
時刻は午後九時半。美咲は絶対にまだ寝ないはずで。
ただ冷たいだけかと思っていた美咲について、少しずつでも夏弥は彼女への理解を深めていっているような気がした。
◇ ◇ ◇
その日洗濯したシャツや下着は、リビングから出入りできる小さなベランダに干すことにした。
ほとんど一人しかそこに立てない小さなベランダ。
干したあとは、カーテンを引くことでかろうじて家の中から見られることはない。
家の中。もとい美咲から見られることはない。
柔らかいベッドの上でゴロゴロしていると、夏弥宛てにラインが送られてきた。
「また洋平のくだらんラインか?」と疑ってはみたものの、送り主は意外にも女子からだった。
夏弥のラインを知っている女子はこの世界に二人しかいない。
ゲームやアニメにずぶずぶと口元くらいまで浸かりきっている残念な妹・秋乃か、今日知り合ったばかりの芽衣か。そのどちらかだ。
『藤堂せんぱーい。明日、お昼休みに会えますか?』
(あっ、かわいい)
瞬時にそのラインが可愛いとわかる。そしてそれが、芽衣であることも。
しかし残念なのは、この戸島芽衣が、夏弥ではなく鈴川洋平に恋焦がれていることである。あくまで夏弥は脇役。メインディッシュではないわけで。
『会えるよー』
返信を送った後、美咲が抹茶ラテを捨てていた光景を思い出す。
思い出してみると、夏弥は途端に芽衣が憐れに思われてならなかった。
上辺だけの付き合いだと美咲は言っていたけれど、きっと芽衣はそんな事を微塵も思っていないはずだ。
ならその美咲の本心を芽衣が知った時、芽衣はどれくらい悲しむんだろう。
夏弥の胸の内側では、そんな苦々しい想像が幅を利かせていた。
「うん。屋上に呼び出されて、そこで」
――中学生。異性をちゃんと異性として意識し始める頃だ。
人気のない屋上で、男子と女子、一人ずつで待ち合わせ。
ありきたりだけど甘酸っぱい予感しかしない。
両頬に手のひらを当ててしまいたくなるような、ドキドキするシチュエーションと言ってもいい。舞台装置ができ過ぎている。
夏弥としては、少し羨ましく思えていた。
そんな絵に描いたような、ピュアな青春のひとコマ。
冴えない男子には縁遠いイベント。告白される側なんてもってのほか。
さすが鈴川家といったところかもしれない。
「それで、返事は?」
「まぁその……オッケーして付き合うことになったの」
「! そうだったんだ」
「うん」
今まで夏弥は、美咲がモテるという事実だけを洋平から聞いて知っていた。
けれど、しっかり誰かと付き合ったことがあるという情報は初耳だった。
「それで? 期待通り楽しかったんじゃないのか?」
「いや、期待とかそういう感じじゃなくて……。ちょっとどういう物なんだろうって思っただけだし。テスト? テストじゃないか。恋愛ってたぶん男子よりも女子のほうが関心強くて、当てはまりやすいから。クラスの子はみんなそういう話するの。中学校なんて特に」
「それは結構想像つくな。じゃあ、美咲自身は、その男子に好きって気持ちはなかったんだ?」
「うん。……だって向こうがコクってきたんだよ? あるわけないじゃん。そんなに普段からカラミがあった男子でもなかったし」
「まぁ、それもそうだよな」
告白されたら好きになるタイプ。という人間が男女問わずいるけれど、どうやら美咲はそのタイプじゃないらしい。
「今思うと、あたしは流されてただけ」
「流されてた」
「そう。別にあたしは男子に興味なんてなかった。けど、周りの子は、みんな誰々がカッコイイ~とか言うじゃん。……例えばあのバカとか」
美咲は、自分の毛先を指でいじりながら「バカ」の二文字を口にした。
その代名詞から、夏弥の脳裏に洋平の顔が浮かび上がる。
なかなか不名誉な代名詞だけれど、ほとんどこれはご愛嬌みたいなもので。
「だから情報を集めてみる意味で、付き合ってみてもいいのかなって思って。それだけのために付き合ったって感じだし」
「なるほど。……じゃあ手を繋いだり、その先とかも情報として……? あ、ごめん! こ、この質問はいいわ。答えなくていい!」
ナチュラルに会話を進められていたせいか、夏弥は勢いのままデリケートな事情にまで首を突っ込み始めていた。
これは失言だった。お互いのプライベートのために適度な距離感を保つべきだと考えていたのに、夏弥自身が口を滑らせてしまったのだ。
とっさに自分で質問を否定したけれど――。
ただ、意外にも、美咲は夏弥の質問にしっかりと答えてくれた。
「な……いや、いいけど。手は繋いでみた。繋いだけど、別になんとも。相手の手汗と体温がキモかった、以上。……その先ってキス? キスはしてない。ていうか、手汗ですらキモいから、キスも大体ダメだと思う」
「ぶはっ。「以上」って……」
「本当にそんな感想しかないんだから仕方ないでしょ。夏弥さんが質問してきたから答えてるんだけど?」
「ああ、ごめん。……そうだね」
「うん。……だから、あたしはちょっと、恋愛観が違うんだって思う。もし恋人ができても、連絡なんて毎日取らなくったっていいし、デートもいい。手を繋ぐのも、キスをするのも、その先も、したいなんて思わないよ。……けど周りはしたいらしいじゃん」
「まぁ……そうだね、周りは」
「うん」
美咲は一つうなずいて、モノクロウサギの壁掛け時計に目を向ける。
「そろそろ歯みがきして寝るから。トイレはたぶんもういいし。洗濯もまた先にしていいから」
「ああ。わかったよ」
その会話を最後に、美咲は洗面台のある脱衣室へ向かった。
(連絡を取り合うことも、デートすることもいいって。それじゃあ恋人の定義とか付き合うことの意味すら揺らぎそうな意見だけど。それでも、きっとそれが美咲の本音なんだろうな……)
五分ほどして、歯みがきを終えたらしい美咲が脱衣室から出てくる。
「じゃあ」
「ああ。おやすみ」
美咲はいつものように、ドライで低空飛行なテンションだった。
歯を磨いたあとはその「じゃあ」の一言だけを言い置いて、自分の部屋へ戻っていく。
夏弥は昨日のように、「もう寝るの?」なんて質問はしなかった。
(してたまるか。俺は学んでいる)
夏弥はそう心のなかでずっと思いながら、壁掛け時計の針をじっと見つめていた。
時刻は午後九時半。美咲は絶対にまだ寝ないはずで。
ただ冷たいだけかと思っていた美咲について、少しずつでも夏弥は彼女への理解を深めていっているような気がした。
◇ ◇ ◇
その日洗濯したシャツや下着は、リビングから出入りできる小さなベランダに干すことにした。
ほとんど一人しかそこに立てない小さなベランダ。
干したあとは、カーテンを引くことでかろうじて家の中から見られることはない。
家の中。もとい美咲から見られることはない。
柔らかいベッドの上でゴロゴロしていると、夏弥宛てにラインが送られてきた。
「また洋平のくだらんラインか?」と疑ってはみたものの、送り主は意外にも女子からだった。
夏弥のラインを知っている女子はこの世界に二人しかいない。
ゲームやアニメにずぶずぶと口元くらいまで浸かりきっている残念な妹・秋乃か、今日知り合ったばかりの芽衣か。そのどちらかだ。
『藤堂せんぱーい。明日、お昼休みに会えますか?』
(あっ、かわいい)
瞬時にそのラインが可愛いとわかる。そしてそれが、芽衣であることも。
しかし残念なのは、この戸島芽衣が、夏弥ではなく鈴川洋平に恋焦がれていることである。あくまで夏弥は脇役。メインディッシュではないわけで。
『会えるよー』
返信を送った後、美咲が抹茶ラテを捨てていた光景を思い出す。
思い出してみると、夏弥は途端に芽衣が憐れに思われてならなかった。
上辺だけの付き合いだと美咲は言っていたけれど、きっと芽衣はそんな事を微塵も思っていないはずだ。
ならその美咲の本心を芽衣が知った時、芽衣はどれくらい悲しむんだろう。
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