友達の妹が、入浴してる。

つきのはい

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◇ ◇ ◇

 その日の夜、夏弥は久しぶりにしっかりと眠れたような気がした。

 昨日よりもずっと環境に慣れてきたこと。
 美咲のことを理解し始めてきたこと。
 しっかり眠れたのは、それらが理由かもしれない。


 翌朝、ヨダレを誘うような匂いが鼻先に漂ってきたことで、夏弥は目を覚ます。

 それは、パンを焼いた時に嗅ぐことのできる香ばしいあの匂いだった。
 ベッドから起き上がってすぐ、夏弥は匂いのもとであるキッチンの方へと向かった。

「おはよう」

 リビングとキッチンスペースの間の間仕切りに触れながら、その場にいた美咲に声をかけた。
 美咲の様子からして、どうやら彼女がトースターにパンを入れて焼いていたらしいと察する。

「あ、おはよ」

 いつもながらクールで落ち着いた声色だった。
 美咲はすでに三條高校の制服に着替えていて、ショートボブな茶髪も普段通りふわりと内巻きにセットしてあった。

 この光景だけ見てしまうと、夏弥は自分だけが寝坊してしまったような気持ちになる。
 けれど、さっき見た時計の針はいつも通りの起床時間、七時前を示していた。

「今日、朝早いね?」

「……」

 無視。いや、無視というよりも、美咲は目の前のことに一生懸命だった。

 彼女は、生卵を割ることに全神経を集中させているらしい。
 一方で、そばのトースターがジジジ……という小さな稼働音を鳴らしている。

 カンカンッ、とシンクの淵に卵を軽くたたきつけ、ちょこっと凹ませたところまでは良し。あとはパギャッと割ってしまえばいいのだけれど、その細い指先は自信がないのか震えていた。

(怖い怖い。え、大丈夫か? せめてコンロに乗せてあるフライパンの上で割れば……)

「ちょっと美さ――」

「だまって!」

「ひぇっ」

 美咲の声には、冷たさと余裕の無さが現れていた。大体1:9の配合率。もうほとんど余裕が無いだけの声である。
 夏弥は一瞬「だまれ!」と言われたのかと思った。

 そもそもどうして美咲が朝から料理しているのか。

 そこからして、すでに夏弥には疑問である。
 自分がこんな美少女JKにかいがいしく手料理を振る舞ってもらうだなんて。
 夏弥の冴えないドスグロハイスクールライフには用意されてないイベントのはずだ。

(まぁ、考えられる理由はいくつかあるけど、一番可能性が高そうなのは俺が二日連続で料理したからか……?)

 若干の静けさをへて、美咲は夏弥の前で見事に卵を割ることができた。

 見事に割って――、調理台の何もないところに落としてくれた。

「……あぁ……」

 美咲の嘆きとも諦めとも取れる「あぁ」がその場にむなしくこだました。

 さて十個入り、ひとパック百八十円。
 一個あたり十八円という価格の商品が、ご覧の有り様になった。

 昨日、夏弥が近所のスーパーで買った生卵だ。

 パックの並べられた野菜コーナーのその一角には、生産者のおじいちゃんおばあちゃんの優しげな顔写真が並べられていた。

「今日もいっぺ採れたすけ、食べてくんなせや」的ななまりも笑顔もたっぷりの顔面だった。

 美咲より誰より、そのおじいちゃんおばあちゃん達の方がよっぽど「あぁ……」と言いたいことだろう。あぁ。

「――俺、やるよ?」

「え」

「ソーセージエッグでしょ、作ろうとしてたの」

 調理台に置かれていた食材から、夏弥はメニューを見破った。
 朝はトーストにソーセージエッグ。定番ちゃ定番のメニューだった。

「うん……。でも、二日も続けて料理させて、借り作ってるみたいでイヤだし」

「俺の分も作ってるから、貸し借りとか気にしなくていいのに」

「そう……?」

「ああ。別にいいよ。それに卵がもったいない」

「あ、それは思った」

(自覚あったんだ。へぇ……)

「よし。じゃあ俺が代わります」

「……お願い」

(というか料理苦手だったんだな)

 夏弥は、美咲と場所を交代した。
 目の前にはコンロに乗せられたフライパン。
 調理台に乗せられた袋入りのソーセージと、卵のパック。
 そして、どうしてそこに割られたのかと問いたい、無念な感じになってしまった生卵。

「じゃ、じゃあ料理するから……。あの?」

「うん。はやく」

 夏弥は、料理に取りかかろうとした。のだが、美咲が、ずっとそばに立ったまま離れなかった。そこそこの至近距離だ。それは、人によってはパーソナルスペースを侵され不快に感じるかもしれない距離で。

 夏弥の料理する手元を見たいのか、その視線はただ調理台のほうへと注がれている。

「あの……美咲?」

「はやく」

「俺、見られたまま料理やんの? ずっとそばにいるの?」

「はやく」

(あれ、日本語が通じなくなってる)

 もう美咲には「はやく」という言語しかプログラミングされていないようだった。
 これなら、RPGの第一村人でももう少しマシなセリフを与えられているだろうという塩梅だった。

「わかった。やるよ」

(やりづらっ……。今まで、料理してるところ誰かに見られたことなんてなかったし。ちょっとした拷問じゃん)

 ため息をついて、無念な感じになってしまった生卵を流しに捨てる。
 その後、夏弥はパパッと料理を進めていった。
 フライパンで食材に火を通していくだけ。
 小慣れた夏弥からすると本当にその程度の認識だった。

「うわぁ」と美咲が声をもらす。

「え? 何、うわぁって」

「いや別に。……皿、出せばいい?」

「あ? ああ、そうだね」

 目の前で夏弥だけが仕事をしているような気がしたのか、美咲はその他の準備に精をだしていった。
 キッチン脇の食器棚から皿や箸を取り出す姿は、夏弥からすれば新鮮な光景に思われた。

 実際、美咲は洋平と暮らしていた時もそれほど食器類をいじったりはしていないのだろう。出来合いの惣菜やお弁当、デリバリーで日々の空腹を満たしていたことを思えば、必然的な事情だった。

「よし。もうできるよ」

「はい、皿」

「ありがとう。皿」

「先に置いておいたよ、箸」

「わかった。……箸」

 なぜか体言止めを連発する会話になったけれど、それは美咲の動揺の現れなのかもしれない。
 夏弥は一応空気を読んで合わせていただけだ。

 美咲の差し出した皿に、フライパンから料理を盛り付ける。

 ほかほかと湯気の立つ目玉焼きとソーセージ。
 ちょうどよくトーストもきつね色に焼き上がっていた。

 それらをローテーブルに運んでから、夏弥は洗面台のほうで歯を磨き、顔を洗う。
 その後、二人は無事、平和な朝食をとることができた。

 夏弥が多少美咲と話せるようになっても、冷たく感じられる彼女の話し方や雰囲気というものはほとんど変わっていない。

 これは素の彼女。確かめたわけじゃない。でもきっとそうだ。
 目玉焼きを箸の先でチョビチョビ切る美咲を見て、夏弥はそう感じていた。

 もしかしたら、同居初日から夏弥を毛嫌いしているつもりはなかったのかもしれない。

 夏弥の前で傍若無人に振る舞うことが、美咲らしさだった可能性もあって。


 朝食後、洋平に渡すための服を適当に袋に詰めているあいだ、美咲は先に家を出てしまっていた。

「いってきます」の一言も聞こえなかった。

 ただ、それもやっぱり、鈴川美咲という女の子にとっての自然体なのである。
 冷たいのではなく自然体。
 昨日の会話のせいか、夏弥にはそう思える。


 窓の外に洗濯物を干していたことを思い出し、夏弥はそれらを取り込む。
 その後、身支度を整えて201号室を出る。

 その日は曇り空で、ちょっとでも悲しい気持ちになったら連動して雨でも降るんじゃないかという天候だった。

(そうだ。傘、持っていくか)

 そのままアパートの階段を降りる予定だった足を止め、一度傘を取りに玄関へ戻った。
 そこで洋平の傘を持ち出し、改めて玄関の鍵を閉める。

 今日も美咲とは別々に登校する。
 昨日は新しく感じられた景色も、一日たったせいか新鮮に感じられない。

 どうやって経営難を凌いでいるのか教えてほしいタバコ屋も、居てくれるだけで事故を防ぐ有能なオレンジのカーブミラーも。端っこをくるんと巻いてる錆びかけのガードレールも。

 いやそんな通学路に新鮮さを感じないのは、ひょっとするとこの空のせいかもしれない。

 厚い灰色の雲が空を覆いつくしてどこまでも続いている。

 夏弥には、そいつが景色の色という色を吸い上げているように見えた。
 雲間から陽が差しさえすれば、一気呵成に目の前が色づいてくれそうなのに。

 そんな風に空や道のさきを眺めながら、夏弥は道を進んでいく。

 洋平の傘をアスファルトの路面にとっつんとっつん当てながら歩いていると、鼻先に細い雨が当たり始めた。

 今日は少し冴えてるかもしれない。
 夏弥は自分をそう評しておくことにした。
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