8 / 16
8 疑惑の聖人
しおりを挟む
穏やかな日々が戻っても、ある種の緊張感が拭えないまま過ごしていたある日。
義両親、先代のメランデル伯爵夫妻から手紙が届いた。
「……!」
筆不精のパールではなく、義母と私が手紙のやりとりをするのはいつもの事。
旅先の様子や、見聞きした珍事や事件などを伝えてくれる手紙に、驚くべき事が書かれていた。
私は一度、手紙を置いて虚空を見つめた。
そして再び読み直した。
『愛するヴェロニカ、お元気かしら? ~(中略)~──……で、その大聖堂には急遽、教皇庁から聖騎士団の調査が入って、腐敗を正し穢れを浄めるため閉鎖になったそうなの。それは立派な大聖堂なのに、残念というか恐ろしいというか……主教様が修道士と孤児を秘密結婚させようなんてとんでもないわよね。世も末だわぁ~』
「……」
問題は、その後。
『罪深いふたりは逮捕直前に姿を消してしまったそうなのだけど、どうも、あの物好きなパルムクランツ伯爵が関わっているって噂なの。曰くありげな侯爵令嬢を娶ったと思ったら、今度はとんだ色キチガイ沙汰に首を突っ込んで。いやねぇ。でもあの方、つい先日亡くなったわよね? 聞き違いかしら。まあいずれにしても、あなたたちが平和に出会って平和に育って、平和に結婚してくれて、本当に幸せだわ。神様に感謝! 本当に立派な大聖堂なのよ! ヴェロニカ、あなたに見せてあげたい!! 入れないけど、外見で充分。一見の価値ありよ!!』
私はマリサを伴い、夫の執務室に駆け込んだ。
夫は読み終えた手紙を机に置いたまま、口に手を当てて呻った。
「すると、あの血文字令嬢は教皇庁のお尋ね者で、宗教裁判にかけられそうな身の上という事か……」
「あの方、匿うおつもりかしら」
オリガが気の毒すぎて……
「少なくともパルムクランツ伯爵はそのつもりだったんだろう。道半ばにして死んだが……」
「投げ出したというよりは老衰ですけどね」
マリサが冷静に言い添える。
「自分の年も考えず大事に手を出したな。ある見方をすれば善き人だったのだろうが、その責務をすべてレディ・オリガが引き継ぐというのはさすがに酷だ」
私もパールと同じ意見。
「そうよね……でも、まだ、そうと決まったわけではないものね」
私は、オリガが気の毒すぎて、つい夢を見てしまった。
「十中八九、この件だろう」
パールはとても現実的。
「参りましたね。知ってしまった以上、メランデル伯爵家としては告発の義務が生じるかと。どうなさいます? 御主人様」
執事が声を潜める。
「頭のおかしい女を訴えるだけで済むならよかったんですけど、修道士を惑わしたとなっては、最悪、魔女として処刑されますからねぇ……ちょっと後味がねぇ。奥様、どうなさいたいですか?」
マリサが私を見つめた。
だいぶ、気の毒そうな目をして。
「……え?」
大事になってしまった、とは、思ったのだ。
その決定権が自分に回ってくるとは、思っていなかった。
「……」
考えがまとまらず言いあぐねていると、パールが立ちあがり、素早く手紙を暖炉に放り込んだ。手紙は燃えて、黒い塵になった。
「君が悩む必要はない」
「パール……」
「レディ・オリガもそのつもりで早々に対応したんだろう。我々は知らなかった。我々に告発の義務はない。母の手紙は届かなかった。メランデル伯爵家は、この件に一切関わらない」
「だけど、パール……」
知らぬ存ぜず、素知らぬふり。
それが冷酷とも不道徳とも一口では言えないけれど、私には迷いがあった。答えのない迷いが。
パールがこちらに歩いてきて、私の頬にふれた。
「忘れるんだ。ヴェロニカ」
「……」
私を守ろうとしている。
それだけは、はっきりと理解できた。
けれど、その時に生じたしこりは、執念深く胸の奥に居座り続けた。
彼女がパールを選んだ理由。
それが、あるはずなのだと……私はまだ、不安の正体に気づいてさえいなかった。
義両親、先代のメランデル伯爵夫妻から手紙が届いた。
「……!」
筆不精のパールではなく、義母と私が手紙のやりとりをするのはいつもの事。
旅先の様子や、見聞きした珍事や事件などを伝えてくれる手紙に、驚くべき事が書かれていた。
私は一度、手紙を置いて虚空を見つめた。
そして再び読み直した。
『愛するヴェロニカ、お元気かしら? ~(中略)~──……で、その大聖堂には急遽、教皇庁から聖騎士団の調査が入って、腐敗を正し穢れを浄めるため閉鎖になったそうなの。それは立派な大聖堂なのに、残念というか恐ろしいというか……主教様が修道士と孤児を秘密結婚させようなんてとんでもないわよね。世も末だわぁ~』
「……」
問題は、その後。
『罪深いふたりは逮捕直前に姿を消してしまったそうなのだけど、どうも、あの物好きなパルムクランツ伯爵が関わっているって噂なの。曰くありげな侯爵令嬢を娶ったと思ったら、今度はとんだ色キチガイ沙汰に首を突っ込んで。いやねぇ。でもあの方、つい先日亡くなったわよね? 聞き違いかしら。まあいずれにしても、あなたたちが平和に出会って平和に育って、平和に結婚してくれて、本当に幸せだわ。神様に感謝! 本当に立派な大聖堂なのよ! ヴェロニカ、あなたに見せてあげたい!! 入れないけど、外見で充分。一見の価値ありよ!!』
私はマリサを伴い、夫の執務室に駆け込んだ。
夫は読み終えた手紙を机に置いたまま、口に手を当てて呻った。
「すると、あの血文字令嬢は教皇庁のお尋ね者で、宗教裁判にかけられそうな身の上という事か……」
「あの方、匿うおつもりかしら」
オリガが気の毒すぎて……
「少なくともパルムクランツ伯爵はそのつもりだったんだろう。道半ばにして死んだが……」
「投げ出したというよりは老衰ですけどね」
マリサが冷静に言い添える。
「自分の年も考えず大事に手を出したな。ある見方をすれば善き人だったのだろうが、その責務をすべてレディ・オリガが引き継ぐというのはさすがに酷だ」
私もパールと同じ意見。
「そうよね……でも、まだ、そうと決まったわけではないものね」
私は、オリガが気の毒すぎて、つい夢を見てしまった。
「十中八九、この件だろう」
パールはとても現実的。
「参りましたね。知ってしまった以上、メランデル伯爵家としては告発の義務が生じるかと。どうなさいます? 御主人様」
執事が声を潜める。
「頭のおかしい女を訴えるだけで済むならよかったんですけど、修道士を惑わしたとなっては、最悪、魔女として処刑されますからねぇ……ちょっと後味がねぇ。奥様、どうなさいたいですか?」
マリサが私を見つめた。
だいぶ、気の毒そうな目をして。
「……え?」
大事になってしまった、とは、思ったのだ。
その決定権が自分に回ってくるとは、思っていなかった。
「……」
考えがまとまらず言いあぐねていると、パールが立ちあがり、素早く手紙を暖炉に放り込んだ。手紙は燃えて、黒い塵になった。
「君が悩む必要はない」
「パール……」
「レディ・オリガもそのつもりで早々に対応したんだろう。我々は知らなかった。我々に告発の義務はない。母の手紙は届かなかった。メランデル伯爵家は、この件に一切関わらない」
「だけど、パール……」
知らぬ存ぜず、素知らぬふり。
それが冷酷とも不道徳とも一口では言えないけれど、私には迷いがあった。答えのない迷いが。
パールがこちらに歩いてきて、私の頬にふれた。
「忘れるんだ。ヴェロニカ」
「……」
私を守ろうとしている。
それだけは、はっきりと理解できた。
けれど、その時に生じたしこりは、執念深く胸の奥に居座り続けた。
彼女がパールを選んだ理由。
それが、あるはずなのだと……私はまだ、不安の正体に気づいてさえいなかった。
108
あなたにおすすめの小説
【完結】大好きな彼が妹と結婚する……と思ったら?
江崎美彩
恋愛
誰にでも愛される可愛い妹としっかり者の姉である私。
大好きな従兄弟と人気のカフェに並んでいたら、いつも通り気ままに振る舞う妹の後ろ姿を見ながら彼が「結婚したいと思ってる」って呟いて……
さっくり読める短編です。
異世界もののつもりで書いてますが、あまり異世界感はありません。
【完結】愛くるしい彼女。
たまこ
恋愛
侯爵令嬢のキャロラインは、所謂悪役令嬢のような容姿と性格で、人から敬遠されてばかり。唯一心を許していた幼馴染のロビンとの婚約話が持ち上がり、大喜びしたのも束の間「この話は無かったことに。」とバッサリ断られてしまう。失意の中、第二王子にアプローチを受けるが、何故かいつもロビンが現れて•••。
2023.3.15
HOTランキング35位/24hランキング63位
ありがとうございました!
勇者様がお望みなのはどうやら王女様ではないようです
ララ
恋愛
大好きな幼馴染で恋人のアレン。
彼は5年ほど前に神託によって勇者に選ばれた。
先日、ようやく魔王討伐を終えて帰ってきた。
帰還を祝うパーティーで見た彼は以前よりもさらにかっこよく、魅力的になっていた。
ずっと待ってた。
帰ってくるって言った言葉を信じて。
あの日のプロポーズを信じて。
でも帰ってきた彼からはなんの連絡もない。
それどころか街中勇者と王女の密やかな恋の話で大盛り上がり。
なんで‥‥どうして?
魔性の女に幼馴染を奪われたのですが、やはり真実の愛には敵わないようですね。
Hibah
恋愛
伯爵の息子オスカーは容姿端麗、若き騎士としての名声が高かった。幼馴染であるエリザベスはそんなオスカーを恋い慕っていたが、イザベラという女性が急に現れ、オスカーの心を奪ってしまう。イザベラは魔性の女で、男を誘惑し、女を妬ませることが唯一の楽しみだった。オスカーを奪ったイザベラの真の目的は、社交界で人気のあるエリザベスの心に深い絶望を与えることにあった。
最近彼氏の様子がおかしい!私を溺愛し大切にしてくれる幼馴染の彼氏が急に冷たくなった衝撃の理由。
佐藤 美奈
恋愛
ソフィア・フランチェスカ男爵令嬢はロナウド・オスバッカス子爵令息に結婚を申し込まれた。
幼馴染で恋人の二人は学園を卒業したら夫婦になる永遠の愛を誓う。超名門校のフォージャー学園に入学し恋愛と楽しい学園生活を送っていたが、学年が上がると愛する彼女の様子がおかしい事に気がつきました。
一緒に下校している時ロナウドにはソフィアが不安そうな顔をしているように見えて、心配そうな視線を向けて話しかけた。
ソフィアは彼を心配させないように無理に笑顔を作って、何でもないと答えますが本当は学園の経営者である理事長の娘アイリーン・クロフォード公爵令嬢に精神的に追い詰められていた。
婚約解消を宣言したい忠犬令息の攻防戦
夕鈴
恋愛
薔薇が咲き誇る美しい庭園で椅子に座って悲しそうな顔で地面に向かって何度も同じ言葉を呟く少年がいた。
「僕は、姫様に相応しくないので、婚約を解消しましょう」
膝の上で固く握った拳は震えている。
少年の拳の上に真っ赤な花びらが落ちてきた。
少年が顔を上げると、美しい真っ赤な薔薇が目に映る。
少年は婚約者を連想させる真っ赤な薔薇を見ていられず、目を閉じた。
目を閉じた少年を見つめる存在には気付かなかった。
鈍感な少年と少年に振り回される恋するお姫様の物語です。
婚約してる彼が幼馴染と一緒に生活していた「僕は二人とも愛してる。今の関係を続けたい」今は許してと泣いて頼みこむ。
佐藤 美奈
恋愛
公爵令嬢アリーナは、ダンスパーティの会場で恋人のカミュと出会う。友人から紹介されて付き合うように煽られて、まずはお試しで付き合うことになる。
だが思いのほか相性が良く二人の仲は進行して婚約までしてしまった。
カミュにはユリウスという親友がいて、アリーナとも一緒に三人で遊ぶようになり、青春真っ盛りの彼らは楽しい学園生活を過ごしていた。
そんな時、とても仲の良かったカミュとユリウスが、喧嘩してるような素振りを見せ始める。カミュに繰り返し聞いても冷たい受け答えをするばかりで教えてくれない。
三人で遊んでも気まずい雰囲気に変わり、アリーナは二人の無愛想な態度に耐えられなくなってしまい、勇気を出してユリウスに真実を尋ねたのです。
【完結】オネェ伯爵令息に狙われています
ふじの
恋愛
うまくいかない。
なんでこんなにうまくいかないのだろうか。
セレスティアは考えた。
ルノアール子爵家の第一子である私、御歳21歳。
自分で言うのもなんだけど、金色の柔らかな髪に黒色のつぶらな目。結構可愛いはずなのに、残念ながら行き遅れ。
せっかく婚約にこぎつけそうな恋人を妹に奪われ、幼馴染でオネェ口調のフランにやけ酒と愚痴に付き合わせていたら、目が覚めたのは、なぜか彼の部屋。
しかも彼は昔から私を想い続けていたらしく、あれよあれよという間に…!?
うまくいかないはずの人生が、彼と一緒ならもしかして変わるのかもしれない―
【全四話完結】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる