だってお顔がとてもよろしいので

喜楽直人

文字の大きさ
3 / 5

3.

しおりを挟む

 
「ね? これってセリーンにとっても有意義なことだと思うのだけれど」
 どうかな、と笑いかけるユリウスの顔は、今日も綺麗だった。

 まだ昼前、朝といってもいい時刻だ。
 平民の暮らしはとうに始まっているし、貴族であっても人によっては出仕もしている時刻ではあるものの、普段のユリウスならまだ夢の中にいる時刻だろう。
 こんな時間からユリウスが起きているだけでも青天の霹靂であり、きちんと身形を整えて、前触れもなしであろうとセリーンを訪ねてくることはこれまで一度もない。初めてのことだった。
 どうやらここ最近ユリウスを悩ませていた不幸な出来事に関する有益な対策を思いついて、居ても立ってもいられずこうしてセリーンにその解決方法について同意を取り付けにやってきたらしい。

 たった今聞かされた、常にない熱意を込めたユリウスのプレゼンについて、セリーンは勿論すぐに同意することはない。
 ユリウスの即決を求める圧に屈することなく微笑み、紅茶を飲みながら頭の中で精査した。

『婚姻後も、セリーンは家業に勤しむのに忙しいだろう? 働くのは大変なことだと聞いているよ。その上、妊娠や出産といったことについてまで背負い込むことはないと思うんだ』

『子の産みの親の素性は保証する。貴族家に生まれついた美しい女性だ。勿論、私の血を引いている。それも保証しよう。その子を引き取れば、貴女は跡継ぎを生まなければならないというプレッシャーに負い目を感じることなく、家業に邁進できる』

『美しい彼女と美しい私の子供は、美しいだろう。誰もが見惚れるような綺麗な顔の子供が保証されるんだ。きっと貴女にも満足して貰える提案ができたと思う』


 豪華なガラス張りのテラスに差し込む柔らかな日差しの中で紅茶を味わうべく座っているユリウスはやはり絵になる。中身がどれほど屑であろうとも。
 でも、顔がいい。
 セリーンにとって、全てがこのひと言に尽きるのだ。

 元々、婚姻後はある程度まとまった金額を月々小遣いとして渡し、その範囲で好きに遊んで暮らして貰う予定だった。
 愛人を持つことを咎めるつもりもなかった。
 あちこちに種を撒かれるのは困るが、認知して引き取るのはこれきりと婚前契約書に署名入りで契約しておけば問題はないであろう。

 なにより、この男が子供を産ませてもいいと思うだけの相手との子供が引き取れる。
 自分で産むより遥かに顔がいいと保証つきの我が子ができるということになる。
 産前産後育児期間、仕事から離れる算段を考えなくてもいいというのも利点だろう。

 つまり、不都合なことは何もない、ということになる。

 そこまで考えて、セリーンはユリウスの顔を見てにっこりと笑った。

「セリーン?」
 その笑顔に、ユリウスは自身の勝利を確信して微笑みかけた。
「ユリウス様のお申し出は大変興味深いものがありました。ただ、何しろまったく血の繋がらない後継者を受けるということについては、私一人で決定することはできません。男爵家のですので、現男爵である父の意見を聞かねばなりません」
 勿論これは方便だ。
 別に父であるラートン男爵は、セリーンが納得の上、契約を交わしたと伝えればそれに文句をつけるようなことはない。
 しかし、まずは産みの母となる令嬢について調べる必要や、契約条件などについて詰める必要もある。

「勿論だ。ただ、きっとラートン男爵も素晴らしい提案だと受け入れてくれると信じている」 
 それには答えず、セリーンは微笑んだ。
 それでも、セリーンのその微笑みにユリウスは満足して帰る旨を告げる。

 その馬車に乗り込む姿すら美しく、セリーンは惚れ惚れしながら見送ると、まずは検討事案を詰めるためにも弁護士を呼び指示を出さねばと歩き出した。



◇◇◇◇◇
 

「ヨハン。弁護士のマーカス先生をお呼びして。至急、相談したいことがあるとお伝えしてね」

 普段なら、即承諾の返事をする筈のヨハンの声が聞こえなくて、セリーンはその姿を探した。
 ヨハンは元々父の側近であった男で、セリーンがユリウス・ハーバーと婚約を結んだことにより後継者となった時から、セリーンの側近となった。
 とにかく仕事が早く、情報も正確で、誠実な人柄として定評がある。
 取引先との信頼関係も厚いため、この男が傍で支えていることで、女であるセリーンが最初から取引相手に舐められることなく対等な存在として遇されていた部分があることはセリーンから見ても否定できない。
 果たして、ヨハンは探すほどもなくセリーンのすぐ後ろに控えていた。
 しかし、その口から出たのはセリーンの出した指示への了承でも意見でもなかった。

「お嬢様、大変申し訳ございませんが、一身上の都合により、お嬢様のお傍を離れ、仕事を辞めさせて戴きたく存じます」

 震える声でそう伝えられたセリーンは、あまりの衝撃に声も出せなかった。
 頭を下げたまま走り去ろうとしたヨハンを、セリーンは慌てて引き留めた。

「ちょっと待ってよ。ヨハンたら一体どうしたの? 突然なにを……」
 そこまで言ったセリーンの動きが止まる。

 何故なら、ヨハンが泣いていたからだ。

 くしゃりと長すぎる前髪を掴み、涙で濡れた眦を反対の手で押し拭う。

「セリーンお嬢様、ずっとお慕いしておりました。伯爵家の婿を取られることは存じておりましたし、それで仕方がないと思ってもおりました。しかし……あんな無体な申し出を受けるほど、あんな屑男に惚れているとは思わなくて。押し付けられた婚姻でしかない形ばかりの婚姻なら、貴女の一番近くにいるのは私だと。けれど、それがまったくの勘違いで、セリーンお嬢様の心が、そんなにも、他の男のものとなっているなら……俺は、俺には貴女の傍にいることは、できない」

 突然の告白。
 立派な大人だと思っていた男の泣き顔に、セリーンは胸にせまるものを覚えていた。

「スミマセン。もう、お傍にいることが、辛すぎて。無理なんです。退職届はのちほど提出させて戴きます」

 申し訳ありませんでしたと馬鹿真面目にもう一度深く頭を下げると、ヨハンは言葉を無くしたままのセリーンを置き去りに走り去った。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

忘れるにも程がある

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたしが目覚めると何も覚えていなかった。 本格的な記憶喪失で、言葉が喋れる以外はすべてわからない。 ちょっとだけ菓子パンやスマホのことがよぎるくらい。 そんなわたしの以前の姿は、完璧な公爵令嬢で第二王子の婚約者だという。 えっ? 噓でしょ? とても信じられない……。 でもどうやら第二王子はとっても嫌なやつなのです。 小説家になろう様、カクヨム様にも重複投稿しています。 筆者は体調不良のため、返事をするのが難しくコメント欄などを閉じさせていただいております。 どうぞよろしくお願いいたします。

馬小屋の令嬢

satomi
恋愛
産まれた時に髪の色が黒いということで、馬小屋での生活を強いられてきたハナコ。その10年後にも男の子が髪の色が黒かったので、馬小屋へ。その一年後にもまた男の子が一人馬小屋へ。やっとその一年後に待望の金髪の子が生まれる。女の子だけど、それでも公爵閣下は嬉しかった。彼女の名前はステラリンク。馬小屋の子は名前を適当につけた。長女はハナコ。長男はタロウ、次男はジロウ。 髪の色に翻弄される彼女たちとそれとは全く関係ない世間との違い。 ある日、パーティーに招待されます。そこで歯車が狂っていきます。

貧乏子爵令嬢ですが、愛人にならないなら家を潰すと脅されました。それは困る!

よーこ
恋愛
図書室での読書が大好きな子爵令嬢。 ところが最近、図書室で騒ぐ令嬢が現れた。 その令嬢の目的は一人の見目の良い伯爵令息で……。 短編です。

師匠の嫉妬で才能を奪われた薬師見習いの私、牢獄で本物の力を取り戻す

er
恋愛
辺境貴族の娘セシリアは宮廷薬師見習いとして働くが、師匠エリザから無能と罵られ続ける。疫病が王都で流行すると、エリザはセシリアに濡れ衣を着せ処刑させようとする。

すべて『反射』してしまうようです

夜桜
恋愛
 辺境伯令嬢エイラは、子供のころはどん底の不幸だった。  不運が続く中、お見合いで伯爵と婚約を交わす。しかし、それは望まぬ婚約だった。婚約を破棄するも更に不幸が続く。  他の令嬢から嫌がらせを受けるようになっていた。  苦悩の中、幼馴染のブルースと再会。彼がいると幸せになれた。ブルースが近くにいると不思議な力『反射』を受動的に発動できたのだ。  反射さえあれば、どんな嫌な相手からの罵詈雑言も、事故や災難さえも『反射』する。決して不幸が訪れなかった。  そんなブルースを傍に置きたくてエイラは奔走する。

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

そろそろ諦めてください、お父様

鳴哉
恋愛
溺愛が過ぎて、なかなか婚約者ができない令嬢の話 短いので、サクッと読んでもらえると思います。 読みやすいように、7話に分けました。 毎日1回、予約投稿します。 2025.09.21 追記 自分の中で溺愛の定義に不安が生じましたので、タグの溺愛に?つけました。

愛しているのは王女でなくて幼馴染

岡暁舟
恋愛
下級貴族出身のロビンソンは国境の治安維持・警備を仕事としていた。そんなロビンソンの幼馴染であるメリーはロビンソンに淡い恋心を抱いていた。ある日、視察に訪れていた王女アンナが盗賊に襲われる事件が発生、駆け付けたロビンソンによって事件はすぐに解決した。アンナは命を救ってくれたロビンソンを婚約者と宣言して…メリーは突如として行方不明になってしまい…。

処理中です...