冷凍睡眠からおれを目覚めさせたのは、異形頭でした

秋山龍央

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保管庫

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 着替えを済ませ、食事を終えると、心の中にほんの少しだけ余裕が生まれた。
 そして余裕ができれば、他のことに目がいき始めるのが人間だ。

 この医務室は、戸棚や器具こそ形を保っているが、長年放置されていたせいで埃臭さがひどい。ベッドのマットレスはかろうじて原型をとどめているが、この上で眠るのは衛生上よろしくなさそうだ。

 寝袋、歯を磨くもの、洗顔料、医薬品――
 このさき生活することを考えれば、細かな必需品が次々と思い浮かんできた。

「アルが見つけた作業員用保管庫って、どこにあるんだ?」

 残りの食料を確認していた異形の頭部が、音もなくこちらへ向いた。

「この医務室を出て、廊下の突き当たりの階段を上がった三階。その左端の部屋が作業員用保管庫だった」

「分かった。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

 そう言って立ち上がろうとした瞬間――

 アルが目に見えぬほどの速さで間合いを詰め、おれの肩をつかんだ。
 そのまま強引にベッドへ押し戻される。

「わっ、アル? なんだよ、どうかした……?」

「……先程も言ったが、君の言動は常に突発的すぎる。説明を求める、至急」

「あ、驚かせちゃったか。ごめんごめん。えっと……ほら、衣類や食料以外にも、寝袋とか歯を磨くものとか、この部屋を掃除する道具なんかが欲しくて。その作業員用保管庫に、探しに行こうと思ったんだ」

「ならば私が行く。君はここに残るべきだ」

「でも、アルは人間についてあまり詳しくないんだろ? おれが必要とするものがどんなものか分かるのか? 倉庫のもの全部ここに持ってくるわけにもいかないし……おれも倉庫に実物を見ないと必要かそうでないか判断できないしさ」

「施設内の探索は未完了、マッピングも不十分だ。敵性存在の潜伏確率も否定できない」

「施設内のことなら、おれの方が詳しいよ。なにせ、ウイルス耐性の研究のサンプルとしてしばらくここで暮らしてたしな」

「…………」

 アルの頭部に刻まれたラインが、緑色に灯る。
 指摘しようかと思ったが、さっきのアルの反応を思い出して、慌てて言葉を飲み込んだ。

 そして、しばしの沈黙のあと、アルが告げた。

「……二人で向かうことを提案する。ただし条件がある。私の指示に絶対服従すること」

 先ほどと変わらぬ無機質な音声なのに、なぜだろう。
 なんだかものすごく、渋々と言っているように聞こえる。
 おれの思い込みだろうか?

「了解! じゃあ、今から行ってもいい?」

「……許可する。重ねて忠告するが、私の指示には必ず従うように」

「うんうん、分かってるって!」

「…………」

 ◆

 そうして――おれとアルは医務室を出て、作業員用保管庫へと向かうことにした。

 扉を抜けた先の廊下は、先ほども目にしたとおり、無惨に荒れ果てていた。
 かつては白く、清潔に磨かれていた床は、今ではひび割れや汚泥に覆われ、ところどころで瓦礫がせり出して通路を塞いでいる。
 壁面の一部が剥がれ落ち、床に金属片や空調機の残骸が散らばっている場所さえあった。

 数か月前まで、おれが目にしていた光景と、今この目に映る現状との落差に、あらためて胸が締めつけられる。

「本当に、おれが眠ってる間に三百年も経っちゃったんだなぁ……」

「…………」

 ぽつりと呟いたおれに対し、アルは無言のまま、迷いなく一歩前を進んでいった。
 彼の身長は二メートルを優に超え、体躯も圧倒的に大きい。それなのに、階段を上がる時でさえ足音ひとつ立てないのが不思議だった。
 まるで黒い影が床を滑るように移動している。

 様子を見ていると、時折、アルの頭部の表面に数値の羅列が不規則に浮かび上がるのが見えた。
 周囲の空気や構造物を計測しているのだろうか?

 その姿は、訓練された兵士のようでありながら――それでいて、人間からは遠くかけ離れた存在だった。

「そういえば、聞いてもいいかな?」

「許可する」

 アルの返事はいつもどおり、無機質で感情の起伏を感じさせない。
 けれどこうして言葉を交わしていると、なんだかんだ距離が近づいているような気がするのだから、おれは実に単純なやつだ。

「アルは人工機械生命体っていうくらいだから、人間によって作られた存在なんだろ?」

「肯定。私は2150年、政府の地球環境観測局・人工機械生命体開発部門によって製造された」

「2150年っていうと……おれが冷凍睡眠に入ってから48年後か。じゃあおれ、アルより48歳年上なんだ」

「……冷凍睡眠で過ごした年月は、単純に年齢に換算できるものではない」 

「まあ、それはともかく……ちょっと不思議でさ。アルって人間のことにあまり詳しくない感じだろ? 環境観測局にいる親御さんとは、普段はしゃべったりしなかったのか?」

「……私は人工機械生命体。人間の人工受精卵を核に、培養された有機組織と合成金属フレームを融合させて設計された存在。親と呼べる存在はいない」

 機械的な声色で言い切られて、思わず口をつぐんだ。
 けれど、少し迷った末に、おそるおそるもう一度問いかける。

「でも……アルの誕生を望んだ人がいるから、アルがここにいるんだろ? なら、その人が親ってことじゃないのか?」

「……私が製造されたのは2150年。しかしその後は生命維持装置に収められ、睡眠学習を施されていた。私が目を覚ましたのは2155年。その時点で、人類はすでに地球から宇宙シェルターへと完全に避難を終えていた」

「え?」

 言葉の意味が一瞬、理解できなかった。

 じゃあつまり――政府の人間は、アルに『地球環境の観測』という使命を押しつけて、一度も対面することなく、宇宙へ去ってしまったというのか。

「だから私が目覚めた時、地球には一人の人類も残っていなかった」

「……ごめん、変なこと聞いちゃって」

 思わずうつむく。
 すると間髪入れずに、アルの無機質な声が降ってきた。

「変なことではない。君の疑問は妥当だ。加えて、睡眠学習装置による教育は完全であり、任務に支障が出たことはない。結論として問題はない」

 フォローのように聞こえるアルの言葉にはっと顔をあげ、彼の顔をまじまじと見つめる。
 だが、黒いつるりとしたヘルメットのような頭部には何の感情も浮かんでいない。
 ただ、青白い光と緑の光が交互にちかちかと点滅しているだけだった。

 ……今まではただの機械的な光としか思っていなかったのに。
 どういうわけか、今はその瞬きがひどく優しいものに見えた。

「アルは、それでよく人間のことを嫌いにならないなぁ。もっと怒って、こんな任務なんかほっぽりだしてもいいくらいなのに」

「……私は感情を持たない。ゆえに、人間に対して嫌悪や憎悪を抱くこともない」

「でも……」

 でも――今のおれには、どうしてもそうは思えなかった。

 アルの反応を見ていると、やっぱり、感情があるようにしか見えないのだ。
 第一、アルは自分で「人間の人工受精卵を核に、有機組織と合成金属フレームを融合させて設計された」と言っていた。
 人間の受精卵を基礎にしている以上、ヒト由来の神経系が組み込まれていると思われる。
 なら、感情を生み出す神経回路だけを意図的に排除したとは考えにくい。

 けれど……これは、おれの願望なのかもしれない。

 おれは――アルに心があってほしいと、願っているのだ。

「分かった。話してくれてありがとう。それから、今まで二百年もずっと頑張ってくれてありがとうな」

「……?」

「おれなんかに言われても嬉しくないかもしれないけど……今、地球にいる人間はおれだけだ。だから、人類代表ってことでお礼を言わせてほしい」

 アルがぴたりと足を止め、振り返った。
 その動作には、どこか戸惑いが滲んでいるように見えた。

「……私は、与えられた任務を遂行しただけだ。礼を言われるようなことではない」

「あはは。でもさ、これはおれが言いたかっただけだから」

 そう言って笑ったあと、なんとなく、ごまかすように視線をそらす。

「それと……もしもおれがアルにとって嫌なことをしたら、遠慮なく言ってくれよ? あと、やってほしいことがあれば、なんでも言ってほしい。アルの力になりたいんだ」

「……私は感情を持たない。だから、“嫌だ”と感じることもない」

 一瞬の間のあと、しかし、アルは畳みかけるように言葉を続けた。

「だが、やってほしいことを挙げるなら――君は医務室で待機しているべきだった。君は武器も戦闘力も持ち合わせていない。にもかかわらず、危険区域へ踏み込む自覚が欠如している。これは任務行動として致命的だ。それに、単独行動を選ぼうとしたのもあまりにも無謀。加えて、君の言動は常に突発的で脈絡がなさすぎる」

「思った以上にいっぱいダメ出しが出てきた!?」

 おれは思わず声をあげて慌てた。

「ご、ごめん。あの、嫌だったなら、本当にちゃんと言ってくれよ!?」

「……繰り返すが、私に感情はない。嫌という気持ちはない」

 そこで、アルは一拍置いてからさらに続けた。

「私は人工機械生命体であり、人間と直接的コミュニケーションをはかるのは、君との接触が初めてだ。君の言動を記録し並列思考によって演算でシミュレーションをしているが……その予想もほとんど外れている」

 アルがそう言った瞬間、その黒い頭部に走るラインが、青白い光から淡い黄色へと変わった。
 それは、ただ演算の進行を示すサインなのかもしれない――けれど、不思議とおれには、彼が言葉を選んでいるように見えた。

「よって、これから共同で行動するにあたり、お互いの行動パターンをより把握し、理解を深める必要があると認識している。君も認識を共有してくれれば、齟齬が減り、私の任務も円滑に進むはずだ」

「……うん! つまり、仲良くしようってことだな!」

 嬉しさに頬がゆるむ。

 最初はどうなることかと思ったけれど――
 でも、この調子ならアルとうまくやっていけるかもしれない。
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