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9 断罪その1
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「……こんな、こんなはずでは」
窮地に追い込まれたカルスフット卿は顔色を失くして地面に突っ伏し滂沱に涙を流していた。
遡る事、約二時間前。
滞在期間を終えた隣国の王太子フリードベル・インパジオが馬車に乗り込む、そこまでは当然である。だが、何食わぬ顔でその後を追い乗り込む妻と娘の姿を見たカルスフット卿は素っ頓狂な声を上げて「何をしているお前たち!」と叫んだ。
娘のリリジュアは振り返りもせずに婚約者の対面に腰を下ろし、優雅な仕草で扇を開いて視界を覆う。そして、卿の妻であるジュリエは見送りの列に並ぶ家令に目配せする。銀細工の筒から丸めた羊皮紙を取り出して夫人に手渡す。
夫人は小さく礼を言うと書面を広げて夫の方へ突き出した。
「本日までご苦労でした、いろいろとやらかしてくれてありがとう。お陰で離縁は恙なく受理されたわ」
「え、離縁とはどういうことだ!了承した覚えもないしそのような重要な相談すら聞いていないぞ」
怒りとショックで戦慄く夫とは対照的に淡々と別れを告げる元夫人ジュリエは落ち着いた顔である。
「なにを驚いてますの?私は以前から離縁を申し出ていたでしょう」
「い、いや、それは喧嘩の末の脅しだっただろう。そのはずだ!」
「……ふぅ、冗談やカマかけだと思っていたのは貴方だけよ。弁護士まで立てて協議にも召喚したのに貴方はずっと知らない振りをしてきた。私がどれほど訴えても戯言だと耳を貸さなかった。そうでしょ?」
病弱でいつも慎ましい態度だった妻を見下してきたツケが今日の離縁宣言に繋がった、せっかく異国の王妃になろうという娘の花舞台すら拝むことも叶わず他人になったのだと聞かされた卿はその場に頽れた。
「なんで、なんでいきなり今日なのだ!私はあの子の父親なんだぞ!恩を仇で返すとは此の事だ!手塩にかけて…」
だが、卿の言葉をジュリエは遮るように言い放つ。
「恩?手塩にかけて育てたと貴方が言いますか、ホホホッなんと滑稽な。言いなりの傀儡に仕立てたかっただけでしょう?私も娘のこともね」
「んな!?」
彼女の言葉が図星だったのか、卿は反論が出来ずに言葉を詰まらせて紫に変色した唇をワナワナさせることしかできない。だがしかし、老獪な彼は何れ王妃となる娘の恩恵にあずかれなくてもカルスフット公爵家の莫大な財産を手にできるのなら良しとすると不敵に笑う。
「あら、急に顔色が戻りましたね。奸智に長けたあなたの事、きっと離縁されても爵位と折半した財があれば良いとでも思ったのかしら?だが残念……貴方はなにも継げません。負の財産くらいは残るでしょうけど」
病弱だったはずの元妻がやたら溌剌かつ挑戦的な言葉を紡ぐので卿は訝しい顔をする。
「きょうは随分と饒舌なのだな……血色が良い、薬を変えたのか?」
「いいえ?私は薬を飲む必要はなかったのですよ。貴方が一番ご存じのはずよ」
「な、なにを言っているのかね。私は病弱なキミを心配はして滋養剤を与えてはいたがそれだけだ」
「それだけ……ね?」
ジュリエは懐から緑色の小瓶と紙を取り出して言う。
「貴方がくれるこの滋養薬の成分が漸く分析できましたの、自国の科学者では無理でしたがインパジオの技術でやっとわかりましたのよ。無味無臭の毒が検出されました、研究機関が法務へ成分表の提出をしてくれましたわ。フリードベル王太子殿下には感謝しかありません」
「な、な……なにを」
恍けようとする卿だが、視線は泳ぎやがて完全に目を背けた。服毒させてきたことを認めたようなものだ。彼は結婚して間もなくから妻の命を狙っていた、産後の肥立ちが悪かったタイミングで「滋養のために」と飲ませてきたのだ。
「ふふ……信じていましたのに。思い返せば全てはリリジュアを生んでから狂い始めていたわ。亡き父にも似たような小瓶を献上していたでしょう?……ここまで言えばわかるわよね」
「ジュ、ジュリエ……私は、私は公爵家の当主として、繁栄のために尽力してきたのだ」
詰め寄る婦人からジリジリと後退していく卿は汗でグチャグチャだ、まるで雨にでも打たれたかのようだ。いつの間にか彼の背後には公爵家の私兵が出番はまだかと待機していた。逃げ場はない。
「お、お前達!当主の私に楯突くつもりか!」
諦めの悪い卿は彼らを恫喝し、侍従に「なんとかしろ!」と咆えた。だが、誰一人として彼の指示には従わない。
「なんで……なんで誰も私の為に動かない!」
「この期に及んでその言い草ですか、貴方に家督を預けはしましたが全てを譲った覚えはなくてよ?」
「え……しかし私が当主で」
「はい、名ばかりの当主お疲れ様でした」
「あああ!……そんなぁ!私が今までしてきた事は全部無駄だったのか……犯罪に手を染てまで公爵家を欲したのに」
あくまで仮のことで戸籍上は入り婿のまま、当主代行として屋敷にいたに過ぎない、つまり正式な当主ではない。その証拠を示す文書をジュリエ婦人は掲げて見せつけたのだ。
「カルスフット公爵を継ぐのは私の従甥です、当面は私の従兄が中継ぎをしますの。貴方の出番はないわ」
婦人の言葉を聞き、とうとう地に崩れた彼は「こんな、こんなはずでは……」と苦し気に言葉を吐いたのである。当主である妻を弱らせて家督を任された、全権を譲り受けたとばかり思いこんでいた愚かな男は子供のように泣いていた。
私兵に取り押さえられた彼は先代公爵毒殺と婦人の殺害未遂の咎で憲兵隊に引き渡され投獄された。
窮地に追い込まれたカルスフット卿は顔色を失くして地面に突っ伏し滂沱に涙を流していた。
遡る事、約二時間前。
滞在期間を終えた隣国の王太子フリードベル・インパジオが馬車に乗り込む、そこまでは当然である。だが、何食わぬ顔でその後を追い乗り込む妻と娘の姿を見たカルスフット卿は素っ頓狂な声を上げて「何をしているお前たち!」と叫んだ。
娘のリリジュアは振り返りもせずに婚約者の対面に腰を下ろし、優雅な仕草で扇を開いて視界を覆う。そして、卿の妻であるジュリエは見送りの列に並ぶ家令に目配せする。銀細工の筒から丸めた羊皮紙を取り出して夫人に手渡す。
夫人は小さく礼を言うと書面を広げて夫の方へ突き出した。
「本日までご苦労でした、いろいろとやらかしてくれてありがとう。お陰で離縁は恙なく受理されたわ」
「え、離縁とはどういうことだ!了承した覚えもないしそのような重要な相談すら聞いていないぞ」
怒りとショックで戦慄く夫とは対照的に淡々と別れを告げる元夫人ジュリエは落ち着いた顔である。
「なにを驚いてますの?私は以前から離縁を申し出ていたでしょう」
「い、いや、それは喧嘩の末の脅しだっただろう。そのはずだ!」
「……ふぅ、冗談やカマかけだと思っていたのは貴方だけよ。弁護士まで立てて協議にも召喚したのに貴方はずっと知らない振りをしてきた。私がどれほど訴えても戯言だと耳を貸さなかった。そうでしょ?」
病弱でいつも慎ましい態度だった妻を見下してきたツケが今日の離縁宣言に繋がった、せっかく異国の王妃になろうという娘の花舞台すら拝むことも叶わず他人になったのだと聞かされた卿はその場に頽れた。
「なんで、なんでいきなり今日なのだ!私はあの子の父親なんだぞ!恩を仇で返すとは此の事だ!手塩にかけて…」
だが、卿の言葉をジュリエは遮るように言い放つ。
「恩?手塩にかけて育てたと貴方が言いますか、ホホホッなんと滑稽な。言いなりの傀儡に仕立てたかっただけでしょう?私も娘のこともね」
「んな!?」
彼女の言葉が図星だったのか、卿は反論が出来ずに言葉を詰まらせて紫に変色した唇をワナワナさせることしかできない。だがしかし、老獪な彼は何れ王妃となる娘の恩恵にあずかれなくてもカルスフット公爵家の莫大な財産を手にできるのなら良しとすると不敵に笑う。
「あら、急に顔色が戻りましたね。奸智に長けたあなたの事、きっと離縁されても爵位と折半した財があれば良いとでも思ったのかしら?だが残念……貴方はなにも継げません。負の財産くらいは残るでしょうけど」
病弱だったはずの元妻がやたら溌剌かつ挑戦的な言葉を紡ぐので卿は訝しい顔をする。
「きょうは随分と饒舌なのだな……血色が良い、薬を変えたのか?」
「いいえ?私は薬を飲む必要はなかったのですよ。貴方が一番ご存じのはずよ」
「な、なにを言っているのかね。私は病弱なキミを心配はして滋養剤を与えてはいたがそれだけだ」
「それだけ……ね?」
ジュリエは懐から緑色の小瓶と紙を取り出して言う。
「貴方がくれるこの滋養薬の成分が漸く分析できましたの、自国の科学者では無理でしたがインパジオの技術でやっとわかりましたのよ。無味無臭の毒が検出されました、研究機関が法務へ成分表の提出をしてくれましたわ。フリードベル王太子殿下には感謝しかありません」
「な、な……なにを」
恍けようとする卿だが、視線は泳ぎやがて完全に目を背けた。服毒させてきたことを認めたようなものだ。彼は結婚して間もなくから妻の命を狙っていた、産後の肥立ちが悪かったタイミングで「滋養のために」と飲ませてきたのだ。
「ふふ……信じていましたのに。思い返せば全てはリリジュアを生んでから狂い始めていたわ。亡き父にも似たような小瓶を献上していたでしょう?……ここまで言えばわかるわよね」
「ジュ、ジュリエ……私は、私は公爵家の当主として、繁栄のために尽力してきたのだ」
詰め寄る婦人からジリジリと後退していく卿は汗でグチャグチャだ、まるで雨にでも打たれたかのようだ。いつの間にか彼の背後には公爵家の私兵が出番はまだかと待機していた。逃げ場はない。
「お、お前達!当主の私に楯突くつもりか!」
諦めの悪い卿は彼らを恫喝し、侍従に「なんとかしろ!」と咆えた。だが、誰一人として彼の指示には従わない。
「なんで……なんで誰も私の為に動かない!」
「この期に及んでその言い草ですか、貴方に家督を預けはしましたが全てを譲った覚えはなくてよ?」
「え……しかし私が当主で」
「はい、名ばかりの当主お疲れ様でした」
「あああ!……そんなぁ!私が今までしてきた事は全部無駄だったのか……犯罪に手を染てまで公爵家を欲したのに」
あくまで仮のことで戸籍上は入り婿のまま、当主代行として屋敷にいたに過ぎない、つまり正式な当主ではない。その証拠を示す文書をジュリエ婦人は掲げて見せつけたのだ。
「カルスフット公爵を継ぐのは私の従甥です、当面は私の従兄が中継ぎをしますの。貴方の出番はないわ」
婦人の言葉を聞き、とうとう地に崩れた彼は「こんな、こんなはずでは……」と苦し気に言葉を吐いたのである。当主である妻を弱らせて家督を任された、全権を譲り受けたとばかり思いこんでいた愚かな男は子供のように泣いていた。
私兵に取り押さえられた彼は先代公爵毒殺と婦人の殺害未遂の咎で憲兵隊に引き渡され投獄された。
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