元婚約者が「俺の子を育てろ」と言って来たのでボコろうと思います。

音爽(ネソウ)

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「大丈夫ですか、お嬢様?ゆっくり、ゆっくりで良いのです」
「ええ、ありがとう」

一月近くも寝所に引き籠っている私を気遣って、メイドが薄めのスープを給仕してくれた。
固形物をほとんど受け付けなくなっていた貧弱な胃が優しい味に安堵して飲み干す。

吐き気がこなかったことに嬉しくなり笑みが零れた。メイドも釣られて微笑む。
ストレスからくる激しい眩暈と吐き気が3週間も続いた、あっという間に体重が落ちて目が落ち窪み頬がこけた。
一気に老け込んでしまい老婆のようになった自分の姿が怖くなる。

両親も使用人たちも栄養さえ摂れば元に戻ると励ましてくれる。
ありがとう。でも、なにか違うの……私の中の何かが足りないの。

欠落した何かがわからないままだったけれど、いつまでも寝込んで生きるわけもいかない。
「あの人は今頃楽しく暮らしているかしら?」

空になったスープ皿を見つめて、ふと思いだした顔は憎たらしい笑みを浮かべてる。
結婚まで数カ月という時期に私は婚約者に裏切られ、社交界の笑い者になった。
それがちょうど一か月前のこと、彼は真実の愛とやらを貫くために行方をくらました。


安寧より刺激を求め旅立った彼を責める声も多かったけれど、妬みと憧憬も含んでいたと思うわ。
貴族は裕福でも自由はないんだもの。



私は目を眇めて窓辺を見る、白いカーテン越しから零れる陽の光が酷くぎらついて見えた。
僅かな明かりさえも今の私には刺激が強いみたい。

意を決して立ち上がったがやはり眩暈が襲う、やむなくメイドに車椅子を出して貰い屋敷内を移動する。
たった数歩すら歩けない己が情けない。

サロンへ行こうとしていた私にメイドが外へ出て見ないかと誘った。
有難いけれどここは3階だわ、車椅子を担ぐのは大きな負担なので執事達に余計な仕事を増やしたくないと断った。
すると……

「お嬢様がそう遠慮なさると思われまして、階段横に昇降機を旦那様が造られました。もちろんスロープも設置済みです」
「え?わざわざそんなものを……お父様」

臥せっていた間に時折騒がしいことがあったと気が付いていたけれど、そういう事なのね。なにか申し訳ない。
早く元気にならなければ。



手動らしいその昇降機を執事がクルクルと回してくれた。
仕組みはよくわからないけれどするすると降りるその機材はあっと言う間に階下へついた。
それを2階分繰り返すのは難儀だったはず、執事とメイドに礼を言うと「とんでもない」と逆に気を遣われた。

「お嬢様はいちいち腰が低すぎます」
「あら、そう?労うのは当然だわ」

「ま、そこが良いところですが!」
「ふふふ、体調が戻ったら街へでましょう、美味しい物を御馳走するわ」
「まぁ!素敵です。私はフルーツパーラーが良いです!」

急に元気になったメイドは今の時期はなにが旬かと饒舌になった。
楽しそうな声に私も嬉しくなり暗くて淀んだ心がどんどんと軽くなっていく。


もうすぐ夏だ、太陽の恵みたくさん浴びた果実はきっと芳醇で……。
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