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2.廊下に倒れていた隣人
しおりを挟む――月夜に照らされ、生ぬるい風を浴びながら、バイトからマンションに戻ってきた。
エレベーターを下りてフロアに到着すると、私の部屋の前に人が倒れている。
額から血の気が引いた。
「えっ……」
すかさず駆け寄った――男性だ。
両手で体を揺すり、声を浴びせる。
「大丈夫ですか?!」
顔を見ると、今日転校してきたばかりの刈谷くん。
私服姿。顔が赤く、苦しそうに息を吐いている。
なぜ、こんなところに――。
「刈谷くん! 私の声が聞こえますか?」
「あーー……うん」
首元を触ると、焼け付くように熱い。
元気にしていた昼間とは、別人のよう。
「いっ、いま救急車を呼びますね!」
カバンからスマホを出し、画面に指を当てると、彼に手首を掴まれた。
「……呼ばないで」
かすれた声。
うっすらとした目で、私を見つめている。
「えっ! でも、そういう訳には……」
「へーき……」
彼はぐったりと横を向いた。
私の心臓の音だけが耳の中に響いている。
横に彼のスマホが落ちている。
電話をかけようとしていたのかな。
手に取ると、穏やかに笑っている黒髪の女の子の画像が映っている。
もしかして、彼女……?
胸がドキッとした。
見ちゃいけなかったかな。
その子に状態を伝えようと思って、通話ボタンをタップした――が、出ない。
「放っておけないし、連絡先を勝手に触っちゃいけない気もする」
もどかしさに、深いため息が落ちた。
「うっ、ゴホッ……ゴホッ……」
彼は口元に手を当て、揺れている体を丸めた。
助けてあげたいけど、どうすれば――。
再び顔を覗き込んだ。
「刈谷くん! 大丈夫ですか?」
返事がない。
私の声が届いていないみたいだし、一人で立つ力もなさそう。
まるで、私の心を映し出してるかのように。
「どっ、どうしよう……」
救急車……呼ぶ、呼ばない?
震えた手で自分のスマホを取り出し、通話ボタンに指を向けた。
……でも、押せなかった。
彼の想いを踏みにじれない。
そんな中、ふと昼間のことが蘇った。
いつか口で伝えようと思って考えた告白文。
輪に入るのが怖くて、逃げ出した結果、晒されてしまった。
あのとき、刈谷くんが助けてくれなければ、私は笑い者のまま。
手を差し出さなければ、手を差し伸べてもらえない――。
それくらい、わかってる。
でも、一歩踏み出したら、二歩追い込まれるような気がして、足が前に出ない。
私はいま、訳あって一人暮らし。
男の子を家に入れるのは気が進まないし、厄介になる。
けれど、昼間助けてもらった借りがあるし、置き去りにはできない。
「ゴホッ……ゴホッ……」
迷ってる暇はない。
……とりあえず、うちへ連れて行こう。
少しでも力になってあげないと。
彼の手を私の肩に回して家に入った。
男性の体が、こんなに重たいなんて。
布団を敷いて、寝かせる。
真っ赤な額に、冷却シートを貼った。
早く熱が下がるといいな。
しばらくすると、リビングから光が差し込んでいる部屋は、静寂に包まれた。
小さくため息をついて、その場を立った――ところが。
「傷……、もう増やさないで……。頼む……」
私に言ってるのかと思って振り返ると、彼は再び夢の中へ。
寝言……か。
でも、少し追い込まれているように聞こえた。
再び彼の前へ。
力を失った表情に、私はただ見つめるだけしかできない。
――翌朝、洗面所で顔を洗っていると、寝室から物音がした。
タオルで顔を拭いて、向かうと、刈谷くんは布団から体を起こしていた。
「ここは?」
少し驚いた顔で、辺りを軽く見回す。
初めて見る景色に驚くのは、当前だよね。
「刈谷くんがうちの前に倒れていたから、とりあえず中へ。私、一人暮らしだし」
息を呑んだ。
私たちは、男と女。
この瞬間さえ、なにかあったらと思うと、緊張が走る。
彼は、タイムスリップしてきたかのような目で、私を見つめる。
「キミは昨日……の?」
「はい。同じクラスの厚木ミナです」
私が名前を言った途端、彼は大きくまばたきをした。
「えっ……。厚木……ミナ?」
知り合いかのような言いかた。
室内に時計の秒針音が、私たちを包みこんだ。
軽く記憶を辿ったけど――知らない。
「あっ、はい。そうですが」
彼は軽くまぶたを伏せ、口元を微笑ませたあと、立ち上がって布団をたたみ始めた。
まだ病み上がりなのに。
私は彼の元へ行き、すかさず布団に手を触れた。
「あっ、いいですよ。私がやりますので」
彼は首を振る。
「世話になったんだから、これくらいしないと」
「でっ、でも」
「看病してくれてありがとう。すげぇ助かった」
昨日は少し怖いイメージがあったけど、喋ってみると意外にそうでもない。
彼の小さな微笑みに、少しホッとする。
玄関の外で見送った。
だが、驚くべき事態が起きる。
彼が向かったのは、左隣の家。
扉の奥に入っていく様子に、私の目線は吸い込まれた。
「……お隣さん、だったの?」
そんなことも考えずに、簡単に自分の部屋に入れてしまった。
同じ学校に通っているから、これから毎日顔を合わせるのに。
――もし、これが他の人にバレたら?
変な噂になって、今度は刈谷くんにまで迷惑がかかってしまう。
「はぁ……」
カカシのままでいたかった。
それがきっと、一番安全な方法だから。
でも、見て見ぬふりのままじゃ、自分を守れない。
ぽつんと佇んでいると、どこかの家の換気扇の音が耳に届いた。
胸の奥を、ざわつかせていくかのように――。
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