キミに届く、一枚の勇気

伊咲 汐恩

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25.肩越しのぬくもり

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 ――バイトから帰宅すると、刈谷くんは家の前に座っていた。
 柵の外は冷たい雨。彼の表情も、その冷たさに紛れ込んでいるように見えた。
 家の前に進むと、彼は気づいて立ち上がった。

「ごめん。悩んでたら、ここに来てた。話……聞いてもらってもいいかな」

 これまで時おり見せていた、影を被っている表情。
 私は軽くうなずいて、家に招いた。

 彼をソファーに座らせた。
 キッチンで煮込んだコンソメスープを温め、彼の前へ。

「よかったら、どうぞ」
「ありがとう」

 部屋に充満している、コンソメスープの香り。
 彼の隣に座ると、彼はフゥフゥしながらスープを飲み始めた。
 それを眺めながら、彼の悩みを探していた。
 でも、見つからない。
 彼はスープを飲み干した。
 カップを見つめ、口を開く。

「実は、半年前まで彼女がいて。そいつと別れた理由が風華だって、さっき知ったよ」

 胸の奥に、小さな針が刺さったような痛みに襲われた。

「そんな……」
「別れるように脅されてたって。さすがにこればかりは引いたよ」

 彼は小さくため息をつき、悲しそうに笑った。

「別れたときは、気持ちを整理するのに必死だった。プレゼントしてもらったものや写真とか……捨てられなくて」

 彼女を大切にしていたことが、痛いほど伝わってくる。

「いまは、よりを戻したいと言われて混乱してる」

 なぜか時計の秒針が聞こえなくなるほど、心臓の音が耳の奥に響き渡った。

「……刈谷くんは、彼女のこと……まだ忘れられない?」

 聞くつもりはなかった。
 でも、答えを早く見つけたいような気がして、私の口から言わざるを得なかった。

「えっ」

 彼は驚いたように見上げた。
 残念ながら、私は目が合わせられず、キッチンのシンク前に向かった。
 これ以上言いたくない。
 けれど、友達としての自分がいる。

「気持ちが残ってるから、迷う……んだよね」
「ミナ……」
「だったら、ちゃんと考えてあげないと。好き……だったんだよね」

 彼はスープ皿を持って立ち上がり、キッチンに向かってきた。
 私の隣で、シンクにゆっくりとスープ皿を下ろす。

 返事を聞く覚悟がまだない。
 彼の心が少しずつ変わってしまいそうで、怖かった。

「……ごめん、ちょっと風邪引いたかも」

 勢いよく蛇口をひねった。
 シンクで飛び跳ねてきた水が、やけに冷たい。 

「大丈夫?」
「心配しなくていい」
「でもっ!」
「……ごめん。今日は帰ってくれないかな」

 彼が心配してくれてるのに、直視できなかった。

「看病するよ。食器は俺が――」
「これくらい自分でできるから」

 脈が暴れて、イライラする。

「具合悪いときくらい、俺に任せ……」
「大丈夫。一人でできるから!」

 無意識のうちに、声を張り上げていた。
 後悔したときには、すでに遅し。
 彼は驚いたように目を丸くする。

 サーーーー……。

 流水音が、やけに耳に残った。
 ……相談、してくれたのにね。

「ごめん、一人でいさせて……」

 現実から逃げるように、目をぎゅっとつぶる。
 彼は一旦離れ、カサッと音を立てたあとに私のすぐ後ろで足を止め、私の肩になにかをふわりと重ねた。
 首を傾けて見ると、ソファーに置いていたブランケットがかけられている。
 『風邪引いたかも』って言ったから、きっと私が寒いと思っていたのかもしれない。

「じゃあ、ちゃんと薬飲んでね。お大事に」

 ゆっくり振り返ると、彼は部屋を出ていった。
 そんな小さな優しさに、胸が熱くなる。

「……っ!」

 ふわふわのブランケットをぎゅっと掴んで、唇を噛み締めた。

 ……結局、関係が変わってしまうことを恐れて、なにも力になれなかった。
 今度は私が刈谷くんを助けてあげたいと思っていたのに。

 シンクには、空っぽになったスープ皿。
 コンソメの香りは、まだ残っているのに――。

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