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第一部 大坂の変
第七章 侍たちのララバイ
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慶長十九年(1614年)十月九日、夕刻。
紀州・九度山。真田信繁の蟄居屋敷を包んでいたのは、場違いなほどの宴の熱気であった。
「――さあ、竹本殿、もう一献召されよ。この九度山の冷き土に埋もれる前に、今宵ばかりは浮世を忘れとう存ずる」
囲炉裏の火が赤々と燃え、信繁の顔を照らす。
その口元には歯の抜けた隙間、手はわざとらしく震え、酒をこぼすたびに「老いとは情けなきものよ」と肩を落とす。
浅野家の監視役・竹本義成は、満足げに杯を煽りながら笑った。
「真田殿、そのように卑下なさるな。かつては勇名を馳せし御方にて候」
信繁は、力なく笑みを浮かべる。
「大坂より誘いも参りしが……ふふ、この震える手にて刀が持てようか。余はただ、大助や阿梅が健やかに育つを見届けられれば、それでよいのじゃ」
縁側に腰を下ろし、暮れなずむ山々を見つめる信繁の姿は、哀れな老武士そのもの。
竹本は確信した――「真田信繁、もはや牙折れし獣なり」と。
亥の刻。
酒宴は果て、座敷には泥酔した監視役たちの鼾が重く響く。
その刹那、信繁の瞳から「老い」の濁りが消え、鋭き光が宿った。
獣が目覚める瞬間である。
信繁は音もなく立ち上がり、庭の闇に向かって短く合図を送る。
闇の中から現れたのは、武装を整えた幸昌と高梨内記、堀田作兵衛ら家臣たち。
幸昌は父の視線を受け、わずかに頷く。その眼差しには、十四年の雌伏を耐えた若武者の決意が燃えていた。
阿梅は母の袖にしがみつき、怯えを隠しながらも、父の背を見つめている。
母は幼子を抱き、唇を噛みしめて声を殺す。
家臣たちは互いに目配せし、具足の音を最小限に抑えながら、闇に溶けるように動いた。
信繁もまた、老いた背を真っ直ぐに伸ばし、赤備えの具足を一気に締め上げる。
その手際は、かつての猛将の矜持を取り戻したかのようであった。
屋敷を去る際、信繁は門に一枚の紙を貼り付ける。
『借財重なり、家財を捨てて逃げ出します。不義理、平に御容赦を』
武士の誇りを泥に投げ捨て、憐れみを誘うことで追っ手の初動を遅らせる――真田流の毒を孕んだ偽装である。
門を抜けると、冷たい風が頬を打った。
一行は馬の足に布を巻き、足音を殺し、言葉を封じて紀見峠の険路へと踏み出す。
幸昌は幼い妹を守るように母の傍を離れず、家臣たちは荷を最小限にして、ただ前だけを見つめる。
夜空には雲が流れ、月光が刃のように山道を切り裂いていた。
遠く街道から、陣触れを告げる伝令の馬の蹄音が地響きのごとく迫る。
その「徳川の巨獣」の足音のすぐ傍らを、信繁たちは影のごとく、かつ神速で駆け抜けていった。
夜の峠を越え、信繁一行は紀見路の闇を抜けていた。
冷たい風が頬を打ち、月光が刃のように岩肌を切り裂く。
馬の足には布を巻き、蹄音は消されている。
ただ、具足の軋みと荒い息遣いだけが、沈黙の中に響いていた。
幸昌は幼い妹・阿梅を守るように母の傍を離れず、
その眼差しには、十四年の雌伏を耐えた若武者の決意が燃えていた。
信繁は、背後に残した屋敷と、長き蟄居の日々を振り返り、
「この命、家族と仲間のために使い切る」と胸に誓う。
その頃、大坂城下では、毛利勝永が灯火の下で静かに座していた。
薄暗い座敷に、妻子の寝息が穏やかに響く。
幼い子の小さな手が、母の袖を握りしめている。
勝永はその寝顔を見つめながら、胸の奥に重い影を感じていた。
関ヶ原――あの日、戦場に散った仲間たちの顔が脳裏に浮かぶ。
血に染まった草原、絶望の空、敗北の重み。
「もう二度と、無益な死を繰り返してはならぬ」
その誓いを胸に、浪人として生き抜いた歳月。
だが今、再び戦の足音が迫っている。
勝永は、そっと拳を握りしめた。
「戦は避けたい……だが、家族を守るためならば、剣を取るしかあるまい。」
灯火が揺れ、影が壁に伸びる。
その影は、かつての猛将の姿を映していた。
彼は静かに目を閉じ、心の奥で決意を重ねる。
「この命は、家族を守るためにある。
たとえ血の海に沈もうとも、我が子らに恥じぬ父でありたい。」
外では、秋の夜風が城の石垣を撫でていた。
勝永は再び妻子の寝顔に目をやり、
その温もりを胸に刻みながら、静かに立ち上がった。
紀ノ川の急流が眼前に広がる。
水面は嵐の余韻で荒れ狂い、黒い波が岩を叩いていた。
家臣たちは命綱を結び、幼子を抱え、必死に渡る。
冷水が具足を打ち、息が詰まる。
背後では、追っ手の松明が揺れ、火矢が闇を裂いて飛ぶ。
その時、幸昌が動いた。
「父上、こちらへ!」
彼は川岸の岩場を駆け上がり、追っ手の松明を見つけると、
弓を引き絞り、一本の矢を放った。
炎が泥に沈み、闇が深まる。
「今だ、渡れ!」
幸昌の声は鋭く、若武者の気迫に満ちていた。
その頃、大坂城の一隅で、長宗我部盛親は灯火の下に座していた。
薄闇に包まれた座敷には、幼子の寝息が静かに響く。
小さな手が、母の指を握りしめている。
盛親はその光景を見つめながら、胸の奥に重い影を感じていた。
脳裏に蘇るのは、遠い日の四国――父・元親の威光が輝いていた頃の記憶だ。
「長宗我部の名を絶やすな」
その言葉が、今も耳に残る。
だが、関ヶ原の敗北はすべてを奪った。
家名を守るために戦ったはずが、残ったのは浪人としての屈辱と、流浪の日々。
「父上……余は、まだその名を背負うに足る者なのか。」
盛親は、幼子の寝顔に視線を落とした。
その頬は柔らかく、無垢な寝息が灯火に揺れている。
「家名も大切だ……だが、今はこの手の中の温もりこそ、余のすべて。」
彼は静かに拳を握りしめた。
「この子らを生かすためならば、剣を取る。
たとえ血に染まろうとも、父の名に恥じぬ生き様を示す。」
灯火が揺れ、影が壁に伸びる。
その影は、かつての覇者の末裔が背負う重みを映していた。
盛親は深く息を吐き、遠くで響く太鼓の音に耳を澄ませる。
戦乱の足音が近づいている――だが、その胸には、家族を守るための決意が静かに燃えていた。
峠を越え、夜明け前の山道をひたすら進む一行。
信繁は低く命じた。
「幸昌、前へ出よ。道を探れ。」
幸昌は闇に溶けるように駆け出し、耳を澄ませる。
遠くで、陣触れを告げる太鼓の音と兵のざわめきが聞こえた。
「父上、街道は塞がれております。だが、谷を抜ければ、裏道がございます。」
信繁は短く息を吐き、幸昌の肩を叩いた。
「よく見抜いたな。案内せよ。」
大坂城の一室で、木村重成は静かに座していた。
灯火が揺れ、障子に映る影が長く伸びる。
傍らには、若き妻が眠っている。
その手をそっと握りながら、重成は深く息を吐いた。
脳裏に蘇るのは、豊臣家に仕え始めた日の記憶――
「忠義を尽くせ」
父の言葉が耳に残る。
その誇りを胸に、若き武将として名を馳せた。
だが今、戦の足音が迫り、胸の奥で二つの声が交錯する。
「殿を守れ」
「家族を守れ」
どちらも捨てることはできぬ。
重成は、妻の寝顔に視線を落とした。
その頬は柔らかく、灯火に照らされて淡く輝いている。
「忠義か、家族か……いや、両方を守る道を探す。」
彼は静かに拳を握りしめた。
「正しい道を選びたい。殿を裏切らず、家族も失わぬ道を。」
その言葉は、夜の静けさに溶けていった。
戦乱の予兆が闇に忍び寄る中、重成は再び妻の手を握り、
その温もりを胸に刻みながら、静かに目を閉じた。
「この命、必ず意味あるものにする。」
大坂城の奥深くで、大野治長は帳面を閉じ、静かに息を吐いた。
灯火が揺れ、障子に映る影が長く伸びる。
その影は、豊臣家の重責を背負う男の疲れを映していた。
脳裏に蘇るのは、幼き日の記憶――母・大蔵卿局の厳しい眼差し。
「豊臣を守れ。それがそなたの務め。」
その言葉は、今も胸に刻まれている。
関ヶ原の敗北、家康の圧力、幾度も迫る危機。
そのたびに、治長は己に問い続けてきた。
「戦以外の道はないのか……だが、余は立ち続ける。」
彼は、隣に眠る母の姿に目をやった。
老いた面差しに刻まれた皺は、豊臣家を守り抜こうとした歳月の証。
「母上も、豊臣も、すべてを守らねばならぬ。」
治長は拳を握りしめ、灯火の揺らめきに決意を重ねた。
「この命、豊臣のために使い切る。
たとえ血に染まろうとも、誇りを失うことはない。」
戦乱の足音が近づく中、治長は静かに目を閉じた。
その胸には、母と家のために立ち続ける覚悟が、炎のように燃えていた。
奥御殿で、大蔵卿局は静かに座していた。
灯火が揺れ、障子に映る影が長く伸びる。
その影は、豊臣家を守り続けた女の歳月を映していた。
脳裏に蘇るのは、遠い日の記憶――
幼き淀殿を抱き、戦乱の炎を越えたあの頃。
「この子を守り抜く。それが我が務め。」
その誓いを胸に、幾度も死地を越えた。
関ヶ原の敗北、家康の圧力、幾度も迫る危機。
そのたびに、局は己に問い続けてきた。
「豊臣の誇りを守るため、余は何を捨てるべきか。」
彼女は、隣に眠る治長の寝顔に目をやった。
その面差しには、母の愛と重責の影が重なっている。
「母として、家族のために最後まで立ち続ける。
豊臣の誇りを守る。それが我が務め。」
局は静かに唇を結び、灯火の揺らめきに決意を重ねた。
遠くで太鼓の音が低く響く。
戦乱の足音が近づく中、局はそっと涙を拭った。
その涙は、恐れではなく、覚悟の証だった。
「この命、豊臣と共に燃え尽きようとも、
淀殿と治長を守り抜く。それが我が生きる道。」
灯火が揺れ、影が壁に伸びる。
その影は、母としての矜持と、豊臣家への忠義を映す炎のようだった。
峠を越え、夜明け前の山道を進む信繁一行。
遠くで響く太鼓や鐘の音――
それぞれの心に、静かなバラードのような旋律が流れている。
誰もが息を殺し、ただ前だけを見つめて歩み続ける。
その歩みは、静かなバラードの旋律のように、
一人ひとりの心に、決意と希望を刻んでいく。
大坂城の片隅で、塙団右衛門は一人、剣を磨いていた。
灯火が刃に映り、赤い光が揺れる。
静寂の中、金属の擦れる音だけが響く。
その音は、彼の胸に潜む焦燥と誇りを刻む旋律のようだった。
脳裏に蘇るのは、戦場で散った仲間の影――
「名を残す。それが我が生きる証だ。」
若き日、功名を求めて戦場を駆け抜けた。
だが、関ヶ原の敗北はすべてを奪った。
浪人として流浪し、誇りを削られる日々。
「このまま朽ち果てるのか……否、余はまだ剣を捨てぬ。」
団右衛門は、刃に映る自分の顔を見つめた。
その眼差しには、孤高の炎が燃えている。
「戦が来るならば、我が名を轟かせる。
たとえ血に沈もうとも、武士として散ることこそ本望。」
彼は静かに剣を鞘に収め、灯火を見つめた。
その揺らめきは、彼の決意を映す炎のようだった。
戦乱の足音が近づく中、団右衛門は立ち上がり、孤独な影を長く伸ばしながら、静かに歩みを進めた。
その背には、名を残すための覚悟が重くのしかかっていた。
城内の住み処で、明石全登は静かに膝をついていた。
灯火の揺らめきが、壁に十字架の影を映し出す。
その影は、彼の胸に宿る信仰と理想を映す炎のようだった。
脳裏に蘇るのは、若き日の記憶――
キリシタン大名として、異国の宣教師と語り合った日々。
「血を流さぬことこそ、神の御心」
その言葉が、今も耳に残る。
だが、現実は残酷だった。
関ヶ原の敗北、浪人としての流浪、そして再び迫る戦乱。
「この世に、平和の道はないのか……」
全登は、十字架を握りしめ、静かに祈った。
「神よ、我らに知恵を与え給え。
剣ではなく、理と信仰で、この世を救う力を。」
その声は、夜の静けさに溶けていく。
遠くで太鼓の音が低く響き、戦の足音が近づいている。
だが、全登の胸には、揺るぎなき決意が燃えていた。
「血を流さぬ道を探す。
たとえこの身が朽ちようとも、神の御心に背くことはない。」
灯火が揺れ、影が長く伸びる。
その影は、戦乱の世に抗う孤高の信念を映していた。
全登は静かに立ち上がり、十字架を胸に抱いたまま、
闇に沈む城の回廊を歩み始めた。
その足音は、祈りの旋律のように、静かに響いていた。
秋の冷気が城下を包み、遠くで陣触れの太鼓が低く響いていた。
玉造口の巨大な石垣が闇にそびえ、松明の炎が揺れている。
夜霧が石畳を覆い、その中に、影がゆっくりと現れた。
泥にまみれ、着物は裂け、疲労に沈む一行。
その先頭に立つ男の背は、なお真っ直ぐであった。
信繁――その名を告げる声はまだない。
ただ、彼の影が炎に伸び、城門の前で静止する。
幸昌は父の傍らに立ち、矢筒を握りしめている。
その眼差しは、夜霧の奥に燃える炎のように鋭い。
幼い阿梅が母の袖にしがみつき、震える指が灯火に照らされる。
家臣たちの影が重なり、闇に沈む城門を見上げていた。
松明の炎が揺れ、石垣に長い影を落とす。
その影は、十四年の雌伏を耐えた者たちの決意を映していた。
遠くで太鼓の音が低く響き、戦乱の足音が夜に溶けていく。
「何者ぞ!」
槍の穂先が炎に光り、門番の声が夜気を裂いた。
信繁は一歩進み出て、声を張り上げる。
「真田左衛門佐信繁、罷り越した!」
その声は石垣に反響し、夜霧を震わせた。
門番たちは顔を見合わせ、ざわめく。
「大野治長様がお待ちにございます。御前にて、お話を伺いたいとの仰せにございます。」
松明の炎が揺れ、緊張が張り詰める中、門の奥で甲冑の影が動いた。
幸昌は父の背を見つめながら、胸の奥で呟く。
「この門を越えれば、戦の渦に呑まれる。
だが、父上と共に立つ――それが我が道。」
指先は矢筒を握りしめ、冷えた汗が滲む。
彼は父より半歩前に出て、炎に照らされた影を長く伸ばした。
その影は、父子の覚悟を映す刃のように、城門の闇に沈んでいった。
門がゆっくりと開き始める――
その音は、次の物語の扉を開く、低い旋律のように響いていた。
朝の光が障子を透かし、奥御殿に淡い影を落としている。
信繁は身を清め、正装に着替え、幸昌を伴って静かに進み出る。
几帳の向こう、城主としての威厳を湛えた秀頼が座していた。
その表情には、かつての迷いや廃頽の影はなく、静かな炎が宿っている。
――先日の昼間、奥御殿。
障子越しに柔らかな光が差し込み、静かな空気が張り詰めていた。
お藤が毅然と進み出て、扇を畳に打ちつける。
「殿、男であられるなら、女子供を守る覚悟をお持ちくださいませ。
この城の者すべて、殿の背を見ております。逃げてはなりませぬ。」
その声は低く、しかし一切の迷いがなかった。
傍らで千姫が、秀頼を見つめながら静かに言う。
「殿がどんな決断をなさっても、私は共にございます。」
二人の言葉が胸に響いた瞬間、秀頼の心に、あの悪夢が鮮烈に蘇る――
城が炎に包まれ、家族や家臣が叫び声を上げる。
母・淀殿は無表情のまま最期を迎え、
千姫は家臣たちに強引に引き離され、
自分は静かに座し、短刀を腹に突き立てる。
傍らには毛利勝永が控え、秀頼の苦痛を悟ると、
無言で刀を振り上げ、主君の首を一閃で落とした。
血の匂いと、勝永の沈痛な表情が、あまりにも鮮烈に焼き付いた。
そして、国松は河原に立ち、静かな表情で前を見つめている。
その傍らで、千姫が泣き叫ぶ。
「やめて!この子だけは――!」
声は川の流れにかき消され、誰にも届かない。
鋭い閃きが走り、国松の小さな体が崩れ落ちる。
河原の石の間を、赤い血が静かに広がっていく。
――そのすべてが、秀頼の胸に深く突き刺さった。
「……そうさせてはならぬ。」
お藤の言葉、千姫の誓い、そして悪夢の記憶が重なり、
秀頼の心の奥底に、静かだが揺るぎない決意が灯った。
現実に戻る。
信繁と幸昌が畳に膝をつき、深く頭を垂れる。
「真田左衛門佐信繁、参上仕りました。」
秀頼はゆっくりと顔を上げ、二人を見つめる。
その瞳には、父としての覚悟が宿っていた。
しばしの沈黙の後、秀頼が静かに口を開く。
「真田殿、そなたは何のために、この大坂へ参られたのか。
この城に加わる覚悟、その本心を、余に聞かせてほしい。」
信繁は一瞬、言葉を選ぶように目を伏せる。
やがて、静かに答える。
「……九度山での蟄居は、余にとって耐え難き恥辱にございました。
このままでは、家名は朽ち、子らは世に出ることもなく、無念のまま生涯を閉じる。
侍としての誇りを守り、子らに恥じぬ生き様を示すため、余はこの城に参ったのでございます。」
秀頼はその言葉に、深く頷いた。
「左衛門佐、その思い、余もまた痛いほど分かる。
余もまた、家族や家中の者、そしてこの城に生きるすべての者の安泰を願っている。
そなたの本心、余の胸にも深く響いた。」
信繁は幸昌を前に進め、静かに紹介した。
「殿、こちらは嫡男・幸昌にございます。」
幸昌は膝を正し、深く頭を垂れる。
「上様、幸昌にございます。父と共に、この身を賭してお仕えいたします。」
その声は若武者らしく澄み、迷いがなかった。
秀頼はしばし幸昌を見つめ、その眼差しに宿る決意を確かめるように頷いた。
「……よき目をしておる。若きながら武士の気概が備わっているな。
真田殿、そなたの家の誇りを見た。
この子ならば、必ずや父の志を継ぎ、未来を切り開くであろう。
よき子を育てたな。」
その言葉には、城主としての威厳と、父としての温かさが滲んでいた。
信繁は深く頭を垂れ、静かに応じる。
「ははっ。」
朝の光が障子を透かし、三人の影を畳に重ねていた――
父と子、そして城主の影が、静かに未来への誓いを結んでいた。
紀州・九度山。真田信繁の蟄居屋敷を包んでいたのは、場違いなほどの宴の熱気であった。
「――さあ、竹本殿、もう一献召されよ。この九度山の冷き土に埋もれる前に、今宵ばかりは浮世を忘れとう存ずる」
囲炉裏の火が赤々と燃え、信繁の顔を照らす。
その口元には歯の抜けた隙間、手はわざとらしく震え、酒をこぼすたびに「老いとは情けなきものよ」と肩を落とす。
浅野家の監視役・竹本義成は、満足げに杯を煽りながら笑った。
「真田殿、そのように卑下なさるな。かつては勇名を馳せし御方にて候」
信繁は、力なく笑みを浮かべる。
「大坂より誘いも参りしが……ふふ、この震える手にて刀が持てようか。余はただ、大助や阿梅が健やかに育つを見届けられれば、それでよいのじゃ」
縁側に腰を下ろし、暮れなずむ山々を見つめる信繁の姿は、哀れな老武士そのもの。
竹本は確信した――「真田信繁、もはや牙折れし獣なり」と。
亥の刻。
酒宴は果て、座敷には泥酔した監視役たちの鼾が重く響く。
その刹那、信繁の瞳から「老い」の濁りが消え、鋭き光が宿った。
獣が目覚める瞬間である。
信繁は音もなく立ち上がり、庭の闇に向かって短く合図を送る。
闇の中から現れたのは、武装を整えた幸昌と高梨内記、堀田作兵衛ら家臣たち。
幸昌は父の視線を受け、わずかに頷く。その眼差しには、十四年の雌伏を耐えた若武者の決意が燃えていた。
阿梅は母の袖にしがみつき、怯えを隠しながらも、父の背を見つめている。
母は幼子を抱き、唇を噛みしめて声を殺す。
家臣たちは互いに目配せし、具足の音を最小限に抑えながら、闇に溶けるように動いた。
信繁もまた、老いた背を真っ直ぐに伸ばし、赤備えの具足を一気に締め上げる。
その手際は、かつての猛将の矜持を取り戻したかのようであった。
屋敷を去る際、信繁は門に一枚の紙を貼り付ける。
『借財重なり、家財を捨てて逃げ出します。不義理、平に御容赦を』
武士の誇りを泥に投げ捨て、憐れみを誘うことで追っ手の初動を遅らせる――真田流の毒を孕んだ偽装である。
門を抜けると、冷たい風が頬を打った。
一行は馬の足に布を巻き、足音を殺し、言葉を封じて紀見峠の険路へと踏み出す。
幸昌は幼い妹を守るように母の傍を離れず、家臣たちは荷を最小限にして、ただ前だけを見つめる。
夜空には雲が流れ、月光が刃のように山道を切り裂いていた。
遠く街道から、陣触れを告げる伝令の馬の蹄音が地響きのごとく迫る。
その「徳川の巨獣」の足音のすぐ傍らを、信繁たちは影のごとく、かつ神速で駆け抜けていった。
夜の峠を越え、信繁一行は紀見路の闇を抜けていた。
冷たい風が頬を打ち、月光が刃のように岩肌を切り裂く。
馬の足には布を巻き、蹄音は消されている。
ただ、具足の軋みと荒い息遣いだけが、沈黙の中に響いていた。
幸昌は幼い妹・阿梅を守るように母の傍を離れず、
その眼差しには、十四年の雌伏を耐えた若武者の決意が燃えていた。
信繁は、背後に残した屋敷と、長き蟄居の日々を振り返り、
「この命、家族と仲間のために使い切る」と胸に誓う。
その頃、大坂城下では、毛利勝永が灯火の下で静かに座していた。
薄暗い座敷に、妻子の寝息が穏やかに響く。
幼い子の小さな手が、母の袖を握りしめている。
勝永はその寝顔を見つめながら、胸の奥に重い影を感じていた。
関ヶ原――あの日、戦場に散った仲間たちの顔が脳裏に浮かぶ。
血に染まった草原、絶望の空、敗北の重み。
「もう二度と、無益な死を繰り返してはならぬ」
その誓いを胸に、浪人として生き抜いた歳月。
だが今、再び戦の足音が迫っている。
勝永は、そっと拳を握りしめた。
「戦は避けたい……だが、家族を守るためならば、剣を取るしかあるまい。」
灯火が揺れ、影が壁に伸びる。
その影は、かつての猛将の姿を映していた。
彼は静かに目を閉じ、心の奥で決意を重ねる。
「この命は、家族を守るためにある。
たとえ血の海に沈もうとも、我が子らに恥じぬ父でありたい。」
外では、秋の夜風が城の石垣を撫でていた。
勝永は再び妻子の寝顔に目をやり、
その温もりを胸に刻みながら、静かに立ち上がった。
紀ノ川の急流が眼前に広がる。
水面は嵐の余韻で荒れ狂い、黒い波が岩を叩いていた。
家臣たちは命綱を結び、幼子を抱え、必死に渡る。
冷水が具足を打ち、息が詰まる。
背後では、追っ手の松明が揺れ、火矢が闇を裂いて飛ぶ。
その時、幸昌が動いた。
「父上、こちらへ!」
彼は川岸の岩場を駆け上がり、追っ手の松明を見つけると、
弓を引き絞り、一本の矢を放った。
炎が泥に沈み、闇が深まる。
「今だ、渡れ!」
幸昌の声は鋭く、若武者の気迫に満ちていた。
その頃、大坂城の一隅で、長宗我部盛親は灯火の下に座していた。
薄闇に包まれた座敷には、幼子の寝息が静かに響く。
小さな手が、母の指を握りしめている。
盛親はその光景を見つめながら、胸の奥に重い影を感じていた。
脳裏に蘇るのは、遠い日の四国――父・元親の威光が輝いていた頃の記憶だ。
「長宗我部の名を絶やすな」
その言葉が、今も耳に残る。
だが、関ヶ原の敗北はすべてを奪った。
家名を守るために戦ったはずが、残ったのは浪人としての屈辱と、流浪の日々。
「父上……余は、まだその名を背負うに足る者なのか。」
盛親は、幼子の寝顔に視線を落とした。
その頬は柔らかく、無垢な寝息が灯火に揺れている。
「家名も大切だ……だが、今はこの手の中の温もりこそ、余のすべて。」
彼は静かに拳を握りしめた。
「この子らを生かすためならば、剣を取る。
たとえ血に染まろうとも、父の名に恥じぬ生き様を示す。」
灯火が揺れ、影が壁に伸びる。
その影は、かつての覇者の末裔が背負う重みを映していた。
盛親は深く息を吐き、遠くで響く太鼓の音に耳を澄ませる。
戦乱の足音が近づいている――だが、その胸には、家族を守るための決意が静かに燃えていた。
峠を越え、夜明け前の山道をひたすら進む一行。
信繁は低く命じた。
「幸昌、前へ出よ。道を探れ。」
幸昌は闇に溶けるように駆け出し、耳を澄ませる。
遠くで、陣触れを告げる太鼓の音と兵のざわめきが聞こえた。
「父上、街道は塞がれております。だが、谷を抜ければ、裏道がございます。」
信繁は短く息を吐き、幸昌の肩を叩いた。
「よく見抜いたな。案内せよ。」
大坂城の一室で、木村重成は静かに座していた。
灯火が揺れ、障子に映る影が長く伸びる。
傍らには、若き妻が眠っている。
その手をそっと握りながら、重成は深く息を吐いた。
脳裏に蘇るのは、豊臣家に仕え始めた日の記憶――
「忠義を尽くせ」
父の言葉が耳に残る。
その誇りを胸に、若き武将として名を馳せた。
だが今、戦の足音が迫り、胸の奥で二つの声が交錯する。
「殿を守れ」
「家族を守れ」
どちらも捨てることはできぬ。
重成は、妻の寝顔に視線を落とした。
その頬は柔らかく、灯火に照らされて淡く輝いている。
「忠義か、家族か……いや、両方を守る道を探す。」
彼は静かに拳を握りしめた。
「正しい道を選びたい。殿を裏切らず、家族も失わぬ道を。」
その言葉は、夜の静けさに溶けていった。
戦乱の予兆が闇に忍び寄る中、重成は再び妻の手を握り、
その温もりを胸に刻みながら、静かに目を閉じた。
「この命、必ず意味あるものにする。」
大坂城の奥深くで、大野治長は帳面を閉じ、静かに息を吐いた。
灯火が揺れ、障子に映る影が長く伸びる。
その影は、豊臣家の重責を背負う男の疲れを映していた。
脳裏に蘇るのは、幼き日の記憶――母・大蔵卿局の厳しい眼差し。
「豊臣を守れ。それがそなたの務め。」
その言葉は、今も胸に刻まれている。
関ヶ原の敗北、家康の圧力、幾度も迫る危機。
そのたびに、治長は己に問い続けてきた。
「戦以外の道はないのか……だが、余は立ち続ける。」
彼は、隣に眠る母の姿に目をやった。
老いた面差しに刻まれた皺は、豊臣家を守り抜こうとした歳月の証。
「母上も、豊臣も、すべてを守らねばならぬ。」
治長は拳を握りしめ、灯火の揺らめきに決意を重ねた。
「この命、豊臣のために使い切る。
たとえ血に染まろうとも、誇りを失うことはない。」
戦乱の足音が近づく中、治長は静かに目を閉じた。
その胸には、母と家のために立ち続ける覚悟が、炎のように燃えていた。
奥御殿で、大蔵卿局は静かに座していた。
灯火が揺れ、障子に映る影が長く伸びる。
その影は、豊臣家を守り続けた女の歳月を映していた。
脳裏に蘇るのは、遠い日の記憶――
幼き淀殿を抱き、戦乱の炎を越えたあの頃。
「この子を守り抜く。それが我が務め。」
その誓いを胸に、幾度も死地を越えた。
関ヶ原の敗北、家康の圧力、幾度も迫る危機。
そのたびに、局は己に問い続けてきた。
「豊臣の誇りを守るため、余は何を捨てるべきか。」
彼女は、隣に眠る治長の寝顔に目をやった。
その面差しには、母の愛と重責の影が重なっている。
「母として、家族のために最後まで立ち続ける。
豊臣の誇りを守る。それが我が務め。」
局は静かに唇を結び、灯火の揺らめきに決意を重ねた。
遠くで太鼓の音が低く響く。
戦乱の足音が近づく中、局はそっと涙を拭った。
その涙は、恐れではなく、覚悟の証だった。
「この命、豊臣と共に燃え尽きようとも、
淀殿と治長を守り抜く。それが我が生きる道。」
灯火が揺れ、影が壁に伸びる。
その影は、母としての矜持と、豊臣家への忠義を映す炎のようだった。
峠を越え、夜明け前の山道を進む信繁一行。
遠くで響く太鼓や鐘の音――
それぞれの心に、静かなバラードのような旋律が流れている。
誰もが息を殺し、ただ前だけを見つめて歩み続ける。
その歩みは、静かなバラードの旋律のように、
一人ひとりの心に、決意と希望を刻んでいく。
大坂城の片隅で、塙団右衛門は一人、剣を磨いていた。
灯火が刃に映り、赤い光が揺れる。
静寂の中、金属の擦れる音だけが響く。
その音は、彼の胸に潜む焦燥と誇りを刻む旋律のようだった。
脳裏に蘇るのは、戦場で散った仲間の影――
「名を残す。それが我が生きる証だ。」
若き日、功名を求めて戦場を駆け抜けた。
だが、関ヶ原の敗北はすべてを奪った。
浪人として流浪し、誇りを削られる日々。
「このまま朽ち果てるのか……否、余はまだ剣を捨てぬ。」
団右衛門は、刃に映る自分の顔を見つめた。
その眼差しには、孤高の炎が燃えている。
「戦が来るならば、我が名を轟かせる。
たとえ血に沈もうとも、武士として散ることこそ本望。」
彼は静かに剣を鞘に収め、灯火を見つめた。
その揺らめきは、彼の決意を映す炎のようだった。
戦乱の足音が近づく中、団右衛門は立ち上がり、孤独な影を長く伸ばしながら、静かに歩みを進めた。
その背には、名を残すための覚悟が重くのしかかっていた。
城内の住み処で、明石全登は静かに膝をついていた。
灯火の揺らめきが、壁に十字架の影を映し出す。
その影は、彼の胸に宿る信仰と理想を映す炎のようだった。
脳裏に蘇るのは、若き日の記憶――
キリシタン大名として、異国の宣教師と語り合った日々。
「血を流さぬことこそ、神の御心」
その言葉が、今も耳に残る。
だが、現実は残酷だった。
関ヶ原の敗北、浪人としての流浪、そして再び迫る戦乱。
「この世に、平和の道はないのか……」
全登は、十字架を握りしめ、静かに祈った。
「神よ、我らに知恵を与え給え。
剣ではなく、理と信仰で、この世を救う力を。」
その声は、夜の静けさに溶けていく。
遠くで太鼓の音が低く響き、戦の足音が近づいている。
だが、全登の胸には、揺るぎなき決意が燃えていた。
「血を流さぬ道を探す。
たとえこの身が朽ちようとも、神の御心に背くことはない。」
灯火が揺れ、影が長く伸びる。
その影は、戦乱の世に抗う孤高の信念を映していた。
全登は静かに立ち上がり、十字架を胸に抱いたまま、
闇に沈む城の回廊を歩み始めた。
その足音は、祈りの旋律のように、静かに響いていた。
秋の冷気が城下を包み、遠くで陣触れの太鼓が低く響いていた。
玉造口の巨大な石垣が闇にそびえ、松明の炎が揺れている。
夜霧が石畳を覆い、その中に、影がゆっくりと現れた。
泥にまみれ、着物は裂け、疲労に沈む一行。
その先頭に立つ男の背は、なお真っ直ぐであった。
信繁――その名を告げる声はまだない。
ただ、彼の影が炎に伸び、城門の前で静止する。
幸昌は父の傍らに立ち、矢筒を握りしめている。
その眼差しは、夜霧の奥に燃える炎のように鋭い。
幼い阿梅が母の袖にしがみつき、震える指が灯火に照らされる。
家臣たちの影が重なり、闇に沈む城門を見上げていた。
松明の炎が揺れ、石垣に長い影を落とす。
その影は、十四年の雌伏を耐えた者たちの決意を映していた。
遠くで太鼓の音が低く響き、戦乱の足音が夜に溶けていく。
「何者ぞ!」
槍の穂先が炎に光り、門番の声が夜気を裂いた。
信繁は一歩進み出て、声を張り上げる。
「真田左衛門佐信繁、罷り越した!」
その声は石垣に反響し、夜霧を震わせた。
門番たちは顔を見合わせ、ざわめく。
「大野治長様がお待ちにございます。御前にて、お話を伺いたいとの仰せにございます。」
松明の炎が揺れ、緊張が張り詰める中、門の奥で甲冑の影が動いた。
幸昌は父の背を見つめながら、胸の奥で呟く。
「この門を越えれば、戦の渦に呑まれる。
だが、父上と共に立つ――それが我が道。」
指先は矢筒を握りしめ、冷えた汗が滲む。
彼は父より半歩前に出て、炎に照らされた影を長く伸ばした。
その影は、父子の覚悟を映す刃のように、城門の闇に沈んでいった。
門がゆっくりと開き始める――
その音は、次の物語の扉を開く、低い旋律のように響いていた。
朝の光が障子を透かし、奥御殿に淡い影を落としている。
信繁は身を清め、正装に着替え、幸昌を伴って静かに進み出る。
几帳の向こう、城主としての威厳を湛えた秀頼が座していた。
その表情には、かつての迷いや廃頽の影はなく、静かな炎が宿っている。
――先日の昼間、奥御殿。
障子越しに柔らかな光が差し込み、静かな空気が張り詰めていた。
お藤が毅然と進み出て、扇を畳に打ちつける。
「殿、男であられるなら、女子供を守る覚悟をお持ちくださいませ。
この城の者すべて、殿の背を見ております。逃げてはなりませぬ。」
その声は低く、しかし一切の迷いがなかった。
傍らで千姫が、秀頼を見つめながら静かに言う。
「殿がどんな決断をなさっても、私は共にございます。」
二人の言葉が胸に響いた瞬間、秀頼の心に、あの悪夢が鮮烈に蘇る――
城が炎に包まれ、家族や家臣が叫び声を上げる。
母・淀殿は無表情のまま最期を迎え、
千姫は家臣たちに強引に引き離され、
自分は静かに座し、短刀を腹に突き立てる。
傍らには毛利勝永が控え、秀頼の苦痛を悟ると、
無言で刀を振り上げ、主君の首を一閃で落とした。
血の匂いと、勝永の沈痛な表情が、あまりにも鮮烈に焼き付いた。
そして、国松は河原に立ち、静かな表情で前を見つめている。
その傍らで、千姫が泣き叫ぶ。
「やめて!この子だけは――!」
声は川の流れにかき消され、誰にも届かない。
鋭い閃きが走り、国松の小さな体が崩れ落ちる。
河原の石の間を、赤い血が静かに広がっていく。
――そのすべてが、秀頼の胸に深く突き刺さった。
「……そうさせてはならぬ。」
お藤の言葉、千姫の誓い、そして悪夢の記憶が重なり、
秀頼の心の奥底に、静かだが揺るぎない決意が灯った。
現実に戻る。
信繁と幸昌が畳に膝をつき、深く頭を垂れる。
「真田左衛門佐信繁、参上仕りました。」
秀頼はゆっくりと顔を上げ、二人を見つめる。
その瞳には、父としての覚悟が宿っていた。
しばしの沈黙の後、秀頼が静かに口を開く。
「真田殿、そなたは何のために、この大坂へ参られたのか。
この城に加わる覚悟、その本心を、余に聞かせてほしい。」
信繁は一瞬、言葉を選ぶように目を伏せる。
やがて、静かに答える。
「……九度山での蟄居は、余にとって耐え難き恥辱にございました。
このままでは、家名は朽ち、子らは世に出ることもなく、無念のまま生涯を閉じる。
侍としての誇りを守り、子らに恥じぬ生き様を示すため、余はこの城に参ったのでございます。」
秀頼はその言葉に、深く頷いた。
「左衛門佐、その思い、余もまた痛いほど分かる。
余もまた、家族や家中の者、そしてこの城に生きるすべての者の安泰を願っている。
そなたの本心、余の胸にも深く響いた。」
信繁は幸昌を前に進め、静かに紹介した。
「殿、こちらは嫡男・幸昌にございます。」
幸昌は膝を正し、深く頭を垂れる。
「上様、幸昌にございます。父と共に、この身を賭してお仕えいたします。」
その声は若武者らしく澄み、迷いがなかった。
秀頼はしばし幸昌を見つめ、その眼差しに宿る決意を確かめるように頷いた。
「……よき目をしておる。若きながら武士の気概が備わっているな。
真田殿、そなたの家の誇りを見た。
この子ならば、必ずや父の志を継ぎ、未来を切り開くであろう。
よき子を育てたな。」
その言葉には、城主としての威厳と、父としての温かさが滲んでいた。
信繁は深く頭を垂れ、静かに応じる。
「ははっ。」
朝の光が障子を透かし、三人の影を畳に重ねていた――
父と子、そして城主の影が、静かに未来への誓いを結んでいた。
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