サイオニック・レイヤーズ

来星馬玲

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羅刹の風神、雷神

死せる者が見る夢などあるのだろうか?

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 昨日も訪れたあのアラベナの部屋にやってきた。ここはアラベナの診察室に相当する場所であるらしく、今の時間にい在室している保証はなかったけど、他にすぐ思い当たる場所もなかった。

 道中、アラベナの居場所を知らないかとレイヤーズの仲間に尋ねたものの、どうもアラベナは神出鬼没で、施設内の住人も彼女の動向を把握しているわけではないらしい。ただ、ぼくの診察は決まってあの部屋でする予定になっているそうだ。

 扉をコツコツと叩く。内部でノックの音が反響し、空気が微かに振動する。心なしか、身体全体が痺れたような感じがした。

 アラベナの声は聞こえてこない。どうやらこの部屋にはいないらしい。このまま引き返そうかと逡巡したけど、諦めきれない気持ちを抱いたまま、無意識のうちに扉のドアノブを掴んでいた。

 ドアノブを回してみる。ガチャ……と音を立て、扉が内側に開かれた。照明は消されており、廊下の明かりによって部屋の内部が照らされる。ぼくは逸る思いを堪えきれず、内部に足を踏み入れた。

 部屋に入るなり漂ってくる、緑の匂い。ハーブの芳香というよりも、少し臭みのある野草を思わせるものが、鼻孔を刺激した。

 扉のすぐよこに備えられているスイッチに手を添え、明かりをつける。露わになった机の上に昨日の花は置かれておらず、周囲にも他の植物の類は見当たらなかった。

 机の上には、小さな本棚が設置されていて、書類がコンパクトにまとめられている。透明なデスクマットの下には緑色の薄いタイルが敷かれていた。タイルには、何かの図面らしきものが描かれている。

 デスクマット越しに、その図面を見つめる。何らかの植物の絵。学術書などに書かれていそうな、写実的な絵だった。マットの緑色の他に色は塗られておらず、繊細な白色の線で構成されている笹のような細長い葉が、鋭利な刃物のようにとがっていた。

 ふと、描かれている植物の構図に既視感を覚えた。つい最近、これと同じか……あるいは、よく似た外見の草を見たような気がする。

 じっとしていると、あの草の匂いが少し強まってきた。季節を感じさせる薫風が鼻の奥の感覚器官をかすめ、いがぐりの如き鋭さで脳をちくちくと刺戟する。眼球の裏側にシコリが出来てしまったような不快感があり、眩暈がした。

 草の臭い。意識に侵入してくる緑の色彩。ぼくの脳裡に、多種多様な植物が生い茂る緑の幻覚が広がっていった。

 地下に広がる、緑の園。この世ならざる夢幻の空間。……ぼくははっとなる。

 床に視線を走らせた。広がる、奇妙なほどに混じり気のない白色が続いている。その中で……一見すると、何の変哲もないけど、一部分の四角い面だけが、ぼくの意識を強く引き付けた。

 壁面を見やる。こちらも白色で統一されており、生気を感じられない色彩から、この長方形の部屋全体が真っ白な棺であるように感じられた。

 そして、壁のある一部分に焦点を合わせる。ぼくの記憶の中にいるアラベナの幻影が、椅子からすっと立ち上がり、その部分へ歩み寄る。アラベナの手が伸びる先に、ぼくの手が重なる。両者は同時に、同じ壁げ触れた。
 
 ぽうっと灯る、橙色。記憶の中と全く同じだった。

 床が左右に開かれ、暴かれる、更なる地下へと続く階段。……やっぱり、現実にあったんだ。

 あるいは、今、こうして思考しているぼくも夢の中の住人なのだろうか? もしかしたら、さっきカナデと別れてからも、ずっと夢を見続けているのかもしれない。

 とはいえ、これまでにぼくの近辺で起こってきた出来事。そしてぼく自身、非現実的な世界の住人であることに変わりはないんだ。自分という存在が、夢なのか現実なのか、どちらでも大差ないとさえ思えてくる。

 これ以上、迷う理由はない。ぼくは階段を降り始めた。段差の一つ一つを踏みしめる感覚が、あの時の夢と同じものだった。

 階段が終わる。距離感も前に訪れた時と変わらなかったと思う。そして、目の前にある円形の扉も、また。

 しかし……と思い至る。側面に備え付けられた電卓のような装置。やはりそれも緑の夢の記憶と同じであったけど、ぼくはこの扉を開閉させるパスワードを知らない。扉は硬く閉ざされており、ぼくの侵入を阻んでいるんだ。

 ぼくは盤面に手を添える。そして、過去の記憶を手繰り寄せる。いくらアラベナの手の動きを思い出そうとしても、ここを突破する数字の羅列を導き出すなど、到底不可能な話だ。

 そう、不可能な――。

 ぼくの脳裡で白い陽が強く発光した。紫外線で頭の中が狂ってしまいそうだ。そんな不安定な意識状態のまま、ぼくの手は盤面の上で、自分とは異なる意思によって動かされている独立した生き物のように、不気味に蠢き始めた。

 パスワードが打ち込まれる。どんな数字を入力したのかは見当もつかない。それでも、扉は開かれた。

 現出する内部の情景。それは、あの地底世界……緑の園……では、なかった。

 天井に備えられた暗い緑色の照明によって映し出されたのは、幾つもの大きなカプセル状の容器の立ち並ぶ、フィクションに出てくるような研究施設を想起させる光景。ぼくの記憶の中には存在しない領域だった。

 おぼつかない足取りで、内側に踏み入る。カプセル状の容器は直立した大人が一人入っても幾らか余裕のありそうな大きさで、それと同じものが左右に整列し、延々と奥の方へ続いている。

 容器の中は、緑色の液体で満たされていて、植物プランクトンが増殖した水槽の溶液を連想させられた。

 実際、部屋の中は青臭い。それに、濁った水を嗅いだ時のような不快感があった。

 一体、ここではどのような研究が繰り広げられているのだろう。あのアラベナのことだ、碌な内容であるとは到底思えない。

 ぼくは内なる好奇心に従い、容器の間を進んでいく。時折、溶液に満たされたカプセルの内部でぽこぽこと気泡が沸き上がり、ぼくの注意を向けさせるように促しているようだ。

 そして、突き当りに差し掛かる手前の左右にある二つの容器の中で……ゆらゆらと溶液を漂う影がある。

(人間?)

 遠目であってもわかる。それは確かに、人間の形をしていた。ぼくは何か不吉な予感に急かされ、足を速めて近づいた。

「あっ……」

 思わず、声をもらした。自分自身の音声が遠い虚空の中で響いたように感じられる。ぼくは、眼前の光景に打ちのめされていた。

「アンジュ……」

 紛れもない、アンジュの裸身。アンジュは、得体の知れない浮力によって溶液の中心でゆらゆら揺れている。瞳は閉じられ、記憶の中のアンジュの死に顔の時点でずっと止まっているかのようだった。

 なんで? 何故、アンジュがここに? ……心臓がバクバクなり、怒りとも悲哀とも恐怖ともつかない、狂気じみた感情の濁流が、ぼくの意識を滅茶苦茶にかき回す。

 そして、もう片方のカプセルの中。そこでも全裸の女の人が揺蕩っており、生命を剥奪された状態のまま緑の溶液に弄ばれていた。

 その女性の顔も、はっきりと覚えている。あの廃工場での戦闘の際……アユミの暴走に巻き込まれて命を落とした、羅刹の戦闘員の少女だ。

 頭の中が真っ白になる。意識内の何もかもが、狂った感情に押し流され、すべてを喪失したかのようだ。やがて、沸々とわき上がってきた意思。

 この世の愛あるものと隔絶された少女たちに対する、理不尽な死。その事実に対する憤りだ。

 その上、どうして死後もこんな得体の知れない施設で肉体をさらされているんだ。死者への冒涜……なんてものじゃない、かつて生きていた女の子の尊い命を、悍ましいエゴによって縛り付け、無情の闇の中へ幽閉している。

 誰がこんなことを? いや、答えは一つしかない。

 アラベナ――。



「丁度良かったわ。そろそろ見せてあげようと思っていたから」

 アラベナはそう言うと、ぼくのすぐ傍を通り過ぎた。緑の髪がなびき、草の臭いに混ざって、何らかのハーブを思わせる芳香が漂ってきた。

「アラベナさん……」

 言いたいことは山ほどあった。でも、何よりも優先して問い詰めなければならないことがある。

「どうして、アンジュたちをこんな場所に閉じ込めているんだ。酷いよ、こんなのって」

 アラベナがくるりと振り返った。照明を受けて一層濃さを増す緑の瞳。駄目だ、惑わされては。

「酷い?」

「そうだよ。弔いもせず、こんなところに閉じ込めたりして……」

「……この国の現代人の常識に縛られた考え方かしら、ね」

 アラベナはアンジュを覆っている透明なガラスらしきものに手を添える。そうされることで、まるでアンジュの裸を他人の手でベタベタ触られているような気がして、ぼくは頭が痛くなってきた。

「死んだら終わり。それは人間の固定観念」

「何を言っているの? そんなの当り前じゃ……」

 アラベナの言っていることは、ますます理解できない。

「覚えているかしら。私たちサイオニックは、創造によって力を得ているって」

 アラベナの瞳がアンジュの顔を見つめている。……一瞬、アンジュのまぶたがピクリと動いた風に見えたけど、気泡の見せた幻覚だろう。

「サイオエナジーは、死した肉体であったとしても、その内に宿っているの。そして、サイオエナジーには生前の記録が残されている。まるで、実態を持たない、思念によって存在する頭脳」

「思念? アンジュはまだ生きているって言うの」

「人間として見たら、死んだわ。でも、繰り返すけど、私たちはサイオニック」

 アラベナはアンジュの向かい側のカプセルに閉じ込められている、もう一人の遺体へ顔を向けた。その女の子の身体が微かな反応を見せたような気がしたけど、やはりこれも気のせいだろう。ぼくには、そうとしか思えなかった。

「この子たちの見た夢……創造した世界。その世界は今もなお息づいている。だからね、護らないといけないのよ。死してなお存在する、この子たちの未来を。それが、私に課せられた責務でもあるから」

「アンジュたちの未来……?」

(死んだ者に未来があるというの?)

 ぼくはアラベナに対する不信感を捨てるわけにはいかなかった。でも、ぼくの内側で淡い期待のような感情が芽生え始めていたことを、ぼくは否定できなかったんだ。
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