【完結】照葉輝く~静物語

みなわなみ

文字の大きさ
49 / 132
第二部

第十五章 うつせみ割れる 其の五

しおりを挟む
何故なにゆえわからぬっ!」 
 とうに日の名残はなくなり、薄雲にかかりながらも明るく輝く小望月こもちづきが照らす回廊を秀忠は進んだ。 
「何故わからぬっ!!」 
 秀忠は、江の頬を打った右手を左拳でガンガンと叩きながら、何度もそう繰り返した。 
 (子をまつりごとに利用するのが平気だと思っているのか。豊臣を残すためではないか。誰のためじゃっ。) 
「何故わからぬっ!!」 
 『側室おへやに子を生ませればよいのですっ』。 
 江の言葉に、秀忠の心の傷が再びぱっくりと開いた。江に拒絶された。江が拒絶したのだ。ならば、望み通りにしてやろう。 
 秀忠は、初めて江を恨んだ。愛しさゆえに。 

 黙って部屋へ入ると、ほどなくして静が酒膳を捧げて入ってきた。 
 微笑んで入ってきた静であったが、秀忠の氷のように冷たい表情とギラリとした目に、一瞬で身がすくみ、恐ろしさに胸がドキドキしてきた。以前も怖い顔の秀忠の時があった。 
 (でも、あのときはどこか哀しみをまとっていらした。怖い顔や難しい顔のときも、上様はどこかに優しさをまとっていらしたのに……) 
 微かに震える手で酒膳を置いて頭を下げ、少し下がろうとする静の手を秀忠はつかむ。 
「まいれ。」 
 秀忠は立ち上がり、静をグイとひっぱると奥の部屋のふすまを開け、夜具の上に静を放り投げると、力任せに襖を閉めた。 
 足がもつれ、倒れ込むようにしとねの上に乗せられた静が見たのは、見たこともない秀忠であった。見下ろす目の冷たさに体が震えそうになる。静はあまりの怖さに、褥から下がろうとしたが体が動かなかった。
 秀忠がどしりと座り、静を引き寄せる。 
「今日は何をしておったのじゃ。」 
 静の麻の薄手の着物から、ほのかに江の香りがするのを、さっきから秀忠は感じていた。
 静が着ているのは、去年の夏、江から大姥局へ下賜されていた麻の一重帷子ひとえかたびらである。それを一夏着た大姥局は、静に合うよう仕立て直し、小さな香袋を忍ばせて下げ渡していた。 

「雨が止むまで、旦那様に香合わせを教えていただきました。あとはお掃除を。」 
 うつむき加減の静は、小さな声で報告する。 
「そうか。」 
 秀忠が静の軆を抱き寄せたが、静は身を固くしているだけであった。 
「いかがした。」 
「…お許しくださいませ。……御台様に申し訳のうございます。」 
 おそろしさもあったが、女の哀しみを心に持った静は、江を思いやり拒んだ。 
「ほう……さようか。」 
 秀忠はトンと突き放すように手を離した。しかし、静は秀忠に抱きすくめられただけで、すでにじんわりと潤っている。 

 丸窓の障子しょうじを通して、柔らかな月の光が入っている。その光の中、秀忠は静に女の気色けしきが現れているのを見ていた。静にまで拒まれたのが、男の征服欲を刺激する。 

「そなた、夜更けに泣いておるのではないか?」 
 先程、蚊に刺されたところに目を落とし、さすりながら、さらりと秀忠は静に尋ねる。 
 静はなにも思い当たらず、即座に「いいえ。」と首を振った。 
「そうか? 大姥が『忍び泣きが聞こえる』と案じておったぞ。」 
 一瞬、ハッとした顔を見せた静は、頬を染めて大きく首を振った。 
「そのようなことは、ございませぬ。」 
「大姥の空耳か……。歳を取ったのう……」 
 肩をトントンと叩き、乳母を案じる様子の秀忠に、静の良心がとがめられた。 
「あっ、いえ……」 
「違うのか?」 
 秀忠に見据えられ、そうではないと言えず、そうだとも言えず、静は赤らめたままの恥ずかしげな顔をうつ向かせ、黙りこんでしまった。 

「本当は、泣いておるのであろう?」 
「……いいえ。」 
 (旦那様にお気を揉ませてはならぬ)。 
 静はうなだれたまま、かすれた声で返事をした。 
「泣いておるのでなければ。」秀忠は一旦口を閉じ、静をじっと見た。「自分で慰めておるのか?」 
「そっ、そのような……」 
 静が顔を上げ、大きく首を振った。男の顔が、残酷な冷たい微笑みを浮かべる。 
「解りやすい奴じゃ。どうするかしてみよ。」 
「お許しくださいませっ。」 
 静は縮めた身を小刻みに震わせ、褥に頭をすり付けて懇願した。
 そのようなことは女として死ぬほど恥ずかしい。それだけではない。静にとって自慰は、片恋の相手との大切な大事な逢瀬おうせである。いくら将軍といえども、他の男にその逢瀬を見られるのは耐えられなかった。 
「誰を思うて慰めるのじゃ? 私を拒む・・・・、ということは、片恋の相手か?」 
 『私を拒む』と冷酷な笑みで静に確認をとりながら、秀忠の頭には一人寝の江が浮かんでいる。 

「……どうぞ、お許しを……」 
 静は、優しいはずの秀忠にすがるように、ただひたすらに平伏して許しを乞うた。しかし、今日の秀忠は、すでに自分で自分が押さえられなくなっている。 
 (側室おへやを持って、子を生ませればよいのですっ!) 
 江の言葉が、耳の奥で響く。 
 秀忠は小さくなっている静を抱き寄せ、褥へと自分の身で押し倒した。 
 男の重さに静の身が火照る。 
「してみよ。」 
 静の耳元でそう命じ、将軍は身を起こした。 

「…お許しくださいませ。」 
 褥の上に一人寝かされた静は、目に涙を溜め、手を合わせて今一度、懇願した。 
「許さぬ。」 
 抱かれるときに聴く、いつもの…いや、いつもより残忍な秀忠の声が、ゆっくりと静をなぶった。思いに反して女の蜜は溢れていく。 
 月の光を受け、端正な秀忠の顔がじっと動かずにある。 
 一切のものを寄せ付けない、まことに端正な、まことにりりしい秀忠の顔であった。 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...