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第四部
第二十五章 楪、照り輝く 其の六
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◇◆
その夜、静は秀忠のために茶を入れたあと、小夜が静と入れ替わり、宿直を務める。
静の様子を心配した蕗が、小夜に頼んだのであった。
政に精を出す秀忠の前で居眠りなどできないので、静もありがたく替わってもらった。
床に横たわり、静は考えている。
上様は若様のために、厳しくしておられた。
おとっつぁんが松吉に厳しかったのは、自分を乗り越えてほしいからだ。
男子にとって、父とはそういうもの。
父が立ちはだかるからこそ、男として成長できるのやもしれぬ。
男子が欲しい。上様によう似た男子が。
しかし、この子が男子なら、自分だけの子として育ててよいものだろうか……
私に父親の代わりもできる器量があるのだろうか……。
静は、考え込んでいた。
したが、ややと暮らしたい。
たった一度でも、上様に愛された証じゃ。
ずっと一緒に暮らしたい。
ずっと一緒に……。
お腹をさすりながら、静はいつしか夢の淵をさ迷っていた。
◆◇◆
翌朝も朝餉のあと、部屋子たちは大姥局の元へと集った。
いつものように藤が仕事の伝達を終える。
いつもならばそれで皆が役目へと散るが、今日は大姥局が口を開いた。
「小夜、昨夜、上様は静のことをなにか尋ねられたか?」
「…いいえ。」
問われた小夜は主人の意図がわからず、困ったように返事をした。
「さようか……皆、聞いてくれ。」
脇息にもたれ掛かっていた体をきちんと起こし、部屋子達を見回す。
「静が上様の子を宿した。」
大姥局が重々しく宣言する。
「皆も分かっておろう、側室はお持ちにならぬ上様じゃ。 此度は良い機会ゆえ、私も下がる。よって奥に残りたいものは申し出よ。」
静は自分のために下がると言う主人に驚き、袖で口許を押さえた。
他の部屋子達も次々と袖で口許を押さえる。そして、浅茅がくすっと笑うと、次に蕗が、藤が、小夜までクスクスと笑い出した。
大姥局は思いがけない部屋子の反応に目を丸くしている。
「旦那さま、残りたいと思う者などおりませぬ。」
「みな、薄々わかっておりました。旦那様のお目のかけようが違いましたゆえ。」
笑顔で口火を切った藤に、愛嬌のある笑顔で浅茅が続いた。
「まことに。けれど、上様は静のような者がお好みだったのですねぇ。小夜でさえ知らん顔でしたのに。」
フフフと蕗が言いたい放題言う。
「静の笑い顔は気が優しゅうなりまするゆえ。」
小夜が小さな声でそう継いだ。
大姥局も由良もあっけにとられていた。
「皆知っておったと言うのか?」
由良が主人の代わりに尋ねた。
「知っておったと言うより、なんとのう解ったのです。な。」
「はい。」
藤が笑いを噛み殺して周りを見回し、同意を求めると、皆も笑いながら返事をした。
「旦那様がなにも仰せにならぬのなら、口の端に乗せるは野暮と言うもの。のう。」
続けた浅茅の言葉に、皆が何度も頷く
藤が真顔になり、大姥局に向き直る。他の部屋子もそれに続いた。
「旦那さまが下がられるのに残りたいと言う者はおりませぬ。ましてや、静が上様のお子を宿しているなら、なおさら。」
藤がピタリと手をつく。
「旦那さま、皆で静に子を生ませましょう。」
きりりと藤が言い切った。皆がそれに続き、手をついて頷いた。
「皆様……」
静の目に涙が浮かんでいた。
「旦那様、そういたしましょう。」
由良の声もまた、涙に滲んでた。
大姥局も、うんうんと頷いている。
「皆、礼を言うぞ。」
浮かび上がった涙をこらえ、侍女たちを見回して大姥局が言う。
「赤子じゃ、やや!」
「楽しみじゃ~。」
張りつめた空気の中、そう声をあげて手を打ったのは、無論、蕗と浅茅である。
「では、上様のお許しが出るまで、私が下がる事は内密にせよ。折を見て、私から上様にお願いをする。」
「はい。」
部屋子達が一斉に返事をする。
「そして、静が子を宿していることは、一切他言してはならぬ。よいな。」
「「はいっ。」 」
以前と変わらぬキリリとした主人の命に、部屋子達もキリッと返事をした。
「静は無理をせぬようにな。」
大姥局が静に優しく声をかける。
「大事のうござります。病ではございませぬゆえ。」
静が涙をふきながら、えくぼを浮かべ微笑んだ。
「それはそうじゃが、赤子が落ち着くまでは激しゅう動いてはならぬぞ。そなたはすぐ無理をするゆえな。」
大姥局が、それは心配そうに眉間に皺を寄せる。
「おまかせくださりませ、旦那さま。皆で見張りますゆえ。」
蕗が嬉しそうに話した。部屋子達も静を見ながら、頷く。
「頼んだぞ。」
大姥局が優しげに頷き、静が困ったような、申し訳なさそうな笑顔を見せた。
そして部屋子達は何事もなかったように、それぞれの用へと立ち上がった。
◆◇◆
葉月の中頃にやって来た野分が雲を吹き飛ばしたのか、その後は天気のよい日が続き、将軍主従はホッと一息ついた。
「凶作にはならずにすみそうじゃ。」
「なんとかなりそうでござりまするな。」
「ああ。しかし、なるだけ早く堤など整えられるところは整えねばな。」
「御意。」
いつもの年より稲の実入りは少ないだろうが、下々を飢えさせずに済みそうである。
秀忠も利勝も胸を撫で下ろし、爽やかになった風を感じて政務に励んだ。
そして今年は閏如月があったため、江は皆に命じ、長月に入るといくらか衣替えを行った。
昼間は暑くても、朝晩がヒンヤリ感じられ、体を壊す者が出ないようにとの御台所の配慮である。
年明けに閏月があった今年は、市姫の死去を始め、痢病騒ぎもあり、江は念入りに気を配っていた。
静は衣替えがある前から「冷やしてはならぬ」と下襲を一枚重ねさせられている。
周りの気遣いに包まれ、静も子も落ち着いて過ごしてた。
*******
【閏如月】閏2月
【長月】九月。この年の9月1日は太陽暦の10月15日すぎ。
その夜、静は秀忠のために茶を入れたあと、小夜が静と入れ替わり、宿直を務める。
静の様子を心配した蕗が、小夜に頼んだのであった。
政に精を出す秀忠の前で居眠りなどできないので、静もありがたく替わってもらった。
床に横たわり、静は考えている。
上様は若様のために、厳しくしておられた。
おとっつぁんが松吉に厳しかったのは、自分を乗り越えてほしいからだ。
男子にとって、父とはそういうもの。
父が立ちはだかるからこそ、男として成長できるのやもしれぬ。
男子が欲しい。上様によう似た男子が。
しかし、この子が男子なら、自分だけの子として育ててよいものだろうか……
私に父親の代わりもできる器量があるのだろうか……。
静は、考え込んでいた。
したが、ややと暮らしたい。
たった一度でも、上様に愛された証じゃ。
ずっと一緒に暮らしたい。
ずっと一緒に……。
お腹をさすりながら、静はいつしか夢の淵をさ迷っていた。
◆◇◆
翌朝も朝餉のあと、部屋子たちは大姥局の元へと集った。
いつものように藤が仕事の伝達を終える。
いつもならばそれで皆が役目へと散るが、今日は大姥局が口を開いた。
「小夜、昨夜、上様は静のことをなにか尋ねられたか?」
「…いいえ。」
問われた小夜は主人の意図がわからず、困ったように返事をした。
「さようか……皆、聞いてくれ。」
脇息にもたれ掛かっていた体をきちんと起こし、部屋子達を見回す。
「静が上様の子を宿した。」
大姥局が重々しく宣言する。
「皆も分かっておろう、側室はお持ちにならぬ上様じゃ。 此度は良い機会ゆえ、私も下がる。よって奥に残りたいものは申し出よ。」
静は自分のために下がると言う主人に驚き、袖で口許を押さえた。
他の部屋子達も次々と袖で口許を押さえる。そして、浅茅がくすっと笑うと、次に蕗が、藤が、小夜までクスクスと笑い出した。
大姥局は思いがけない部屋子の反応に目を丸くしている。
「旦那さま、残りたいと思う者などおりませぬ。」
「みな、薄々わかっておりました。旦那様のお目のかけようが違いましたゆえ。」
笑顔で口火を切った藤に、愛嬌のある笑顔で浅茅が続いた。
「まことに。けれど、上様は静のような者がお好みだったのですねぇ。小夜でさえ知らん顔でしたのに。」
フフフと蕗が言いたい放題言う。
「静の笑い顔は気が優しゅうなりまするゆえ。」
小夜が小さな声でそう継いだ。
大姥局も由良もあっけにとられていた。
「皆知っておったと言うのか?」
由良が主人の代わりに尋ねた。
「知っておったと言うより、なんとのう解ったのです。な。」
「はい。」
藤が笑いを噛み殺して周りを見回し、同意を求めると、皆も笑いながら返事をした。
「旦那様がなにも仰せにならぬのなら、口の端に乗せるは野暮と言うもの。のう。」
続けた浅茅の言葉に、皆が何度も頷く
藤が真顔になり、大姥局に向き直る。他の部屋子もそれに続いた。
「旦那さまが下がられるのに残りたいと言う者はおりませぬ。ましてや、静が上様のお子を宿しているなら、なおさら。」
藤がピタリと手をつく。
「旦那さま、皆で静に子を生ませましょう。」
きりりと藤が言い切った。皆がそれに続き、手をついて頷いた。
「皆様……」
静の目に涙が浮かんでいた。
「旦那様、そういたしましょう。」
由良の声もまた、涙に滲んでた。
大姥局も、うんうんと頷いている。
「皆、礼を言うぞ。」
浮かび上がった涙をこらえ、侍女たちを見回して大姥局が言う。
「赤子じゃ、やや!」
「楽しみじゃ~。」
張りつめた空気の中、そう声をあげて手を打ったのは、無論、蕗と浅茅である。
「では、上様のお許しが出るまで、私が下がる事は内密にせよ。折を見て、私から上様にお願いをする。」
「はい。」
部屋子達が一斉に返事をする。
「そして、静が子を宿していることは、一切他言してはならぬ。よいな。」
「「はいっ。」 」
以前と変わらぬキリリとした主人の命に、部屋子達もキリッと返事をした。
「静は無理をせぬようにな。」
大姥局が静に優しく声をかける。
「大事のうござります。病ではございませぬゆえ。」
静が涙をふきながら、えくぼを浮かべ微笑んだ。
「それはそうじゃが、赤子が落ち着くまでは激しゅう動いてはならぬぞ。そなたはすぐ無理をするゆえな。」
大姥局が、それは心配そうに眉間に皺を寄せる。
「おまかせくださりませ、旦那さま。皆で見張りますゆえ。」
蕗が嬉しそうに話した。部屋子達も静を見ながら、頷く。
「頼んだぞ。」
大姥局が優しげに頷き、静が困ったような、申し訳なさそうな笑顔を見せた。
そして部屋子達は何事もなかったように、それぞれの用へと立ち上がった。
◆◇◆
葉月の中頃にやって来た野分が雲を吹き飛ばしたのか、その後は天気のよい日が続き、将軍主従はホッと一息ついた。
「凶作にはならずにすみそうじゃ。」
「なんとかなりそうでござりまするな。」
「ああ。しかし、なるだけ早く堤など整えられるところは整えねばな。」
「御意。」
いつもの年より稲の実入りは少ないだろうが、下々を飢えさせずに済みそうである。
秀忠も利勝も胸を撫で下ろし、爽やかになった風を感じて政務に励んだ。
そして今年は閏如月があったため、江は皆に命じ、長月に入るといくらか衣替えを行った。
昼間は暑くても、朝晩がヒンヤリ感じられ、体を壊す者が出ないようにとの御台所の配慮である。
年明けに閏月があった今年は、市姫の死去を始め、痢病騒ぎもあり、江は念入りに気を配っていた。
静は衣替えがある前から「冷やしてはならぬ」と下襲を一枚重ねさせられている。
周りの気遣いに包まれ、静も子も落ち着いて過ごしてた。
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