【完結】照葉輝く~静物語

みなわなみ

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第五部(最終)

最終章 照葉、艶やかに息吹く 其の二

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「ご立派でございました。」 
 襖を開けた民部卿がうんうんと頷きながら戻り、生真面目な顔で江を誉める。 
「民部、秀忠うえさまが竹千代と共に、西の丸の庭に茶を植えたと、福が申しておったであろう。」 
「はい。大姥様を偲ぶよすがにと。」 
「まことそう思うか。」 
「はぁ。まぁ。」 
 調子よく相づちを打ってきた民部卿が、にわかに口ごもる。 
「大姥を偲ぶよすがになら、この本丸の庭に植えればよい。」 
「それは、竹千代わかさまが西の丸に入られた時の、福殿への戒めかと……」 
 民部卿は困った顔で、主人を思いやった。 
「ふふ、そなたも優しいの。」 
 江の言葉に民部卿が、どう言ってよいか、そわそわと黙ってしまう。 

 江が遠い目をした。 
「あれは、静殿を偲ぶよすがでもあろう。」 
 民部卿はなにか言わねばと思いつつ、ただ首を横に振っている。 
「よいのじゃ。なんとも愛しいではないか。殿方というのは。 竹千代になにやらさとしてくだされたようじゃしの。 ……静殿は役割を十二分に果たしてくれた。神様が私の代わりに、ご褒美を差し上げてくれた。」 
「御台様。」 
 養い子ごうを思いやり、民部卿うばがやっと声をあげた。 
「民部…私とて、心の奥底にまだ秀勝ひでかつ様がおる。それを承知で一途に愛おしんでくださる秀忠うえ様を責めるなどできぬ。責めようとも思わぬ。」 
 江はまっすぐなにかを見据えたまま告げる。 
「そのような秀忠うえ様だからこそ、私は安心して身をまかせられるのじゃ。」 
 江は、はにかむように幸せな、美しい笑顔を乳母に見せた。 
「これはこれは。」 
 民部卿が微笑み、口許を袖で隠す。 
「それでつい、年上であることを忘れてしまう。」 
 キラキラした微笑みのまま、己を省みて江は少し恥ずかしげであった。 
「上様はもともと兄上様、御台様は末姫様だからでございましょうや。」 
「そうやもしれぬな。」
 にこにことした民部卿の気づきに、江も微笑んで頷く。その眉間にふっと皺が寄った。 
「今の上様のお年とて、私が竹千代を生んだ年じゃ。あの頃の私は、秀忠うえ様が城を留守にする度、身も心も悲しゅうてならなんだ。」 
「さようでございましたね。」 

 あの茶の木は、愛するのに不器用な夫の、自分への愛の証であるようにも感じる。 
 秀忠様は、もう決して静殿とお会いにならぬであろう。それを誓うための木なのだ。きっと。 
 ご自分への戒めとなさるおつもりじゃ。 
 江は、やはり秀忠のことが愛しく、恋しく思われる。 

「『二つ文字』じゃな。」 
「は?」 
 恥ずかしげに微笑んだ江のポツリとした独り言に、民部卿が怪訝な顔をした。しかし、頬を染めた江は、それには答えず、また顔を引き締め遠くを見る。 
「私は一成かずなりさまにも秀勝さまにも、ただ守られてまいった。したが、秀忠うえさまとはともに道を切り開きたいのじゃ。いや、そうせねばならぬ。」 
 大御所と秀頼の対面がなったにも関わらず、気塞きふさぎな顔をしばしば見せる夫を思う。 
「姉上は大坂城を出ぬやもしれぬのぅ。」 
 深い悲しみを美しい瞳にたたえ、江が呟く。 

 大坂城こそ、太閤殿下の秀頼殿への愛の証。そして、姉上にとって秀頼殿こそが殿下への愛の証。 
 大坂城こそがお二人にとって太閤殿下なのじゃ。
 ならば、姉上は大坂城から動くまい。愛情深い姉上ならば……。 

 江の鼻の奥がつんとする。キリッと御台所は奥歯を噛み締めた。 
わたくし秀忠うえ様と生きる。徳川の御台所として。」 
 まっすぐに顔を上げ、江はきりっと重々しく改めて宣言した。 

 『江、徳川のお方さまとして、徳川をしっかり盛り立てなされ。』 
 茶々の声がする。どこか物悲しい声が。 嫁ぐときに言い聞かされた声が。
 あれは、「自分は豊臣の、殿下のために生きる」と心の中で定めておられたからか…。「かたきじゃ」と言うた人に心惹かれて、父上や母上に詫びながらそう定めておられたのか…。そう定められておられたから、私にあのような言葉をかけてくだされたのか……。 そう生きるのが女子の幸せと教えてくださっていたのか……。
 (…姉上…) 
 江の瞳からついと一筋、涙が流れた。民部卿がただ黙って、江のそばに控えていた。 

 しとしとと降る雨が、周りの音を消し去ってゆく。 
 江の体がポッとほてり、汗が吹き出した。手巾しゅきんで江が、浮き上がった涙と額の汗を拭く。 
 江がホッと小さな溜め息をついた。
「しかし、これほど血の道が早う終わろうとは……。そなたたちにはかったとき、大姥から『殿方とのがたを遠ざけることです』と言われたのには面食ろうたが。」 
「そうでございました。御台様が泣きそうなお顔をなさって……」 
 民部卿がおかしそうに、また口許を袖口で押さえた。 
「したが、そなたは『また御子ができたら……』と泣くし、大姥は『血の道が終われば、心置きのう上様のお相手ができまするぞ』と笑うし……」 
 江が困ったような顔で思い出している。 
「私たちは、まだもう少し早う終わると思うておったのです。松姫ちいひめ様をお産み遊ばしたあとは、御台様のお乳の止まりも早うござりましたゆえ、殿方を遠ざけておけば血の道は早う終わるはずと大姥さまと話しておりました。 したが、御台様の命のお力が強かったのか、上様への想いがお強かったのか、思うたより長うかかり、御台様には御辛い思いをいてしまいました。申し訳ございませぬ。」 
 民部卿が真顔になり、手をついて頭を下げた。 
「よいのじゃ。確かに辛かった。いや、今でも考えると辛い。 じゃが御台所として学ばせてもろうた。秀忠様が将軍として苦しんでおられるのじゃ。私が支えずしてなんとする。 静殿にも上様を偲ぶよすがができた。」 
 噛み締めるように江が言葉を発する。その裏に潜む、数々の思いを民部卿は察していた。 
「御台様。」 
「これでよかったのじゃ。そなたも気に病むでないぞ。」 
「はい。」 
 意思を持った江の微笑みに、民部卿は短い返事をするだけであった。ただ、徳川の御台所として生きる主人の悲しみや辛さを、自分も傍でともに負っていこうと改めて思う。 
「大姥も面目が立ったであろう。御望み通り、男子が生まれたのじゃ。義父上ちちうえ様もお喜びであろう。」 
 江が、ほんのりと微笑んだ。 
「いつか、見性院さまのところへご挨拶に参ろう。その時に静殿にまみえること叶うじゃろうか。」 
「きっと会えましょう。」 
 民部卿が涙を浮かべながら、頷く。 
「そうか、楽しみじゃ。」 
 江の柔らかで美しい笑顔を、民部卿は菩薩だと思った。『生まれる子は祝うてやらねば』と帯祝いも江に言われて調ととのえたのを思い出す。自分で自分を追い詰め、女としての哀しみを乗り越えた、愛に溢れる江の笑顔であった。
 
 静まり返った部屋に、雨蛙のコロコロと鳴く声が聞こえてくる。 
 煙るように柔らかな雨が、江戸城の庭を包んでいた。

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