稲妻の契り~生贄に出された娘は雷神様から一途な溺愛を受ける~

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母からもらった大切なもの

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天上の朝の空気は爽やかで、ほのかに甘い花の香りが漂っている。

ここの生活は、透き通っていてまるで夢の中にいるような幸福感で満ちていた。

朝、柔らかな光が天上の広々とした部屋に降り注ぐと、私はあやかしたちと一緒にお布団を干す。

「はたくんだゾ~!」

「はたくジョー!」

「あっ、ダメよ落ちちゃう」

モルンとマルンは身体を浮かせながら布団の上をぴょんぴょんと飛び回る。

このあやかしたちは遊ぶのが大好きなまだ子どもだ。

それから天上に咲いているお花や植物に水をあげる。

「ここの花は枯れないから水はあげなくていいんだジョー」

「そうそう、ここの妖力で保たれてるから問題ないんだゾー」

「そうなの?でも……お水飲みたいんじゃないかしら。モルンとマルンだって妖力が必要でしょ?」

モルンとマルンはお互いに顔を見合わせる。

「確かにそうかもしれないんだゾ!」

「美鈴の考え方はすごいジョ!」

ふたりのあやかしはここにある自然が力が補っている。

疲れたら木々に横たわり、妖力を分けてもらうらしい。

あやかしや神々が住まうこの世界には、現実ではありえないような生き物や植物が生息している。

空を飛ぶ光の蝶や、ささやきながら風に揺れる色鮮やかな花々、透明な水面を覗き込むと、虹色の光が反射する湖。
ここでの生活は時間という概念を忘れるほどに幸せを感じるものだった。
 
布団を干し終えた後は食事の準備だ。
新鮮な食材をとってきて調理場で調理をする。

美しい果実や香り高い野菜を使い、手際よく料理を進めると、あやかしたちも興味津々で私の周りに集まり、その手際を見守りながら、時折手伝いもしてくれた。

テーブルの上には色とりどりの料理が広がる。

「いただきます」

その日も、私は広間の片隅にある小さな卓に、ひとりで膝をついていた。

雷神様は、食事をとらない。

あやかしたちも、同じでほとんどが香りを楽しむだけで、私のご飯には手をつけない。

ひとりで食事をするのがちょっと寂しかったりもする。
 
湯気の立つ味噌汁の香りが、鼻先をくすぐる。

煮物は少し甘めで、地上にいた頃よりも野菜の味が強く出ていた。

美味しい……。

すると、ふと、視線を感じた。

顔を上げると、そこにいたのは雷神様だった。
柱の陰にたたずむようにして、こちらを見ていた。

「おはようございます」

「食事か?」

「はい」

その目が、じっとこちらをとらえている。

雷神様はこちらにやってきた。

「人間は……そうやって、食をとるのか」

「え、ええ……そうですね。いただきますって言って、感謝して、それから……食べます」

ライエン様は、私の手元の茶碗をじっと見つめていた。

「ふぅん?」

興味があるのか、ないのか、雷神様はこちらに視線を向ける。

「……あの……よろしければ、一口食べてみませんか……?」

私は、ご飯をひと口分、小さな器に移して差し出した。

食べないとは言っていたけれど、食べれないわけではなさそうだし……。

しばしの沈黙。
雷神様はじっと見つめていたが……やがて、それを手に取った。

そして、ひと口。
口に入れて、しばらく噛んで……そのまま、しずかに飲みこんだ。

「……いかがですか?」

その問いに、雷神様はしばらく黙っていたが、やがて、ぽつりとひと言。

「……よく、わからん。」

私は、くすっと笑った。

そうよね。
でも、うれしかった。

興味を持ってくれたことが。
私が笑っていると、雷神様は言う。

「嬉しそうだな」

「……はい。私、家族みんなでご飯を食べることが夢なんです。楽しい話をして笑ってそして美味しいごはんを美味しいねって食べる。そんな瞬間が幸せだなって思うんです」

お母様がまだ生きていた頃はそれが出来ていた。

でも今はもう……しばらくそういう幸せを経験していなかった。

誰とも目を合わせずに食べる食事は美味しいものでも味がしない。

「……そういうものなのか。よくわからんな。何をするにもひとりの方が楽に決まってる」

「私はさっき、雷神様が食べてくれた時も嬉しかったです」

「ふん……」

雷神様はそれだけ言うと、立ち上がってどこかに行ってしまった。

気を悪くさせてしまったかな……。

この方もずっとひとりで生きてきたのだものね。

この天界での生活。
いるのはあやかしふたりだけで雷神様の方から話をしているのもあまり見たことがない。
 
それから食事を終えると、書物の間に向かった。

ここは、高い天井に届くほどの本棚が何段にも積み重なっている場所。
棚の素材は見たことのない薄青の木で、触れるとすこしだけひんやりしていてる。

ここに生えている薬草のことや、ここにいる虫が動物のことはこの書物で知れるようになっている。

私は毎日のように、食後のひとときをこの書物の間で過ごすのが習慣になっていた。

「美鈴、今日は何を読むんだゾ?」

「人間は勉強熱心なんだジョ」

「ええと……あの棚の神異草木抄って書いてあるのを読んでみたいな……」

ぽつりとつぶやくと、すかさずモルンがぴょんっと私の肩から飛び上がった。

宙をくるりと舞うようにして、本棚のあいだをすいすいと飛び回るモルン。
小さな前足で器用に背表紙をつかむと、ふわりとこちらに滑空してくる。

「はい、どうジョ~!」

私の膝の上に、そっと本を落としてくれたモルンは、得意げに胸を張ってしっぽをぶんぶんと振った。

「ありがとう、モルン。……助かるわ」

私が微笑むと、モルンはぱたぱたと空中で一回転してから、くるんと私の肩に戻ってきた。

私が本の表紙をそっと撫でると、そこからかすかに草木の香りが立ちのぼった。

どうやらこの本、ただの読み物ではなく、神樹の葉で作られているらしい。

本当にここには不思議なものがたくさんある……。
 
私はページをめくりながら、肩に乗ったマルンとモルンと一緒に、静かに読書をはじめた。

ページをゆっくりめくっていくと、書物の内容はやがて、植物だけでなく、鉱石や宝玉の章へと移っていった。
 
【天上に咲く光草の露を、雷の力で結晶させたもの──それは天涙晶(てんるいしょう)と呼ばれる】
 
小さな図とともに、淡くきらめく結晶の絵が載っていた。
まるで、星のしずくをそのまま閉じ込めたような宝石。

宝石、か……。
ここにも宝石を作る手段があるのね。

小さな乳白色の石が、古い銀の細工にはめ込まれた、たったひとつの宝石。
お母さんが亡くなる前に私にくれたんだ。

誕生日に、お母さんが「これはね、美鈴のお守りだよ」って言ってくれて以来、ずっと肌身離さず身につけていた、大切なもの。

でも家畜小屋に入る前に時に取られてしまった。

「やっぱり、あれだけは……そばに、置いておきたいな……」

あれがあれば、少しだけ母の声を思い出せる気がする。
でも、それを手に入れるには、一度村に戻らなきゃいけない。

私はそっと本を閉じた。

すっかり眠ってしまったマルンとマルンをおいて、焔雷殿の扉を抜けると、天上の空は淡く金色に霞んでいた。

高台に立つと、ひんやりとした空気が頬を撫でる。

私はそっと縁に近づいて、はるか下を見下ろした。

雲が層になってゆっくりと流れ、その切れ間から、かすかに村の屋根や畑の影が見える。

ここは不思議で遥か遠くにある存在は見えないはずなのに、見ようとすると映像が浮かび上がってくる。

村の様子はまだ朝の光が届かないのか、どこか眠っているように静かだった。

胸がきゅっと痛んだ。
そこは、私が生きていたはずの場所。

すると、いつの間にやってきたのか、背後にふっと影が落ちた。

「帰りたいのか?」

雷神様の低く澄んだ声に、肩が跳ねた。

「いえ……」

私はうつむく。

「母から貰ったペンダントがあるんです。でも置いて来てしまったんです。乳白色の石で出来ていて、鈴の音がなるペンダントです。母の気持ちがこもったものだから手元においておきたかったなぁと……」

「なら戻るか」

「戻れるのですか!?」

思わず声をあげてしまった。

すると慌てて私を追いかけてきたマルンとモルンが言った。

「当然なんだゾ、雷神様はしょっちゅう人間界と天界を行き来してるのだゾ」

「そ、そうだったんですね……」

雷神様も人間界に来ることがあるんだ。

でもなんのために?
雷神様はジッとこちらを見ている。

な、なんだろう……。
雷神様から突き刺さるような視線を向けられているような……。

「覚えていないか?」

「えっ、とあの……なんのことでしょうか?」

「そうか、それならいい」

それだけを言うと、雷神様は口を閉ざした。

目を伏せた横顔が、どこか遠くを見ているようだった。

覚えてるって何がだろう……?

「それならちょうどいい。俺も用があるから美鈴を村まで連れて行こう」

衣を翻して背を向け、棚の奥から一枚の外套を引き寄せる。
それは、深い藍色をした羽織だった。

「美鈴と二人で村に行ってくる。ここの留守番を頼む」
「しょうちしましたゾ!」

「分かったんだジョ」

あやかしたちの声が明るく響く。

私……村に戻るんだ。

麗羅やお母様のことが脳裏に浮かび、心臓がどくんと大きく跳ねた。

嫌な音が耳の奥で繰り返す。
あの家に、また足を踏み入れないといけない。

なにかされるかもしれない。
そう考えると、怖くなった。

「怖いか?」
「えっ」

雷神様の問いかけに、はっとする。

「自分を捨てた村に戻るのは誰だって苦しみを伴うことだろう?」

「そう……ですね」

村の人にとって、麗羅にとって、真澄お母様にとって、そして……お父様にとって私はもういなくなった子だ。

「俺だけが行ってきて、とってきてもいいのだぞ」

「いえ、そんなこと……雷神様に頼むわけにはいきません」

喉の奥が詰まる。

自分のことだ……。
それくらいは自分でカタをつけないといけない。

「私も村へ行きます、そしてペンダントも持ってきます……」

「分かった。気が変わったらいってくれ。すぐに引き返そう」

そう言うと、雷神様はふっと私のほうを向いて、しゃがみこんだ。
胸を張るようにして、あごをわずかに持ち上げる。

「あ、あの……?」

「何をしてる?肩につかまらないと下りれないだろう」

「そ、そうなのですか!?」

てっきりなにかに乗っていくのだと思っていたから、雷神様に捕まって降りるなんて……。

「早くここに捕まってくれ」

こ、こんな雷神様の立派な身体にしがみつくようなこと……。

「し、失礼します」

私はおずおずとしながらもそっと雷神様の首に手をまわした。

しっかりとした筋肉のついた身体が目の前に飛び込んできてまた恥ずかしくなって距離をとる。

「おい、しっかり捕まらないと途中でお前だけ落ちるぞ」 

「あっ……」

ぐいっと腰を引かれ、手を腰に回されたまま雷神様はその場所からぴょんっと飛び降りた。

「きゃあっっ!」

と、飛び降りるの!?

もっとゆっくり下りれるんだとばかり……。

う、う、し死ぬ……死んでしまう……。

ぎゅうっと目をつぶって必死にしがみつく。

空気が一気に流れ去る感覚。
こ、こわい。

長く落ち続けると、ふわりと浮き上がるような柔らかい反動があった。

恐る恐る目を開けると、雷神様はすとんと地面に着地していた。

「着いたぞ」

「し、死ぬかと思った」

「これしきで?人間は脆いのだな」

雷神様は疑うように疑問をぶつける。

あんな空から飛び降りたらじゅ、十分だよ……っ。

そっと下ろされると、腰が抜けてしまい、足が震えて立てなくなった。

「ぁ……すみません、腰が……」

「はははは、落ち着くまで捕まってるといい」

「すみませ……」

雷神様は声をあげて笑った。

雷神様って、そんなふうに笑うこともあるんだ……。

ずっと笑わない人だと思っていたから、びっくりした。

雷神様は私を抱きかかえながら、村の人がいる場所へ移動してくれた。
 
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