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誕生日と愛しい人
しおりを挟む神殿の回廊を歩いていたときだった。
開け放たれた廊の先に、月明かりの中でひとり佇む雷神様の姿が見えた。
背筋を伸ばし、遠くの空をじっと見つめている。
「……雷神様?」
私が声をかけると、彼はゆっくりと振り向いた。
そのとき、額にかかる長い金の髪が、風に揺れてわずかに流れた。
一瞬だけ、月明かりに照らされた額に、目を引くような傷跡があった。
深く刻まれた、斜めの線。
私は、思わず目を見開いた。
「……それ」
どうしたんだろう。
今まで気づかなかった。
雷神様は一瞬だけ眉をひそめたが、何も言わず、髪を戻してその部分を隠した。
「その傷は……」
私の問いに、雷神様はしばらく黙っていた。
沈黙の中、天上の空を風が抜けていく。
「昔、刃を交えた時のものだ。……唯一、残った形だな」
雷神様が、誰かと戦ったということ。
それも、傷が残るほどの戦い……。
今、雷神様はこの雷鳴山にいて、平和に暮らしているけれど誰かと戦わないといけない時が来るのだろうか。
「雷神様は……また誰かと戦わないといけない日が来ますか?」
まだ神様のことはよく分からない。
でも権力争いというものが強さで決まるというのを本で見たことがある。
その時の争いは壮絶なものらしい。
もしそうなったら……雷神様は……どうなるのだろう。
すると雷神様は私の頭をポンと撫でた。
「そう心配するな。どんなことがあっても美鈴を危険にさらすような真似はしない」
ライエン様は……ない、とは言わなかった。
「ところで美鈴、少し散歩をしないか」
「はい……」
ライエン様とはこうして散歩をすることが増えてきた。
ふたりで並んで歩いている時間は私にとっても特別な時間だ。
ライエン様は私の歩幅に合わせてゆっくりと進んだ。
歩くこと15分。
導かれるまま進んだ先は、雲の切れ間にぽっかりと口を開けた穴倉だった。
中に入ると、白く淡い光が壁に透けていて、雲そのものが半透明の水晶のように輝いている。
キレイ……。
こんな場所があったんだ。
中に入ると、外のざわめきは遮られ、ここだけが別世界のように静まり返っていた。
「雲が古の力で固まってできた洞だ」
「すごいですね……」
ここには不思議なものがたくさんある。
全部を見るのはきっと不可能だろう。
足元には薄く霧が漂い、頭上には雲の繊維が光を受けて淡く揺れている。
手を伸ばすと、ひんやりとした冷たさが指先に伝わってくる。
「涼しくていいですね」
「そうだろう?」
柔らかな声が洞窟に響き、壁に反射して少し遅れて返ってくる。
その残響がまるで二人だけの秘密の合図のように感じられた。
「美鈴」
後ろからライエン様の声がして、私は振り向く。
すると雷神様はいつの間に手に持っていたのか、花束を私に手渡した。
「これは……?」
彼の手に握られているのは光を放っている見たこともない美しい花束だ。
「今日は美鈴が生まれた日だと聞いた」
「……っ」
私は思わず手で口元を覆った。
「それで、これを私に……?」
そう、今日は私の誕生日だ。
でももう何年もお祝いをしてもらったことがなかった。
お母様がいなくなってから、誰も私の誕生日を祝う人なんていなかった。
麗羅の誕生日は盛大に行われるけれど、私の誕生日は特に何もなく過ぎ去っていく。
そのうちに、自分にとってもこの日はなんでもない日に変わってしまった。
「くださるんですか……?」
「ああ。人間は生まれた日を毎年祝うんだとマルンとモルンに聞いたんだ。そして祝いにプレゼントを渡すのだということも」
「ライエン様……」
どうしよう。
涙が出そうだ。
ぐっとこらえても、抑えられない。
「俺は美鈴の望むものならなんでも手に入れることが出来る。でも……これが一番美鈴に似合うと思った」
私は雷神様から花束を受け取る。
たくさんの花が咲き誇るとてもキレイな花束だった。
「キレイ……」
花の香りがする。
私は幸せな気持ちに包まれた。
「ありがとうございます、とっても嬉しい誕生日です」
久しぶりに誕生日を嬉しいと思えた。
誰かが自分が誕生した日をお祝いしてくれる。
なんて嬉しいことなんだろう。
「……ライエン様にはしてもらってばかりですね」
目から零れ出る涙をぬぐいながら言う。
するとライエン様は言った。
「そんなことはない」
今日、この日を雷神様と一緒に過ごせて良かった。
幸せだと思える誕生日が存在して良かった。
「なぜ泣くんだ?」
雷神様が心配そうに私に手を伸ばした。
「嬉しくて……こんなに幸せでいいのかなって」
「美鈴は悲しくても泣くし、嬉しくても泣くんだな。本当に泣き虫だ」
雷神様は目から零れた涙を指で拭ってくれた。
「これからは毎年、祝おう。その方がマルンもモルンも喜ぶはずだ」
その言葉に心臓がドクン、ドクンと心地よく音を立てていく。
「ありがとう、ございます」
お母様が亡くなってから、ようやく自分を肯定することが出来た。
生まれてきても良かったのだと言ってくれているようで嬉しかったんだ。
「このお花……大事にします」
その日、雷鳴山の宮殿に戻るとマルンとモルンが料理を作って出迎えてくれた。
人間界のことを調べてくれていたようでケーキを作ってくれたんだ。
とっても幸せな誕生日だった。
いつまでもこの生活が続いて欲しいと思うほどの。
そして宴がひとしきり終わると、雷鳴山の宮殿は少しずつ静けさを取り戻していった。
広間に並べられていた料理も片づけられ、香ばしい匂いと笑い声がほんのりと余韻のように残っている。
ライエン様は先に部屋へと戻っていった。
もう少しライエン様と話したかったな……。
なんて思っていた時、それを察したのかマルンが言った。
「雷神様の部屋に行ってもいいんだジョ?」
「きっと美鈴なら許されるんだゾ」
マルンとモルンが片方の耳をぴんと立てながら小声で囁いた。
「ふたりとも……」
勘の鋭いふたりにちょっと恥ずかしくなりながらも、「じゃあ……」と私はライエン様の部屋に向かうことにした。
ライエン様の部屋の前までくると、コンコンとノックをする。
「美鈴です」
「ああ、入れ」
深呼吸をしてから静かに扉を開ける。
そこには、肩の力を少し抜いたライエン様が座していた。
「すみません、お邪魔してしまって」
「気にしなくていい」
背後の窓からは夜の雷雲が遠くに光を放ち、かすかな稲妻が彼の横顔を照らしている。
いつ見ても、この人は美しい人だ……。
「もう少しだけ……話したくて」
私がそこまで告げると、雷神様は嬉しそうに口角をあげた。
「許そう」
なんか喜んでいる?
前まで雷神様は表情がほとんど変わらなくて怖い人だと思っていたけれど、よく見ると分かりやすかったりするのよね……。
ライエン様は自分の隣に来るように促した。
私はその空いた隙間へと腰を下ろす。
距離が近くてなんだかドキドキした。
いつも気を張っている雷神様。
今は自室ということもあるのか、どこかリラックスしているようにも見える。
「あの、ライエン様……ずっと聞きたかったことがあって」
「なんだ?」
「……どうして、そんなに私に優しくしてくださるのですか?」
胸の奥にずっと引っかかっていた疑問が、思わず口から零れた。
ライエン様は最初から私に優しかった。
生贄に出された娘を無視するということも出来たであろう。
食べることはないにせよ、殺すという選択だってあった。
それをせずに、ライエン様は私を……助けてくれたんだ。
それがずっと気になって仕方なかった。
ライエン様は少し目を伏せ、静かに息を吐いた。
そして、迷いのない声で告げる。
「……俺は、美鈴と昔に出会ったことがある」
「え……?」
私とライエン様が前に出会っていた!?
思わず言葉を失う。
でも、記憶を必死に辿っても思い出せない。
「覚えていないのも無理はない。お前はあの時幼かったからな」
いつだろう。
雷神様と私が出会ったのは。
「俺はあの時から、お前を忘れたことはない」
低く響く声が、胸の奥を震わせる。
そして雷神様はまっすぐに私を見つめて話し出した。
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