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過去の因縁
しおりを挟む雷鳴山の宮殿。
普段なら、食事の時刻になれば必ず姿を見せるはずの美鈴が、どこにもいなかった。
どうしたんだ。
こんなこと今までは一度もなかった。
山菜を取りにいったきり彼女は戻らない。
彼女の居場所を知らせる宝石も森を位置するだけでなんの反応もなかった。
すると、廊下の隅でちょこまかと動いているマルンとモルンがこちらを見上げていた。
「美鈴が帰らない。なにか知らないか?」
あやかしのふたりは暗い顔をした。
ふたりの小さな耳がぴんと立つ。
互いに顔を見合わせ、落ち着きなく尻尾を揺らした。
「……さっきまでは、森にいたはずなんだジョ」
「でも、そのあと風の音が強くなって……気づいたら姿がなくなっていたんだゾ」
「……風?」
胸にざらつく感覚が広がった。
「まさか……」
思わず拳を握る。
雷鳴山は、ただの神域ではない。
外界から容易に侵入できぬよう、幾重にも強固な結界が張り巡らされている。
弱いものが入ってくることは敵わない。
ほんの一歩でも足を踏み入れれば、たちまち全身を雷光が貫き、その存在を押し返してしまう。
でも……もし中に入ってきたのだとしたら……。
この領域を潜り抜けることができるのは、よほどの強い力を持つものか、神だけ……。
「まさか……」
マルンとモルンが不安げに見上げる。
アイツが来たのか?
「雷神様、美鈴は……」
「無事なんだろうか……」
俺は深く息を吐いた。
「……心配するな。必ず連れ戻す」
俺はそう言って雷鳴山の外に出た。
外に出ると、空はすでにざわめき始めていた。
風が強まっている──風神の気配だ。
「……風神」
唇から低い唸りが漏れる。
美鈴をさらってどうするつもりだ。
俺は風神の住む嵐鳴峡へと向かった。
嵐鳴峡──。
それは常に風が吠え続ける峡谷。
両側を切り立つ岩壁に囲まれたその谷は、ひとたび足を踏み入れれば絶え間ない暴風に晒される。
谷底には幾重もの渦が生まれ、砂や小石を巻き上げて空へと吹き上げていた。
いつ来てもここは、不快なところだ。
もう何十年と経つが一向に変わらない。
用がなければこんな場所、立ち寄りたくもない。
そして風神が待っている場所へと歩を進める。
足元には削れ落ちた岩の破片が散らばり、踏みしめるたびにざらりとした感触が響く。
谷の奥へ進むごとに、空気はさらに冷たく、荒々しい風が肌を切り裂くように吹きつけてきた。
──ビュー!
やがて、視界の先にひときわ大きな渦が立ち上がる。
空を貫くように巻き上がる突風の中心に彼は立っていた。
銀の髪を風に靡かせ、口元に不敵な笑みを浮かべる男。
その双眸は氷のように冷たい。
「……来たな、雷神」
その声のすぐ後ろには、縄で縛られた美鈴の姿があった。
「美鈴、平気か?」
「はい……」
冷たい岩肌に凭れかかり、吹き荒ぶ風に髪を乱されながらも、必死にこちらを見ている。
危害は加えられていなさそうだ。
しかし、唇がかすかに震えていた。
「貴様……なぜ美鈴をさらった?」
俺の問いに風神は鼻で笑い、見下すような眼差しを向けてきた。
「決まっているだろう。お前が人間と一緒にいるのが見えたからだ」
唇の端を吊り上げ、風神は続ける。
「雷神ともあろうものが、人間ごときに心を開くとはな。……愚かしいにもほどがある」
「貴様になにが分かる」
「分からぬ。お前のことなど分かりたくもない。ただ一つ言えるのは弱き者に情を移した瞬間、それは鎖となり、お前を縛る足枷にしかならない」
その嘲りの言葉に、背後の美鈴はぎゅっと唇を噛みしめる。
「お前にはその権力を譲ってもらう。さぁ……雷神。昔の続きをしよう。我々の戦いに決着を付けようじゃないか」
厄介なことになった。
風神との権力争いはいつの時代でも続けられてきた。
前回の勝負も両者互角でどちらも倒れる形で決着がつかなかった。
それを今、やろうと言ってくるとは……。
風神の嘲笑と共に、嵐鳴峡全体が轟音に包まれた。
一瞬の静寂のあと、地を割るような突風が巻き上がる。
砂と岩の破片が暴れ狂う竜巻に飲み込まれ、谷全体が白い渦に閉ざされた。
「ぐっ……!」
美鈴の身体が風にあおられ、岩壁に押し付けられる。
俺は即座に腕を広げ、天へと掲げるようにしてその暴風を受け止めた。
「やめろ……昔と変わらぬな、風神。己の力を誇示することばかりに拘っている」
「それのなにが悪い?」
声は低く、しかし揺るぎない響きを帯びていた。
「まずは美鈴を放せ。話はそれからだ」
「嫌だと言ったら?」
試すような口で言う風神。
「貴様を殺すまで」
俺は制すような低い声で伝えた。
コイツ……俺を呼ぶために美鈴を攫ったのではないのか。
美鈴を巻き込むために攫ったな。
そうだ。
奴は昔からそうだったな。
自分の権力を誇示できるものがあるのならなんだって使う。
「大事なものを奪われたお前の顔が見てみたい」
風神の目が冷たく細められ、周囲の風がさらに荒れ狂った。
「人間はひとまずここで殺してやる」
風神の目が冷たく細められ、手にしていた天嵐杖が高く掲げられる。
そしてそれが振り下ろされた瞬間、嵐鳴峡全体が爆ぜるような轟音に包まれる。
暴風が刃のように押し寄せ、美鈴の細い身体を容赦なく呑み込もうとした。
「させるものか」
俺は雷を放った。
稲光が轟き、雷の輪が走り美鈴を包む。
天嵐杖から放たれた風の一撃は、俺の雷が弾き飛ばした。
「ふん……」
風神は不服そうな顔をした。
このままじゃ美鈴を危険にさらすことになる。
「これ以上は危険だ。――美鈴、雷鳴山へ戻れ」
俺は掌に収束させた雷の力を解き放った。
稲光が柱となり、美鈴の足元から身体を包み込んでゆく。
「ライエン様……!?」
美鈴が驚いた顔をして手を伸ばす。
けれど、その腕は空を切るだけで届かなかった。
彼女を安全なところへ。
「戻ったら伝えたいことがある。その時は聞いてくれるか?」
美鈴の身体がふわりと浮き上がる。
彼女が泣きそうな顔をしていた。
大丈夫だ。
必ず戻ってくるから。
答えを待つよりも早く、雷光が強く瞬き嵐鳴峡の空気ごと彼女の姿を攫い取った。
残されたのは、轟音の渦と風神の影だけ。
光が消えた空間を見つめながら、俺は拳を固く握り締めた。
……必ず戻る。待っていろ、美鈴。
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