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ヴォール帝国へ
ヴォール帝国にて 2
しおりを挟む「お帰りなさいませ。……お父様……」
少し照れながらも、レティシアは新たな義父であるクライスラー公爵を屋敷の玄関で出迎えた。
クライスラー公爵は最初驚いたものの、レティシアの姿に満面の輝くような笑顔を見せた。新たな娘は生粋の帝国の貴族そのものの姿だった。
「……ただ今戻ったよ。可愛いレティシア。ああ、娘に出迎えられるのがこんなに嬉しいものだとは……!
……そしてよく来てくれたね、レティシア。1週間も馬車に揺られて疲れた事だろう。先に眠っていても良かったのだよ?」
そう気遣ってくれる公爵に、レティシアは笑った。
「こう……、お父様? 私はもう18歳なのですし、こんな早くから眠くはなりませんよ? それに、お父様と一緒に夕食を頂こうと待っていたのです。……よろしいでしょうか?」
最後、図々しかったかしら? と控えめに聞いたレティシア。
「勿論いいに決まっているよ。娘が一緒にご飯を食べようと待っていてくれるなんて、幸せな事だね。
私もすぐに食堂に行くから先に行って待っていて。……ハンナ」
最後、ハンナを呼び他の侍女をレティシアに近付けないようにしてから公爵は一旦自室に行った。
◇ ◇ ◇
「帝国までの道中はどうであった? 馬車での長旅は初めてだったのだろう?」
夕食を共に摂りながら、クライスラー公爵は楽しそうにレティシアに尋ねた。
「……素晴らしかったです! 街にはその土地の色んな特産品がありましたし、風景もとても綺麗で! 国境の街はやはり他の街とは少し雰囲気が違って興味深かったです。あ、やっぱり馬車に長い間乗っていると身体が痛くなりますね。たくさんクッションを入れて下さっていたのでとても身体が楽でした。ありがとうございました」
あのクッションのお陰で軋む身体の体勢をあれこれ変え、なんとか長旅を耐えられた。……ハンナには最初お行儀が悪いと言われたけれどね。最後には彼女と一緒にコロコロしていたのだ。
この時代の馬車は多分現代の車のようなバネなどがなく、車輪の軋みがそのまま車内にくる。
「こ……お父様、も、馬車での長旅は大変だったでしょう? 毎日乗っていらっしゃるとはいえ……」
頑張って自分を『父』と呼ぼうとしているレティシアを照れ臭くも微笑ましく見つめながら、エドモンドは彼女のその視点にも驚かされていた。そして、クッションの事に気が付き礼を言う所も親としての心をくすぐられていた。
そして、もう一つ気になっているのが……。
「あぁ。毎日乗っていても流石に長旅はね。
……ねぇ、レティシア。君のその、今付けているペンダントは……」
レティシアは亡くなった母から貰ったアメジストのペンダントを付けていた。
出発前にコベール子爵家の父に思い切って確認すると、『それはおそらくレティシアの母ヴィオレが帝国から持って来たものだ』と言われていたこのペンダント。
帝国に来て、クライスラー公爵であるこの父ならこのペンダントの事を知っているかも? と思って付けてみたのだ。
早速父の反応があった事で、レティシアは期待を膨らませながら父を見て答えた。
「……コレは、母が亡くなる前に渡してくれたものです。私を証明するものだと言って……。コレと、このブローチをその時に渡されたのですけれど、このブローチは実の父からだとコベール子爵から教えてもらいました。
けれどこのペンダントの事は分からない、と……。もしかしたら、……お父様、なら、ご存知かと思って……」
クライスラー公爵は固い表情のまま聞いてきた。
「それを……、見せてもらっていいかい?」
レティシアは頷き、クライスラー公爵にそれを手渡した。……そのペンダントを公爵はじっと見つめた。
そんな公爵をレティシアはドキドキしながら見つめていたが……。
公爵は震え出し、ペンダントを持つ反対の手で目頭を抑えた。
「え……、こうしゃ……お父様!? どうしたんですか? 気分でも……。大変だわ、お医者様を……!」
レティシアは慌てて立ち上がり、誰かを呼ぼうとした。するとそれをクライスラー公爵はとめた。
「いや、レティシア。私は気分が悪いのでは無い。……嬉しくて……嬉し過ぎて……」
そう言ってレティシアを見たクライスラー公爵の薄紫の瞳からは、涙が溢れていた……。レティシアは驚き目を見開いて公爵を見た。
公爵はレティシアの、その美しい深い紫の瞳を見詰める。……もう、20年以上前から見る事が出来なくなった、愛しい女性と同じ色の瞳を――。
はらはらと、涙をこぼし続けるクライスラー公爵を驚きで見つめ続けたレティシア。
大人の男性で、こんな風に涙を流す人を前世を含めて初めて見た。そしてその涙はとても美しくて――。
ずっと見惚れるように公爵を見ていたレティシアだったが、公爵はだんだんと気持ちが落ち着いてきたようだった。涙を拭い、少し照れくさそうに微笑んだ。
「……済まない、レティシア。恥ずかしい所を見せてしまったね。ただこのペンダントを君の母親がずっと持っていてくれた事が嬉しくて……。少し動揺してしまった」
公爵の優しい微笑みが切なくて、レティシアは少しはにかむように微笑み返した。そして、公爵はやっぱり母の友人でしかもこのペンダントの存在も知っていると確信した。
それを見た公爵は自分を落ち着かせるように一つ大きく息を吐き、そしてレティシアをしっかりと見て言った。
「このペンダントは……、私が君の母親に渡した物だ」
「え」
……『このペンダントは私が君の母親に』……。公爵が、お母様に? このペンダントを……。え? ……えぇっ!?
「ええ!? お、お母様は、公爵とアランお父様の2人から……! お母様は、恋多き女性だったのですか!? まさか、公爵はお母様にもて遊ばれたのですか!?」
レティシアの頭の中では、前世の本やテレビで見た『恋多き女』が2人の男性を弄ぶような場面がグルグルと回っていた。
「レティシア? ……落ち着きなさい。私とヴァイオレットはそのような関係では……」
「だって公爵!? アメジストはとても高価な宝石だと聞きました。そしてこのペンダントについているアメジスト程の深くて美しい物は相当な価値がある物だ、と友人から聞いたのです……! ただの友人にこんな高価な物を贈るはずがないじゃ無いですか!」
尚も興奮してそう主張するレティシアに、公爵はゆっくりと落ち着いて答える。
「レティシア……。確かにコレはとても良い物だ。……私が彼女への愛の証にと用意した特別な物だった。しかし私は彼女を愛していたが、彼女は私を友人としか思っていなかったのだよ。私はそれでもせめてコレは受け取って欲しい。そして少しずつでいいから私の想いを分かって欲しいと無理を言ってコレを渡したのだよ」
二股では……なかった? レティシアは少し力が抜けた。自分の中の母へのイメージがとんでもないものになる所だった。……いやしかし。
「でも、母は貴方に振り向く事はなかった……、のに、ペンダントはもらったままだったんですか! あああ、申し訳ありません! それはお返ししますので!」
「……レティシア!」
レティシアが必死に謝っていると、公爵はいつの間にか側に来てジッと見つめた。
「レティシア。……よく聞いて。私は君の母親を愛していたからコレを渡した。それからゆっくりと彼女に愛を伝えていくはずだった。……だが、その時この帝国で起こった政変の為にそれは出来なくなった。君の母親は行方不明になり、私は必死に彼女の行方を探し続けた……。ずっと、諦めきれなかったのだ。そして今、彼女の娘であるレティシアがコレを持っていてくれた……」
公爵はまた少し涙ぐみ、落ち着かせる為か一つ息を吐いた。
「…………それが、どれほど嬉しいことか、分かるかい? 彼女はずっとコレを大切に持っていて、そして自分の大切な娘レティシアにコレを託した。しかも君を証明するものとして……。彼女はいつかこの帝国に君が戻る時、私の庇護を受けられるようにと……、それほどに私を信頼してくれていたという事だ」
『託す』……。
レティシアは呆然としながら聞いていた。
本当に母がそういうつもりでレティシアにこのペンダントを託したのかは分からない。
けれど、愛の証を渡しそのまま不幸な別れとなった愛する女性が、時が流れてその愛の証を子供に託していたという事は公爵にとってはとても重要な事だったのだ。
公爵がそれ程までに母を愛していた事にも驚きだが、母がこんなに素敵な公爵に愛されても当時『友人』と流していた事にも驚いていた。実の父アランは幼い頃に亡くなり顔も覚えていないし、ゲームでも見た事がないからどんな男性だったのかは分からない。しかし公爵は今まで見た中で1番の美男子。若い時も相当だったと思う。
……ただ単純に好みじゃなかったと言われればそうなのかもしれないけれど、お母様凄いわ……。おそらくそれだけただ1人、父アランを愛していたのだ。
でも確かに、小さな頃から見ていて母は結構あちこちでモテていたが、それをスッと躱してすり抜けていたし男性に媚びる事もなかった。そんな母だから、周囲からの女性の評判も悪くなかった。
「でも、公爵はそれで良いのですか? ……母は私の父と結婚してしまったのに、その娘の私にこんなに良くしてくださるなんて……」
公爵は、なんだかとても損な役回りに思えてしまう。
「……生きているかどうかも分からなかった彼女が、ささやかに幸せに暮らしていたと知れただけでも私は幸せだ。そして愛する女性から信頼を寄せられていたと思えば喜びしかない。約20年、ずっと彼女を探し彼女の幸せのみを願っていた……」
そう切なそうに話す公爵を見て、レティシアはこの20年ずっと公爵は母を愛し、そして当時の事は分からないが不幸な別れをしてしまったが為にそれに縛られたまま生きてきたのだと思った。
自分は公爵に何をしてあげられるだろう? きっと、公爵の愛する女性の娘である自分にしか出来ない事があるはず。
今回レティシアを助ける為に動いてくれた公爵。
……でももしかすると公爵を過去から解放する為に母が自分をここに呼び寄せたのかもしれない、とも思った。
「……私、立派な帝国の淑女になりますね。これから、よろしくお願いいたします……、お父様」
レティシアはこれからこの方を本当の父と思い生きようと思った。
実のアラン父様には悪いのだけど……。でも、アラン父様はお母様の心を手に入れたでしょう? 公爵は、ずっとそのお母様だけを思って生きてきたのだもの……。せめて私がこの方の娘として生きても、アラン父様は許してくれるでしょう?
そう心の中で父アランに許しを乞うレティシアだった。
そしてさっきまでまた『公爵』と呼んでしまっていたレティシアが、再び『父』と呼んでくれた事にクライスラー公爵は微笑んだ。
「……ああ。レティシアらしい淑女でいておくれ」
――確か、リオネル様にもそう言われた。うん、多分あんまり信用されてないわね……。絶対に立派な淑女になって、ホントにびっくりさせてやるんだから!
ーーーーー
母の形見の『アメジストのペンダント』がクライスラー公爵からの贈り物だと分かり、とても切なくなるレティシアでした。
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