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第6章 エイゼル市に響くウェディングベル
第6章第027話 医学と生物学の講義
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第6章第027話 医学と生物学の講義
・Side:ツキシマ・レイコ
「レイコ殿。今日もよろしくお願いいたします」
地球でい言うところの金曜日。こちらでの呼称は五曜日。アイズン伯爵邸の会議室にて賢者院の方々を招いての講義です。
今週も、コッパー男爵とナガルさんが賢者院から希望者を引き連れてやって来ました。
今までの講義の内容は、新しく出回り始めた紙に必死にメモしていましたから。今まで参加していなかった人とも知識共有はそこそこ出来ているようで、途中参加でも特に問題はありません。
さて。コッパー男爵は物理化学についての講義が希望のようですが。
今日同行されているのは、賢者院に所属している医術師ハーヴ・リーアムさん…この人は王族の方々も担当しているような身分的には偉いお医者さんです。
このお方。話を聞くに、最初はどうにも保守的で私が胡散臭いと来たがらなかったそうですけど。コッパー男爵に説得されてやっと出てきたんだそうです。特に、ユルガルム領から届いた顕微鏡が衝撃的だったようですね。一日中、いろんな物を覗いていたそうです。
というわけで、今日は医学と分子生物学あたりを中心に行きましょうか。
人が細胞から出来ているというあたりの認識は出来ているようですので。午前中は、細胞の構造や細胞分裂の仕組み、"遺伝"の説明。さらに病気やら微生物の話あたりを一通り講義しました。
昼食後の一服の時間です。
「レイコ殿。コッパー卿からはいろいろ聞いてはいるのですが。正直言うと、信じがたい概念ばかりで…」
ハーヴさんが率直な感想をぶつけてきます。
まぁ、いきなり大量の知識をばらまかれても、ついて行くのは大変でしょう。
「でしょうね。ただ、これらはメタ情報ですから」
「メタ情報?」
「例えば演劇で、姫様がピンチの時に、観客が"もうすぐ王子が助けに来るから安心しろ"なんて声かけするとします」
「酷いネタバレだね」
コッパー男爵が突っ込みます。王都には結構でかい劇場があって、演奏やら歌劇やらいろいろ行なわれているそうです。
まぁそれは置いといて。
「そんな感じで、そうであるはず、そうなるはず、そういう事が正解として予め分かっている事をメタ情報と言います。それが正しい情報なのかは、それが証明されたときに明確になると」
「…それは、ここでの講義の内容が正しいかどうかを説明する必要はない…という意味ですかな?」
ハーヴさん、私の言いたいことが分かったようです。
「必要がないと言うよりは、いちいちやっている時間が無いってことです。私が言ったことが正しいかどうか、それをこれからあなた達で証明してください。それらを確かめる技術がないと、どのみち役に立たない知識ですから。もちろん質問されれば答えますが、それが証明できるかはまた別の話です。少し胡散臭いかも?と疑ってくれるくらいでむしろ丁度良いです」
例えば遺伝子…DNAってものがどんな形をしているかはあえて伏せておきましょう。初めて知った人は、絶対感動しますから。
ユルガルム産の顕微鏡。このくらいの顕微鏡なら、細胞分裂くらい観察できそうです。染色液は…酢と鉄と…なんだっけ?まぁこのへんは試行錯誤してもらうしかですが。
「にしても。人からは人が、猫からは猫が生まれる、子が親に似る、正直神の領域の話だと思っていたのですが。こんな簡単に知っても良いのでしょうかね?」
正教国と"私"との関係が一段落付いたことは、広く知られるようになりました。顛末は正教国側でも宣伝してますからね。私自身が宗教を否定しないこと、赤竜教トップであり聖女でもあるリシャーフさんとの間に誼があること。このことをあくまで赤竜教の安定のために存分に利用するようです。
まぁ私とレッドさんが"正解を知っている"のですから。教義が正しいとか経典の解釈とかの主張を今更ひけらかすことがやぶ蛇にしか成らないということは、頭の良い祭司なら受け入れているように思います。
ただ。理解なしに知識だけを受け入れてしまった結果、私がここで講義していることが"教義"みたいになることは避けないといけません。下手すると新赤竜教ってことになも成りかねませんので。ここで語っているのは科学ですよ。あくまで科学。
科学的事実よりイデオロギーを優先させたなんて話は、枚挙にいとまがありません。中世とかの話ではなく、近代でも当たり前にあるのです。
昔ソ連にはルイセンコ主義というものがありました。もともとは、小麦の発芽タイミングに纏わるある農法について、"後天的に獲得した資質が遺伝する"…という学説の一つでした。例えば親が努力して得た才腕なんかが子に遺伝する、この事が革命運動の正しさを示している…なんて話がソ連で起こりまして。
学説の一つのどこが革命的なのかは、私にはよく分かりませんが。努力した結果が遺伝するってのは、共産主義から見るとなにか都合良く見えたのでしょう。生後の努力で得た資質は遺伝しないという本来正解の考えは「ブルジョワ疑似科学」とレッテルを貼られて、多くの遺伝学者が不遇な扱いを受け。例えば農作物の品種改良に誤った見識をもたらし、結果として農作物の生産に多大な悪影響を与えました。これは、1960年代に遺伝物質であるDNAの構造が明確になるまではびこっていたそうです。
ちなみに旧ソ連の学説絡みの話ですが。石油の起源として、生物由来と非生物由来説はどちらも正しいと赤井さんが言ってました。大雑把に、植物の死骸は浅いところでは石炭、深いところでは石油に。それとは別に、地球内部の炭素や水素の化合物が軽いが故に昇ってきて地層に溜まったりもします。
この世界では、石炭紀に当たる時代がありませんでしたので自然の石炭は産出しません。ユルガルムにある石炭みたいな鉱脈は、多分赤井さんが宇宙から降らせたんでしょうね。鉄の生産に炭素は必須ですから、そのために用意されたのでしょう。
ただ、降らせてもらった石炭はそう多くないのでは?と思っていますが。この世界の二酸化炭素はどこ行ったんでしょうね? マナを使った二酸化炭素の処理、そんなシステムが存在していたのでは?と思います。実際、酸素は地球と同じくらいあるようですからね。
石油、黒くて燃える水については現在調査中です。ずっと西の砂漠の国でそういうものがあるという記述が見つかったそうです。…石油と砂漠、イメージ的にはぴったりなんですけどね。壊して困る自然とかが少ないので、石油化学工業には向いている地かもしれません。
ネイルコード国は、正教国以西の国とはまだあまり国交は無いそうです。将来的には、化学工業の原料として必須になるかもしれません。
まぁ大切なのは、自分で検証するという姿勢です。
科学とは、なんとなく数式と小難しい理屈と電気機械で出来ている物のことではありません。物事を論理的に説明しようとする行為が科学なのです。
言葉としてはよく聞く「科学では説明できない」なんて文言は、説明しようとする努力そのものを放棄したのと同義です。理解出来ないから間違っていると言っているのと同じです。そんな理窟に耳を傾ける価値がありますか?
「なるほど。鵜呑みにするのでは無く、証明して説明する努力が進歩の源ですか」
「間違っていると証明する、出来ないと証明する、これらも失敗などではなくすごく重要なことなんです。最悪なのは、失敗をごまかしたり、間違いを認めないことですね」
「然りですな。賢者院の一卒として肝に銘じます。レイコ殿」
ハーヴさんが礼を取ります。今日の講義がこの方にも得る者が合ったのなら、私にも幸いです。
閑話休題。
午後の部です。
細胞の次は、各臓器の話です。心臓に肺、胃に腸。まぁこれくらいは何をしている器官なのかはこの時代の人でも推測が出来ていますが。肝臓、腎臓、膵臓、脾臓あたりになると、実は何をしているのかさっぱりです。
肝臓が吸収した栄養素の管理、腎臓は体内での"燃焼"の結果の廃棄処理、脾臓は血液の管理、膵臓は腸での消化補助と
まぁ質問が大量です。医術師ハーヴさんの食い付きが凄いです。
怪我はどうして治るのか? 発熱とはどうして起こるのか? こういう病気の原因と対策は? 他の人は気後れしてしまって、脇で聴いているだけになっています。
どうも、以前アイリさんに話した栄養学についての報告が彼にも届いていたようで。
「少し落ち着きたまえリーアム卿。レイコ殿が戸惑っておられるぞ」
コッパーさんが、おまゆうばかりに窘めていますが。
「何を言われる! 一つ知れば十の疑問が湧いてくる、しかしそれらに即答してくれる存在がおられるっ! 知識の宝庫がっ! 生きている内に得られるかどうか分からない人体の神秘がっ! 今ここにあるのだぞっ!! 探求者にとってこんな至福があるだろうかっ!」
ああ…目がいっちゃってます。中世の人がウィキペディアを自由に使えたら…こんな感じになるんでしょうね?
「そろそろお茶の時間ですし。休憩にしましょうリーアム様」
「ハーヴとお呼びくださいレイコ殿。そうですな、頭が疲れたときには"炭水化物"でしたな。…お茶の最中にもいろいろ聞いてしまうかもしれませんが、ご寛恕を」
お父さんより年上の人ですので。始まるときに、私のことはレイコと呼んでくれとお願いしていますが。さすがに私からは呼び捨てには出来ませんよ?
…なんか大変なお茶会になりそうです。
お茶の後は、化学的な面からの代謝の話から始まりました。
「うーむ。ユルガルムで講義された"何故製鉄に炭が必要なのか"の話と近しいものがありますな」
以前ユルガルム領に行ったときにコッパー男爵も同行されていたので、その時の話ですね。
「そうですね。このへんの化学反応の考え方はどれも大体同じです」
「ふむ…その"炭水化物"という穀物に主に含まれる炭素と酸素と水素が連なった物質。"脂質"も同じような成分ですな。そこに窒素や他の少量の物質で"タンパク質"となり、体を作っている…えらく少ない種類の材料で我々は作られているのですな…」
「人の体の中でも炭水化物を"燃やして"力を得ているってことです。実際にはもっとややこしいのですが、結果だけ見れば燃やしていると言っていいかと思います」
水素と炭素と酸素と反応させて水と二酸化炭素を生成する。まさに燃焼です。
細胞の中のミトコンドリアでは、その反応から水素イオンと電子を作り、そのエネルギーを使ってATPという物質を生成し、このATPが細胞内でことある毎にエネルギー物質として消費されます。
「材料が木と鉄と石だからって、そこからいろんな物が作れますよね。組み方次第でどんどん複雑になっていくだけです。細胞の中って、薬品混ぜた壺ってよりは、職人街って言った方が良いですよ。指令を出す部分があって、設計図を受け渡しして、部品や薬品を組み立て、人足がそれを運んでいく…って感じですから」
キネシンという細胞内で輸送を司るタンパク質、これを"歩いている"と呼ばない人はいないでしょう。
「…この顕微鏡でないと見えないような細胞の中でそれほどのことが行なわれているのですか?」
「知れば知るほど凄いですよ。細胞がどう"生きている"のかを解明すること、このへんが生物学、いや生命学の到達点です」
「…先が長すぎて目眩がしそうだ」
ここで本当に説明したいのは、細菌とかウィルスについてです。消毒などの重要さをきちんと理解するには、このへんの知識が必要でしょう。
"病気の元"について理解することは衛生に繋がります。感染症はいつの時代も死因のトップでした。私が生きていたころは癌…私もそうでしたけど、これは感染症が減ったから他の病気で死んだというだけの話ですね。本当は抗生物質が出来た時代でも感染症は馬鹿に出来ないのです。
一日かけての講義となりましたが、目に見えない生き物がいるということは、周知して貰えたようです。王国の医学の権威に認めて貰えたのなら、大きな成果と言えるでしょう。
…リーアム様の興奮冷めやらず、なんか夕食後も付き合うことになってしまいましたけど。徹夜は嫌ですよ? この体でも睡魔には勝てないのです。
------------------------------------------------------------------------------
キネシンでYoutube検索してみてください。
細胞内の微小管の上を、作られたタンパク質などを輸送する分子モーター…ではありますが。あれを「歩く」以外の言葉で表現する人はいないでしょう。
・Side:ツキシマ・レイコ
「レイコ殿。今日もよろしくお願いいたします」
地球でい言うところの金曜日。こちらでの呼称は五曜日。アイズン伯爵邸の会議室にて賢者院の方々を招いての講義です。
今週も、コッパー男爵とナガルさんが賢者院から希望者を引き連れてやって来ました。
今までの講義の内容は、新しく出回り始めた紙に必死にメモしていましたから。今まで参加していなかった人とも知識共有はそこそこ出来ているようで、途中参加でも特に問題はありません。
さて。コッパー男爵は物理化学についての講義が希望のようですが。
今日同行されているのは、賢者院に所属している医術師ハーヴ・リーアムさん…この人は王族の方々も担当しているような身分的には偉いお医者さんです。
このお方。話を聞くに、最初はどうにも保守的で私が胡散臭いと来たがらなかったそうですけど。コッパー男爵に説得されてやっと出てきたんだそうです。特に、ユルガルム領から届いた顕微鏡が衝撃的だったようですね。一日中、いろんな物を覗いていたそうです。
というわけで、今日は医学と分子生物学あたりを中心に行きましょうか。
人が細胞から出来ているというあたりの認識は出来ているようですので。午前中は、細胞の構造や細胞分裂の仕組み、"遺伝"の説明。さらに病気やら微生物の話あたりを一通り講義しました。
昼食後の一服の時間です。
「レイコ殿。コッパー卿からはいろいろ聞いてはいるのですが。正直言うと、信じがたい概念ばかりで…」
ハーヴさんが率直な感想をぶつけてきます。
まぁ、いきなり大量の知識をばらまかれても、ついて行くのは大変でしょう。
「でしょうね。ただ、これらはメタ情報ですから」
「メタ情報?」
「例えば演劇で、姫様がピンチの時に、観客が"もうすぐ王子が助けに来るから安心しろ"なんて声かけするとします」
「酷いネタバレだね」
コッパー男爵が突っ込みます。王都には結構でかい劇場があって、演奏やら歌劇やらいろいろ行なわれているそうです。
まぁそれは置いといて。
「そんな感じで、そうであるはず、そうなるはず、そういう事が正解として予め分かっている事をメタ情報と言います。それが正しい情報なのかは、それが証明されたときに明確になると」
「…それは、ここでの講義の内容が正しいかどうかを説明する必要はない…という意味ですかな?」
ハーヴさん、私の言いたいことが分かったようです。
「必要がないと言うよりは、いちいちやっている時間が無いってことです。私が言ったことが正しいかどうか、それをこれからあなた達で証明してください。それらを確かめる技術がないと、どのみち役に立たない知識ですから。もちろん質問されれば答えますが、それが証明できるかはまた別の話です。少し胡散臭いかも?と疑ってくれるくらいでむしろ丁度良いです」
例えば遺伝子…DNAってものがどんな形をしているかはあえて伏せておきましょう。初めて知った人は、絶対感動しますから。
ユルガルム産の顕微鏡。このくらいの顕微鏡なら、細胞分裂くらい観察できそうです。染色液は…酢と鉄と…なんだっけ?まぁこのへんは試行錯誤してもらうしかですが。
「にしても。人からは人が、猫からは猫が生まれる、子が親に似る、正直神の領域の話だと思っていたのですが。こんな簡単に知っても良いのでしょうかね?」
正教国と"私"との関係が一段落付いたことは、広く知られるようになりました。顛末は正教国側でも宣伝してますからね。私自身が宗教を否定しないこと、赤竜教トップであり聖女でもあるリシャーフさんとの間に誼があること。このことをあくまで赤竜教の安定のために存分に利用するようです。
まぁ私とレッドさんが"正解を知っている"のですから。教義が正しいとか経典の解釈とかの主張を今更ひけらかすことがやぶ蛇にしか成らないということは、頭の良い祭司なら受け入れているように思います。
ただ。理解なしに知識だけを受け入れてしまった結果、私がここで講義していることが"教義"みたいになることは避けないといけません。下手すると新赤竜教ってことになも成りかねませんので。ここで語っているのは科学ですよ。あくまで科学。
科学的事実よりイデオロギーを優先させたなんて話は、枚挙にいとまがありません。中世とかの話ではなく、近代でも当たり前にあるのです。
昔ソ連にはルイセンコ主義というものがありました。もともとは、小麦の発芽タイミングに纏わるある農法について、"後天的に獲得した資質が遺伝する"…という学説の一つでした。例えば親が努力して得た才腕なんかが子に遺伝する、この事が革命運動の正しさを示している…なんて話がソ連で起こりまして。
学説の一つのどこが革命的なのかは、私にはよく分かりませんが。努力した結果が遺伝するってのは、共産主義から見るとなにか都合良く見えたのでしょう。生後の努力で得た資質は遺伝しないという本来正解の考えは「ブルジョワ疑似科学」とレッテルを貼られて、多くの遺伝学者が不遇な扱いを受け。例えば農作物の品種改良に誤った見識をもたらし、結果として農作物の生産に多大な悪影響を与えました。これは、1960年代に遺伝物質であるDNAの構造が明確になるまではびこっていたそうです。
ちなみに旧ソ連の学説絡みの話ですが。石油の起源として、生物由来と非生物由来説はどちらも正しいと赤井さんが言ってました。大雑把に、植物の死骸は浅いところでは石炭、深いところでは石油に。それとは別に、地球内部の炭素や水素の化合物が軽いが故に昇ってきて地層に溜まったりもします。
この世界では、石炭紀に当たる時代がありませんでしたので自然の石炭は産出しません。ユルガルムにある石炭みたいな鉱脈は、多分赤井さんが宇宙から降らせたんでしょうね。鉄の生産に炭素は必須ですから、そのために用意されたのでしょう。
ただ、降らせてもらった石炭はそう多くないのでは?と思っていますが。この世界の二酸化炭素はどこ行ったんでしょうね? マナを使った二酸化炭素の処理、そんなシステムが存在していたのでは?と思います。実際、酸素は地球と同じくらいあるようですからね。
石油、黒くて燃える水については現在調査中です。ずっと西の砂漠の国でそういうものがあるという記述が見つかったそうです。…石油と砂漠、イメージ的にはぴったりなんですけどね。壊して困る自然とかが少ないので、石油化学工業には向いている地かもしれません。
ネイルコード国は、正教国以西の国とはまだあまり国交は無いそうです。将来的には、化学工業の原料として必須になるかもしれません。
まぁ大切なのは、自分で検証するという姿勢です。
科学とは、なんとなく数式と小難しい理屈と電気機械で出来ている物のことではありません。物事を論理的に説明しようとする行為が科学なのです。
言葉としてはよく聞く「科学では説明できない」なんて文言は、説明しようとする努力そのものを放棄したのと同義です。理解出来ないから間違っていると言っているのと同じです。そんな理窟に耳を傾ける価値がありますか?
「なるほど。鵜呑みにするのでは無く、証明して説明する努力が進歩の源ですか」
「間違っていると証明する、出来ないと証明する、これらも失敗などではなくすごく重要なことなんです。最悪なのは、失敗をごまかしたり、間違いを認めないことですね」
「然りですな。賢者院の一卒として肝に銘じます。レイコ殿」
ハーヴさんが礼を取ります。今日の講義がこの方にも得る者が合ったのなら、私にも幸いです。
閑話休題。
午後の部です。
細胞の次は、各臓器の話です。心臓に肺、胃に腸。まぁこれくらいは何をしている器官なのかはこの時代の人でも推測が出来ていますが。肝臓、腎臓、膵臓、脾臓あたりになると、実は何をしているのかさっぱりです。
肝臓が吸収した栄養素の管理、腎臓は体内での"燃焼"の結果の廃棄処理、脾臓は血液の管理、膵臓は腸での消化補助と
まぁ質問が大量です。医術師ハーヴさんの食い付きが凄いです。
怪我はどうして治るのか? 発熱とはどうして起こるのか? こういう病気の原因と対策は? 他の人は気後れしてしまって、脇で聴いているだけになっています。
どうも、以前アイリさんに話した栄養学についての報告が彼にも届いていたようで。
「少し落ち着きたまえリーアム卿。レイコ殿が戸惑っておられるぞ」
コッパーさんが、おまゆうばかりに窘めていますが。
「何を言われる! 一つ知れば十の疑問が湧いてくる、しかしそれらに即答してくれる存在がおられるっ! 知識の宝庫がっ! 生きている内に得られるかどうか分からない人体の神秘がっ! 今ここにあるのだぞっ!! 探求者にとってこんな至福があるだろうかっ!」
ああ…目がいっちゃってます。中世の人がウィキペディアを自由に使えたら…こんな感じになるんでしょうね?
「そろそろお茶の時間ですし。休憩にしましょうリーアム様」
「ハーヴとお呼びくださいレイコ殿。そうですな、頭が疲れたときには"炭水化物"でしたな。…お茶の最中にもいろいろ聞いてしまうかもしれませんが、ご寛恕を」
お父さんより年上の人ですので。始まるときに、私のことはレイコと呼んでくれとお願いしていますが。さすがに私からは呼び捨てには出来ませんよ?
…なんか大変なお茶会になりそうです。
お茶の後は、化学的な面からの代謝の話から始まりました。
「うーむ。ユルガルムで講義された"何故製鉄に炭が必要なのか"の話と近しいものがありますな」
以前ユルガルム領に行ったときにコッパー男爵も同行されていたので、その時の話ですね。
「そうですね。このへんの化学反応の考え方はどれも大体同じです」
「ふむ…その"炭水化物"という穀物に主に含まれる炭素と酸素と水素が連なった物質。"脂質"も同じような成分ですな。そこに窒素や他の少量の物質で"タンパク質"となり、体を作っている…えらく少ない種類の材料で我々は作られているのですな…」
「人の体の中でも炭水化物を"燃やして"力を得ているってことです。実際にはもっとややこしいのですが、結果だけ見れば燃やしていると言っていいかと思います」
水素と炭素と酸素と反応させて水と二酸化炭素を生成する。まさに燃焼です。
細胞の中のミトコンドリアでは、その反応から水素イオンと電子を作り、そのエネルギーを使ってATPという物質を生成し、このATPが細胞内でことある毎にエネルギー物質として消費されます。
「材料が木と鉄と石だからって、そこからいろんな物が作れますよね。組み方次第でどんどん複雑になっていくだけです。細胞の中って、薬品混ぜた壺ってよりは、職人街って言った方が良いですよ。指令を出す部分があって、設計図を受け渡しして、部品や薬品を組み立て、人足がそれを運んでいく…って感じですから」
キネシンという細胞内で輸送を司るタンパク質、これを"歩いている"と呼ばない人はいないでしょう。
「…この顕微鏡でないと見えないような細胞の中でそれほどのことが行なわれているのですか?」
「知れば知るほど凄いですよ。細胞がどう"生きている"のかを解明すること、このへんが生物学、いや生命学の到達点です」
「…先が長すぎて目眩がしそうだ」
ここで本当に説明したいのは、細菌とかウィルスについてです。消毒などの重要さをきちんと理解するには、このへんの知識が必要でしょう。
"病気の元"について理解することは衛生に繋がります。感染症はいつの時代も死因のトップでした。私が生きていたころは癌…私もそうでしたけど、これは感染症が減ったから他の病気で死んだというだけの話ですね。本当は抗生物質が出来た時代でも感染症は馬鹿に出来ないのです。
一日かけての講義となりましたが、目に見えない生き物がいるということは、周知して貰えたようです。王国の医学の権威に認めて貰えたのなら、大きな成果と言えるでしょう。
…リーアム様の興奮冷めやらず、なんか夕食後も付き合うことになってしまいましたけど。徹夜は嫌ですよ? この体でも睡魔には勝てないのです。
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細胞内の微小管の上を、作られたタンパク質などを輸送する分子モーター…ではありますが。あれを「歩く」以外の言葉で表現する人はいないでしょう。
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