獣人王と番の寵妃

沖田弥子

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閨房 1

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「とんでもありません! 僕には勿体ない官位です」
「遠慮するな。心優しく慎ましやかな天には最高の位が似合う。だが正妃は子を成さねば封じられないのが国の規律なのだ。王の正妃となるのにも順序がある。発情期が訪れて初夜を迎えれば、いずれは懐妊して正妃に冊封されるだろう」
「そんなこと……」

 来たるべき近い未来を示されて、天は声を萎ませる。
 そんなこと、望んでいないのに。
 エドは天が正妃に昇格してこそ幸せになれると信じているのだ。それは至極当然のことであり、天の考えが間違っているのである。
 エドへの恋心を打ち明けてはいけない。彼が正妃にと勧めるのも、政治的な配慮があってのことかもしれない。王の側近は大勢いるであろうから、頭角を現わすためには高位の妃も味方につける必要がある。それに天が獣人王の子を宿せば、ふたりの間にはなにもなかったという身の潔白の証明になる。
 獣人王の子を孕むことが、これからの天がエドのためにすべきことなのだ。
 両手を胸の前で握りしめて震える天に、エドはそっと囁いた。

「天はまだ無垢で幼い。初夜を迎える前に、私が閨の作法を伝授しよう」
「えっ……」

 誰とも性的な交渉を持ったことのない天は、閨房のことはなにも分からない。発情期も未だに訪れていないので、性的興奮を覚えたこともなかった。
 確かに初夜で獣人王に失礼があってはいけないので、事前に夜伽の指南をしていただく必要があるだろう。エドが講師として教授してくれるのだろうか。

「は、はい。よろしくお願いします」

 深くお辞儀をした天に、エドは目許を緩ませた。



 獣人王から与えられた天のための宮殿は、後宮の数ある宮殿のなかでもっとも格式の高いものだという。白亜の大理石で造られ、精緻な彫刻が彩る気品溢れる外観もさることながら、緻密なアラベスク模様が施された床や、壁を飾る透かし彫りは壮麗なもので、それらは芸術の域である。時代が異なれば多くの人々に公開される博物館のような様相だが、この宮殿はアバスカル王に愛された寵妃だけのものだ。
 カルドナ国に後宮制度が整えられてから何代にも渡り、王が愛でたオメガたちには妃の位とそれに応じた住まいが与えられた。そのなかでも正妃に次ぐ権威と名誉ある位が寵妃である。
 王の愛情を独占した歴代の寵妃たちが愛でた宮殿の中央に鎮座する紫檀の椅子に、天は心許なく座っていた。
 エドに刑務庭から救い出され、寵妃の封号を賜ってから生活は一変した。
 宮殿には豪奢な意匠の椅子や卓、螺鈿細工が施された箪笥が運び込まれ、最高級の着物や黄金の装飾が部屋から溢れるほど届けられた。黎を始めとした宮男が着替えなど身の回りのことをしてくれて、食事の時間になれば宮廷料理人が作った豪勢な料理が卓に並ぶ。勉学には専任の講師が宮殿に赴き、勉強部屋にて指南してくれた。遅刻を気にしたり、埃に塗れて掃除を行う必要はなくなった。誰もが寵妃である天に膝を折り、敬意を表す。
 そんな生活に未だに慣れないのだが、寵妃として学ぶべき勉学のひとつとして外せない閨房が控えていた。エドが夜伽を指南してくれるとのことで、講師と生徒としてまた会えると秘かに胸を弾ませていたのだが、どうやらその勉学は天の予想を遥かに超えるものだったらしい。
 風呂上がりに香油を塗り込まれて薄絹に身を包んだ天は、蝋燭の明かりが照らす扉を緊張の面持ちで凝視した。
 もうすぐエドが宮殿にやってくる。それも支度をして夜に行うということは、閨房は座学ではなく実地を伴うものだったらしい。他の講義と同じように教本をなぞるだけだと思い込んでいたため、黎が寝所を整えて枕をふたつ並べているところを目撃したときは仰天した。

「でも、まさか、最後までしないよね……?」

 つい自分で呟いた台詞に恥ずかしくなり、頬を朱に染める。
 あくまでも指南なのだから、作法を指導するだけだと思われる。分かっているのに妙な期待に胸が昂ぶってしまい、さらに緊張が掻き立てられる。
 そのとき扉が開く音がして、エドが姿を現わした。寝衣のような薄絹の上に厚手の羽織を纏っている。天は慌てて椅子から立ち上がった。

「お待ちしておりました、講師様。ご指導、よろしくお願いいたします」
「緊張せずともよい。……と、言いたいところだが、足が震えているな」

 エドは朗らかに微笑みながら、震える華奢な足を見下ろした。緊張のあまり、足も唇も、無様に戦慄いてしまっている。

「あ、あの……」
「そういうところも可愛らしい。さあ、おいで」

 ふわりと抱きかかえられて、天の足は宙に浮く。運ばれた寝所は純白に統一された室内に、青白い月明かりが射し込んでいた。
 まるで深い海の底のようだ。幻想的な光景に目を奪われて、身体を下ろされた天は暫し満月を仰ぐ。エドに肩を抱かれて、彼のぬくもりに包まれながら眺める月は格別の美しさだった。
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