56 / 164
第五十五話:黄金色の波紋と、一人の夜明け
しおりを挟む
夜明けと共に、ランドールの街は、黄金色に染まった。
俺の実験農場に咲き誇った、無数のひまわり。その噂は、春一番の風よりも速く、城壁の街の隅々にまで駆け巡った。
日の出から間もなく、農場の古びた木の扉の前には、噂を聞きつけた人々による、長蛇の列ができていた。彼らは、身なりの良い商人から、埃っぽい作業着を着た職人、そして好奇心に目を輝かせる子供たちまで、様々だった。誰もが、長い冬の終わりと、本物の春の到来を告げるという、奇跡の光景を一目見ようと、胸を躍らせていた。
「すごい……本当に、畑が、光ってるみてえだ……」
「なんてこった……春は、もう来ていたんだな……」
扉の隙間から、黄金色の海を垣間見た人々から、感嘆のため息が漏れる。その声は、もはや単なる噂話への好奇心ではない。厳しい冬を己の力で乗り越え、春の訪れを心から待ち望んでいた、この辺境に生きる全ての人々の、魂の共鳴そのものだった。
その歓喜の輪の中心で、俺は、少しだけ照れくさいような、しかし誇らしいような気持ちで、来訪者たちの整理にあたっていた。
「順番に、どうぞ!押さないでくださいね!」
俺の隣では、エレナ様が、いつもの農作業着姿で、満面の笑みを浮かべながら、楽しそうに来場者たちを案内している。その姿は、もはや深窓の令嬢ではなく、自らが育てた宝物を、誇らしげに披露する、若き農場の主そのものだった。
「エレナお嬢様!そのような者たちと、気安くお言葉を交わされては、辺境伯家の威信が……!」
後方でセバスチャンが悲鳴に近い声を上げているが、その声も、人々の歓声と、ざわめきの中に、心地よく溶けていく。農場の入り口では、ギデオンが鉄仮面のような表情で仁王立ちになり、殺到する人々が秩序を乱さぬよう、その無言の威圧感だけで、完璧な交通整理を行っていた。
穏やかで、温かく、そして希望に満ちた光景。俺が、この世界で守りたいと願った、新しい日常の姿だった。
◇
その同じ朝。
歓喜の喧騒は、まだここまで届かない。貧min街の外れ、城壁が投げかける冷たい影の中に、トーマスは一人で立っていた。夜明けの光は、まだ彼の足元にある石ころだらけの痩せた土地を、暖めるには至らない。彼は、何十年もの間、彼の一族から希望を奪い続けてきた絶望の象徴を前に、静かに息を整えた。
その手には、まるで夜明け前の空気を切り取って鍛え上げたかのような、一本の美しい鋤――『疾風(ゲイル)』が、静かな輝きを放って握られている。
(……本当に、夢じゃねえんだな)
数日前、あの救世主の少年と、伝説の鍛冶屋ゴードンに託された、革命の翼。その時の、土が絹のように裂ける、あの信じがたい感触。そして、心の底から湧き上がってきた、熱い涙の味。その全てが、まだ生々しく、彼の全身に残っていた。
だが、同時に、鉛のような不安が腹の底に渦巻いていた。もし、あれが、ただの夢だったら?あの場所だから起きた、特別な奇跡だったとしたら?この、呪われた俺の畑で、同じ奇跡が起きる保証など、どこにもない。もし、これで何も変わらなかったら。今度こそ、俺の心は、完全に折れてしまうだろう。
彼は、鋤の柄を強く握りしめた。長年の過酷な労働で、木の皮のように硬くなった手のひら。その感触が、あまりにも軽く、滑らかな柄の感触に、まだ戸惑っている。
(いや……)
彼は、かぶりを振った。あの少年の目は、本物だった。あの鍛冶屋の魂も、本物だった。疑うべきは、奇跡じゃない。自分の、腐りきった心の方だ。
脳裏に、妻の、疲れ果てた顔が浮かぶ。そして、いつも腹を空かせ、父親の顔色を窺うように生きる、幼い息子の姿が。
(あいつらに、腹いっぱいの、甘い芋を食わせてやるんだ……!)
その想いが、最後の疑念を振り払う。彼は、深く、深く息を吸い込んだ。春の、まだ冷たい空気が、彼の肺を満たす。そして、あの少年の言葉を思い出す。
『力を、抜いてください。……喧嘩の構えは、もう要りません』
トーマスは、ゆっくりと全身の力を抜いた。何十年もの間、大地と戦うために、常に鎧のように身につけていた、無意識の緊張を、解き放っていく。
そして、まるで赤子の頭でも撫でるかのように、そっと、『疾風』の刃を、まだ固く、痩せこけた大地へと、滑らせた。
**サ……。**
音が、した。
それは、鋼が土を砕く音ではなかった。
春のそよ風が、若草の葉を、優しく撫でる音だった。
抵抗がない。
トーマスの腕に、いつも彼を苦しめていた、あの忌まわしい衝撃が、全く伝わってこない。刃は、まるで、春の雪解け水を、ナイフで切り分けるかのように、何の躊躇もなく、黒い土の中へと、滑るように吸い込まれていった。肉体的な衝撃の欠如は、彼の脳が理解するよりも早く、魂に直接、歓喜の衝撃をもたらした。
「……おお……」
彼の口から、感嘆の声が漏れる。彼は、信じられないというように、もう一度、今度は少しだけ歩きながら、鋤を引いた。
**サァァァ……。**
まるで、黒い絹の布を、鋭いハサミで切り裂いていくかのように。彼の歩みに合わせて、大地が、いともたやすく、美しい畝となって、めくれ上がっていく。掘り起こされた土は、まだ痩せてはいるが、それでも確かに、生命の匂いを放っていた。
それは、もはや労働ではなかった。大地との、対話。あるいは、舞踊だった。
トーマスは、夢中で鋤を振るい続けた。
夜明けと共に始まり、太陽が真上に昇っても、彼は手を止めなかった。空腹も、喉の渇きも、忘れていた。ただ、何十年も自分を苦しめてきた絶望が、自らの手によって、希望へと塗り替えられていく、その快感だけが、彼の体を突き動かしていた。
「……父ちゃん?」
昼過ぎ、小さな影が、おずおずと畑に近づいてきた。彼の、七つになる一人息子、アルだった。その手には、小さな黒パンが一つ、大事そうに握られている。
「……アルか。母ちゃんは、どうした」
「母ちゃんが、父ちゃん、朝から何も食べてないから、これ、持ってけって……」
息子は、父親の、鬼気迫るほどの集中力に、少しだけ怯えているようだった。父親がこんなにも長い時間、楽しそうに畑仕事をする姿を、彼は今まで見たことがなかった。
だが、トーマスが振り返った時、その顔に浮かんでいたのは、いつものような疲労と苛立ちに満ちた表情ではなかった。汗と泥にまみれながらも、その口元には、アルが生まれてから、一度も見たことのないような、心の底からの笑顔が浮かんでいたのだ。
「父ちゃん……笑ってる……?」
アルの、子供らしい純粋な問い。その一言が、トーマスの胸を強く打った。
「……父ちゃん、もう、怒ってないの?」
いつも眉間に皺を寄せ、些細なことで怒鳴っていた父親。その姿が、この子の心にどれだけの影を落としていたか。トーマスは、今更ながらに思い知らされた。
「……ああ」
彼は、鋤を置くと、息子の前にしゃがみ込んだ。そして、その小さな頭を、土のついた大きな手で、ぐしゃぐしゃと撫でた。
「もう、怒らねえ。父ちゃんはな、今日から、この畑と、お前たちと、笑って生きていくって、決めたんだ」
「見てみろ、アル。父ちゃんの、新しい畑だ」
彼が指さした先には、信じがたい光景が広がっていた。たった半日で、あの石ころだらけの絶望の畑の、三分の一以上が、まるで別の土地のように、美しい畝となって生まれ変わっていたのだ。
「……すごい……」
アルの、小さな口から、感嘆の声が漏れる。
「ああ、すごいだろう。……アル、お前に、腹いっぱいの、甘い芋を食わせてやれる日が、もうすぐそこまで来てるんだ」
トーマスの声は、震えていた。だが、それはもう、絶望の涙声ではなかった。未来への、確かな希望に満ちた、力強い声だった。
その日の夕食。トーマスの家の食卓には、いつもより、ほんの少しだけ大きいジャガイモのスープが並んだ。そして、いつもは無言で、ただ黙々と食事をかき込むだけだった父親が、初めて、自らの仕事の話を、妻に、そして息子に、生き生きと語って聞かせた。 土の感触が、どう変わったか。 鋤が、いかに風のように軽いか。 そして、あの救世主の少年が、どんなにすごい知恵を持っているか。 その話を聞く、妻と息子の目もまた、父親と同じように、希望の光で輝いていた。 (……この人が、こんなに楽しそうに仕事の話をするなんて、結婚してから初めてかもしれない……) 妻は、夫の饒舌な姿に戸惑いながらも、その横顔を、涙が滲むのをこらえながら見つめていた。いつも眉間に深く刻まれていた皺が、今はどこにもない。あの鋤が、あの少年が、ただ畑を変えたのではない。この人を、そして、この凍てついた家族の心を、根っこから耕し直してくれたのだ。彼女は、静かに、しかし深く、まだ見ぬ救世主の少年に、心の底から感謝した。
その話を聞く、妻と息子の目もまた、父親と同じように、希望の光で輝いていた。
(……この人が、こんなに楽しそうに仕事の話をするなんて、結婚してから初めてかもしれない……)
妻は、夫の饒舌な姿に戸惑いながらも、その横顔を、涙が滲むのをこらえながら見つめていた。いつも眉間に深く刻まれていた皺が、今はどこにもない。あの鋤が、あの少年が、ただ畑を変えたのではない。この人を、そして、この凍てついた家族の心を、根っこから耕し直してくれたのだ。彼女は、静かに、しかし深く、まだ見ぬ救世主の少年に、心の底から感謝した。
痩せた畑の片隅で始まった、一人の男の夜明け。
その小さな光は、まだ誰にも知られることなく、しかし確実に、この辺境の地に、新しい時代の訪れを告げていた。
【読者へのメッセージ】
第五十五話、お読みいただきありがとうございました!
今回は、ひまわり畑の喧騒から少し離れ、革命の道具『疾風』を手にした一人の農夫、トーマスの物語を、じっくりと描かせていただきました。彼の絶望が希望に変わる瞬間、そして家族の食卓に訪れた小さな変化。この静かな感動を、皆さんと共有できていれば幸いです。
「トーマスさんの涙に、もらい泣きした!」「疾風の切れ味、想像以上!」「家族の食卓、温かい…」など、皆さんの感想や応援が、トーマスの畑に、さらなる豊穣をもたらす力になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
一人の農夫の心に、確かな革命は始まりました。この小さな波紋は、やがてランドールの街全体を巻き込む、大きなうねりとなっていきます。次回、ゴードンの工房に、新たな挑戦者たちが集う…!?どうぞお見逃しなく!
俺の実験農場に咲き誇った、無数のひまわり。その噂は、春一番の風よりも速く、城壁の街の隅々にまで駆け巡った。
日の出から間もなく、農場の古びた木の扉の前には、噂を聞きつけた人々による、長蛇の列ができていた。彼らは、身なりの良い商人から、埃っぽい作業着を着た職人、そして好奇心に目を輝かせる子供たちまで、様々だった。誰もが、長い冬の終わりと、本物の春の到来を告げるという、奇跡の光景を一目見ようと、胸を躍らせていた。
「すごい……本当に、畑が、光ってるみてえだ……」
「なんてこった……春は、もう来ていたんだな……」
扉の隙間から、黄金色の海を垣間見た人々から、感嘆のため息が漏れる。その声は、もはや単なる噂話への好奇心ではない。厳しい冬を己の力で乗り越え、春の訪れを心から待ち望んでいた、この辺境に生きる全ての人々の、魂の共鳴そのものだった。
その歓喜の輪の中心で、俺は、少しだけ照れくさいような、しかし誇らしいような気持ちで、来訪者たちの整理にあたっていた。
「順番に、どうぞ!押さないでくださいね!」
俺の隣では、エレナ様が、いつもの農作業着姿で、満面の笑みを浮かべながら、楽しそうに来場者たちを案内している。その姿は、もはや深窓の令嬢ではなく、自らが育てた宝物を、誇らしげに披露する、若き農場の主そのものだった。
「エレナお嬢様!そのような者たちと、気安くお言葉を交わされては、辺境伯家の威信が……!」
後方でセバスチャンが悲鳴に近い声を上げているが、その声も、人々の歓声と、ざわめきの中に、心地よく溶けていく。農場の入り口では、ギデオンが鉄仮面のような表情で仁王立ちになり、殺到する人々が秩序を乱さぬよう、その無言の威圧感だけで、完璧な交通整理を行っていた。
穏やかで、温かく、そして希望に満ちた光景。俺が、この世界で守りたいと願った、新しい日常の姿だった。
◇
その同じ朝。
歓喜の喧騒は、まだここまで届かない。貧min街の外れ、城壁が投げかける冷たい影の中に、トーマスは一人で立っていた。夜明けの光は、まだ彼の足元にある石ころだらけの痩せた土地を、暖めるには至らない。彼は、何十年もの間、彼の一族から希望を奪い続けてきた絶望の象徴を前に、静かに息を整えた。
その手には、まるで夜明け前の空気を切り取って鍛え上げたかのような、一本の美しい鋤――『疾風(ゲイル)』が、静かな輝きを放って握られている。
(……本当に、夢じゃねえんだな)
数日前、あの救世主の少年と、伝説の鍛冶屋ゴードンに託された、革命の翼。その時の、土が絹のように裂ける、あの信じがたい感触。そして、心の底から湧き上がってきた、熱い涙の味。その全てが、まだ生々しく、彼の全身に残っていた。
だが、同時に、鉛のような不安が腹の底に渦巻いていた。もし、あれが、ただの夢だったら?あの場所だから起きた、特別な奇跡だったとしたら?この、呪われた俺の畑で、同じ奇跡が起きる保証など、どこにもない。もし、これで何も変わらなかったら。今度こそ、俺の心は、完全に折れてしまうだろう。
彼は、鋤の柄を強く握りしめた。長年の過酷な労働で、木の皮のように硬くなった手のひら。その感触が、あまりにも軽く、滑らかな柄の感触に、まだ戸惑っている。
(いや……)
彼は、かぶりを振った。あの少年の目は、本物だった。あの鍛冶屋の魂も、本物だった。疑うべきは、奇跡じゃない。自分の、腐りきった心の方だ。
脳裏に、妻の、疲れ果てた顔が浮かぶ。そして、いつも腹を空かせ、父親の顔色を窺うように生きる、幼い息子の姿が。
(あいつらに、腹いっぱいの、甘い芋を食わせてやるんだ……!)
その想いが、最後の疑念を振り払う。彼は、深く、深く息を吸い込んだ。春の、まだ冷たい空気が、彼の肺を満たす。そして、あの少年の言葉を思い出す。
『力を、抜いてください。……喧嘩の構えは、もう要りません』
トーマスは、ゆっくりと全身の力を抜いた。何十年もの間、大地と戦うために、常に鎧のように身につけていた、無意識の緊張を、解き放っていく。
そして、まるで赤子の頭でも撫でるかのように、そっと、『疾風』の刃を、まだ固く、痩せこけた大地へと、滑らせた。
**サ……。**
音が、した。
それは、鋼が土を砕く音ではなかった。
春のそよ風が、若草の葉を、優しく撫でる音だった。
抵抗がない。
トーマスの腕に、いつも彼を苦しめていた、あの忌まわしい衝撃が、全く伝わってこない。刃は、まるで、春の雪解け水を、ナイフで切り分けるかのように、何の躊躇もなく、黒い土の中へと、滑るように吸い込まれていった。肉体的な衝撃の欠如は、彼の脳が理解するよりも早く、魂に直接、歓喜の衝撃をもたらした。
「……おお……」
彼の口から、感嘆の声が漏れる。彼は、信じられないというように、もう一度、今度は少しだけ歩きながら、鋤を引いた。
**サァァァ……。**
まるで、黒い絹の布を、鋭いハサミで切り裂いていくかのように。彼の歩みに合わせて、大地が、いともたやすく、美しい畝となって、めくれ上がっていく。掘り起こされた土は、まだ痩せてはいるが、それでも確かに、生命の匂いを放っていた。
それは、もはや労働ではなかった。大地との、対話。あるいは、舞踊だった。
トーマスは、夢中で鋤を振るい続けた。
夜明けと共に始まり、太陽が真上に昇っても、彼は手を止めなかった。空腹も、喉の渇きも、忘れていた。ただ、何十年も自分を苦しめてきた絶望が、自らの手によって、希望へと塗り替えられていく、その快感だけが、彼の体を突き動かしていた。
「……父ちゃん?」
昼過ぎ、小さな影が、おずおずと畑に近づいてきた。彼の、七つになる一人息子、アルだった。その手には、小さな黒パンが一つ、大事そうに握られている。
「……アルか。母ちゃんは、どうした」
「母ちゃんが、父ちゃん、朝から何も食べてないから、これ、持ってけって……」
息子は、父親の、鬼気迫るほどの集中力に、少しだけ怯えているようだった。父親がこんなにも長い時間、楽しそうに畑仕事をする姿を、彼は今まで見たことがなかった。
だが、トーマスが振り返った時、その顔に浮かんでいたのは、いつものような疲労と苛立ちに満ちた表情ではなかった。汗と泥にまみれながらも、その口元には、アルが生まれてから、一度も見たことのないような、心の底からの笑顔が浮かんでいたのだ。
「父ちゃん……笑ってる……?」
アルの、子供らしい純粋な問い。その一言が、トーマスの胸を強く打った。
「……父ちゃん、もう、怒ってないの?」
いつも眉間に皺を寄せ、些細なことで怒鳴っていた父親。その姿が、この子の心にどれだけの影を落としていたか。トーマスは、今更ながらに思い知らされた。
「……ああ」
彼は、鋤を置くと、息子の前にしゃがみ込んだ。そして、その小さな頭を、土のついた大きな手で、ぐしゃぐしゃと撫でた。
「もう、怒らねえ。父ちゃんはな、今日から、この畑と、お前たちと、笑って生きていくって、決めたんだ」
「見てみろ、アル。父ちゃんの、新しい畑だ」
彼が指さした先には、信じがたい光景が広がっていた。たった半日で、あの石ころだらけの絶望の畑の、三分の一以上が、まるで別の土地のように、美しい畝となって生まれ変わっていたのだ。
「……すごい……」
アルの、小さな口から、感嘆の声が漏れる。
「ああ、すごいだろう。……アル、お前に、腹いっぱいの、甘い芋を食わせてやれる日が、もうすぐそこまで来てるんだ」
トーマスの声は、震えていた。だが、それはもう、絶望の涙声ではなかった。未来への、確かな希望に満ちた、力強い声だった。
その日の夕食。トーマスの家の食卓には、いつもより、ほんの少しだけ大きいジャガイモのスープが並んだ。そして、いつもは無言で、ただ黙々と食事をかき込むだけだった父親が、初めて、自らの仕事の話を、妻に、そして息子に、生き生きと語って聞かせた。 土の感触が、どう変わったか。 鋤が、いかに風のように軽いか。 そして、あの救世主の少年が、どんなにすごい知恵を持っているか。 その話を聞く、妻と息子の目もまた、父親と同じように、希望の光で輝いていた。 (……この人が、こんなに楽しそうに仕事の話をするなんて、結婚してから初めてかもしれない……) 妻は、夫の饒舌な姿に戸惑いながらも、その横顔を、涙が滲むのをこらえながら見つめていた。いつも眉間に深く刻まれていた皺が、今はどこにもない。あの鋤が、あの少年が、ただ畑を変えたのではない。この人を、そして、この凍てついた家族の心を、根っこから耕し直してくれたのだ。彼女は、静かに、しかし深く、まだ見ぬ救世主の少年に、心の底から感謝した。
その話を聞く、妻と息子の目もまた、父親と同じように、希望の光で輝いていた。
(……この人が、こんなに楽しそうに仕事の話をするなんて、結婚してから初めてかもしれない……)
妻は、夫の饒舌な姿に戸惑いながらも、その横顔を、涙が滲むのをこらえながら見つめていた。いつも眉間に深く刻まれていた皺が、今はどこにもない。あの鋤が、あの少年が、ただ畑を変えたのではない。この人を、そして、この凍てついた家族の心を、根っこから耕し直してくれたのだ。彼女は、静かに、しかし深く、まだ見ぬ救世主の少年に、心の底から感謝した。
痩せた畑の片隅で始まった、一人の男の夜明け。
その小さな光は、まだ誰にも知られることなく、しかし確実に、この辺境の地に、新しい時代の訪れを告げていた。
【読者へのメッセージ】
第五十五話、お読みいただきありがとうございました!
今回は、ひまわり畑の喧騒から少し離れ、革命の道具『疾風』を手にした一人の農夫、トーマスの物語を、じっくりと描かせていただきました。彼の絶望が希望に変わる瞬間、そして家族の食卓に訪れた小さな変化。この静かな感動を、皆さんと共有できていれば幸いです。
「トーマスさんの涙に、もらい泣きした!」「疾風の切れ味、想像以上!」「家族の食卓、温かい…」など、皆さんの感想や応援が、トーマスの畑に、さらなる豊穣をもたらす力になります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
一人の農夫の心に、確かな革命は始まりました。この小さな波紋は、やがてランドールの街全体を巻き込む、大きなうねりとなっていきます。次回、ゴードンの工房に、新たな挑戦者たちが集う…!?どうぞお見逃しなく!
70
あなたにおすすめの小説
二度目の異世界では女神に押し付けられた世界を救い世界を漫遊する予定だが・・・・。
黒ハット
ファンタジー
主人公は1回目の異世界では勇者に選ばれ魔王を倒し英雄と呼ばれた。そんな彼は日本に戻り、サラリーマンとしてのんびり暮らしていた。だが異世界の女神様との契約によって再び異世界に転生する事になる。1回目から500年後の異世界は1回目と違い文明は進んでいたが神の紋章を授ける教会が権力を持ちモンスターが多くなっていた。主人公は公爵家の長男に転生したが、弟に家督を譲り自ら公爵家を出て冒険者として生きて行く。そんな彼が仲間に恵まれ万能ギフトを使い片手間に邪王を倒し世界を救い世界を漫遊するつもりだが果たしてどうなる事やら・・・・・・。
外れスキルは、レベル1!~異世界転生したのに、外れスキルでした!
武蔵野純平
ファンタジー
異世界転生したユウトは、十三歳になり成人の儀式を受け神様からスキルを授かった。
しかし、授かったスキルは『レベル1』という聞いたこともないスキルだった。
『ハズレスキルだ!』
同世代の仲間からバカにされるが、ユウトが冒険者として活動を始めると『レベル1』はとんでもないチートスキルだった。ユウトは仲間と一緒にダンジョンを探索し成り上がっていく。
そんなユウトたちに一人の少女た頼み事をする。『お父さんを助けて!』
【土壌改良】で死の荒野がSランク農園に!食べただけでレベルアップする野菜で、世界最強ギルド設立
黒崎隼人
ファンタジー
「え? これ、ただのトマトですよ?」
「いいえ、それは食べただけで魔力が全回復する『神の果実』です!」
ブラック企業で働き詰めだった青年は、異世界の名門貴族の三男・ノアとして転生する。
しかし、授かったスキルは【土壌改良】という地味なもの。
「攻撃魔法も使えない役立たず」と罵られ、魔物すら寄り付かない死の荒野へ追放されてしまう。
だが、彼らは知らなかった。
ノアのスキルは、現代の農業知識と合わせることで、荒れ果てた土地を「Sランク食材」が溢れる楽園に変えるチート能力だったことを!
伝説の魔獣(もふもふ)をキュウリ一本で手懐け、行き倒れた天才エルフを極上スープで救い出し、気づけば荒野には巨大な「農業ギルド」が誕生していた。
これは、本人がただ美味しい野菜を作ってのんびり暮らしたいだけなのに、周囲からは「世界を救う大賢者」と崇められてしまう、無自覚・最強の農業ファンタジー!
異世界転生はどん底人生の始まり~一時停止とステータス強奪で快適な人生を掴み取る!
夢・風魔
ファンタジー
若くして死んだ男は、異世界に転生した。恵まれた環境とは程遠い、ダンジョンの上層部に作られた居住区画で孤児として暮らしていた。
ある日、ダンジョンモンスターが暴走するスタンピードが発生し、彼──リヴァは死の縁に立たされていた。
そこで前世の記憶を思い出し、同時に転生特典のスキルに目覚める。
視界に映る者全ての動きを停止させる『一時停止』。任意のステータスを一日に1だけ奪い取れる『ステータス強奪』。
二つのスキルを駆使し、リヴァは地上での暮らしを夢見て今日もダンジョンへと潜る。
*カクヨムでも先行更新しております。
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?
転生魔竜~異世界ライフを謳歌してたら世界最強最悪の覇者となってた?~
アズドラ
ファンタジー
主人公タカトはテンプレ通り事故で死亡、運よく異世界転生できることになり神様にドラゴンになりたいとお願いした。 夢にまで見た異世界生活をドラゴンパワーと現代地球の知識で全力満喫! 仲間を増やして夢を叶える王道、テンプレ、モリモリファンタジー。
捨てられた前世【大賢者】の少年、魔物を食べて世界最強に、そして日本へ
月城 友麻
ファンタジー
辺境伯の三男坊として転生した大賢者は、無能を装ったがために暗黒の森へと捨てられてしまう。次々と魔物に襲われる大賢者だったが、魔物を食べて生き残る。
こうして大賢者は魔物の力を次々と獲得しながら強くなり、最後には暗黒の森の王者、暗黒龍に挑み、手下に従えることに成功した。しかし、この暗黒龍、人化すると人懐っこい銀髪の少女になる。そして、ポーチから出したのはなんとiPhone。明かされる世界の真実に大賢者もビックリ。
そして、ある日、生まれ故郷がスタンピードに襲われる。大賢者は自分を捨てた父に引導を渡し、街の英雄として凱旋を果たすが、それは物語の始まりに過ぎなかった。
太陽系最果ての地で壮絶な戦闘を超え、愛する人を救うために目指したのはなんと日本。
テンプレを超えた壮大なファンタジーが今、始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる