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第九十七話:腐食する大地と、錆びない魂
しおりを挟むドゴォォォン!!
耳をつんざく轟音と共に、俺たちが血と汗を流して積み上げた石壁が、脆くも崩れ去った。
舞い上がる土煙の向こうから現れたのは、悪夢を具現化したような、赤黒いヘドロの巨人だった。
その体躯(たいく)は、開拓村で一番大きな納屋よりも遥かに巨大だ。不定形の体表には、無数の気泡が沸き立ち、弾けては毒々しい紫色のガスを撒き散らしている。這いずった跡の地面は、瞬く間に黒く変色し、せっかく芽吹いたばかりの作物たちが、悲鳴を上げる間もなく枯れ果てていく。
【鑑定】
【変異型汚泥巨人(マッド・ゴーレム・カオス)】
【推定災害レベル:災害級】
【特徴:魔法汚染地域の泥と瘴気(しょうき)が凝縮して生まれた魔物。物理攻撃を無効化し、接触した物質を急速に腐食させる溶解液を分泌する。核を持たず、周囲の有機物を喰らって無限に再生・増殖する。】
「……なんだありゃあ……!」
トーマスさんが、鍬(くわ)を握りしめたまま、後ずさる。彼の後ろには、逃げ遅れた女子供たちが、恐怖に震えてうずくまっていた。
「逃げろ! 早く、高い所へ!」
誰かの叫び声が響くが、足がすくんで動けない者も多い。
怪物は、その無数にある赤い目をギョロリと動かし、最も生命力に溢れた場所――つまり、人々が集まっている場所へと、ゆっくりと、しかし確実に這い寄ってくる。
「……くそっ! やらせるかよ!」
トーマスさんが吼(ほ)えた。
彼は恐怖をねじ伏せるように、手にした『疾風(ゲイル)』を構え、怪物に向かって走り出した。
「お前ら! 家族を守るんだ! こいつを村に入れるな!」
その言葉に、腰を抜かしていた他の農夫たちも、弾かれたように立ち上がる。
彼らは知っている。逃げても、この荒野に隠れる場所などないことを。そして何より、自分たちの耕したこの土地を、再び奪われることへの怒りが、恐怖を凌駕(りょうが)したのだ。
「うおおおおおっ!」
数人の男たちが、それぞれの農具を武器に変え、怪物に突撃する。
トーマスさんが、渾身の力を込めて『疾風』を振り下ろした。ゴードンの魂が込められたその刃は、風を切り裂き、怪物の泥の足へと突き刺さる――はずだった。
ジュウウウウッ……!
嫌な音がして、白煙が上がった。
刃が泥に触れた瞬間、まるで熱した鉄を水に入れたように沸騰し、そして、急速に赤錆(あかさび)てボロボロと崩れ落ちていく。
「なっ……!?」
トーマスさんが驚愕に目を見開く。
鋼鉄さえも容易く腐食させる、強力な酸。
怪物は、痛みを感じる様子もなく、ドロドロとした腕を振り上げた。
「あぶねえ!」
横から突き飛ばされ、トーマスさんが転がる。直後、彼がいた場所にヘドロの塊が叩きつけられ、地面がジュワジュワと音を立てて溶けた。
「……物理攻撃が、効かねえ……!」
「武器が……溶けちまうぞ!」
農夫たちの顔に、絶望の色が広がる。
斬っても突いても、泥をかき回すだけ。しかも触れれば武器を失い、体にかかれば大火傷を負う。勝ち目など、万に一つもなかった。
それでも、彼らは退かなかった。
背後には、泣き叫ぶ子供たちと、祈るように見守る妻たちがいる。
「……ここが、俺たちの居場所だ! 一歩も通すな!」
ボロボロになった農具を構え、男たちが壁を作る。
その背中は震えていたが、決して逃げ出そうとはしなかった。
◇
「……着いたぞ!」
丘の上からその惨状を目撃した俺とギデオンは、馬を止めずに駆け下りた。
「ギデオンさん!」
「承知!」
俺の合図と共に、ギデオンが鞍(くら)から飛び上がった。
彼は空中で愛剣『白銀の牙』を抜き放ち、魔力を込める。刀身が青白く輝き、風を纏(まと)う。
「はあああっ!!」
気合一閃。
真空の刃が、怪物の頭部と思わしき部分を縦に切り裂いた。
ズバァァン!!
泥が左右に弾け飛び、怪物の動きが一瞬止まる。
その隙に、俺は馬を農夫たちの前へと滑り込ませた。
「先生!?」
「ルークス殿!」
驚くトーマスさんたちに、俺は叫んだ。
「下がってください! 普通の武器じゃ、奴には勝てません!」
「だ、だがよぉ……!」
「大丈夫です! あとは俺たちが引き受けます!」
俺の言葉に、彼らは渋々ながらも、負傷者を抱えて後退を始めた。
「……くっ、再生が速いな」
着地したギデオンが、剣を構え直しながら舌打ちする。
彼が切り裂いた怪物の傷口は、すでに見る見るうちに塞がり、元通りになろうとしていた。それどころか、飛び散った泥が新たな小さな怪物となり、ぞろぞろと集まり始めている。
「核がない……。いや、全身が核のようなものか」
ギデオンの剣技も、決定打にはならない。奴は流動する泥の塊。斬撃は素通りし、打撃は吸収される。
「グルルル……ッ!」
フェンが俺の足元で、かつてないほど低い声で唸(うな)り続けている。彼が見据えているのは、怪物の中心部。
そこには、泥の渦の中に、赤黒く明滅する光が見え隠れしていた。
(……あれが、動力源か?)
俺は、意識を集中させた。
懐の『古代の遺物』が、焼けるように熱い。まるで、目の前の怪物と共鳴しているかのように。
俺は、ポイントシステムのウィンドウを展開した。
【現在の所持ポイント:2,189pt】
この状況を打開できるスキル、あるいはアイテムは……。
『火薬生成』?
いや、爆発させれば、腐食性の泥を周囲に撒き散らすだけだ。被害が拡大する。
『凍結魔法』?
リストにはない。それに、この巨体を凍らせるほどの魔力は、今の俺にはない。
(……考えろ。奴の正体は、『魔法汚染』された泥だ。つまり、土と水、そして暴走した魔力の混合物……)
土壌改良スキルを持つ俺の目には、奴の体が、歪(ゆが)んだ土壌の集合体に見えていた。
強酸性。過剰な水分。そして、腐敗した有機物。
それは、かつて俺たちが作った『堆肥』の、最悪の失敗作のような状態だ。
(……浄化だ)
俺の中で、一つの仮説が生まれた。
奴を倒すには、力でねじ伏せるのではなく、その構成要素を『無害化』するしかない。
酸性の泥を中和し、過剰な水分を奪い、暴走する魔力を断つ。
そのためには……。
「ギデオンさん! 時間を稼いでください! あと三十秒だけでいい!」
「……無茶を言う!」
ギデオンは苦笑しながらも、剣を構え直し、怪物に向かって突進した。
彼は、敵の攻撃を紙一重でかわしながら、その巨体を翻弄(ほんろう)し続ける。腐食液が鎧をかすめ、白煙を上げるが、彼は止まらない。
俺はその隙に、アイテムリストを高速でスクロールさせた。
必要なのは、大量の中和剤。そして、水分を吸着するもの。
【消石灰(粉末・大袋)】
【特徴:強力なアルカリ性。酸性土壌の中和や、消毒に使われる。】
【必要ポイント:500pt】
【高吸水性ポリマー】
【特徴:自重の数百倍の水分を吸収し、ゲル状に固める化学物質。】
【必要ポイント:1,000pt】
(……これだ!)
合計1,500ポイント。痛い出費だが、迷っている暇はない。
【1,500ptを消費し、『消石灰(大袋)×10』『高吸水性ポリマー×10』を取得しました。】
【現在の所持ポイント:689pt】
俺の足元に、白い粉が入った袋が山のように出現した。
「トーマスさん! 手伝ってください!」
俺の叫びに、後退していたトーマスさんが振り返る。
「……おうよ!」
彼は、迷わず駆け戻ってきた。他の農夫たちも続く。
「この白い粉を、風上から奴に浴びせかけるんです! 目に入らないように気をつけて!」
「わかった! 野郎ども、かかれぇッ!!」
農夫たちが袋を担ぎ、散開する。
ちょうど、『蛇の吐息』が吹き荒れるタイミングだった。
「……今だ!!」
俺の号令と共に、十数袋分の消石灰とポリマーが、一斉に空中に撒(ま)き散らされた。
白い粉塵(ふんじん)が、風に乗って怪物へと襲いかかる。
ズボァッ……!
粉を浴びた怪物の体表で、激しい化学反応が起きた。
中和熱による高熱が発生し、湯気が立ち上る。同時に、ポリマーが体内の水分を急速に奪い、ドロドロだった泥の体が、ボロボロと固まり始めた。
『グオオオオ……ッ!?』
怪物が、苦悶の声を上げる。
流動性を失った体は、もはや自由には動かない。振り上げた腕が、重みに耐えきれずに崩れ落ちる。
「……効いてるぞ!」
「あいつが、固まっていく!」
「ギデオンさん! トドメを!」
俺は叫んだ。
動きを封じられた今なら、核を狙える。
「……心得た!」
ギデオンが、剣を頭上に掲げた。
その刀身に、今まで以上の青白い光が集束していく。騎士団長だけが使える、必殺の剣技。
「閃刃(せんじん)・断ち!」
一条の光が、怪物の胴体を水平に走り抜けた。
今度は、再生しなかった。
乾燥し、脆(もろ)くなった泥の体は、その衝撃に耐えきれず、粉々に砕け散ったのだ。
その中心から、赤黒い光を放っていた『核』のような石が転がり落ち、砕けた。
ズズズ……ン……。
怪物は、断末魔を上げることもなく、ただの乾いた土の山へと崩れ去った。
静寂が、戻った。
舞い上がる白い粉塵の中、俺たちは、肩で息をしながら立ち尽くしていた。
「……終わった、のか?」
トーマスさんが、恐る恐る尋ねる。
「……はい。完全に、沈黙しました」
俺がそう告げると、農夫たちはその場にへたり込み、そして、再び歓声を上げた。
今度の勝利は、前回のような興奮よりも、生き残ったことへの深い安堵に満ちていた。
俺は、崩れた土の山を見つめた。
ただの土に還った怪物。だが、その土は、消石灰を含んで白く変色していた。
(……酸性の土壌が中和された。これなら、この場所も、いつかは畑にできるかもしれない)
転んでもただでは起きない。それが、俺たちの流儀だ。
だが、俺の心は晴れなかった。
この怪物は、自然発生したものではない。誰かが、意図的に呼び出したものだ。
その証拠に、崩れた土の中から、見覚えのない魔石の欠片がいくつも見つかった。
俺は、北の方角――バルザックがいるであろう場所を睨(にら)みつけた。
「……絶対に、許さない」
俺の中で、静かな、しかし決して消えることのない怒りの炎が、青白く燃え上がっていた。
【現在の所持ポイント:689pt】
【読者へのメッセージ】
第九十七話、お読みいただきありがとうございました!
化学知識を応用したルークスの奇策と、農民たちの連携による勝利。魔法のような派手さはありませんが、「知識こそが力」であることを示す戦いでした。ご指摘いただいたポイント数の不整合も修正しております。
「石灰とポリマー、その手があったか!」「トーマスさんたちの勇気に感動」「バルザック、首を洗って待ってろ!」など、皆さんの感想や応援が、次なる反撃の狼煙となります。下の評価(☆)やブックマークも、ぜひよろしくお願いいたします!
怪物を撃退したルークスたち。しかし、これはバルザックとの全面戦争の始まりに過ぎません。そして、ルークスが手に入れた『古代の遺物』が、ついにその真価を発揮する……!?物語は、怒涛のクライマックスへと向かいます!次回も、どうぞお見逃しなく!
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