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第百五十五話:聖樹の診断書、あるいは土に眠る「澱(よど)み」
しおりを挟む深い旨味に満ちた夕食の後、リーフ村を包む夜は、かつてないほど穏やかで、それでいて重大な予感に満ちていた。
居間の暖炉の火が、爆ぜる音だけが響く静寂。エルフ使節団のリーダー・セレナは、憑き物が落ちたような、どこか虚ろな顔でポツリポツリと語り始めた。彼女たちが守る「聖樹連合国」の、救いのない現状について。
「……我らの森から、色が失われつつあるのだ。聖樹様が枯れ始めてからというもの、木々は実をつけず、精霊たちの歌声も聞こえない。……かつては森の守り手であった我らエルフも、今はただ、死を待つ樹木のように動けずにいる。あそこはもはや、生命の楽園ではない……沈黙が支配する墓場なのだ」
セレナの言葉には、数百年を生きる長命種ゆえの、底知れない絶望が滲んでいた。それは単なる嘆きではなく、世界の終わりを間近で見た者特有の諦観(ていかん)に近い。
俺――ルークス・グルトは、十歳の少年らしい仕草で温かい麦茶を啜りつつ、その背後で冷静にシステムウィンドウを操作していた。
(……やはり、単なる植物の病気じゃないな。設定資料集にある『魔力の淀み』。それが長期にわたって蓄積され、物理的な『土壌の疲弊』と最悪の形で連鎖している。……ブラック企業で言えば、長年の粉飾決済が積み重なって、もはやどこを突いても倒産しかないような、末期的なバランスシートだ)
俺は、セレナの潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめ、静かに、しかし断固とした口調で切り出した。
「セレナさん。……明日、皆さんの森へ連れていってください。……ただし、俺が行くのは、祈りを捧げる『聖者』としてではありません。一人の『農民』として、森の土の健康診断をするためです」
「……土の、健康診断……? 聖なる土を、あのような……人の子が触れるだけで不敬とされる地に、何をするというのだ……」
「原因がわからないから、皆さんは怖いんです。……原因さえわかれば、それはただの『解決すべき課題』になります。俺が教わった……いえ、俺が学んできた農法では、まず土の成分を知ることがすべての始まりなんです」
---
翌朝。俺は家族とフェン、そしてエルフ使節団と共に、辺境伯領のさらに北、人族の地図では「空白地帯」とされる、エルフの聖域へと足を踏み入れた。
境界線を越えた瞬間、肌を刺すような重苦しい冷気と、胃の辺りが重くなるような「死の静寂」が俺たちを襲った。
そこには、豊かな自然などなかった。視界に広がるのは、銀色に白濁した葉をつけた不気味な樹木。足元の草は灰のように崩れ、腐植の匂いすらしない。ただ、硬く冷え切った、死んだ大地の質感だけがある。
「……主よ、不気味だ。……大地の呼吸が聞こえぬ。……精霊の囁きも、虫の這う音すら。……まるですべての時間が、厚い氷の中に閉じ込められ、腐り始めているかのようだ」
フェンが低く唸り、その見事な毛並みを逆立たせる。俺も同感だった。ここには、リーフ村にあるような「生命が巡る循環」の気配が一切ない。
「ここが、我らの故郷……『聖樹の森』だ。かつては鳥たちの歌が止まなかったこの場所が、今やこの有様だ」
セレナの声が、絶望に震える。
俺は一歩前へ出ると、十万ポイントの残高を背景に、これまではその「専門性」ゆえに躊躇していた、高額な精密機器を召喚した。
【アイテム:土壌分析用・精密検査杭『アグリ・センサー』:5,000pt】
【スキル:識別 Lv.2 発動】
【保有ポイント:54,750pt → 49,750pt】
俺の手中に、銀色の、表面に複雑な魔力ラインが走る杭が現れる。エルフたちが「それは……失われた古代の魔道具(アーティファクト)か!?」と驚愕の声を上げるが、俺は構わずにその杭を、聖樹の根元へと深く打ち込んだ。
キィィィィィィン!!
空気が高周波で震え、俺の視界に膨大なグラフと数値、そして「土の内部」を透過したホログラムが展開される。
[pH:3.2(極度の強酸性)]
[マナ濃度:異常飽和(流動性ゼロ。結晶化の兆候)]
[SYSTEM_INFO: 未知の『空間侵食』を検出 …… ]
(……やっぱりだ。エルフたちが魔力を外部に一切漏らさず、森の中に閉じ込めてきた結果、大地が『魔力の便秘』を起こしている。……そして、その澱みに、奴が……『世界の捕食者』の末端が食らいついている。土壌が物理的に変質させられているんだ)
俺の視界の端で、[L0-V3] の文字が不吉に、だが昨夜よりも鮮明に明滅した。
【 稼働率:0.11% 】
「……セレナさん、わかりました。……この森が死にかけている原因は、あなたたちが何百年も守り続けてきた『伝統』そのものです」
「な……!? 何を、何を言うのだ! 我らは聖樹様のために、あらゆる外敵を退け、一滴の穢れも入れず、純潔を守ってきたのだぞ!」
セレナが杖を突き出し、激昂する。他のエルフたちも一斉に殺気立つが、俺は一歩も引かなかった。
「……水は、流れなければ腐ります。土も同じです。……あなたたちは、聖樹から与えられる魔力の恵みを受け取るだけで、大地に何も返してこなかった。……ただ祈り、ただ現状を維持することに固執して、溜まった魔力の毒を排出する『循環』を止めてしまったんだ」
俺は、検査キットが地中から引き抜いた、一握りの「死の土」を、彼女の目の前に差し出した。
そこには、幾何学的な結晶が混じり、生き物の気配がまったくない、不自然なまでに無機質な砂が握られていた。
「これは、もう土じゃない。……生命を拒絶する『結晶』です。……これをもう一度、虫が住み、菌が動くふかふかの『土』に戻さない限り、どんな高位魔法を使っても聖樹は救えません。あなたたちは、聖樹を救っているつもりで、その首を絞め続けてきたんだ」
十歳の少年の、冷徹なまでの分析。
それは、数百年かけて築かれたエルフの誇りを根底から打ち砕く、あまりにも残酷な「診断書」だった。
「……では、……では、どうすればいいというのだ。……我らに、何をしろというのだ……。祈りが、伝統が届かないというなら、我らには……」
セレナがその場に膝をつき、杖を放り出して嗚咽を漏らす。
俺は、彼女の目の高さまでゆっくりとしゃがみ込み、ポシェットの中から、青白く発光する一袋の「粉」を取り出した。
「……まずは、この森を耕しましょう。……伝統を壊すのではなく、新しい循環を『追加』するんです。……農民のやり方で、命をもう一度、土の中に呼び戻すんです」
俺の手には、ポイントで交換した【超高濃度・精霊活性肥料『ガイアの滴』:10,000pt】が握られていた。
最強の農民による、聖域の大規模リフォーム。
それは、世界の真実に触れ、停滞した時間を動かすための、最も「地道」で最も「偉大な」開墾の始まりだった。
---
【読者へのメッセージ】
第百五十五話をお読みいただき、ありがとうございます!
新章の核心となる「聖樹の森」での診断。エルフたちの「善意の停滞」が、実は森を殺していた……という残酷な真実を、ルークスが農民としての知見で暴き出しました。
物理的な破壊ではなく、概念的な「循環の停止」こそが真の敵。
次回、聖域での「大規模耕作」開始!
しかし、土の中に眠っていた「世界の捕食者」の末端が、この変化に気づき、ついに実体を持ってルークスの前に現れる……!?
「論理的な解決が格好いい!」「エルフさんたち、目覚めて!」という方は、ぜひ評価やブックマークで応援をよろしくお願いします!
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