病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

文字の大きさ
29 / 139
本編

十九歳⑩

しおりを挟む
「そうだったの……もちろん覚えているわ。あなたが新しく歩み出せるきっかけを作ってくれた人だもの」

 私はそう相槌を打ってスレンツェの精悍な顔を見上げた。

「ここで出会えたのも何かの縁ね。今度は紹介してね」
「ああ」

 頷いたスレンツェは改めて私に視線をやると、まじまじと見やりながらこう言った。

「フラムアークから少しやせたと聞いていたが、確かにそんな感じがするな」

 フラムアークったら……「やつれた」と言っていないだけいいけれど、そこは「元気だった」と伝えてくれるだけで良かったのに。

「ここにいる人達は多かれ少なかれ、みんなそうだと思うわ。スレンツェだって」
「最初は確かにそうだったかもしれないが、食糧事情が改善してからはほぼ戻った気がする。ちゃんと食べているのか?」
「身体が資本だもの、食べているわよ。でないともたないもの。今だって、ちゃんとお昼を食べてから来たし―――スレンツェはお昼はこれから?」
「ああ。これを運び終えたら取ろうと思っている」

 そうなのね。これ以上時間を取らせるのは悪いかしら……。

 本当はもう少し話していたいところだったけれど、彼の事情を考慮するとそれも憚られた。

 とりあえず、顔は見れたもの。残念だけど、今はこれで充分とすべきなのよね。

「じゃあ私、そろそろ行くわね。とりあえず元気な顔が見れて良かったわ」
「もう午後の業務が始まるのか?」
「まだ少し余裕があるけれど、あまり長居するのも悪いから」

 後ろ髪を引かれつつそう答えると、スレンツェは思いがけない言葉を返してきた。

「なら、せっかくだからもう少し話さないか。久々にこうして会えたんだ」
「えっ? でも、お昼がまだなんでしょう?」
「少し話すくらい問題ない」

 そんなふうに引き留めてもらえるとは思っていなかったから、嬉しさでいっぱいになる半面、色々と気に掛かることがあって、素直にそれを受け取ることが出来なかった。

「でも……、スレンツェを待っている人達がたくさんいるんじゃないの?」
「……? 何の話だ?」

 怪訝そうに眉を寄せられて、素直に彼の言葉に甘えられなかった自分を後悔する。けれどそんな気持ちとは裏腹に、胸の中にあったモヤモヤを確かめずにはいられないもう一人の自分がいた。

「噂で聞いたの……女性の患者さん達の間で、あなたの取り合いが起きているって」

 スレンツェが黒い双眸をわずかにすがめた。辺りに沈黙が舞い降りて、何ともいたたまれない空白の時間を作る。それがひどく長いように感じられて、私は伏し目がちにしていた視線をそろそろと上げた。

 子どもじみた面倒臭い言動を取ってしまった自覚はある。

 呆れられてしまった? それとも、怒らせてしまったかしら?

 スレンツェは忙しい時間を割いて私と話をしたいと言ってくれたのに、信憑性も定かでない噂が引っ掛かって、気持ち良く彼の申し出を受けることが出来なかった。

 恐々上げた視線の先に映ったスレンツェの表情は、読めなかった。彼はただ静かな口調で、私にこう尋ねた。

「―――それで? お前はどうしてわざわざオレに会いに来たんだ? そんなことが確かめたくてここへ来たのか」

 本心を口にすべきか、迷う。けれどそれを伝えなかったら、ただの興味本位でスレンツェに会いに来たのだと誤解されてしまいそうで嫌だと思った。

 ただでさえ可愛げのない態度を取っているのに、彼にそんな誤解を与えてしまうような事態は絶対に避けたい。

「そういうわけじゃ―――……一番は、あなたの顔を見たかったのよ。別行動になってから一度も会えてなかったから、どうしてるのかって、ずっと気になっていたの。……ただ、そのタイミングが今日になったきっかけは、それ。
噂があんまりすごいから、気になる……というか、心配になって……。スレンツェはきっと真面目に仕事をしているんだろうに、周りがあなたをそういう目で見ているのかと思ったら、何というか……いたたまれない、というか……スゴく嫌だな、と思ってしまって……」

 たどたどしく言葉を紡ぐと、そんな私を見ていたスレンツェから深い溜め息が漏れた。

「噂というのは、尾ひれがつくものだが……お前はいったいどんなふうにそれを聞いたんだ?」
「え……女性の患者達がみんなあなたに世話を焼いてほしがって、争奪戦が起きているって……ベリオラに罹患している女にそんな元気を出させる男はスゴいね、って……」
「そんなふうに広まっているのか……」

 スレンツェは再び嘆息すると、形の良い眉をひそめた。

「常識的に考えて、ベリオラにかかっている患者にそんな元気があるわけがないだろう。移動の介助をする時にオレを指名してきた患者が何人かいたというだけで、実際はそんな要望に応えている暇はないし、手が空いている者に任せたよ。救援部隊が合流して人員が増えてからは、面倒事を防ぐ為に基本的には男の患者の天幕の方を手伝うようにしているし、だから、争奪戦なんてものが起きている事実はない。面白可笑しく尾ひれがついて広まっているだけだ」

 いや、そんな指名が出るだけでも充分普通じゃないと思うんだけど……でも、そっか。ホッとした。噂で言われているような事実はないのね。

 良かった……。

「安心したか?」

 スレンツェの声に思わず頷いてしまってから、私はハッとして付け加えた。

「どろどろした騒ぎにスレンツェが巻き込まれてるんじゃなくて、良かったわ! 噂って、やっぱり真に受けちゃいけないわね」

 ちょっとわざとらしい言い回しになってしまったけど、一応同僚としての気遣いを装えた。何も言わないよりはマシよね。

「……面白可笑しく話を広められてオレとしては迷惑極まりないが、そのおかげでこうしてお前が会いに来てくれたと考えれば、まあ悪いことばかりではないかな」

 本気とも冗談ともつかない意味深なスレンツェの物言いに、ピクリと兎耳が反応した。

 それは、どういう……?

 彼の真意を計りかねて黒い双眸を仰ぎ見ると、こちらを見つめる整った男らしい面差しが和らいで、腰が砕けてしまいそうな微笑が返ってきた。

「どうしてだろうな……ユーファ、お前の顔を見れただけで不思議と癒されたような気持ちになるのは」

 不意打ちのようなその笑顔に、どうしようもなく頬が熱くなる。何か言葉を返さなければと、私は瞳を彷徨わせながら頭を巡らせた。

「私も―――あなたの顔を見て、何だか元気をもらえたみたい。ただこうして会えただけなのに、不思議ね」

 どうにか言葉を引っ張り出しながら照れ隠しに微笑むと、一歩距離を詰めたスレンツェにおもむろに腰を引き寄せられて、彼の胸にとん、と頬を押し付けるような格好になった。

「―――なら、少しそれを分けてくれないか」

 何が起こったのか、すぐには分からなかった。

 頭上から聞こえる低い声音―――密着した箇所から、彼の体温と硬い感触が伝わってくる。

「オレはまだ、足りてないんだ」

 どこか懇願するように囁かれて、ようやく自分の状況を把握する。スレンツェに寄りかかるような体勢で彼の腕の中に閉じ込められているのだと悟り、私は目を見開いた。遅ればせながら、心臓の拍動がものすごいことになる。

「えっ……ス、スレンツェ……?」
「……細いな。やっぱり少し、やせた気がする」

 戸惑う私にスレンツェはそう呟いて、私の側頭部に頬を寄せるようにした。

 彼に抱きしめられるのは、初めてじゃない。けれど、今までのそれには必ず、何かしらの特別な事情があって―――こんなふうに特段の理由なく、抱きしめられるのは初めてだった。

 ―――何、これ、白昼夢? 私、実は過労で倒れて、白昼夢を見ているの?

 あまりにも突然の出来事、予期しなかった事態に頭が混乱して、これが今、本当に自分の身に起きていることなのか、判然としなくなる。

「いつもこうしてお前に元気を分けてもらえているフラムアークが、羨ましい」

 私を抱き寄せるスレンツェの腕にわずかな力がこもる。

「何故かな。お前に触れると、こうも癒される気がするのは……」

 間近で感じられる彼の息遣い。私を包み込むように回された腕は頑強なのに優しくて、振りほどこうと思えばいつでも振りほどける強さだった。衣服を隔てて密着する広い胸は温かく、呼吸をする度、スレンツェの匂いが鼻腔いっぱいに忍んできて、彼の香りに思考力を奪われていくような気がした。

 やがて、長いのか短いのか分からない時間の中、スレンツェの腕がゆっくりと緩み、静かに離れていく気配がして―――それを感じた瞬間、私は反射的に彼の腰に腕を回し、自分から彼にしがみついていた。

 鍛えられたスレンツェの身体が驚いたように小さく揺れる。直後に大胆なことをしてしまったと理性が悲鳴を上げたけれど、もう今更引くに引けない。ショートしそうな頭をフル稼働させ、気まずくならない言い分を必死で考え、言い募った。

「わ、私にはよく分からないけれど、あなた達が私に癒し成分があるって言うなら、いくらでも分けてあげるわよ……それで、あなた達が元気になれるっていうのなら……」

 額をスレンツェの胸に押し付けるようにして真っ赤になった顔を隠す私の頭上で、彼がふと笑んだ気配がした。たくましい腕が再び私の背中に回されて、優しく包み込むようにしてくれる。

「なら、お言葉に甘えてもう少し、こうさせてもらおうか」

 私の長い耳に唇を寄せるようにして囁かれた彼の低い声は、今までに聞いたことがないくらい柔らかく、熱を帯びているように感じられた。

 明確な言葉はなかったけれど、スレンツェが自分を求めてくれているのが伝わってきて、私はひどく嬉しかった。

 私もそうだということが、彼にも伝わっているといいな―――口に出せない想いをこの抱擁に込めて、そう願う。

 彼の言う「癒し」とは少し意味合いが違うけど……こうして元気をもらえているのは、私の方。頑張る力を分けてもらえているのは、私の方なのよ……。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。

真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。 狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。 私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。 なんとか生きてる。 でも、この世界で、私は最低辺の弱者。

『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』

透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。 「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」 そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが! 突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!? 気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態! けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で―― 「なんて可憐な子なんだ……!」 ……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!? これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!? ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆

【完結】秀才の男装治療師が女性恐怖症のわんこ弟子に溺愛されるまで

恋愛
「神に祈るだけで曖昧にしか治らない。そんなものは治療とは言わない」  男尊女卑が強い国で、女であることを隠し、独自の魔法を使いトップクラスの治療師となり治療をしていたクリス。  ある日、新人のルドがやってきて教育係を押し付けられる。ルドは魔法騎士団のエースだが治療魔法が一切使えない。しかも、女性恐怖症。  それでも治療魔法が使えるようになりたいと懇願するルドに根負けしたクリスは特別な治療魔法を教える。  クリスを男だと思い込み、純粋に師匠として慕ってくるルド。  そんなルドに振り回されるクリス。  こんな二人が無自覚両片思いになり、両思いになるまでの話。 ※最初の頃はガチ医療系、徐々に恋愛成分多めになっていきます ※主人公は現代に近い医学知識を使いますが、転生者ではありません ※一部変更&数話追加してます(11/24現在) ※※小説家になろうで完結まで掲載 改稿して投稿していきます

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

元貧乏貴族の大公夫人、大富豪の旦那様に溺愛されながら人生を謳歌する!

楠ノ木雫
恋愛
 貧乏な実家を救うための結婚だった……はずなのに!?  貧乏貴族に生まれたテトラは実は転生者。毎日身を粉にして領民達と一緒に働いてきた。だけど、この家には借金があり、借金取りである商会の商会長から結婚の話を出されてしまっている。彼らはこの貴族の爵位が欲しいらしいけれど、結婚なんてしたくない。  けれどとある日、奴らのせいで仕事を潰された。これでは生活が出来ない。絶体絶命だったその時、とあるお偉いさんが手紙を持ってきた。その中に書いてあったのは……この国の大公様との結婚話ですって!?  ※他サイトにも投稿しています。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

処理中です...