病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

十九歳⑯

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 穴熊族の村に甚大な被害をもたらした疫病ベリオラはそれからほどなく終息を迎え、私達はここと同じような状況になっているという近隣の村の様子を見て回ってからアズール城へ戻る運びとなった。

「あなた方が来て下さらなければどうなっていたことか……本当に、ありがとうございました。この御恩は一生忘れません」

 出立の支度を整えた私達の前で、村を代表して中年の穴熊族の男性が礼を述べた。この人は無症状だった三人の大人のうちの一人で、私達と連携を取る中心になってくれた人物だった。その傍らで、晴れない表情をしたピオはずっとうつむいている。

「ただ……」

 男性の声が沈んだ。

「正直、途方に暮れてもいます。残された我々だけで、これからどう生きていけばいいのか……まるで先が見えず、頭の整理がつかないのです。我々はあまりにも……あまりにも多くのものを、一度に失ってしまいましたから……」

 彼らが失ったものの大きさは、察するに余りある。肩を落としうなだれる男性にフラムアークは声をかけた。

「この村のことは上手く取り計らってくれるよう領主のダーリオ候に私から話を通しておく。気落ちするのも無理はないが、当面のことは心配しなくていい。さしあたって君達がすべきことは、養生して心身を回復させることだ。アズール城から連絡が来るまでは、それに努めるようにしてくれ」
「……。それが本当なら、ありがたいお話ですが……領主様が我々の為に、果たしてそこまでしてくれるでしょうか……」

 そう憂う男性の表情は暗い。権力者に対する穴熊族の根深い不信感がそこに窺えた。

心許こころもとないか?」

 フラムアークにそう問われた男性はためらいがちに頷いた。

「……。はい……」
「そうか。ならば……ダーリオ候ではなく、今こうして向き合っている私のことならば信じてもらえるだろうか」
「えっ? は、はい、それはもちろん……!」

 伏し目がちにしていた男性が、弾かれたように顔を上げる。その瞳を正面から捉えて、フラムアークは力強く言を紡いだ。

「では―――帝国の第四皇子フラムアークの名にいて、穴熊族に対する継続的な支援策を講じることをここに約束する。必ずやダーリオ候に履行させよう。色々と大変だとは思うが、どうか皆で力を合わせてこの難局を乗り切っていってもらいたい。そしていつかまたこの地へ来た時、それにまつわる苦労話や思い出話を私に聞かせてくれないか」
「フラムアーク様―――」

 男性は込み上げてくるものをこらえるように唇を引き結んだ。

「ここへ、来て下さるのですか、また」
「もちろんだ。いつ、とは確約出来ないが、必ずまたここへ来る」
「……! ありがとうございます……貴方がそう言って下さるならば、その日まで皆で何とか頑張ってみようと思います」
「ああ。ピオを、皆を頼んだぞ」
「はい……! 皆で助け合って、まずは一日一日を生きていきます」
「そうだな。まずはそこからだ」

 励ますように男性の肩に手を置いたフラムアークは、その隣で黙りこくっている少年へと視線を向けた。

「ピオ」

 名を呼ばれ、ずっとうつむいていたピオが顔を上げる。未だ曇りの晴れないその面持ちを真っ直ぐに見つめて、フラムアークは告げた。聞く者の心に不思議とよく響く力を持つ、あの声で。

「元気で。また会おう」
「……っ」

 初めて何か言いたそうな表情を見せたピオは、それを言葉に出来ないまま、片手で胸の辺りの衣服を握り込むようにすると、白目部分のほとんどない大きな黒目に涙を浮かべて、私達をぐるりと見渡し、深く深く頭を下げた。

「―――あ、りがとう、ございましたっ……」

 一瞬だけ交わった視線。かすれた声で呟いた、風に溶けてしまいそうなほど小さなその感謝の言葉は、兎耳族わたし以外の人の耳にも届いていただろうか―――。

 穴熊族の村を後にして動き出した馬車の中で、フラムアークは私に言った。

「ピオは大丈夫―――きっと立ち直るよ。たった一人で家族を、村を救おうとする勇気と行動力を持ち合わせた少年だ。皆が懸命に手を尽くしてくれたことも、心から心配してくれた人の言葉も、きっと届いている。伝わっていると、そう信じよう」
「……ええ。そう、願いたいです」

 決して平坦な道ではないだろうけれど、どうか力強く生き抜いていってほしい―――先祖代々暮らしてきたこの土地で、救うことが出来た大切な仲間と共に―――。







 私達がアズール城へ帰還したのは、それからひと月余りを経過してからのことだった。

 季節は晩冬から春の盛りへと移り変わり、暖かみを増した陽光や道行く人達の装いなどにそれを実感しながら、冬装備のままのくたびれ果てた姿で城門をくぐった私達は、アズール領主ダーリオ侯爵から諸手を挙げて出迎えられた。

 ダーリオ侯爵は何よりもフラムアークの無事を喜び、その功績を褒め称えた。そこには「自分の領地で皇族に身罷みまかられなくて本当に良かった!」という本音、その杞憂がなくなったことへの解放感と、他の領地に飛び火させることなく自領内でベリオラを収束させる見通しが立ったことへの面目躍如が透けて見えたけれど、誰もそれに突っ込むことはしなかった。

「あれだけダダ漏れだといっそ清々しい」

 というのはフラムアークの弁だ。

 領内のベリオラ収束にフラムアークが貢献しているのは事実だったし、それを認めて労ってくれるなら私達にも不満はなかった。

「ダーリオ候はああ言ってくれたが、アズール領内のベリオラがここまで収束したのはオレ個人の力ではなく、多くの薬師を始めとする皆の力を合わせた結果だ。無論全てを救えたわけではないし、まだ完全な終結には至っていないが、ほぼほぼ鎮圧することが出来たのはここにいる皆の働きによるところも大きいと思う。かなりきつい道程だったと思うが、誰一人欠けることなくよく付いてきてくれた。心から感謝する……ありがとう」

 フラムアークはそう言って私達一人一人に感謝の言葉をかけてくれ、それを受けた中には感極まって涙する人もいた。宮廷から一緒に来た面々とは二ヶ月以上に及ぶ濃い時間を共に過ごし、この頃には確かな仲間意識が私達の間に生まれていた。それはモンペオから同行してくれたエレオラ達にも言えることだ。

 惜しむらくは、そんな彼女達とここでお別れになってしまうということ。

「―――まるで、生き返るようですね」

 感染対策の意味も込めて帰城後早々に通された浴場で、溜まりに溜まった汚れと疲れを洗い流した私とエレオラは、久々の広い湯船に浸かってほぅ、と幸せの吐息をこぼした。

「最高ね……温かくて気持ちいい。こんなふうに手足を伸ばして入浴するの、どのくらいぶりかしら」

 男性陣も今頃はみんなまとめて長旅の汚れを落としに行っているはずだった。フラムアークには別湯が用意されているはずだけれど、彼のことだからダーリオ侯爵の制止をものともせず、みんなと一緒の湯船に行っているかもしれない。

「それで、何日かはゆっくりしていかれそうですか?」

 エレオラにそう尋ねられた私は、軽く眉を寄せて天井を仰いだ。

「うーん……詳しいことはまだ分からないけれど、穴熊族の件とか、話し合わなければならない案件も諸々あるだろうから……何日かはここに滞在していくでしょうけど、ゆっくりというのは難しいかもしれないわね。フラムアーク様は特に。せめて明日くらいはゆっくり休ませてあげたいのが本音なのだけれど」
「出来ればそうして差し上げたいですよね。私自身も、願わくば明日くらいはゆっくりと過ごしたいと思ってしまいますから」
「私もよ。そう思わない人はいないと思うわ。みんなかなり疲れが溜まっているはずだもの」

 本当に―――出来ることなら明日くらいは時間を気にせず、いつまでも惰眠をむさぼっていたいものだわ。

「先程お渡ししたメモにお勧めの店や名産品をまとめておきましたから。もしお時間がありましたら覗いてみて下さい」
「ありがとう。助かるわ」

 私は感謝と名残惜しい気持ちを込めてエレオラを見つめた。

「本当に、色々とありがとう。エレオラに会えて良かったわ」
「私もです。ユーファさんにお会い出来て光栄でした。どうかお元気で。帝都までの道中、気を付けてお帰り下さい」
「ええ。エレオラも元気でね。あなたみたいに出来る人は頑張り過ぎてしまう傾向にあるから、時々は意識的に休むようにしてね。これからもあなたの活躍を祈っている」
「いえ、私はそんな……でもありがとうございます。心に留めておきます」

 謙遜するエレオラに、出過ぎかとも思ったけれど、私は尋ねた。

「……何か、スレンツェに伝えておくことはある?」
「いいえ、特には。でも……そうですね、今回思いがけず帯同出来て光栄でしたと―――それから、どうぞご自愛下さいと―――そう、お伝えいただけますか」

 伏し目がちにそう言ったエレオラの白い肌は湯を纏い上気して、何だかとても綺麗に見えた。社交辞令ではなく、彼女が心から思って言った言葉と、言葉では語られなかった様々な想いがそこに表れているのだと感じ、私の胸に深い印象を残した。







 その後ダーリオ侯爵によって催された慰労会という名の歓待の席の後、フラムアークから彼にあてがわれた部屋へと呼ばれた私は、そこで思いがけない話を受けた。

「明日の日中、ユーファを連れ出しても構わないかとスレンツェから申し出があったんだ。明日は皆に休養してもらうつもりだったから、ユーファさえ良ければ構わないとオレは答えたんだけど……どうだろう?」

 こんな嬉しいビックリが、あっていいんだろうか。

「えっ……私は別に、構いませんけれど」

 これまでの疲れが全て吹き飛ぶような、突然の、まるでご褒美のような話に目をまん丸にして答えると、そんな私を見やったフラムアークは頷いた。

「なら行ってくるといい。スレンツェにはそう伝えておくよ」
「っ、はい!」

 えっ……スレンツェからの申し出!? 本当に!? どうしよう、スゴく嬉しい!

 予想もしなかった展開に胸を躍らせていた私は、そこであることに思い至って、高鳴る気持ちにブレーキをかけた。

「あっ、でも私達が二人共出掛けてしまったら、フラムアーク様はどうされるんですか?」
「そこは気にしなくていいよ。午前中はゆっくり寝ているつもりだし、午後はダーリオ候とその奥方からお茶の誘いを受けているから」
「でも、お一人では」
「明日の茶会は別に形式ばったものじゃないから問題ない」
「ですが、もし何かあったら」
「ユーファは心配性だな」

 ふはっ、とフラムアークが吹き出した。

「大丈夫だよ。オレ、もう子どもじゃないから。大抵のことは自分でどうにか出来るし、出来ないことはその場にいる誰かに頼めば済むことだ。必要な時は君達にちゃんとお願いするから」

 そう言って私を安心させるように微笑んだ彼は、おもむろに手を伸ばすと私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。

「だから心配しないで行っておいで」

 大きな手―――確かにそれはもう、子どもの手じゃなかった―――けど。

 けどね!?

「ちょっ……フラムアーク様っ! た、立場が逆ですっっ!」

 どうにもこうにもいたたまれず、私は抗議の声を上げた。

 あ……頭ぽんぽんとか! 私、貴方よりずっとずっと年上なのだけれど!

 以前スレンツェに頭を撫でられた時もびっくりするやら恥ずかしいやらでいたたまれない気持ちになったけれど、これはその比じゃないわ!!

 まだフラムアークが幼かった頃、何かを上手に出来た時や悲しいことや辛いことがあった時、その時々の彼の気持ちに寄り添って彼の頭を撫でてきたのは私だった。そんな私に、幼い彼はあどけない表情を見せてくれたものだ。

 その彼に、まさか私の方が頭ぽんぽんされる日が来ようとは!

「はは、ユーファ顔真っ赤。この年になってくるともう、年上とか年下とか、さほど関係ないと思うけどなぁ。傍目には同じくらいの年齢に見えるし、ユーファ小さくて可愛いし」

 かっ、可愛……!

 反応してはダメよ私、変に意識しない!

「私が特別小さいわけではなく、フラムアーク様が大きいんです。ダメですよ、年上に対して敬う心を持たないと」
「ちゃんと敬う気持ちは持っているよ」
「でしたら頭ぽんぽんは慎んで下さい」
「確約出来かねるなぁ。オレとしては親愛の情を示しているつもりなんだけど。そんなに嫌?」
「嫌というわけではありませんが、いたたまれない気持ちになって困ります」
「慣れの問題じゃない?」
「慣れてしまうことに抵抗があるんです!」

 年上としての矜持きょうじを頑なに示す私に、フラムアークは苦笑を呈した。

「分かった分かった、慎むように努力するよ。でも寂しいなぁ。オレがユーファより年下なのはどうしたって変えようがないし、そういう理由でコミュニケーションが制限されちゃうのは残念」

 しゅん、と子犬がしょげたような顔になられて、ほだされそうになる気持ちを私は必死で堪えた。

 ダメよ、その表情反則! 身体は大きくなっているのに、どうしてこういうところは昔のままなの! 耐えるのよ、ユーファ!

「頭ぽんぽん以外でもコミュニケーションは図れるじゃないですか」
「まあそれはそうなんだけどさ……そうやって制限されちゃうのは寂しいなぁと思って。……言っとくけど『年下』が理由ならスレンツェだって同じだからね」

 他意はないのだろうけどそう釘を刺されて、変な汗をかいてしまった。

「も、もちろんですよ!」
「……。明日はスレンツェに譲るけど……今度はオレにも付き合ってね。しばらくユーファ補給してないし、色々限界」

 冗談じみた口調だったけれど、フラムアークが心身共に疲弊しているのは間違いないと思えたから、私は両手を広げてみせた。

「何でしたら、補給しておきますか? 今」

 劣悪な環境下での従事作業は私達でも相当にきつかった。そういうことに免疫のない皇族の彼にかかった負荷は想像以上のものがあっただろう。それに私達は目の前のことにだけ集中していればよかったけれど、フラムアークは常に全体を見ていなければならなかったのだ。

 私からそう返ってくるとは思っていなかったらしく、フラムアークは橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳を大きく瞠ったまま、たっぷり五秒は静止した。

「フラムアーク様?」
「……。んー……今はやめとく。ユーファも疲れているだろうし、オレも何かいっぱいいっぱいで、諸々自信ない」
「自信?」
「うん。多分ユーファをぎゅっとしたまま離さないで寝ちゃうと思う」

 ああ、そういうこと。やっぱり相当疲れているのね。

「ふふ、それは困りますね。ではまた今度にしましょう」
「……うん」
「今夜はどうぞゆっくりお休みになって下さい」
「そうするよ。……おやすみ、ユーファ。明日は気を付けて行って来てね」
「はい。スレンツェが一緒ですから大丈夫ですよ。おやすみなさいませ」

 一礼してフラムアークの前から退出し一人になると、今更ながら自分の言った言葉にドキドキしてきた。

 間違いない……のよね。本当に、明日はスレンツェと一緒に外出出来るのよね。多分……二人っきりで。

 ―――夢みたい!

 思いがけず降って湧いた事態に、年甲斐もなくはしゃいでしまっている自分がいる。

 だって―――だって、こんなこと想像もしていなかった。自由に出歩くことを許されない私達がこんなふうに一緒に行動出来る日が来るなんて、思ってもみなかったもの。

 改めて意識すると色々と考えすぎてしまって、その晩は身体は疲れているはずなのになかなか寝つくことが出来ず、私はベッドの上で何度も寝返りを打った。

 同じように、物思いに沈んだフラムアークが首に掛けた香袋に時折手を当てながら、その夜をまんじりともせず過ごしたことなど、この時の私には想像も及ばなかったのだ―――。
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