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本編
十九歳⑱
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アズール領主ダーリオ侯爵と今後についての協議を重ね、入念な根回しを終えて、数ヶ月ぶりに宮廷へと戻ってきたその二日後、フラムアークは高熱を出した。
幸い悪い病原菌をもらってきたわけではなく、これまでの疲れが出たものだと思われ、緊張を覚えながら彼を診た私は大きく胸を撫で下ろした。
「情けないな……一緒に行ったみんなはピンピンしているっていうのに、オレだけこんなふうに倒れちゃうなんて」
久々にベッドの上の住人となったフラムアークはそう溜め息をついて天井を仰いだ。
「自分ではだいぶ体力もついてきたつもりだったけど……まだまだだったなぁ」
「そう気落ちしないで下さい。全体の指揮を取り続けた貴方の負担は私達よりずっとずっと大きなものがあったはずですから。むしろ途中で倒れることなく、無事に務めを果たし終えて、皇帝陛下へ報告を上げるまで持ち堪えられたご自分を褒めてあげて下さい」
冷たい水を絞ったタオルで彼の額の汗を拭きながらそう気遣うと、フラムアークは淡く笑んだ。
「……ありがとう。そう思うことにする」
それから少し間を置いて、彼は私にこう尋ねた。
「ユーファ、オレ、頑張れたかな?」
「もちろんです! アズールでの貴方の働きを知っている人はみんなそう答えると思いますよ」
「だと嬉しいけど。……ふとした瞬間に考えるんだ。もっと上手いやり方があったんじゃないかって。そう考えると、少し怖くなる。もっと上手くやれていたら、もっとたくさんの人を救えていたんじゃないのか……オレのやり方は本当に合っていたのかなって」
彼の口からこぼれたのは、上に立つ者が直面する孤独な命題、それに対する不安の欠片だった。
これはきっと今回に限ったことではなく、過去のアイワーン戦やこれまでの任務、何かある度に彼の脳裏につきまとってきたことなのだろう。
スレンツェにはこれまでもこういった悩みをこぼしていたのかもしれない。けれど、私に対して彼がそれを見せてくれたはこれが初めてのことだった。
私はそれを、嬉しく思った。
「……そこは多分、考えていくと際限がないのだと思います。過去に戻って違うやり方で再検証してみるわけにもいきませんし、貴方がその時精一杯考えて皆と協議した結果を信じてあげるしかないんじゃないでしょうか。もしも反省点を見つけた場合は、次に活かす糧としてより良い方法を模索していく―――それを繰り返しながらやっていくしかないのだと思います。有事における正解を知っている者など、誰もいないのですから」
「……うん。そうか。そうだね……」
フラムアークはその意味を噛みしめるように瞳を伏せた。
私の言葉で少しでも彼が楽になってくれたらいい。私の力が必要だと言ってくれた彼の為に、私の言葉が少しでも役に立てたなら。
「少し気が楽になった。ありがとう……」
ややしてからそう言ってもらえて、私の表情は自然とほころんだ。
良かった……。
そんな私に熱で赤らんだ顔を向けて、フラムアークは少し切なげな笑みを浮かべた。
「ベリオラがどうにか終息を迎えたのは良かったけど……また、鳥籠の中に戻ってきちゃったね」
「そうですね……でも、いいんです。いつか貴方が鳥籠から出して下さる時が来ると、そう信じていますから」
熱のせいで気怠げなインペリアルトパーズの瞳が、確かな意志の輝きを帯びた。
「うん。少し時間はかかるかもだけど……信じて、待ってて」
「はい」
「……ユーファにこうして看病してもらうのは久し振りだね」
「そうですね。フラムアーク様、本当に丈夫になられましたから」
「不謹慎かもしれないけど……久々に君を独り占め出来ているようなこの状況は、ちょっと嬉しい。少しだけ、昔に戻ったみたいだ」
弱々しい笑顔で懐かしむようにそう言われて、胸に何とも言えない思いが広がる。どう返したらよいものか、返答に詰まった。
―――アデリーネ様に聞かれたら、やきもちを焼かれてしまいますよ。
「……ふふ。子どもみたいですね」
迷った末、私はそう苦笑するにとどめた。それから冷たい水で絞り直したタオルを彼の額に置こうと、柔らかな金色の前髪を指でそっとかき上げる。
「ユーファの指……冷たくて気持ちいい」
「フラムアーク様が熱いんですよ。完全に過労からくる発熱ですから、この際しっかり休養を取ってゆっくりと身体を休めて下さい。体調を万全にしましょう」
言いながら額にタオルを乗せた私の手を、フラムアークの手が取った。熱のせいで潤んだ綺麗な双眸と目が合う。
フラムアークは私の手を自らの火照った頬に導いて押し当てると、昔から何度も繰り返し唱えてきたあの呪文を囁いた。
「好きだよ、ユーファ」
その瞬間―――ドッ、と心臓が騒いで、彼から目が離せなくなった。
端整な面差しを上気させ、私の掌に熱い頬をすり寄せるようにして、ただ無償の信頼を寄せてくれている男。幼い頃、自分の心を守る為の手段として彼が用いたお守りのようなその言葉は、時を経てまるで本物の魔力を持ち始めているかのようだった。
熱に冒され、ややしどけなくなった無防備な姿。掌に感じる、火照りを帯びた肌の質感。微かに指に触れる吐息が、熱い。
あろうことか、まるで彼の熱に当てられたように、全身がカーッと熱くなった。
そんな自分に私は大きく動揺した。動揺しながら、どこか冷静な自分が頭の片隅でこう告げるのを聞いていた。
―――返さなきゃ。いつもの、言葉を。
「私も……貴方が、好きです……フラムアーク様」
条件反射的に繰り出したその言葉を言い終えるのに、途方もない精神力を要した。
―――大丈夫? 声、震えてない?
いつものように言えている?
表情、おかしく、ない?
怒涛のような自問自答。耳の奥で反響する動悸と込み上げてくる罪悪感にも似た感情から、今すぐにここから逃げ出してしまいたいような衝動に駆られる。
それを踏みとどまらせたのは、目の前でふわりと広がった無邪気なフラムアークの笑顔だった。
「うん……」
穏やかで、安心しきった表情―――そんな彼の様子に私は心から安堵した。
良かった……ちゃんと出来ていた……。
「……ねえユーファ、我が儘を言っていいかな」
「はい……何ですか?」
「昔みたいに、オレが眠るまで傍にいてくれないかな……? 今日だけでいいから……」
喋り疲れて眠くなったのか、フラムアークはどこかとろんとした眼差しでそうねだった。
「分かりました。ここにいますから、安心してお休みになって下さい」
「ありがとう……」
言いながら瞼を閉じたフラムアークは、ほどなく眠りの世界へと誘われていったようだった。
静かな寝息を立て始めた彼の額のタオルを再び取り替えてやりながら、私はその柔らかな金髪をそっと撫でた。昔そうしてあげたように、何度も何度も、ゆっくりと指で彼の髪を梳く。それから、幼い彼が好きだった子守唄を小さな声で歌った。
どうかしているわ、私。
無防備なフラムアークの寝顔を見つめながら、予期せず湧き起こった後ろ暗い自身の気持ちにそっと蓋をする。
熱を出して苦しんでいる主君に対して、あんな衝動を覚えるだなんて―――本当に、どうかしているわ……。
幸い悪い病原菌をもらってきたわけではなく、これまでの疲れが出たものだと思われ、緊張を覚えながら彼を診た私は大きく胸を撫で下ろした。
「情けないな……一緒に行ったみんなはピンピンしているっていうのに、オレだけこんなふうに倒れちゃうなんて」
久々にベッドの上の住人となったフラムアークはそう溜め息をついて天井を仰いだ。
「自分ではだいぶ体力もついてきたつもりだったけど……まだまだだったなぁ」
「そう気落ちしないで下さい。全体の指揮を取り続けた貴方の負担は私達よりずっとずっと大きなものがあったはずですから。むしろ途中で倒れることなく、無事に務めを果たし終えて、皇帝陛下へ報告を上げるまで持ち堪えられたご自分を褒めてあげて下さい」
冷たい水を絞ったタオルで彼の額の汗を拭きながらそう気遣うと、フラムアークは淡く笑んだ。
「……ありがとう。そう思うことにする」
それから少し間を置いて、彼は私にこう尋ねた。
「ユーファ、オレ、頑張れたかな?」
「もちろんです! アズールでの貴方の働きを知っている人はみんなそう答えると思いますよ」
「だと嬉しいけど。……ふとした瞬間に考えるんだ。もっと上手いやり方があったんじゃないかって。そう考えると、少し怖くなる。もっと上手くやれていたら、もっとたくさんの人を救えていたんじゃないのか……オレのやり方は本当に合っていたのかなって」
彼の口からこぼれたのは、上に立つ者が直面する孤独な命題、それに対する不安の欠片だった。
これはきっと今回に限ったことではなく、過去のアイワーン戦やこれまでの任務、何かある度に彼の脳裏につきまとってきたことなのだろう。
スレンツェにはこれまでもこういった悩みをこぼしていたのかもしれない。けれど、私に対して彼がそれを見せてくれたはこれが初めてのことだった。
私はそれを、嬉しく思った。
「……そこは多分、考えていくと際限がないのだと思います。過去に戻って違うやり方で再検証してみるわけにもいきませんし、貴方がその時精一杯考えて皆と協議した結果を信じてあげるしかないんじゃないでしょうか。もしも反省点を見つけた場合は、次に活かす糧としてより良い方法を模索していく―――それを繰り返しながらやっていくしかないのだと思います。有事における正解を知っている者など、誰もいないのですから」
「……うん。そうか。そうだね……」
フラムアークはその意味を噛みしめるように瞳を伏せた。
私の言葉で少しでも彼が楽になってくれたらいい。私の力が必要だと言ってくれた彼の為に、私の言葉が少しでも役に立てたなら。
「少し気が楽になった。ありがとう……」
ややしてからそう言ってもらえて、私の表情は自然とほころんだ。
良かった……。
そんな私に熱で赤らんだ顔を向けて、フラムアークは少し切なげな笑みを浮かべた。
「ベリオラがどうにか終息を迎えたのは良かったけど……また、鳥籠の中に戻ってきちゃったね」
「そうですね……でも、いいんです。いつか貴方が鳥籠から出して下さる時が来ると、そう信じていますから」
熱のせいで気怠げなインペリアルトパーズの瞳が、確かな意志の輝きを帯びた。
「うん。少し時間はかかるかもだけど……信じて、待ってて」
「はい」
「……ユーファにこうして看病してもらうのは久し振りだね」
「そうですね。フラムアーク様、本当に丈夫になられましたから」
「不謹慎かもしれないけど……久々に君を独り占め出来ているようなこの状況は、ちょっと嬉しい。少しだけ、昔に戻ったみたいだ」
弱々しい笑顔で懐かしむようにそう言われて、胸に何とも言えない思いが広がる。どう返したらよいものか、返答に詰まった。
―――アデリーネ様に聞かれたら、やきもちを焼かれてしまいますよ。
「……ふふ。子どもみたいですね」
迷った末、私はそう苦笑するにとどめた。それから冷たい水で絞り直したタオルを彼の額に置こうと、柔らかな金色の前髪を指でそっとかき上げる。
「ユーファの指……冷たくて気持ちいい」
「フラムアーク様が熱いんですよ。完全に過労からくる発熱ですから、この際しっかり休養を取ってゆっくりと身体を休めて下さい。体調を万全にしましょう」
言いながら額にタオルを乗せた私の手を、フラムアークの手が取った。熱のせいで潤んだ綺麗な双眸と目が合う。
フラムアークは私の手を自らの火照った頬に導いて押し当てると、昔から何度も繰り返し唱えてきたあの呪文を囁いた。
「好きだよ、ユーファ」
その瞬間―――ドッ、と心臓が騒いで、彼から目が離せなくなった。
端整な面差しを上気させ、私の掌に熱い頬をすり寄せるようにして、ただ無償の信頼を寄せてくれている男。幼い頃、自分の心を守る為の手段として彼が用いたお守りのようなその言葉は、時を経てまるで本物の魔力を持ち始めているかのようだった。
熱に冒され、ややしどけなくなった無防備な姿。掌に感じる、火照りを帯びた肌の質感。微かに指に触れる吐息が、熱い。
あろうことか、まるで彼の熱に当てられたように、全身がカーッと熱くなった。
そんな自分に私は大きく動揺した。動揺しながら、どこか冷静な自分が頭の片隅でこう告げるのを聞いていた。
―――返さなきゃ。いつもの、言葉を。
「私も……貴方が、好きです……フラムアーク様」
条件反射的に繰り出したその言葉を言い終えるのに、途方もない精神力を要した。
―――大丈夫? 声、震えてない?
いつものように言えている?
表情、おかしく、ない?
怒涛のような自問自答。耳の奥で反響する動悸と込み上げてくる罪悪感にも似た感情から、今すぐにここから逃げ出してしまいたいような衝動に駆られる。
それを踏みとどまらせたのは、目の前でふわりと広がった無邪気なフラムアークの笑顔だった。
「うん……」
穏やかで、安心しきった表情―――そんな彼の様子に私は心から安堵した。
良かった……ちゃんと出来ていた……。
「……ねえユーファ、我が儘を言っていいかな」
「はい……何ですか?」
「昔みたいに、オレが眠るまで傍にいてくれないかな……? 今日だけでいいから……」
喋り疲れて眠くなったのか、フラムアークはどこかとろんとした眼差しでそうねだった。
「分かりました。ここにいますから、安心してお休みになって下さい」
「ありがとう……」
言いながら瞼を閉じたフラムアークは、ほどなく眠りの世界へと誘われていったようだった。
静かな寝息を立て始めた彼の額のタオルを再び取り替えてやりながら、私はその柔らかな金髪をそっと撫でた。昔そうしてあげたように、何度も何度も、ゆっくりと指で彼の髪を梳く。それから、幼い彼が好きだった子守唄を小さな声で歌った。
どうかしているわ、私。
無防備なフラムアークの寝顔を見つめながら、予期せず湧き起こった後ろ暗い自身の気持ちにそっと蓋をする。
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