病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

文字の大きさ
59 / 139
本編

二十一歳③

しおりを挟む
  私達が最後の宿泊地に定めたのはテラハ領の丘陵地にある古びた別荘だった。

 イズーリ領に繋がるゼルニア大橋はこの丘陵地帯を抜けた先にあり、テラハ領の北東に隣接するアズール領に拠点を構えるカルロ達は明日にもこの付近を通過しようとするはずだった。

 この別荘は狩りをたしなむ貴族達の為に先代のテラハ領主によって建てられたもので、狩猟祭が行われる際は大勢が宿泊することもあり、それなりに広い造りになっていた。とはいえ、三千人近い人数を収容する規模はもちろんないので、ここに泊まるのはフラムアークと私達宮廷からの随行者だけだった。諸将はそれぞれの隊ごとにまとまって野営の陣を張っている。

 イズーリ周辺の有力者達からの援軍はまだ姿を見せておらず、カルロ達と遭遇する前に合流出来るかどうかが微妙な情勢だった。

 夜を迎え、諸将と明日の軍議を終えたフラムアークの部屋に薬湯を持っていった私は、スレンツェの様子について相談した。

「うん……ユーファと一緒でオレもそこは少し気がかりなんだ。スレンツェは滅多なことで動じないけれど、今回の件に関してはさすがにこたえるものがあると思う。昔馴染みで自分を救おうとし続けてくれていた人物の期待を、こういう形で裏切ることになるんだ……スレンツェのあずかり知らぬところで向こうが勝手に突き進めてきたこととはいえ、そう簡単に割り切れるはずもない。ただ一人残った王族としてあの戦争の責任を両肩に負い続けるスレンツェにとっては、それこそ身を切られるような思いだろう」

 フラムアークの表情は沈痛そのものだ。

「穏便に行くことを願うばかりだが、例えどんな形になったとしてもスレンツェは課せられた役目をやり遂げるだろう。そこは疑いようもない。オレとしてはむしろ、その後の方が気がかりかな。結果いかんによっては、そっちの方が心配だ」

 誰にもまだ分からない、明日の行方―――最悪を回避するために最善を尽くすしかない、不確かな現実。

「今のスレンツェの気持ちを一番理解出来るのは、多分エレオラじゃないかな。彼女はスレンツェへの義理を通す為に長年所属していた組織を裏切る形になり、尊敬していただろうカルロや大勢の顔見知りを敵に回すことになった。明日には、親しくしていた者達と戦場で対峙することになるかもしれない。自ら覚悟して選択した道とはいえ、彼女もまた並々ならぬ状況にいる」

 確かに……エレオラは未だカルロに敬称を用いているし、大きく立場をたがえたとはいえ、彼はそれに値する人物なのだろう。

 フラムアークの言う通り、スレンツェとエレオラは似たような状況にあると言える。当事者が抱える辛さというのは、外野がどんなに心を砕いてみても、当事者同士でしか分かち合えないものなのかもしれない。

「そうですね……確かにエレオラなら、今のスレンツェの気持ちに本当の意味で寄り添えるのかもしれない」

 相槌を打ちながら、何とも言えない苦しさがじわりと胸に広がっていくのを覚えた。

 ためらいのない献身。スレンツェに真っ直ぐに向かうエレオラの想いの深さ、見返りを求めない心の強さが伝わってくる。

 エレオラは強いな……私が彼女の立場だったなら、同じような行動を取ることが出来ただろうか。今のように同僚という立場ではなく、お互いを深く知り得る関係でもなく、会うこともままならない地にいる、決して手の届かない相手と自ら想いを封じた男性の為に、自分がこれまで築いてきた何もかもを捨てて駆け付けることが―――。

「エレオラ自身は大丈夫なんでしょうか……? 気丈に見せていますが、自分の下した決断に押し潰されそうになったりはしていないんでしょうか」

 今更ながらそこに思い至って彼女を案じると、フラムアークはそれを柔らかく否定した。

「そこは多分、大丈夫じゃないかな。エレオラは自分の心に向き合う時間もそれなりにあったわけだし、熟慮した上での決断だと思う。辛いには違いないだろうけど、後悔はしていないと思うよ。ベリオラの渦中でも見てきたけど、彼女は聡くて芯が強い。自分の定めた信念に基づいて行動出来る人だと思う。
今回に限ってはスレンツェの方が心配だ。スレンツェの方は全くの寝耳に水で、充分な心構えをする間もないまま、ここへ臨む形になってしまったから……。実はさっき、エレオラにそれとなくスレンツェの様子を見てきてもらうよう頼んだんだ。彼女ならわずらわさずにスレンツェを気遣えるかと思って」

 フラムアークはよく見ている。スレンツェのこともエレオラのことも、きっと駆け付けてくれた諸将や大勢の兵に至るまで―――。彼自身、にわかにこの謀略に巻き込まれた当事者で、そう余裕などないはずなのに……。

「フラムアーク様は大丈夫ですか……? 寝耳に水だったのは貴方だって同じはずです」

 そう気遣うと、フラムアークはちょっと笑った。

「オレはカルロと面識がないからね。非情な言い方をすれば事務的な対処が出来るんだ。スレンツェやエレオラとは立場が違う」

 そんな考え方が出来る人じゃないのは分かっている。貴方はカルロを「スレンツェの古い知り合い」と捉えてしまうでしょう?

「……オレは大丈夫だよ。ほら、ユーファからもらったお守り代わりもあるしね」

 彼が胸元から取り出してみせたのは、以前私があげた手作りの香袋だった。飾り紐の先に付いた小さな袋にリラックス効果のある手製のドライポプリが詰めてあり、中身は彼に頼まれる都度、私が入れ替えている。

 もう五年も前にあげたものだ。フラムアークは任務に赴く度にこれを身に着けてくれているから袋はかなりへたっていて、何度か新しいものに取り替えましょうと提案したのだけれど、彼はこれがいいんだと言って譲らないから、すっかりくたびれた見てくれになってしまっている。

 それを目にしたら、何だか胸がいっぱいになってしまった。

「……ユーファは心配していることを素直に伝えるだけでいいと思うよ。それだけで君の気持ちは充分にスレンツェに伝わると思う」
「そうでしょうか……?」
「うん。ユーファの言葉がもたらす効果は大きいから」
「だと、いいんですが」

 その効果が発揮されるよう願いながら、私は改まってフラムアークに申し出た。

「では……お願いがあります、フラムアーク様」
「? うん」
「決して一人で責任を抱え込まないと、約束して下さい」

 先程彼がスレンツェに伝えた言葉を引用して、私はそう願い出た。

「仮に貴方がスレンツェに命じてカルロを討ち取らせる結果になったとしても、それは決して貴方だけの責任じゃありません。私はそれを望んだ当事者の一人で、共に責任を負うべき者です。だって私は、貴方もスレンツェもカルロの為に失いたくはないから」

 それは偽りのない本心だった。軽く目を瞠るフラムアークに向かって、私は一心に訴える。

「カルロがレジスタンスを組織している以上、フェルナンドの謀略がなくても、いずれ彼とはぶつからねばならない運命だったのだと思います。明日、もしも話し合いが決裂して武力行使で決着をつける形になったとしても、それは互いの譲れない信念をぶつけ合った結果です。私は非力で、後方からその光景を見ている事しか出来ないでしょうが、でも、つぶさに目に焼きつけておきます。貴方達と一緒にその結果を背負います。だから決して一人で全てを抱え込もうとしないで下さい」
「ユーファ……」
「心配なんです、貴方もスレンツェも。二人とも当たり前のような顔をして、辛いことを全部自分の責任にして抱え込んでしまいそうだから―――そういうところが似ているんですよ、貴方達は。だから私はそこをすごく心配しているんです」

 私の言葉が届くというのなら、二人ともどうか心に留め置いてほしい。貴方達だけが必要以上に責任を感じて、苦しむ必要はないのだ。

「補給して下さい」

 私は自分から両手を広げて、フラムアークの前に進み出た。

「えっ?」
「私で貴方の英気が養えるなら、どうぞたくさん補給していって下さい」

 唐突な申し出に戸惑う彼の気配を感じて、今更ながら気恥ずかしさが込み上げてきたけれど、私はそれを堪えて言い募った。

「変な意味じゃありません。その、だから、ハグッ……ハグです! ……!」

 考えないようにしていた本音が、口を突いて出た。

 私はハッとして唇を引き結んだけれど、一度出た言葉は二度と口の中に戻りはしない。

 ずっと、心の奥にくすぶっていた不安だった。

 明日の様相は不確定で不明瞭で、どう転がるのか予断を許さない。それはすなわち、彼らの命運が潰えてしまう可能性をも孕んでいる。

 フラムアークが指揮官として優れた資質を持っているのは知っているし、剣士としてのスレンツェの腕は言わずもがなだ。たくさん集まってくれた援軍だって、心強い。

 でも現状、イズーリ周辺の有力者達からの援軍はまだ到着しておらず、カルロ達とぶつかる前に合流出来るかどうかは不透明だ。彼らが間に合わなければ、こちらはカルロ達の半分にも満たない兵力で臨まざるを得ない。

 何より、カルロだって必死なのだ。一度全てを失い、そこから執念で大規模なレジスタンスを作り上げて、悲願の為に突き進んでいる。そんな命懸けで挑んでくる相手を前に無事でいられる保証なんて、どこにもない。

 フラムアークが初陣を迎えた時も怖かった。けれどその時とはまた違う怖さがある。

 でも、あの時と違うのは、私はこうして彼らの傍にいて、同じ舞台に立っていられるということだ。有事の際は、自分で手を尽くすことが出来る。それが救いだった。

 だから、あの時のように泣いたりはしない。代わりに精一杯、私は私の役目を果たすんだ。

「……こういう決戦前夜というか、何かを成し遂げる直前って、軽い緊張状態というか興奮状態っていうのかな―――何となく血が荒ぶるのを感じるんだ。人が本来持っている闘争本能とか生存本能に起因するのかもしれないな。だから、ユーファに触れるのは自重しようと思っていたんだけど……」

 フラムアークはどこか独り言のようにそう呟くと、両手を広げたままの姿勢で止まっている私を見つめた。それから少し間を置いて頬を緩めた彼は、重苦しくなってしまった空気を一転させるように明るい口調でこう言った。

「でも、そんな考え一瞬で吹き飛んだ。やっぱりユーファのもたらす言葉の効果は大きいな。そうだね……こういう時だからこそ、英気を養わないとね」

 目の前で穏やかに細められるインペリアルトパーズの瞳。ゆっくりと歩み寄ってきた彼の腕が私の背中に回されて、広い胸にふわりと包み込まれる。血が荒ぶっていることなど微塵も感じさせない、優しい抱擁だった。

 ああ、自制心の強いフラムアークらしい。でも私は今、彼に無用な気遣いをしてほしくなかった。

 不安も猛りももっとぶつけてくれていい。私はむしろ、それを分かち合わせてほしいのだから。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。

真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。 狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。 私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。 なんとか生きてる。 でも、この世界で、私は最低辺の弱者。

『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』

透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。 「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」 そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが! 突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!? 気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態! けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で―― 「なんて可憐な子なんだ……!」 ……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!? これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!? ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆

【完結】秀才の男装治療師が女性恐怖症のわんこ弟子に溺愛されるまで

恋愛
「神に祈るだけで曖昧にしか治らない。そんなものは治療とは言わない」  男尊女卑が強い国で、女であることを隠し、独自の魔法を使いトップクラスの治療師となり治療をしていたクリス。  ある日、新人のルドがやってきて教育係を押し付けられる。ルドは魔法騎士団のエースだが治療魔法が一切使えない。しかも、女性恐怖症。  それでも治療魔法が使えるようになりたいと懇願するルドに根負けしたクリスは特別な治療魔法を教える。  クリスを男だと思い込み、純粋に師匠として慕ってくるルド。  そんなルドに振り回されるクリス。  こんな二人が無自覚両片思いになり、両思いになるまでの話。 ※最初の頃はガチ医療系、徐々に恋愛成分多めになっていきます ※主人公は現代に近い医学知識を使いますが、転生者ではありません ※一部変更&数話追加してます(11/24現在) ※※小説家になろうで完結まで掲載 改稿して投稿していきます

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

元貧乏貴族の大公夫人、大富豪の旦那様に溺愛されながら人生を謳歌する!

楠ノ木雫
恋愛
 貧乏な実家を救うための結婚だった……はずなのに!?  貧乏貴族に生まれたテトラは実は転生者。毎日身を粉にして領民達と一緒に働いてきた。だけど、この家には借金があり、借金取りである商会の商会長から結婚の話を出されてしまっている。彼らはこの貴族の爵位が欲しいらしいけれど、結婚なんてしたくない。  けれどとある日、奴らのせいで仕事を潰された。これでは生活が出来ない。絶体絶命だったその時、とあるお偉いさんが手紙を持ってきた。その中に書いてあったのは……この国の大公様との結婚話ですって!?  ※他サイトにも投稿しています。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】

かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。 名前も年齢も住んでた町も覚えてません。 ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。 プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。 小説家になろう様にも公開してます。

処理中です...