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しおりを挟むある日の午後。午前中から雨が降っていて、昼過ぎから雷がいななき始めた。ハネスは執務室で仕事をひと通り終えて、ペンを置いた。窓の外に視線をやる。
(今日はひどい雨だな。スフィミアは身体を冷やしたりしていないだろうか)
彼女は普通より痩せ型で、肉があまり付いていないので、寒さに弱いのではないか。
(つい彼女のことばかり考えてしまうな)
「全く。俺はどれだけ彼女が好きなんだ」
自分でも呆れてしまう。アドニスを通して見るスフィミアはあまりにも無垢で眩しい。まるで子どもみたいな純粋さだ。
直接会えてはいないが、どんどん惹かれている自分がいる。もしも直接ハネスとして会ったら、どうなってしまうのか予想もつかない。目の前で笑う彼女を見たらどんなに幸せだろうか。一方、スフィミアはアドニスのことは溺愛しているが、幼児化を克服できていないということは、大人のハネスのことは愛せていないようだ。
会いに行く前に使用人にブランケットと温かい飲み物を用意させよう。そう思って椅子から立ち上がる。
――コンコン。執務室の扉がノックされて入室を促せば、リルバーが入って来た。
「ちょうどよかった、リルバー。スフィミアにブランケットと飲み物を用意してやってくれないか?」
すると彼は、きまり悪そうに言った。
「旦那様。実はスフィミア様が先ほど倒れられまして……」
「なんだって!?」
詳しく話を聞くと、周りに心配をかけまあと気丈に振舞っていたらしいが、使用人が昼食を届けに行ったときに無理がたたって倒れて気を失ったらしい。かなりの高熱だそうだ。
(どうしてそんな無理を……)
ハネスはすぐにスフィミアの部屋に向かった。しかし、扉の前で立ち止まる。
(部屋に入ったら、俺は子どもの姿になってしまう)
アドニスの状態では、彼女に迷惑をかけてしまう。妻が風邪を引いて苦しんでいるのに、何もしてやれないことが悔しい。スフィミアもこんなに不甲斐ない男が夫で、よくも逃げずに屋敷に留まってくれているものだ。
奥歯を噛み締め、拳を固く握る。引き返そうかとも思ったが、どうしても心配な気持ちが勝ってしまい様子を窺うためにドアノブに手をかけた。
「――スフィミア。起きているか?」
天蓋付きの寝台で、スフィミアが横になっていた。顔が火照っていて額には脂汗が滲んでおり、荒い呼吸をしている。
彼女のすぐ傍に立ってみるが、なぜか幼児化しなかった。以前、スフィミアが眠っているときに大人の姿に戻ったことがあったが、今回は彼女の意識が朦朧としているためか、子どもの姿に戻ることはなかった。
自分の手に視線を落とし、大人の姿を維持していることを確認する。
寝台の傍らに椅子を置き、そっと彼女の額に手を伸ばす。初めて触れた彼女の肌は、汗ばんでいて熱かった。
(……熱いな。こんなに高熱が出て、大丈夫なものなのか?)
洗面器の水にタオルを浸して搾り、スフィミアの額の汗を拭ってやる。
「アド……ニス、様は……?」
はぁはぁと乱れた息をしながら、こちらに尋ねてくる彼女。もしかしたらハネスのことを使用人の誰かと勘違いしているのかもしれない。アドニスが自分のところに会いに来るのではないかと心配しているのだろう。
「風邪……移すといけないから……はっ、はぁ」
「ああ、分かった。伝えておこう。あなたは何も心配せずに休んでくれ」
そう伝えると、彼女は安心したような表情をして、そのうちに寝息を立て始めた。眠る彼女を見下ろしながら思う。
(早く元気になって、またアドニスと遊んでやってくれ)
安らかに眠る様子に、ほっと安心する。しっかり眠れば熱も下がるだろう。あまり勝手に触るものではないと思いつつも、つい我慢できずに彼女の頬を撫でる。
「好きだよ。――スフィミア」
◇◇◇
その日ハネスは、スフィミアの風邪が早くよくなるようにと願いながら眠りについた。そして、夢を見た。
(苦しい……誰かっ、誰か……っ)
幼児化したハネス、もといアドニスは、深い湖に落ちて溺れていた。水を沢山飲んでしまっていて、どんどん沈んでいく。必死に水を搔くが、体力が奪われるだけだった。
見上げた水面はさざ波を打ち、太陽の光を反射して鏡のようにきらきらと輝いている。
――もう駄目だ。そう思って目を閉じかけたとき、細くしなやかな腕が伸びてきて、身体を抱き寄せられる。若い女性が、湖に飛び込んで自分を助けに来てくれたのだ。
「もう、大丈夫」
水中でよく聞き取れないが、彼女は確かにそう言った気がした。
(誰……この人は、誰……?)
そのままぐんぐん水面へと上がっていて、空中に顔を出した。
「ぷはっ……はっ、はぁ……げほげほっ」
気管支に入った水を吐き出していると、彼女が背中を摩ってくれる。そのまま彼女に抱かれながら岸に上がった。動揺していたアドニスはようやく落ち着きを取り戻し、彼女のことを見上げる。
「ありがとう、助けてくれて」
「どういたしまして」
にこりと微笑みを湛え、こちらを見つめている女性。プラチナブロンドのウェーブがかかった長髪に、丸みのある青い目をした可憐な娘だった。
「あなたが無事で何よりよ」
彼女は濡れた前髪を後ろに掻き上げ、濡れたドレスのスカートを絞った。
「ごめん……僕のせいで、大事なドレスが」
「ううん、気にしないで? むしろ、こんな暑い日に水浴びができて気持ちがよかったわ。ありがとう!」
「……!」
なんて前向きな人なのだろう。助けてもらったのはこっちなのに、感謝を述べて来た彼女。とびきりの笑顔を見て、子ども心にどうしようもなく胸が高鳴った。
◇◇◇
夜中に目が覚めて、半身を起こすハネス。眉間の辺りを指で押さえ小さく息を吐く。
(懐かしい夢を見たな)
一年前、スフィミアと出会ったときの記憶だった。外せない用事で王城に出向いたはいいものの、案の定女性に遭遇してしまい幼児化したハネス。庭園をうろついていたら、うっかり湖に落ちてしまったのだ。
そのときに助けてくれたのがスフィミアだった。なぜ彼女が泳げたのかは分からないが、彼女が助けてくれなければ、今ここに自分はいないということは確かだ。
(まさか彼女が嫁いで来てくれるとは、夢にも思わなかったがな)
あの眩しい笑顔を見たときに、スフィミアにひと目で恋に落ちた。アドニスの心だけでなく、ハネスの心さえも彼女はかっさらってしまったのだった。
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