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二章
〈38〉小公爵様、それはお互い様です
しおりを挟むロベリアの賛辞にご満悦なユーリを隣に、校庭を歩いていると、視線の向こうで人集りを見つけた。
女子生徒たちが、地面に座り込んだ一人の令嬢を取り囲んでおり、彼女の周りには教科書や筆記用具が散乱している。
「どうしたのかしら?」
「転んだようだね。膝から血が出ている」
ロベリアとユーリは女子生徒たちの元まで歩んで声をかけた。
「大丈夫?」
麗しの貴公子ユーリの登場に、若い娘たちは色めき立つ。皆顔をほのかに紅潮させて、それぞれ顔を見合せ目配せし合っている。
ウェーブのかかった茶髪をした、怪我をした生徒が言う。
「すみません。転んで足首を酷く捻ってしまったんです」
ユーリはその場に膝を着き、彼女に尋ねた。
「少し診ても構わないかな?」
「は、はい……ユーリ様」
「ありがとう、失礼するよ」
ユーリは丁寧な手つきで、左足の靴下を下に下げ、患部を観察した。その仕草さえ艶やかで、野次馬の中から歓声が漏れ聞こえる。
「捻挫だね。歩けそうにないかな?」
「はい……。上手く力が入らなくて……」
「この様子では無理もないよ」
ユーリは立ち上がり、ロベリアにそっと囁くように言った。
「ロベリア、彼女を抱いて医務室に連れて行ってもいい?」
「……? どうして私に確認するの?」
「…………」
なぜか彼は、ロベリアの答えに不服そうに眉を寄せた。そして、再び怪我をした令嬢に向き直る。
「よければ僕が連れて行くよ。ずっとここに座ってるって訳にもいかないでしょ?」
「……! で、でも小公爵様のお手を煩わせる訳には……」
「それは気にしなくていい」
ユーリが穏やかに微笑むと、令嬢は顔を赤くさせてこくんと頷いた。
「で、では、お願いいたします」
「うん。君を抱えるから、首に掴まっていて。――身体に触れるけど、いいね」
「は、はい……っ」
彼女がユーリの首に手を回す。ユーリは令嬢を、小揺らぎもせずに軽々と抱き抱えた。いわゆる"お姫様抱っこ"というやつだ。彼の絵に書いたような紳士的な振る舞いに、周囲の女子生徒らは完全に乙女心を鷲掴みにされている。
当の本人、ユーリは周囲のざわめきなど全く意に返さず、淡々とロベリアに告げた。
「ロベリアも一緒に来て」
「分かったわ」
ロベリアの同伴に、抱えられた令嬢は不満そうにこちらを見た。ロベリアは床に散らばった転んだ令嬢の持ち物を拾い集め、医務室に向かった。
◇◇◇
「ユーリ様……! 本当に本当にありがとうございました……っ」
医務室に令嬢を送り届ける頃には、彼女はすっかり熱を帯びた眼差しをユーリに向けるようになっていた。彼女の恋心に気づいていそうなユーリは、好意を知った上で淡白だった。
「それじゃお大事に。僕らはもう行くから。さ、ロベリア。行くよ」
「待って……! お待ちください、ユーリ様!」
「何?」
令嬢に引き止められ、ユーリは再度彼女に目を向けた。
「あ、あの……今度、お礼を……っ。お食事にでも、いかがでしょうか……っ」
「……ありがとう。でも、その気持ちだけ受け取らせていただくよ。ごめんね」
「……」
ユーリは愛想よく微笑んでいるが、どこか淡々としていて、事務的な感じがした。
(多分、こういうことがよくあるんだわ。……少し親切にしただけで特別な情を抱かれてしまうのも、大変ね)
ユーリに誘いを断られ、しゅんと肩を落とした令嬢は、ユーリを見た後――ロベリアを値踏みするように一瞥した。そして、恐縮した様子でおずおずと言う。
「恐れながら、お尋ねさせていただきます、ユーリ様。……ユーリ様とロベリア様は、よく一緒におられますが、どういったご関係なのですか?」
「彼女は僕の恋人だよ」
「……! そう、なんですか……」
令嬢は次に、ロベリアに尋ねた。
「あの……ロベリア様。ユーリ様は私たちにとって雲の上の存在のお方、でした。釣り合う女性などいないと噂される程です。ロベリア様は、そんなお方の隣に立っていて、惨めに思ったり、お辛くなることはないのですか」
つまり、ロベリアもまたユーリには相応しくないと言いたいのだろう。なんの捻りもない嫌味だ。この令嬢は、大人しそうに見えて案外はっきり物を言うらしい。しかし、ロベリアは、彼女の嫌味にさして動じなかった。
(釣り合うとか、釣り合わないとか、そういうことは気にしても仕方がないことだわ。周りにどう思われるかより、重要なのは自分の心が満たされているかどうかだと、私は思うから)
ロベリアは、一本筋が通った人間だ。周りの言葉に翻弄されず、自分の正しさの中を生きている。周りの評価ではなく、正しさを追求し生きる自分自身に誇りを持っていた。だから、令嬢の指摘はどうでもいいとさえ感じた。
ロベリアは、余裕たっぷりに微笑んで答えた。
「そう思うことも、あるかもしれないわね」
「…………」
一切動揺を見せない態度に、令嬢は口ごもった。彼女の嫌味を受け流したロベリアは、さっさと退出しようとユーリの方を見た。――すると。
(……お、怒ってるわね)
彼の形の良い唇は扇の弧を描いている。一見笑っているように見えるが、その目はちっとも笑っていない。
ロベリアが侮辱に近い言葉を受けたことが、相当気に触ったらしい。ユーリも基本的に寛容で怒るタイプではないので、そんな彼を怒らせた令嬢は逸材である。しかしユーリもまた、分別のある青年だった。
「僕らは一緒にいたいからいる。それ以上でもそれ以外でもないよ。……体裁を気にして付き合っている訳じゃないから」
ユーリは怒りを声に含ませず、いつもの温厚な表情で淡々と言っただけだった。
――まるで、ロベリアの気持ちを代弁するような言葉。ユーリは事を荒立てずにそれだけ言い残し、ロベリアの手を引いて医務室を出た。
◇◇◇
医務室を出て、険しい顔をしたユーリが開口一番に言った。
「ごめん。嫌な気分を味わわせた」
「いいえ、このくらいで気にしたりしないわ。あなたも大変ね」
「たまに、変に期待を抱かせるくらいなら、誰にも親切にしない方がいいんじゃないかと思うよ」
「ふふ。ユーリ様にそれはできないわ。人が良いから」
「はは、どうだろうね」
目を合わせただけで恋されるユーリ・ローズブレイド。人生で一度はそんな風にもてはやされることも味わってみたいものだが、過剰に崇拝されるというのも、真実を見失って人間不信に陥ってしまうかもしれない。
生徒会室へ戻るための長い廊下を歩く。道中、彼はきまり悪そうにしていた。
「君は大人だな。……僕の方ばかり、君に嫉妬して、勝手に不安になったり、腹を立てたりしている」
ロベリアは小さくため息をついた。
「……私だってしますよ、嫉妬。落ち込んだり、怒ったりもする」
「え……」
「それを表に出さないだけ」
ロベリアはユーリを見上げて、悪戯に微笑んだ。
「だって、私はユーリ様が好きだから」
「……!」
ユーリは僅かにたじろぎ、口元を手で覆いながら目を逸らした。
「突然そんなことを言って驚かせないでくれよ。……僕の心臓がいくつあっても足りないだろ」
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