【完結】それ以上近づかないでください。

ぽぽ

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「かおるくっ……蓮見くん!!」


思わず、付き合っていた頃のように名前を呼んでしまい、慌てて訂正する。
だが、馨は何も言わずに歩く速度を上げた。

凪は引きずられるようにして廊下を進む。馨の力強い腕に引かれ、抗う間もなく足をもつれさせながらついていくしかなかった。


「ちょっと、一体どこに……!」


近くにいた生徒たちは、唖然とした表情でこちらを見ていた。馨と凪は特に仲が良いわけでもない。それどころか、ほとんど会話すら交わしていないはずなのに、こんなふうに連れて行かれる様子を見たら、誰だって驚くだろう。

助けを求めようか―、そんな考えが一瞬頭をよぎるが、誰に何を言えばいいのかもわからず、言葉にならなかった。何より助けを求めたところで誰かが助けてくれるわけではない。

馨は一直線に空き教室へと向かい、そのまま凪を中へ押し込んだ。

「うわっ」

背中を強く押され、前のめりに転びそうになる。何とか踏みとどまったが、心臓が嫌な音を立てて鳴っていた。

まさか、このまま閉じ込められるんじゃないか、その不安が的中したかのように、馨は扉を閉めると、後ろ手に鍵をかけた。

どちらにせよ、いい結果は待っていない。馨の表情は冷たく、今にも何か言い出しそうな雰囲気だった。

「す、すいませんっ……ごめんなさいっ」

凪は反射的に自分の鞄を胸元に抱え、謝罪の言葉を口にした。馨の怒りの矛先を少しでも逸らしたかった。だが、馨は何も言わないまま、ゆっくりと凪との距離を詰めてくる。

その沈黙が、何よりも怖かった。

じりじりと後退する。壁が背中に当たる。

逃げ場がない。

馨が手を振り上げた。

殴られる。

凪は息を呑み、目を強く瞑った。
しかし、痛みは降ってこない。

そっと目を開けると、馨はただ凪をじっと見下ろしていた。

その目は怒りだけではなかった。探るような、試すような、そんな色も混じっていた。


「……なくした」

「……えっと……何を?」


何をなくしたかなんて、凪にはわかっている。だが、わかっていないふりをするしかなかった。


「缶」

「缶って?」

「お前に貰ったやつ」


やはり、あのクッキー缶のことだ。

馨の口からはっきりとそう言われた途端、胸の奥がざわついた。馨の記憶の中に、まだ自分が存在しているという事実に、わずかに動揺する。

けれど、そんな素振りを馨に見せるわけにはいかなかった。


「僕、そんなのあげたっけ?」


凪は面白くもないのに、無理に笑みを浮かべた。


「ごめん、忘れちゃった……」


本当は、馨のためだけに作ったものだったのに。
そう言いながら、喉の奥が苦しくなるのを感じた。しかし、馨はその言葉を聞いた瞬間、はっきりと表情を変えた。

目が見開かれる。

まるで、信じられないものを見るような顔だった。

「だから、何のことかわからな」

「忘れてないだろ」


馨が低く遮る。
その声は、まるで確信しているようだった。


「な、なんで、忘れてないなんて蓮見くんが言い切れるの?」

凪が「蓮見くん」と呼んだ瞬間、馨の眉間にさらに深い皺が刻まれる。


「それに、他の人にもあげてたから、記憶が混ざっちゃってるのかも……」


苦し紛れに、そんな嘘をつく。
それで馨が納得してくれると思った。


「誰にあげた?」

思いもよらぬ質問に凪は言い淀んだ。


「誰って……いろんな人……」

「だから誰」


その瞬間、何かが吹っ切れた。
どうせ、もう嫌われているのだから。
多少本心をぶつけたところで、何も変わらない。そう思った。

俯きながら、小さな声で告げる。


「……別に、言う必要ないでしょ?
なんで蓮見くんに、誰にあげたかなんて言わなきゃいけないの?僕と蓮見くんは、もう関係なんてないのに……っ」

その言葉を口にした途端、胸が締め付けられるように苦しくなった。

馨との関係ができて以来、初めて、馨に対して抵抗を見せた。

馨がどんな顔をしているのか、ほんの少しだけ視線を上げる。

そこにあったのは――。

憎悪に満ちた瞳。

凪は息を呑んだ。

けれど、負けたくなかった。
今さら取り繕ったところで、どうせ無駄なのだ。


「こんなやつに貰ったもの、いらないでしょ?」


弱々しい笑みを浮かべながら、続ける。


「価値なんてない。だから、あってもなくても一緒じゃないか。缶が必要なんだったら……僕が適当な場所で買ってくるよ」


馨は何も言わなかった。

凪は俯いていたため、馨がどんな表情を浮かべているのかはわからなかった。

だが、馨から漂う雰囲気は明らかだった。
怒り。それも、単なる苛立ちではない。
何かを押し殺すような、もっと強い感情がそこにはあった。

このままでは、息が詰まりそうだった。


「じゃあ、僕、行くね」


馨の身体を交わし、教室の扉へと向かい逃げるようにその場を後にした。
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