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しおりを挟む転校は、思っていた以上に急だった。
両親の話では、今週中にも引っ越しが完了し、新しい土地での生活が始まるという。
けれど、それが凪にとって「寂しい」と感じるような出来事ではなかった。むしろ、こんな環境から抜け出せることが幸運だとさえ思えた。
担任には、転校を直前までクラスメイトに伏せておいてほしいと頼んだ。
両親には「しんみりする空気が苦手だから、できるだけ普段通りに過ごしたい」と伝えたが、実際のところは違う。
転校を知れば、この環境が嫌になって逃げたとか、ブレスレットの一件も含め、いじめがさらに悪化する可能性もあったからだ。
担任は「本当に直前でいいのか?」と何度も確認してきた。直前になれば、クラスメイトたちが別れの色紙を作ったり、お別れ会を開いたりと、友人同士でのイベントが発生しやすくなる。教師としては、それらの機会を奪ってしまうのは申し訳ないと思ったのだろう。
けれど、凪には関係のない話だった。
悲しむ友達なんていない。色紙を渡す相手もいない。お別れ会を開いてくれるような存在もいない。
転校を告げれば、今まで以上に侮蔑の対象になるだけだ。
だから、直前に伝えてもらうことにした。
その間も学校生活は何も変わらず続いていた。ただ、一つだけ違ったことがある。
あの出来事以降、馨の姿をほとんど見かけなくなった。
それが意味するものは、凪には分からなかった。
凪の引っ越しの数日前、いつも通りの放課後のホームルーム。
担任が前に立ち、教室の空気が静まるのを待ってから、神妙な面持ちで口を開いた。
「今日は、みんなに大事なお知らせがある」
その一言で、クラス中に緊張が走る。
「なんだろう?」と小声で話し合う声が聞こえてくる。
「家庭の都合で、小鳥遊が今日をもってこの学校を去ることになった」
その瞬間、教室がざわめいた。
「は?」
「転校?」
「マジで?」
驚きと困惑の声が飛び交う。担任は「静かに」と一喝し、再び静寂が訪れる。
凪は椅子に座ったまま、指先をぎゅっと握りしめた。
人前に立つのは苦手だったが、こういう時は挨拶しなければならない。ゆっくりと立ち上がり、ぎこちなく前へ出る。
どうせ誰も悲しまない。適当に言葉を並べておけばいい。
そんなことを考えながら、口を開いた。
「今まで、ありがとうございました」
一呼吸置く。
「この学校での生活は、他の学校に行ったとしても忘れることはないと思います」
簡潔な言葉だけを残し、そそくさと席へ戻る。
教室中の視線が自分に向いているのが分かる。ひそひそと囁く声が耳に入るが、誰も話しかけてこない。
凪は静かに荷物を鞄に詰め込んだ。
荷物を一旦教室に置いたあと、校庭の花壇へと向かう。
ここは、唯一自分が「居てもいい」と感じられる場所だった。
小さな花々が風に揺れている。
しゃがみ込んで、丁寧に水を注ぐ。
「君たちのお世話をできないのが、心残りだよ……。先生にちゃんと面倒を見てもらうように言っておくからね。強く生きて」
自分に言い聞かせるように、花たちに言葉をかける。
僕も頑張るよと心の中で呟き、ジョウロを片付け、静かに校舎へ戻った。
教室に戻ると誰もいなくなったはずの教室に、人影があった。
窓の外を眺めて立っている、その姿。
凪の心臓が一瞬、強く打った。
凪が入るのと同時に、その人物はゆっくりと振り向いた。
長いまつ毛、高い鼻、薄く形の整った唇。美しい線を描く輪郭。
凪が憧れ続けていた人。そして、自分を傷つけた人。
馨は、無表情のまま、じっとこちらを見つめた。
「転校するの」
低く掠れた声だった。
おそらく、誰かがすぐに噂を広めたのだろう。
「うん、そうだよ」
凪は静かに答える。
この顔を二度と見ないと思うと、胸を締め付けられるような痛みが走った。
でも、そんな感情は一瞬だけ。すぐに消える。そう自分に言い聞かせた。
「……本当……だったんだ」
馨は口の端を歪め、拳を強く握りしめた。
「うん、何でそんなこと聞いてくるの?」
「何でだろ、わかんない
どうしてだろ。」
馨は戯けるように軽い笑みを浮かべた。だがその笑みからは楽しいから笑っているのではない、やけくそに切なさを誤魔化すような笑みだった。
凪が馨の笑みを見るのは別れてから初めてのことだった。いくら傷つけられたとしてもその笑顔はあまりにも綺麗だと思ってしまう。
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