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しおりを挟む馨は凪に向かって手を伸ばした。
凪は反射的に身を竦める。もしかして殴られるのか。殴られた上でさらに酷い言葉でも言われるのか。
これまでの経験がそう警戒させた。馨は直接的な暴力を振るったことはないが、そんな不安が微かによぎり強く目を瞑った。だが、いつまで経っても痛みはやってこない。
恐る恐る瞼を開くと、馨の手は凪の頭の上にかざされたままだった。
撫でようとしているのか、それとも何か別の意図があるのか、凪には分からない。だが、目を開けた途端、その手は何事もなかったかのように引っ込められた。
「どこに転校するの?」
馨の問いかけに、凪は少し間を置いてから答える。
「言わないよ。蓮見くんはそんなこと聞いてどうするの?」
「多分……会いに行く」
驚いて馨の顔を見た。
「会いに行く」だけじゃない。「多分」という曖昧な言葉が、かえってその意志を強く感じさせる。
冗談だ。そう思おうとしたのに、なぜか心臓が早鐘を打つ。身体が熱を帯びていくのを感じた。
「君は冗談で言ったのかもしれないけど、もし、僕の居場所を知ったとしても放っておいてほしい」
声が震えそうになるのを必死に抑えながら、凪は続ける。
「多分、そんなことをされたら僕は馬鹿だから……また君を好きになってしまう気がする」
凪は声を詰まらせそうになりながら、はっきりと告げた。馨の瞳は微かに驚いたように見開く。
「だから、やめて……もう傷つきたくないんだ……」
「俺は」
馨が言葉を発しようとした瞬間、凪は勢いよく両手で耳を塞ぎ、顔を伏せた。それ以上馨の言葉を聞いたら忘れられなくなってしまうような気がしたからだ。
「僕みたいなデブで不細工なやつに対しても、馨くんは最後までそんな演技ができるんだね」
苦笑いを浮かべながら呟く。
「本当にすごいよ。もうゲームは終わってるんだよ」
「演技じゃない」
馨の声が強張る。
次の瞬間、馨は凪の手首を掴み、耳を塞いでいた手を強引にどかした。
「凪、ごめん
本当にごめん」
低くかすれた声が、直接耳元で響く。馨の吐息がかかるほどの距離。
「忘れられないくらいの傷を負わせたと思う」
馨の声がわずかに震えていることに、凪は気づいた。
そんなの、ずるい。
でも、もう遅い。
馨は凪からそっと距離を取ると、自分の鞄を開けた。カバンの近くに置いてあったシューズケースチャックが少し空いていてその中の靴はおそらくバッシュだった。桜から貰っているはずのそれはなぜかボロボロのままだ。
凪がバッシュに気を取られている間に封筒のようなものを取り出した。
「……何?」
問いかける間もなく、それは凪の胸ポケットへと差し込まれた。
「家に帰ったら見てみて」
「いやだ。絶対見ない」
顔を背けるようにして答える。
凪の断言に馨は少しだけ悲しそうな笑みを浮かべた。
「じゃあ、いつか思い出したら見てみて。」
馨の声は、これまで聞いたどの言葉よりも優しく、穏やかだった。
「凪、俺はまた会えること楽しみにしてる」
また会うつもりなんてないし、冗談でそんなことを言わないでくれと否定しようとしたが馨の顔を見上げると、その瞳がかすかに潤んでいるように見えた。
馨は無理に柔らかい笑みを浮かべながら、凪の頭をくしゃくしゃに撫でた。
「ちょ……」
抵抗する間もなく、馨は凪に背を向け、ゆっくりと教室の外へと歩き出す。
もう止めることはできない。止める理由もない。
凪は馨の背中を眺めながら、小さくつぶやいた。
「さようなら、僕の初恋」
馨は振り返ることなく、教室を出て行った。
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