【完結】それ以上近づかないでください。

ぽぽ

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「凪、帰るぞ」

「え? なんで……??」


凪が戸惑いの表情を浮かべて宗介を見上げると、彼は顔色ひとつ変えずに淡々と告げた。


「さっき状況見てきたけど、あの女、全然落ち着かねえ感じだった。とてもじゃないけど、今は帰れる状況じゃないんだとよ。だから悪いけど、先に帰ってくれって。……あと、これ」


そう言って宗介は凪の頭の上に何かを被せた。

視界が一瞬、真っ暗になる。思わず手を伸ばし、それを手に取ると、ふわりと漂ってくる懐かしい香りに凪は目を見開いた。

馨の香りだった。

被せられたものの正体を確かめようと凪が両手で広げてみると、それは黒のパーカーだった。ゆったりとしたサイズ感で馨が普段愛用しているものだと勘づく。


「これって、馨くんの……?」

「そうだとよ。お前が風邪引くと困るから着て帰れってさ。それと——返さなくていいってよ」

「……返さなくていい?」


凪は思わず聞き返した。なぜ? 大切なものじゃないのか? そんな疑問が胸に浮かんで離れない。それでも、手の中のパーカーは馨の温もりを宿しているようで、凪はそれをぎゅっと胸元に抱きしめた。


「……はあ。そういうの見るの、しんど……」


宗介が苦々しい表情を浮かべて、自分の髪を乱暴にかきあげながらつぶやいた。その表情には悔しさのような複雑な感情が滲んでいた。凪にはその理由がわからず、ただ俯くしかなかった。


「帰るぞ」

「……うん、わかった」


その返事を聞いた宗介は、ほんの一瞬だけ目を丸くした。


「抵抗するかと思ったけど聞き分けいいな」

「馨くんのこと、信じてるから。……僕は、帰ることを選ぶ」


凪の声はわずかに震えていたが、そこには確かな覚悟が感じられた。だが、その瞳には涙の膜がうっすらと張り、今にもこぼれそうだった。


「これが“信じる”っていうことなら、僕はそうするよ」

視線を横に向けると、そこにはりりがいた。凪の言葉を聞いた彼女は、最初こそ驚いたように目を見開いたが、すぐに優しく微笑み、こくりと頷いた。


「うん、大丈夫だよ。……信じてあげよ」


その一言に背中を押されるようにして、凪は宗介に連れられて大学をあとにした。

帰りの車内では、ふたりともほとんど口を利かなかった。凪は窓の外をぼんやりと眺めながら、馨のことを考え続けていた。帰ってきてしまったことを後悔しているわけではないが心は落ち着かなかった。

自宅に着いた凪はすぐにシャワーを浴び、その後、何度か馨にメッセージを送ってみた。短い文をいくつも書いては消し、ようやく送信ボタンを押す。しかし、いくら待っても、馨からの返事は届かなかった。

気を紛らわそうとしても落ち着かず、凪は思い切って実家へと向かった。

実家に着くと、母の志保が凪を喜んで出迎えた。

「今日はなーちゃんの好きなシチュー作ってあげる」といって台所へ向かう母の背を見送った凪は、少しだけ笑みを浮かべたが、やはり食欲は湧かず、自室のある2階へと足を運んだ。

自室に入ると1階から聞こえてくる、食器がぶつかり合う乾いた音。リビングから聞こえるテレビの音。それらの音が妙に温かく感じた。

(今頃、馨くんはどうしてるんだろう……大丈夫かな……)

そう思っても、連絡がない不安は拭えなかった。

気持ちを切り替えようと、凪は絵を描こうと机の引き出しを開けた。愛用のスケッチブックとペンが無造作に入っている。けれど、その手がふと止まる。

視線の先にあったのは封筒だ。

転校する直前に、馨から渡されたものだった。

存在を忘れたかったわけじゃない。ただ、見るのが怖かった。だから引き出しの奥にそっと隠していたのだ。

凪はためらいながらも封筒を手に取った。指先がかすかに震える。深呼吸をひとつして、封を開けた。

そして、ゆっくりと中身を覗き込んだ。
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