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しおりを挟む「凪」
不意に名前を呼ばれて振り返ると、宗介の顎が自然に凪の頭の上に乗った。
「……どうしたの?」
凪が少し戸惑いながら見上げたその瞬間、ふにっと柔らかい感触が額に走った。宗介の唇だとすぐにわかった。それと同時に、首元に回された腕が力強く凪の身体を抱き寄せてくる。
宗介の香りがふわりと鼻先をかすめた。
「凪、今度バスケの試合があるんだけど……来るか?」
不意に放たれた誘いの言葉。宗介の声色は、いつもよりわずかに緊張しているようにも聞こえた。それが妙に意外で、凪は思わず首を傾げる。
「バスケの試合?」
「うん。俺の従兄弟が出るやつ。チケット、何枚かくれるって言われててさ。……凪が行きたければ、一緒に」
「この前も試合見に来てただろ?」と、宗介が付け加える。
その声音はどこか慎重で、宗介にしては珍しく遠慮がにじんでいた。
本当は、すぐに「行きたい」と答えたかった。宗介と一緒に何かを見たり、同じ空間を共有できるだけで嬉しいと、凪の心はそう叫んでいた。
けれど、言葉は喉の奥で引っかかり、口からは出てこなかった。
宗介の従兄弟が所属しているチーム。そこには、あの人の姿があるかもしれない。
「……蓮見馨のこと、気にしてる?」
宗介がそっと問いかけてくる。まるで凪の胸の内をすべて見透かしているような口ぶりだった。
ぎくりと凪は肩を震わせる。
その問いに、「気にしてない」と言ってしまうのは簡単だった。だけど、宗介の前でだけは、偽りのない言葉を選びたかった。
凪は小さく、けれどはっきりと頷いた。
「まあ、だろうな。凪、あいつのことまだ……」
宗介が何かを言いかけたそのときだった。
「僕は宗介が好き。
馨くんが気になるっていうのは好きな人とかに対する感情とはまた違うものだから。」
凪が強い語気で割り込んだ。ただ、自分の中に生まれてしまった矛盾を、どうにか打ち消したかった。
宗介は数秒、凪を見つめたあと、ふっと口元をゆるめて凪の頭をわしわしと撫でた。
「そっか。……でもさ。これを聞いて、凪がどう思うかわかんねぇけど」
一瞬の間を置いて、宗介は低く呟いた。
「蓮見馨、今回の試合には出ない」
「え?」
思わず宗介を見上げた。胸の中に波紋のようなものが静かに広がっていく。
「アイツ、アメリカに行くらしい。夢を追うために。バスケでどこまで通用するのか、自分の力を試したいって」
その言葉は、馨の口からも聞いたことがあった。けれど、宗介の口から聞かされると、まるで別人が遠くに行ってしまったような感覚に襲われる。
本当に、馨はもうここにはいないのだと。凪の世界から消えてしまうのだと、ようやく現実味を帯びた。
「……そう、なんだ」
ぽつりと呟いたあと、凪は目を伏せた。けれど、すぐに顔を上げると、真っ直ぐに宗介を見つめた。
「なら、僕……試合見に行く。宗介と一緒に、行きたい」
声には、迷いもためらいもなかった。馨に対する未練が全くないとは言えない。けれど、それでも前を向いて生きていくと、心に決めたばかりだった。
宗介はその言葉に少し目を見開いたあと、嬉しそうに笑った。
「……そっか。じゃあ、一緒に行こう。凪がそう言ってくれて、なんかホッとした」
凪の頭をそっと撫でる宗介の手は、どこまでも優しくて温かかった。
馨が残した痛みを、ゆっくり、優しく癒やしてくれるようなそんな手のひらだった。
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