2 / 45
2、スタイルズ姉妹
しおりを挟む
エマは窓辺に座り、姉のダイアナからの手紙の封を切った。
『少し日が空いてしまったわ。ごめんなさい。
アメリアが風邪を引いてしまったの。その付き添いもしていたから。
覚えている? アメリアは姉妹の五歳の妹の方よ。
今はもう元気になって、姉のジュリアと遊んでいるわ。
館の皆は元気? わたしも随分とこちらに慣れました。
お邸で迷子になって、姉妹に笑われることもないわ。
素直ないい子たちで、手を焼くことも少ないの。
小さい頃にお母様を亡くした可哀想な少女たち、と
わたしの方が変に二人に対して構えてしまっていたところがあると、
反省もしているわ。
ハミルトンさんもとても親切によくして下さるわ。
お母様にくれぐれも安心して欲しいとお伝えしてね。
家庭教師が勤め先のお邸でいじめられるなんてこと、滅多にないものよ。
意地悪な雇い主ばかりではないのだもの…』
相変わらず、優しい文章が続く。一通り目を通し、エマは姉のダイアナに会いたくてたまらなくなる。
エマの二つ上の姉のダイアナが、館を出て他家の家庭教師を勤め出して半年が経った。手紙のやり取りは頻繁で、互いの近況を知らせ合っていた。
離れて住み、ダイアナもこちらからの手紙を楽しみにしているはずだ。手紙の末尾には、いつも返事の催促が必ず記されている。便箋に向かい、ペンを持った。
知らせたいこともある。それに対して姉の意見も聞きたい。
最近の出来事を思い浮かべながら、ペンを走らせる。健康を尋ねる挨拶の後で、彼女は文章に迷った。
(どう書いたらいいかしら? ダイアナは何にも知らないから…)
とりあえず、そのままを書けばいいと、数日前に開かれた音楽会のことを思い起こす。
某邸で開かれた音楽会には、近在の親交のある人々が招待された。母と出席するつもりが、アシェルが寂しがり、エマ一人での参加になった。
背格好も似ているので、衣装は仲良しの姉とほぼ共有だ。新調のドレスを着る令嬢もいる中、その一枚を纏ってきた。夜会だからとショールを羽織った。
スタイルズの家は父を亡くして以来、倹約に努めている。議員を務めた父の収入が途絶えたのは、母には小さくない不安の種だった。
貧しい訳ではないが、のちアシェルが大学に進学する際の費用に慌てないためだ。その目的があるから、ダイアナも外に家庭教師の職を求めた。
会ではピアノの演奏に令嬢らが歌う。こういう場では、ダイアナがよくピアノを弾いたものだった。ピアノだけでなく歌声も美しかったが、本人が控え目であまり歌いたがらなかった。
エマはピアノも不得手で、何とかこなす程度だ。歌も声にあまり自信がない。同じ令嬢の嗜みなら、絵を描いたりタピストリーを織ったりが性に合っていた。
音楽の合間に、お茶が振る舞われた。
「エマのショール素敵ね」
幼なじみの一人が褒めた。オリヴィアから離れたところでは、誰も敢えてエマを貶めたりしなかった。
「ありがとう。母から習って、レースで編んでみたの」
「いいわね。今度教えて。わたし、ケープにしたいわ」
「ええ、いいわよ」
そこへ、オリヴィアが微笑みながら現れた。裕福な彼女は新しいドレスで誇らしげだ。これ見よがしに裾を揺らす。
「王都のデザイナーの新作物なの。お父様がお出かけの際におねだりしたわ」
織も意匠も繊細で、高価な品なのがわかる。華やか好きなオリヴィアに映えていた。
「お似合いね。素敵よ、オリヴィア」
エマは素直にそう思った。誰かの声も続く。
「本当。羨ましいわ」
「親父殿は妹に甘い。王都に行くたび散財させられるとぼやいてたよ」
オリヴィアの兄のキースが加わった。我の強いオリヴィアに比べ、キースはのんびりとした若者だった。
「キースの二人乗り馬車より安上がりよ」
「領地を回るのに便利なんだ。お前の無駄遣いとは違う」
「領地なら、馬で回ればいいだろう。僕ならそうする」
隣でレオが少し笑って言った。それには令嬢たちも白い歯を見せた。
「僕は慰問物資を届けるから、馬では不便なこともあるんだ」
「そうか、悪かったな」
「ところで、エマ、ダイアナは元気かい?」
「ええ、元気にしているようよ」
「帰る時は知らせてくれないか? 僕が乗り換えの駅に馬車で迎えに行くよ」
「ありがとう。でもまだいつ帰るか、知らせをもらっていないわ」
「遠慮する必要はないから」
念を押すキースに、エマは曖昧に頷いた。キースのダイアナへの好意は、前から透けて見えていた。しかし、伝えてもダイアナの方は「勘違いよ」と取り合わなかった。
「何だ、結局女性を乗せるための馬車なのか」
レオがからかう。
「いろいろ使い道があった方がいいじゃないか。有効活用だよ。堅いことを言うな」
「エマのドレスを見て、キースの言う通りだと思ったわ。姉妹二人が同じものを着回せば、有効活用よね。スタイルズ家の姉妹は仲が良いだけでなく、賢いのね。大学出の兄と同じことを実践しているのだもの。真似たくはないけれど」
陽気なオリヴィアの声だ。
(また始まった)
何がきっかけか、エマを侮辱するスイッチが起動したようだ。オリヴィアに和して、令嬢らのお追従めいた笑い声が上がった。
こんな茶番が始まると、エマは腹立ちよりも白けた気分になる。
彼女を見るオリヴィアは、憎たらしいほど強気な表情だ。エマになら何を言っても構わないといった、由来のわからない太々しさを感じた。
(打たれ強いマットレスか何かみたいに、わたしが傷つくことがないと思っているのかしら?)
その時、冷静な声が降ってきた。
「家庭教師は馬鹿では絶対に務まらない。僕はダイアナという女性を知らないが、きっと優秀な人なのだね」
レオだ。彼女を救うようなその言葉が嬉しかった。
彼につなげてキースも言う。
「ダイアナは賢い人だよ」
散会になった。それぞれが家主に礼を告げ、玄関へ向かう。
月の明るい晩だった。方向の同じ人々に付かず離れず、エマも家路に就く。年嵩の人たちで、歩みはひどく遅かった。
「エマ」
駆けて来る音がするのと、男性の呼び声がほぼ同時だった。驚いて振り返る。そこにはレオがいて、彼女に追いつき軽く息を吐いた。
「送ろうと思って、追いかけて来た」
彼女は驚いた。彼はキースやオリヴィアと共に馬車で会にやって来たはずだった。では、帰りもそのはず。
「先に帰ってもらった」
「よろしいの? 我が家は馬車がなくて、帰りを送って差し上げられないわ」
「歩けばいいじゃないか。ボウマンの邸まで大してかからない」
彼女の返事を待たずに歩を促した。歩幅を合わせてくれるが、二人はすぐに人々を抜いてしまった。
「君は歌わなかったね」
さっきの会でのことだ。ピアノの演奏も歌も、彼女は辞退した。「下手なの」と返し、
「こちらの…」
とつなげかけた言葉と、彼の
「何か反応しないと…」
とがぶつかった。
「どうぞ」
彼が先を譲った。
「…こちらの社交界は退屈ではない? 規模が小さいから、同じ人ばかりが集うわ」
「いや」
短く答えた後で、彼が改めて問いを口にした。
「オリヴィアに言い返さない君の態度は賢明だよ。でも、何か別な反応をしないと。彼女だって行いを改めない」
レオの言葉は、狭いコミュニティーで権威ある一家の令嬢に逆らえないエマの立場を考慮してくれていた。それでも、周囲を巻き込んだいじめが見るに耐えないのだろう。
(だから、助けてくれる)
エマはひっそりと吐息した。自分への攻撃なら平気だった。耐える自信もある。しかし、彼の助言通りに、オリヴィアへの対応を変えればどうなるか。
(次は家族を侮辱し出すわ)
そうなれば、自分を抑えられないかもしれない。オリヴィアの言葉の選択によっては、取り乱すかもしれないと思う。
「オリヴィアにとって、わたしに意地悪なことを言うのはゲームなの。いつか飽きるわ。彼女だって、そのうちお嫁に行くだろうし」
「気が長いな、君は」
「それに、言っていることは当たっているから。わたしが姉とドレスを共有しているのは事実だし。それで十分だと思っているのも本当だもの」
ふと、オリヴィアの持つものを自分がこれまで羨んでこなかったことに気づいた。きれいだと思うし、似合っていれば、邪心なく褒めも出来る。高価なドレスが手に届かないという、根っからの強い諦めもあるだろう。
(それがオリヴィアには腹立たしいのかもしれない)
「着られる衣装を何度も着て、恥ずかしいと思う気持ちがわからないわ」
「女性はドレスの多寡を競うものではないの?」
「皆が同じでは…。競いたい人は競えばいいのじゃないかしら。そういうことが無駄に思う女もいるわ」
「無駄」
そう呟いて、レオはしばらく黙った。
屁理屈に聞こえ、気分を害してしまったのかと、エマは少し気がかりだった。
「では、男が君にドレスを贈りたいと言えばどう?」
「それは嬉しいわ」
「何が違うの?」
「それは新しいドレスが嬉しいという思いより、相手の方の気持ちが嬉しいの。それをいただいたようなものだもの」
小石を踏み、彼女の身体がぐらりと揺らいだ。レオがすかさず腕を出して助け、そのまま彼女に腕を貸したままにさせた。
「ありがとう」
触れた腕の温もりが恥ずかしい。今、二人きりの沈黙がたまらない気がした。会話が途切れないように、彼女は彼に質問を繰り返した。
「ご家族は?」
「祖母と叔父が。妹は他家に嫁いだ」
「妹さんはお幾つ?」
「君の三つ上だから、二十三だな。メリルは去年子供を産んだから、僕に姪が出来た」
「そう。男性の兄弟がいるって、どんな風かしら?」
「アシェルがいるじゃないか」
「あの子は小さいもの」
「すぐ大きくなって、君の背を抜くよ」
「母も姉もわたしもつい甘やかしてしまって。弱い子にならないか不安」
「僕は両親を早くに亡くしていて、祖母に育てられた。僕には甘い人で、まるで猫の子みたいに育ったよ。叔父の談だけど」
「そうなの」
「砂糖菓子を一度に三つは許された。四つ目に手を伸ばすと、僕を見る祖母の目が違うんだ。言葉にもしないし、態度にも出さない。でも、ものすごい威圧だった。僕が物事の限界と抑制を知ったのはそれがきっかけだ。男だからって、特別に育つ訳じゃない。当たり前のことを当たり前に教わればいいだけだと僕は思う」
自身の体験談を軽口を交えて話す。エマの気持ちを楽にしてくれる言葉だった。さりげない優しさを感じ、じんわりと胸が温かくなる。
「家族の愛情をしっかり感じて育てば、絶対に裏切れないと気づくよ」
「そう育ってくれるといいわ」
と返しながら、
(レオ自身がそのような人だから)
と思った。
(それに)
父親に代わるような叔父の存在もきっと大きいだろう。側に尊敬出来る男性像があることは、少年の生育に良い影響を与えそうだ。
「叔父様は厳しい方?」
「いや、全然そうじゃない」
レオは首を振った。
「…そうだ、君や母上が良ければ、アシェルを馬に乗せてやってもいいだろうか? まだ本格的に習っていないのじゃないか」
「ええ。でも、小さい子の相手なんて、ご迷惑じゃない?」
「それは君の口癖だね。迷惑じゃないから言っているのに」
からかうように言われて、ちょっと唇を噛んだ。その通りだった。何かにつけ、彼女は他人の申し出によくそんな返しをしてしまう。嬉しくても。
癖と言ってしまえばそうだろう。けれど、見栄やポーズなのかもしれないとも思う。
(物欲しく見えないように。澄ましているだけなのかも)
そんな風に自問していると、レオが言う。
「僕が少し強引になればちょうどいい」
「いつも女性にはそうなさるの?」
「メリルにはする」
「メリル様以外で」
「様はいい。僕の妹じゃないか。いつもじゃない。…そう、アシェルとまた会いたいんだ」
「母は喜ぶわ。いつでもいらして」
微笑んで彼女は彼を見た。自分を見るレオの目と会い、そのまま留まった。男性に側で見つめられる恥ずかしさに、彼女が耐えかねて、先に瞳を下げた。
胸が高鳴っている。それを意識しながら聞いた。
「こちらにはいつまで滞在されるの?」
「急ぐ用はないから、一月ほどは考えている。まだ目的の狩りもしていないしね」
「そう」
彼の返事に彼女は落ち着かない気持ちになった。一言で表せない、混じり合った思いがある。彼がすぐに去っていく旅人であれば気が楽なのに。そう捉えたい心の奥に別な感情がある。
旅立ちを最後に、縁が切れてしまうことも味気なくひどく寂しい。
その後は取り留めない言葉を交わしながら、二人の時間は終わった。
彼女を館に送り届けてくれた彼は、別れ際に、明日の来訪を取り付けて帰った。
これらが、先日の音楽会の出来事だった。
エマはそれらを出来る限り客観的に、脚色を入れないよう端的に書き綴った。筆が走り過ぎていないかざっと最後に確認したのは、姉宛の手紙にはいつにないことだった。
(ダイアナが変に深読みしないと良いのだけれど)
思いがけず厚くなった手紙に封をした。
『少し日が空いてしまったわ。ごめんなさい。
アメリアが風邪を引いてしまったの。その付き添いもしていたから。
覚えている? アメリアは姉妹の五歳の妹の方よ。
今はもう元気になって、姉のジュリアと遊んでいるわ。
館の皆は元気? わたしも随分とこちらに慣れました。
お邸で迷子になって、姉妹に笑われることもないわ。
素直ないい子たちで、手を焼くことも少ないの。
小さい頃にお母様を亡くした可哀想な少女たち、と
わたしの方が変に二人に対して構えてしまっていたところがあると、
反省もしているわ。
ハミルトンさんもとても親切によくして下さるわ。
お母様にくれぐれも安心して欲しいとお伝えしてね。
家庭教師が勤め先のお邸でいじめられるなんてこと、滅多にないものよ。
意地悪な雇い主ばかりではないのだもの…』
相変わらず、優しい文章が続く。一通り目を通し、エマは姉のダイアナに会いたくてたまらなくなる。
エマの二つ上の姉のダイアナが、館を出て他家の家庭教師を勤め出して半年が経った。手紙のやり取りは頻繁で、互いの近況を知らせ合っていた。
離れて住み、ダイアナもこちらからの手紙を楽しみにしているはずだ。手紙の末尾には、いつも返事の催促が必ず記されている。便箋に向かい、ペンを持った。
知らせたいこともある。それに対して姉の意見も聞きたい。
最近の出来事を思い浮かべながら、ペンを走らせる。健康を尋ねる挨拶の後で、彼女は文章に迷った。
(どう書いたらいいかしら? ダイアナは何にも知らないから…)
とりあえず、そのままを書けばいいと、数日前に開かれた音楽会のことを思い起こす。
某邸で開かれた音楽会には、近在の親交のある人々が招待された。母と出席するつもりが、アシェルが寂しがり、エマ一人での参加になった。
背格好も似ているので、衣装は仲良しの姉とほぼ共有だ。新調のドレスを着る令嬢もいる中、その一枚を纏ってきた。夜会だからとショールを羽織った。
スタイルズの家は父を亡くして以来、倹約に努めている。議員を務めた父の収入が途絶えたのは、母には小さくない不安の種だった。
貧しい訳ではないが、のちアシェルが大学に進学する際の費用に慌てないためだ。その目的があるから、ダイアナも外に家庭教師の職を求めた。
会ではピアノの演奏に令嬢らが歌う。こういう場では、ダイアナがよくピアノを弾いたものだった。ピアノだけでなく歌声も美しかったが、本人が控え目であまり歌いたがらなかった。
エマはピアノも不得手で、何とかこなす程度だ。歌も声にあまり自信がない。同じ令嬢の嗜みなら、絵を描いたりタピストリーを織ったりが性に合っていた。
音楽の合間に、お茶が振る舞われた。
「エマのショール素敵ね」
幼なじみの一人が褒めた。オリヴィアから離れたところでは、誰も敢えてエマを貶めたりしなかった。
「ありがとう。母から習って、レースで編んでみたの」
「いいわね。今度教えて。わたし、ケープにしたいわ」
「ええ、いいわよ」
そこへ、オリヴィアが微笑みながら現れた。裕福な彼女は新しいドレスで誇らしげだ。これ見よがしに裾を揺らす。
「王都のデザイナーの新作物なの。お父様がお出かけの際におねだりしたわ」
織も意匠も繊細で、高価な品なのがわかる。華やか好きなオリヴィアに映えていた。
「お似合いね。素敵よ、オリヴィア」
エマは素直にそう思った。誰かの声も続く。
「本当。羨ましいわ」
「親父殿は妹に甘い。王都に行くたび散財させられるとぼやいてたよ」
オリヴィアの兄のキースが加わった。我の強いオリヴィアに比べ、キースはのんびりとした若者だった。
「キースの二人乗り馬車より安上がりよ」
「領地を回るのに便利なんだ。お前の無駄遣いとは違う」
「領地なら、馬で回ればいいだろう。僕ならそうする」
隣でレオが少し笑って言った。それには令嬢たちも白い歯を見せた。
「僕は慰問物資を届けるから、馬では不便なこともあるんだ」
「そうか、悪かったな」
「ところで、エマ、ダイアナは元気かい?」
「ええ、元気にしているようよ」
「帰る時は知らせてくれないか? 僕が乗り換えの駅に馬車で迎えに行くよ」
「ありがとう。でもまだいつ帰るか、知らせをもらっていないわ」
「遠慮する必要はないから」
念を押すキースに、エマは曖昧に頷いた。キースのダイアナへの好意は、前から透けて見えていた。しかし、伝えてもダイアナの方は「勘違いよ」と取り合わなかった。
「何だ、結局女性を乗せるための馬車なのか」
レオがからかう。
「いろいろ使い道があった方がいいじゃないか。有効活用だよ。堅いことを言うな」
「エマのドレスを見て、キースの言う通りだと思ったわ。姉妹二人が同じものを着回せば、有効活用よね。スタイルズ家の姉妹は仲が良いだけでなく、賢いのね。大学出の兄と同じことを実践しているのだもの。真似たくはないけれど」
陽気なオリヴィアの声だ。
(また始まった)
何がきっかけか、エマを侮辱するスイッチが起動したようだ。オリヴィアに和して、令嬢らのお追従めいた笑い声が上がった。
こんな茶番が始まると、エマは腹立ちよりも白けた気分になる。
彼女を見るオリヴィアは、憎たらしいほど強気な表情だ。エマになら何を言っても構わないといった、由来のわからない太々しさを感じた。
(打たれ強いマットレスか何かみたいに、わたしが傷つくことがないと思っているのかしら?)
その時、冷静な声が降ってきた。
「家庭教師は馬鹿では絶対に務まらない。僕はダイアナという女性を知らないが、きっと優秀な人なのだね」
レオだ。彼女を救うようなその言葉が嬉しかった。
彼につなげてキースも言う。
「ダイアナは賢い人だよ」
散会になった。それぞれが家主に礼を告げ、玄関へ向かう。
月の明るい晩だった。方向の同じ人々に付かず離れず、エマも家路に就く。年嵩の人たちで、歩みはひどく遅かった。
「エマ」
駆けて来る音がするのと、男性の呼び声がほぼ同時だった。驚いて振り返る。そこにはレオがいて、彼女に追いつき軽く息を吐いた。
「送ろうと思って、追いかけて来た」
彼女は驚いた。彼はキースやオリヴィアと共に馬車で会にやって来たはずだった。では、帰りもそのはず。
「先に帰ってもらった」
「よろしいの? 我が家は馬車がなくて、帰りを送って差し上げられないわ」
「歩けばいいじゃないか。ボウマンの邸まで大してかからない」
彼女の返事を待たずに歩を促した。歩幅を合わせてくれるが、二人はすぐに人々を抜いてしまった。
「君は歌わなかったね」
さっきの会でのことだ。ピアノの演奏も歌も、彼女は辞退した。「下手なの」と返し、
「こちらの…」
とつなげかけた言葉と、彼の
「何か反応しないと…」
とがぶつかった。
「どうぞ」
彼が先を譲った。
「…こちらの社交界は退屈ではない? 規模が小さいから、同じ人ばかりが集うわ」
「いや」
短く答えた後で、彼が改めて問いを口にした。
「オリヴィアに言い返さない君の態度は賢明だよ。でも、何か別な反応をしないと。彼女だって行いを改めない」
レオの言葉は、狭いコミュニティーで権威ある一家の令嬢に逆らえないエマの立場を考慮してくれていた。それでも、周囲を巻き込んだいじめが見るに耐えないのだろう。
(だから、助けてくれる)
エマはひっそりと吐息した。自分への攻撃なら平気だった。耐える自信もある。しかし、彼の助言通りに、オリヴィアへの対応を変えればどうなるか。
(次は家族を侮辱し出すわ)
そうなれば、自分を抑えられないかもしれない。オリヴィアの言葉の選択によっては、取り乱すかもしれないと思う。
「オリヴィアにとって、わたしに意地悪なことを言うのはゲームなの。いつか飽きるわ。彼女だって、そのうちお嫁に行くだろうし」
「気が長いな、君は」
「それに、言っていることは当たっているから。わたしが姉とドレスを共有しているのは事実だし。それで十分だと思っているのも本当だもの」
ふと、オリヴィアの持つものを自分がこれまで羨んでこなかったことに気づいた。きれいだと思うし、似合っていれば、邪心なく褒めも出来る。高価なドレスが手に届かないという、根っからの強い諦めもあるだろう。
(それがオリヴィアには腹立たしいのかもしれない)
「着られる衣装を何度も着て、恥ずかしいと思う気持ちがわからないわ」
「女性はドレスの多寡を競うものではないの?」
「皆が同じでは…。競いたい人は競えばいいのじゃないかしら。そういうことが無駄に思う女もいるわ」
「無駄」
そう呟いて、レオはしばらく黙った。
屁理屈に聞こえ、気分を害してしまったのかと、エマは少し気がかりだった。
「では、男が君にドレスを贈りたいと言えばどう?」
「それは嬉しいわ」
「何が違うの?」
「それは新しいドレスが嬉しいという思いより、相手の方の気持ちが嬉しいの。それをいただいたようなものだもの」
小石を踏み、彼女の身体がぐらりと揺らいだ。レオがすかさず腕を出して助け、そのまま彼女に腕を貸したままにさせた。
「ありがとう」
触れた腕の温もりが恥ずかしい。今、二人きりの沈黙がたまらない気がした。会話が途切れないように、彼女は彼に質問を繰り返した。
「ご家族は?」
「祖母と叔父が。妹は他家に嫁いだ」
「妹さんはお幾つ?」
「君の三つ上だから、二十三だな。メリルは去年子供を産んだから、僕に姪が出来た」
「そう。男性の兄弟がいるって、どんな風かしら?」
「アシェルがいるじゃないか」
「あの子は小さいもの」
「すぐ大きくなって、君の背を抜くよ」
「母も姉もわたしもつい甘やかしてしまって。弱い子にならないか不安」
「僕は両親を早くに亡くしていて、祖母に育てられた。僕には甘い人で、まるで猫の子みたいに育ったよ。叔父の談だけど」
「そうなの」
「砂糖菓子を一度に三つは許された。四つ目に手を伸ばすと、僕を見る祖母の目が違うんだ。言葉にもしないし、態度にも出さない。でも、ものすごい威圧だった。僕が物事の限界と抑制を知ったのはそれがきっかけだ。男だからって、特別に育つ訳じゃない。当たり前のことを当たり前に教わればいいだけだと僕は思う」
自身の体験談を軽口を交えて話す。エマの気持ちを楽にしてくれる言葉だった。さりげない優しさを感じ、じんわりと胸が温かくなる。
「家族の愛情をしっかり感じて育てば、絶対に裏切れないと気づくよ」
「そう育ってくれるといいわ」
と返しながら、
(レオ自身がそのような人だから)
と思った。
(それに)
父親に代わるような叔父の存在もきっと大きいだろう。側に尊敬出来る男性像があることは、少年の生育に良い影響を与えそうだ。
「叔父様は厳しい方?」
「いや、全然そうじゃない」
レオは首を振った。
「…そうだ、君や母上が良ければ、アシェルを馬に乗せてやってもいいだろうか? まだ本格的に習っていないのじゃないか」
「ええ。でも、小さい子の相手なんて、ご迷惑じゃない?」
「それは君の口癖だね。迷惑じゃないから言っているのに」
からかうように言われて、ちょっと唇を噛んだ。その通りだった。何かにつけ、彼女は他人の申し出によくそんな返しをしてしまう。嬉しくても。
癖と言ってしまえばそうだろう。けれど、見栄やポーズなのかもしれないとも思う。
(物欲しく見えないように。澄ましているだけなのかも)
そんな風に自問していると、レオが言う。
「僕が少し強引になればちょうどいい」
「いつも女性にはそうなさるの?」
「メリルにはする」
「メリル様以外で」
「様はいい。僕の妹じゃないか。いつもじゃない。…そう、アシェルとまた会いたいんだ」
「母は喜ぶわ。いつでもいらして」
微笑んで彼女は彼を見た。自分を見るレオの目と会い、そのまま留まった。男性に側で見つめられる恥ずかしさに、彼女が耐えかねて、先に瞳を下げた。
胸が高鳴っている。それを意識しながら聞いた。
「こちらにはいつまで滞在されるの?」
「急ぐ用はないから、一月ほどは考えている。まだ目的の狩りもしていないしね」
「そう」
彼の返事に彼女は落ち着かない気持ちになった。一言で表せない、混じり合った思いがある。彼がすぐに去っていく旅人であれば気が楽なのに。そう捉えたい心の奥に別な感情がある。
旅立ちを最後に、縁が切れてしまうことも味気なくひどく寂しい。
その後は取り留めない言葉を交わしながら、二人の時間は終わった。
彼女を館に送り届けてくれた彼は、別れ際に、明日の来訪を取り付けて帰った。
これらが、先日の音楽会の出来事だった。
エマはそれらを出来る限り客観的に、脚色を入れないよう端的に書き綴った。筆が走り過ぎていないかざっと最後に確認したのは、姉宛の手紙にはいつにないことだった。
(ダイアナが変に深読みしないと良いのだけれど)
思いがけず厚くなった手紙に封をした。
46
あなたにおすすめの小説
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
婚約破棄された令嬢は、ざまぁの先で国を動かす ――元王太子の後悔が届かないほど、私は前へ進みます』
ふわふわ
恋愛
名門アーデン公爵家の令嬢ロザリーは、
王太子エドワードの婚約者として完璧に役目を果たしてきた――はずだった。
しかし彼女に返ってきたのは、
「聖女」と名乗る平民の少女に心酔した王太子からの一方的な婚約破棄。
感情論と神託に振り回され、
これまでロザリーが支えてきた国政はたちまち混乱していく。
けれど、ロザリーは泣かない。縋らない。復讐に溺れもしない。
「では、私は“必要な場所”へ行きますわ」
冷静に、淡々と、
彼女は“正しい判断”と“責任の取り方”だけで評価を積み上げ、
やがて王太子すら手を出せない国政の中枢へ――。
感情で選んだ王太子は静かに失墜し、
理性で積み上げた令嬢は、誰にも代替できない存在になる。
これは、
怒鳴らない、晒さない、断罪しない。
それでも確実に差がついていく、**強くて静かな「ざまぁ」**の物語。
婚約破棄の先に待っていたのは、
恋愛の勝利ではなく、
「私がいなくても国が回る」ほどの完成された未来だった。
――ざまぁの、そのさらに先へ進む令嬢の物語。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
転生皇女セラフィナ
秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。
目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。
赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。
皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。
前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。
しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。
一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。
「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」
そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。
言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。
それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。
転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。
※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。
結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた
夏菜しの
恋愛
幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。
彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。
そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。
彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。
いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。
のらりくらりと躱すがもう限界。
いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。
彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。
これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?
エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。
前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~
高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。
先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。
先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。
普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。
「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」
たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。
そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。
はちみつ色の髪をした竜王曰く。
「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」
番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!
竜帝と番ではない妃
ひとみん
恋愛
水野江里は異世界の二柱の神様に魂を創られた、神の愛し子だった。
別の世界に産まれ、死ぬはずだった江里は本来生まれる世界へ転移される。
そこで出会う獣人や竜人達との縁を結びながらも、スローライフを満喫する予定が・・・
ほのぼの日常系なお話です。設定ゆるゆるですので、許せる方のみどうぞ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる