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42、嬉しさを抱えて、彼と手をつなぐ
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翌日、エマはダイアナに宛てて書いた手紙を手に、村へ向かっていた。アシェルの容体が快方に向かったことを記し、取り急ぎ出したものの追記だ。
レオとの件を補足した手紙だ。彼の叔父のことは外聞を憚る。姉への手紙でも躊躇された。以前この地を急に立った要因としてのみに抑え、あまり触れずにおいた。
(誤解のないよう、直接話したいもの)
ダイアナは結婚式をこの地で執り行う予定だ。前もって、そのために姉は帰宅する。令嬢として館で過ごす最後の時間、式の準備を行うためだ。
ゆっくり話し合う時間はあるとエマは考えていた。
通い慣れた道を歩く。馴染んだのどかな光景が、これまでとは色合いを変えたように思えた。何が違うのか、探してみる。
下生えの気配も空の色も、遠くなだらかに続く丘陵も。幼い頃から見続けて来た同じものでしかない。単純に、心の持ちようだと気づき、苦笑した。
少し前までは、ふんわり香る果樹園の甘い匂いさえもなぜか空疎に思えたのに。
(今は何もかも、少しばかり輝いて感じる)
ふと笑みも浮かぶ。
(わたし、嬉しいのだわ)
心が跳ねて、緩い坂でつい走りたくなった。彼女のちょっとした癖でもある。小走りに行くと、背後から馬が駆けて来る。
すぐに距離が縮まり、振り返ると手綱を握るのはレオだった。
彼女の側で止まる。はらりと鞍から下りた。
「君はいつも走るね」
妙なところを見られたと、彼女は頬を押さえた。年頃の令嬢でそう走る者はない。
「僕の祖母もよく走る」
「え」
急に飛び出した彼の祖母の話に、彼女は驚いた。昨夜、バート氏を含め、盛り上がった話題だったからだ。
(決して悪口ではなかったけれど…。レオにはとても聞かせられない話だったわ)
「歳だからね、転ばないのかと注意しても止めない。君たちは裾の長いものを着て、なぜ走るの?」
「そうなさりたいのよ。何となく…」
彼は彼女を乗馬に誘った。彼女の返事を待つより早く自ら再び騎馬して、彼女へ手を伸べた。伸ばした彼女の手を強く引き上げる。
腕に抱くようにしてそのまま走り出す。
「落ちるよ。そんな風じゃ」
エマは出来るだけ彼から身を引いた姿勢でいた。
「だって…、見る人がいるかも…」
男女がぴったりと抱き合い馬に乗る姿はきっと目を引く。尋常な距離を空けなければ、ふしだらに見られてしまう。以前、雨の中彼にしがみついていられたのは、視界の淡い土砂降りの雨のお陰だ。
引き寄せるように、彼が強く彼女を腕に抱いた。
「もういいじゃないか、そんなの」
彼の言葉や仕草に抗えなかったのは、揺れる馬上の高みのためだけではない。思われているのも求められているのも知る、その嬉しさからも強くある。
誰かのそばだてる視線を気にする普段の理性が揺らぐ。それでも彼の身体に腕を回すのは躊躇われ、胸にもたれるのに留めた。
いつか二人で訪れた湖の畔に来た。馬を下り、手をつないで歩く。湖面を渡った冷たい風が静かに吹いてエマの髪を揺らした。レオがその髪に指を絡めて言う。
「寒いのではないか? そろそろ送るよ」
この時間の終わりが惜しい気がしたが、彼女は頷く。
再び馬に乗り、ほどなく館に着いた。エマを下ろした彼が、母に頼みがあると言った。
「ハミルトン氏へ紹介状を書いていただけないだろうか。シュタットからの帰路で、ご挨拶をしたい。我が家のことで、僕からぜひ説明させてもらいたいこともあるから」
エマは驚いたが、母にレオの頼みを告げた。母も意外そうに彼を見たが、紹介状はすぐに書いた。彼を礼を言って胸に収め、アシェルを見舞った後で辞去を告げる。
レオのハミルトン氏への事情の釈明の意図は、聞かずとも読めた。ダイアナとの結婚への配慮の他、エマとの交流は絶やさないで欲しいとの願いだ。
「母上からご説明下さるのもありがたいが、僕の問題だから、自分で話すのが筋だと思う。その方が心象もいいだろうから」
「世間にへりくだる必要はありませんからね。あまりその頭を下げないで頂戴ね。お願いよ」
「お気遣いは嬉しい。ありがとうございます」
エマは馬を引いた彼を門のところまで見送る。
「フィッツは良い方よ。ウォルシャー家のご事情はよくわかって下さるわ」
「だといいね。…君に絡むことで出来る限り火の粉は払っておきたい」
見つめる視線の強さと言葉の重さに、エマは涙ぐんだ。感謝と感激が混じり合ってふと彼の手を取った。
若い気楽な紳士として出会った彼だった。素敵な容姿だけでなく、軽やかさと気取らない態度も彼女へ強く印象づけた。
(でも、そうじゃない)
名家の当主としての重責を担う頼もしい強い男性でもある。
「好き。あなたが好き」
告白に、彼が口元を綻ばせた。彼女の手を握る。指先が結ばれたその時、聞き覚えのある音が遮った。馬車の音だ。
レオとの件を補足した手紙だ。彼の叔父のことは外聞を憚る。姉への手紙でも躊躇された。以前この地を急に立った要因としてのみに抑え、あまり触れずにおいた。
(誤解のないよう、直接話したいもの)
ダイアナは結婚式をこの地で執り行う予定だ。前もって、そのために姉は帰宅する。令嬢として館で過ごす最後の時間、式の準備を行うためだ。
ゆっくり話し合う時間はあるとエマは考えていた。
通い慣れた道を歩く。馴染んだのどかな光景が、これまでとは色合いを変えたように思えた。何が違うのか、探してみる。
下生えの気配も空の色も、遠くなだらかに続く丘陵も。幼い頃から見続けて来た同じものでしかない。単純に、心の持ちようだと気づき、苦笑した。
少し前までは、ふんわり香る果樹園の甘い匂いさえもなぜか空疎に思えたのに。
(今は何もかも、少しばかり輝いて感じる)
ふと笑みも浮かぶ。
(わたし、嬉しいのだわ)
心が跳ねて、緩い坂でつい走りたくなった。彼女のちょっとした癖でもある。小走りに行くと、背後から馬が駆けて来る。
すぐに距離が縮まり、振り返ると手綱を握るのはレオだった。
彼女の側で止まる。はらりと鞍から下りた。
「君はいつも走るね」
妙なところを見られたと、彼女は頬を押さえた。年頃の令嬢でそう走る者はない。
「僕の祖母もよく走る」
「え」
急に飛び出した彼の祖母の話に、彼女は驚いた。昨夜、バート氏を含め、盛り上がった話題だったからだ。
(決して悪口ではなかったけれど…。レオにはとても聞かせられない話だったわ)
「歳だからね、転ばないのかと注意しても止めない。君たちは裾の長いものを着て、なぜ走るの?」
「そうなさりたいのよ。何となく…」
彼は彼女を乗馬に誘った。彼女の返事を待つより早く自ら再び騎馬して、彼女へ手を伸べた。伸ばした彼女の手を強く引き上げる。
腕に抱くようにしてそのまま走り出す。
「落ちるよ。そんな風じゃ」
エマは出来るだけ彼から身を引いた姿勢でいた。
「だって…、見る人がいるかも…」
男女がぴったりと抱き合い馬に乗る姿はきっと目を引く。尋常な距離を空けなければ、ふしだらに見られてしまう。以前、雨の中彼にしがみついていられたのは、視界の淡い土砂降りの雨のお陰だ。
引き寄せるように、彼が強く彼女を腕に抱いた。
「もういいじゃないか、そんなの」
彼の言葉や仕草に抗えなかったのは、揺れる馬上の高みのためだけではない。思われているのも求められているのも知る、その嬉しさからも強くある。
誰かのそばだてる視線を気にする普段の理性が揺らぐ。それでも彼の身体に腕を回すのは躊躇われ、胸にもたれるのに留めた。
いつか二人で訪れた湖の畔に来た。馬を下り、手をつないで歩く。湖面を渡った冷たい風が静かに吹いてエマの髪を揺らした。レオがその髪に指を絡めて言う。
「寒いのではないか? そろそろ送るよ」
この時間の終わりが惜しい気がしたが、彼女は頷く。
再び馬に乗り、ほどなく館に着いた。エマを下ろした彼が、母に頼みがあると言った。
「ハミルトン氏へ紹介状を書いていただけないだろうか。シュタットからの帰路で、ご挨拶をしたい。我が家のことで、僕からぜひ説明させてもらいたいこともあるから」
エマは驚いたが、母にレオの頼みを告げた。母も意外そうに彼を見たが、紹介状はすぐに書いた。彼を礼を言って胸に収め、アシェルを見舞った後で辞去を告げる。
レオのハミルトン氏への事情の釈明の意図は、聞かずとも読めた。ダイアナとの結婚への配慮の他、エマとの交流は絶やさないで欲しいとの願いだ。
「母上からご説明下さるのもありがたいが、僕の問題だから、自分で話すのが筋だと思う。その方が心象もいいだろうから」
「世間にへりくだる必要はありませんからね。あまりその頭を下げないで頂戴ね。お願いよ」
「お気遣いは嬉しい。ありがとうございます」
エマは馬を引いた彼を門のところまで見送る。
「フィッツは良い方よ。ウォルシャー家のご事情はよくわかって下さるわ」
「だといいね。…君に絡むことで出来る限り火の粉は払っておきたい」
見つめる視線の強さと言葉の重さに、エマは涙ぐんだ。感謝と感激が混じり合ってふと彼の手を取った。
若い気楽な紳士として出会った彼だった。素敵な容姿だけでなく、軽やかさと気取らない態度も彼女へ強く印象づけた。
(でも、そうじゃない)
名家の当主としての重責を担う頼もしい強い男性でもある。
「好き。あなたが好き」
告白に、彼が口元を綻ばせた。彼女の手を握る。指先が結ばれたその時、聞き覚えのある音が遮った。馬車の音だ。
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