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本編
焦燥に身を焼かれながら
しおりを挟む――塔の前にいたリュディードは、ありえないほどの激しい揺れに目を見開いて驚愕していた。
「六発目? 弾丸は五発では……」
そう呟いた彼の頬に、ぽたりと大粒の雫が落ちた。
「雨……?」
空は嫌になるほど青く美しく澄み渡っている。不審に思いながら頬を拭った指は……赤く染まっていた。
――雨などではない、血液だ!
六発目の弾丸など、なかったのだとリュディードは刹那に悟った。
「そ、そんな……、なんてことを……」
恐ろしい結論が脳裏を掠める。……あれが弾丸でないなら、強大な術式を発動させて弾丸のように射出するしか手がない。誰も成したことのない飛距離と破壊力を捻り出すのに、どれほどの魔力が必要なのか。
嫌な予感に総毛立せながら、塔の中へと飛び込んだ。
反響音を響かせ階段を駆け上る。長い階段に焦りが募る。足がもつれ、転びかけながらもリュディードは足を止めず頂上を目指した。
ようやく辿り着いた塔の頂上は、床の大半が赤い色に染められていた。
「……こ、これは……」
毒々しいまだらに染められた床に横たわる、純白の髪をした青年の姿に、息を飲む。
濃厚な鉄臭が漂うなか、リュディードは自身の心臓が大きく嫌な音を立てたのを感じた。
血塗れの無残な姿でありながらも、美しい彼の周囲には、真っ二つに割れた厳めしい兜と、砕け散った黒鋼の破片が散らばっている。
ネウクレアの鎧だ。
……つまりこの青年こそが、彼の本来の姿……。
「ネウクレアっ!」
悲痛な叫びが、リュディードの喉から迸った。
よろめくようにして床を駆け抜けて、倒れ伏した彼の傍らに膝を突く。
「……ああ、こんな、酷い……ネウクレア……」
弾丸の射出によって鎧が砕け散り、皮膚を切り裂いたのか……それとも、衝撃自体がそれほどまでに強かったのか。どちらにしても外傷が酷い。頭部に打ち傷があり、激しく吐血した様子も見られた。
リュディードの胸に、絶望感が激しい痛みとともに広がる。
「う……、あ……っ、リュデ……ド」
微かな弱々しい声が、青ざめた唇から少量の血とともに漏れた。澄んだ涼やかな声だ。閉じていたまぶたが開き、潤んだ深い漆黒の瞳が現れる。
「ネウクレア!」
――生きている!
腰に携えた鞄を床に置き、蓋を開く。取り出した鋏で血に濡れた上着と手袋を切り裂いて取り除いた。
白く、華奢な体だった。
両肩には鬱血をともなう無残な打撲痕が大きく広がり、そこから両腕にかけてひどい腫れと大小の切り傷があった。
傷口に洗うようにして、止血剤を浴びせていく。白磁のような白い肌に伝う赤い色の対比が、なおのこと痛々しさを増させる。
胸や手の甲、喉などに精緻な入れ墨があった。見たことのない魔導術式だ。彼自身が進んで刻んだのではないだろう。おそらくは、トウルムント公の仕業だ。
こんなにも儚い姿をしたネウクレアに、どれだけの苦難を与えてきたのか……。
嗚咽に近い呻き声を上げそうになって唇を引き結び、歯を食い縛り、傷口に殺菌剤の塗布された油紙を貼り付けた上で、真新しい包帯をきつく巻きつける。
鎧がない彼はまるで別人だったが、漂う気配の静かさは変わらない。感情の伺えない漆黒の瞳で、まっすぐにリュディードを見詰めていた。
「さ、これを飲んでください。体が楽になりますから……」
指先一つ動かせないネウクリアの頭部をそっと後ろから支えて、回復薬などを飲ませていく。
こくりと素直に飲み込む様子のあどけなさに、胸の締め付けられる切ない思いがした。
「感謝する……」
「いいえ。当然のことをしたまでです。少し落ち着いたら、ここから下へ運びますよ」
「了解、した」
傷つき血にまみれながらも美しく、そして哀れさを漂わせる姿に胸が痛む。この、強くも儚い騎士の献身に対して自分ができることは、なんでもしたい。そう思わされた。
「頑張りましたね。貴方のお陰で団長たちは有利に戦えているでしょう」
感情が高ぶり、声が震えている自覚はあったが、今のリュディードにはそれを隠すことは難しかった。
「ありがとうございます。……もう、大丈夫ですよ……」
白く端正な顔にかかった髪をそっと払いながら、リュディードは精一杯の想いを込めてネウクレアを労わった。
ネウクレアの瞳が、潤みを帯びて揺らめいた。
そして、静かに閉じていく。
「……そう……か……」
――掠れた細い声で言うなり、ネウクレアは糸が切れたように意識を失った。
――騎士たちの上げていた勝鬨の声が、ひとつになって平原を震わせた。
「やったぞ! 俺たちは勝ったんだ!」
喜びを爆発させたファイスの叫びが、誰の声よりも大きく響き渡り、それがさらに勝鬨の声を生み、戦場を包み込んでいく。
「……勝ったのか……私たちは……」
今だ燃え盛る炎を見詰めながら、セディウスは焦土の中で呆然と呟いた。
立ち昇る煙が、勝利を知らせる狼煙のように雲一つない青空へと高くまっすぐに空へ昇っていく。その下には、敗走していく幾多の敵兵と勝利に湧く騎士たちの姿があった。
夢幻のような光景だ。
秋の訪れを感じさせる風がセディウスの頬を撫でて、彼の意識を現へと引き戻した。
血と硝煙と草原の焼ける臭いの中で、塔へ視線を向ける。
「ネウクレア……」
戦局そのものを打ち砕いて激変させたのは、六発目の弾丸だった。
視界の隅で、塔の上から流れ星のような光が放たれたのを見た。多量の燐光をまき散らしながら美しい軌跡を描き、敵部隊に破滅をもたらしたその光景が、まだ瞳に焼き付いている。
あれは、本当に弾丸だったのか?
ネウクレアの体は今、どうなっているのか。
無理をするなと、命令をしたのだ。体への負担が現状で許容範囲なのであれば、問題はない。しかし、トウルムント公からの使者は五発が限界だと明言していた。限界を超えて、放たれた一撃だったとしたら。
彼を失うかもしれない。
言い知れない恐怖が、セディウスを襲った。一刻も早く、彼の安否を確かめたい。
だが、戦場はまだ生きている。勝鬨の声に紛れ、銃撃や剣戟の音がまばらに聞こえてくるのだ。
無意識のうちに塔へと足を向けかけていたセディウスは、唇を噛んで平原へと視線を引き戻した。
……今ここを、離れる訳にはいかない。
「敗走兵は追うな! 戦意を喪失した敵兵の武装解除を始めろ! 隙を見せるな!」
鋭い声で、騎士たちに指示を飛ばす。
油断をしてつまらない不意打ちを食らい、命を落とす騎士が出ては元も子もないのだ。……戦いの中で生じる高揚感は、時として判断を鈍らせる。
たった一人でも戦意を失っていない限り、戦が終わったとは言えないのだ。
――セディウスは焦燥感に身を焼かれながらも戦場に踏みとどまり、騎士たちの指揮を執り続けた。
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