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第5話「因果を引き剥がせ」
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鋭い痛みを熱さとして体感することは、ポルコも経験している。だが、因果が魂から引き剥がされる痛みは、熱さを超えた冷たさをポルコの脳髄に感じさせた。
「……随分と厄介だな、お前さんの魂は」
右目で目視する、ポルコの魂に絡みついた因果の糸を慎重に剥がしながら、バルドは呆れた様子で呟く。
未熟な色を帯びる砕けた青年の魂を、膠のように繋ぎ止めるどこか濁った色の壮年の魂は、ともすれば因果の糸と共に剥がれ落ちる危険性があった。
それは壮年の魂がこの身体から喪われるのと同時に、繋ぎ止められた青年の魂が歪に引き千切れ、魂としての機能を喪うということに他ならない。
「ああ……最悪の場合は、若い方だけ、助けてくれ……」
「馬鹿たれ。儂をみくびるんじゃあない」
武藤の譫言に軽口じみた口調で応えながらも、バルドの額からは冷や汗の珠が滴り落ちる。
自他共に認める狂気の天才魔術師バルドをして、この施術は困難を極めるものであった。
粗末な藁床に突っ伏し、寒いと譫言を漏らすポルコの精神世界までは、バルドの窺い知るものではない。
だが、決死の覚悟はその固太りの背中から、十分に伝わってくるものであった。
(私は、ポルコ様が因果に打ち克つのを見届けたい――だけど、どうしてこの人がここまでやるのか、わからない)
悪寒に歯を鳴らすポルコを傍で見守りながら、ビアンカはぐっと拳を握り締める。
ビアンカのポルコへの協力は、無邪気とも言える正義感から始まった。ポルコの絶望的な状況から泥臭く這い上がろうとする様に、熱い感動を覚えたのも事実だ。
(――だからこそ、私は……この人を一人で凍えさせるわけにはいかない!)
小さな背中が、悲壮な覚悟を決めたのとほぼ同時に、バルドの体勢ががくりと崩れ落ちた。
過酷な施術に、精神を著しく消耗させた様子のバルドを、ビアンカは慌てて支える。
まるで雨に打たれたかのように、汗に濡れたバルドの様子は、ビアンカを戦慄させた。
「今日は……ここまで、だ……明日また……この、命知らずを、連れて来るといい……」
「わかりました……バルドおじさまも、しっかり休んでくださいね」
震える声で応えるビアンカにバルドはにたりと微笑むと、気絶するように眠りに落ちた。
「……終わった、ようだな」
握り締めていた藁から手を放したポルコは、錆びたように軋む体を無理矢理引き起こし、立ち上がった。
鼾をかくバルドを藁床に寝かせ、彼のあばら家を後にしたポルコとビアンカは、黄昏の長い影を追うようにして、田舎道を歩く。
「寒さは……少しは、収まりましたか?」
「ああ……許容範囲だ」
「ポルコ様、一人で……背負わないでください」
ポルコを先導しながらゆっくりと道を歩くビアンカは、振り返らずにポルコに告げる。
表情は見えないが、どこか悲壮な声色のビアンカを宥めるように、ポルコは応えた。
「監督は、見守るのが仕事だろう? 手出しは……無用だ」
突き放した言葉のようにも聞こえるが、幾度も聞こえる躓きかけた足音は、ビアンカの耳にポルコの虚勢を理解させる。
「ポルコ様の……石頭」
鼻声で毒づくビアンカに、ポルコは力なく笑った。
一時的な拠点となる町の宿とバルドの家とを往復する中で、ポルコは自身に起きた変化を記録していた。
『三日目。味覚の消失』
『六日目。視野、前方以外消失』
『九日目。幻聴』
誰に見せるわけでもない手帳に書きかけた泣き言をペン先で塗り潰し、症状のみを淡々と書き連ねようとする筆跡が、ポルコの戦いの壮絶さを物語っていた。
「今日は――私がおじさまの家まで、持っていきますからね」
町で買い付けた果実酒の瓶をポルコから取り上げたビアンカは、心配そうに彼を見上げる。
この十日余りで目の周りに黒々と隈を拵え、憔悴した様子のポルコは、苦笑に似た笑みでこれに応えた。
「お前さん。ちっとばかり、男前になったんじゃあないか? おい」
「……そうか? 鏡は、あまり見ない性分でな」
慰めの軽口に応酬する空元気の軽口は、囁きのように心許ない。
日課となった地獄行に向かうべく、ポルコが何時ものように藁床へ膝を付いたところで、バルドは何時になく真剣な声色でポルコに耳打ちした。
「因果剥がしは順調だ。けどな、お前さんの二つの魂は、ばらばらに解れかかっとる……これからは、魂を寄せ直す工程も必要になるのだ」
「それは……なかなか、骨が折れそうだ」
ここに来て初めて弱音を吐くポルコに、バルドは一瞬慰めめいた言葉を吐きかけたが、眉間をぐっと顰めて別の言葉を継いだ。
「でたらめに挑むにゃ、試練は付き物だろうが」
「……その通りだ、な」
施術が始まり、ポルコの譫言はいよいよ要領を得ない言葉が増えた。
誰かと話しているのだろうか。以前にビアンカが聞き返した、耳慣れない単語も混じっている。
やがて施術の前半が終わり、ポルコが失神しているのを確認したビアンカは、バルドに直談判した。
「バルドおじさま。ポルコ様の心が、何処か、遠くに行ってしまわないように……私が出来ることを、教えて下さい」
バルドは渋い物を口に放り込まれたような顔でしばらくビアンカを見つめると、諦め半分に訊ねる。
「…………痛くて辛いからやめなさいと言っても、聞かんのだろうな。お前さんは」
「……はい。父上の、娘ですから」
梃子でも動かなそうなビアンカの様子に、バルドは悪い所ばっかり似とるとぼやいて、言葉を継いだ。
「お前さんの魔力をな、こいつの魂を貼っ付ける糊に使わせてもらうが……うんと痛いぞ?」
呆れながら告げるバルドに、ビアンカは力強く頷いた。
「――幻聴が、収まったな。魂を寄せ直す工程のおかげか?」
十二日目の記録を付けながら、ポルコは自身に起きた変化に訝しがる。当然、宿の部屋はビアンカとは別室のため、その問いに答える者は居ない。
明くる十三日目、施術中の幻覚の中で、ポルコは引き攣る胸の奥に、不思議な温かさを自覚した。
(……なんだ? この、妙な温かさは? ――どこから、湧いて出た?)
幻視の荒野の中に佇むポルコは、その不可解な熱を快いとは思わなかった。死に際の夢は、母の胸の中のように温かいと聞いたからだ。
翌日の幻覚の中には、芳しい香りが、その翌日には胸を締め付けるような悲しみが襲って来る。
一連の自身の魂への介入を、引き剥がされそうになっている因果による、攻撃だと武藤は仮定した。
だがその悲しみは、何時ぞやの夜会でリリアーナが流した甘ったるい涙とは、匂いがまるで違っている。
「――おい! ビアンカ!! 大丈夫か!?」
バルドの鋭い叫び声で、ポルコの心は急速に現実へと引き戻された。
背中に微かな重みと、体温を感じる。ポルコはこの温かさに、確かに覚えがあった。
「……ビアンカ、お前……無茶を、する……な」
定まらぬ視界の中で、ようやく温もりの正体を理解したポルコは、絞り出すような声でビアンカを労った。
以前の武藤なら、ビアンカの無謀な献身を咎めただろう。
だが、ポルコを二度も救った小さな勇者は、復讐鬼たるこの男に小さな変化をもたらした。
「やれやれ、眠っておるわい……お前さん、今日はビアンカを背負って帰るこったな」
「ああ。こいつには、返せない借りを作ってしまった」
「……わかっとるなら、明日からは気合で魂引き締めとけよ」
ポルコはその晩、手帳にビアンカへの感謝の一文を添えた。
「なんですか……? これ」
「飴だ。監督中のおやつにでもしてくれ」
翌朝、ポルコは宿の食堂で買い求めた飴菓子を、ビアンカに手渡した。
今更手出し無用と告げた件を蒸し返すことを武藤が嫌い、甘ったるい言葉を吐く自分にポルコが怖気た結果の品だ。
「わかりました。いただきますね」
通い慣れた田舎道を往くポルコの足取りは、もはや日課となった地獄行へと続いているというのに、不思議と軽やかだった。
――そしていよいよ、ポルコと武藤の魂から、最後の因果の糸が剥がれ落ちる日が訪れた。
「……終わったぞ」
告げるなり床に大の字になったバルドは、藁床に居座るポルコの脛を蹴った。一休みするから場所を譲れという、言葉を使わない意思表示だ。
やれやれとバルドの家から這い出たポルコとビアンカは、見上げた空の青さに息を呑んだ。
「もうすっかり、季節が変わったんですね……」
「そうだな――町に戻ったら、王都の方に電信を打つか」
その日の晩。所変わって侯爵家のタウンハウスでは、侯爵令嬢リリアーナが、月明かりに涙を煌めかせていた。
「どうしたんだい? リリィ……君の涙は美しいが、その美しさに私の心は、引き裂かれそうに痛んでしまうよ」
「ああ……カルロス様。わたくしのお友達、ベアータさんが……」
「あの男爵令嬢が、どうしたんだい? 君に、何か不埒な真似を……?」
ベイウィンドウに腰掛け、膝に抱いたリリアーナの髪を撫でながら、カルロスは冷えた怒りを顔もおぼろげな少女にぶつける。
「いいえ、いいえ、カルロス様……ベアータさんは、お父上のご都合で、お母上のご実家へ身を寄せられるそうですの……本当に、お可哀想」
リリアーナは、自身の信奉者の少女の実家が、市井の者に負担を強いて享楽に耽った結果、とある強硬な取り立て屋に尻の毛まで毟られた事など当然知らない。
まして、彼女を取り巻く美しく調和した世界に綻びが生じたのが、ポルコの因果が剥がれた事が原因だなど、リリアーナは知るよしもなかった。
「ああ……リリィ、心美しき私の乙女。君の睫毛を涙で濡らす不徳を、私は必ず消し去ってみせよう」
リリアーナに頬を寄せるカルロスの声色は、愛の殉教者そのものだ。
しかし月明かりを青く隠す雲を見つめるその眼差しは、聖愛教団の筆頭祭司として上り詰めた政治家らしい鋭さを孕んでいた。
「……随分と厄介だな、お前さんの魂は」
右目で目視する、ポルコの魂に絡みついた因果の糸を慎重に剥がしながら、バルドは呆れた様子で呟く。
未熟な色を帯びる砕けた青年の魂を、膠のように繋ぎ止めるどこか濁った色の壮年の魂は、ともすれば因果の糸と共に剥がれ落ちる危険性があった。
それは壮年の魂がこの身体から喪われるのと同時に、繋ぎ止められた青年の魂が歪に引き千切れ、魂としての機能を喪うということに他ならない。
「ああ……最悪の場合は、若い方だけ、助けてくれ……」
「馬鹿たれ。儂をみくびるんじゃあない」
武藤の譫言に軽口じみた口調で応えながらも、バルドの額からは冷や汗の珠が滴り落ちる。
自他共に認める狂気の天才魔術師バルドをして、この施術は困難を極めるものであった。
粗末な藁床に突っ伏し、寒いと譫言を漏らすポルコの精神世界までは、バルドの窺い知るものではない。
だが、決死の覚悟はその固太りの背中から、十分に伝わってくるものであった。
(私は、ポルコ様が因果に打ち克つのを見届けたい――だけど、どうしてこの人がここまでやるのか、わからない)
悪寒に歯を鳴らすポルコを傍で見守りながら、ビアンカはぐっと拳を握り締める。
ビアンカのポルコへの協力は、無邪気とも言える正義感から始まった。ポルコの絶望的な状況から泥臭く這い上がろうとする様に、熱い感動を覚えたのも事実だ。
(――だからこそ、私は……この人を一人で凍えさせるわけにはいかない!)
小さな背中が、悲壮な覚悟を決めたのとほぼ同時に、バルドの体勢ががくりと崩れ落ちた。
過酷な施術に、精神を著しく消耗させた様子のバルドを、ビアンカは慌てて支える。
まるで雨に打たれたかのように、汗に濡れたバルドの様子は、ビアンカを戦慄させた。
「今日は……ここまで、だ……明日また……この、命知らずを、連れて来るといい……」
「わかりました……バルドおじさまも、しっかり休んでくださいね」
震える声で応えるビアンカにバルドはにたりと微笑むと、気絶するように眠りに落ちた。
「……終わった、ようだな」
握り締めていた藁から手を放したポルコは、錆びたように軋む体を無理矢理引き起こし、立ち上がった。
鼾をかくバルドを藁床に寝かせ、彼のあばら家を後にしたポルコとビアンカは、黄昏の長い影を追うようにして、田舎道を歩く。
「寒さは……少しは、収まりましたか?」
「ああ……許容範囲だ」
「ポルコ様、一人で……背負わないでください」
ポルコを先導しながらゆっくりと道を歩くビアンカは、振り返らずにポルコに告げる。
表情は見えないが、どこか悲壮な声色のビアンカを宥めるように、ポルコは応えた。
「監督は、見守るのが仕事だろう? 手出しは……無用だ」
突き放した言葉のようにも聞こえるが、幾度も聞こえる躓きかけた足音は、ビアンカの耳にポルコの虚勢を理解させる。
「ポルコ様の……石頭」
鼻声で毒づくビアンカに、ポルコは力なく笑った。
一時的な拠点となる町の宿とバルドの家とを往復する中で、ポルコは自身に起きた変化を記録していた。
『三日目。味覚の消失』
『六日目。視野、前方以外消失』
『九日目。幻聴』
誰に見せるわけでもない手帳に書きかけた泣き言をペン先で塗り潰し、症状のみを淡々と書き連ねようとする筆跡が、ポルコの戦いの壮絶さを物語っていた。
「今日は――私がおじさまの家まで、持っていきますからね」
町で買い付けた果実酒の瓶をポルコから取り上げたビアンカは、心配そうに彼を見上げる。
この十日余りで目の周りに黒々と隈を拵え、憔悴した様子のポルコは、苦笑に似た笑みでこれに応えた。
「お前さん。ちっとばかり、男前になったんじゃあないか? おい」
「……そうか? 鏡は、あまり見ない性分でな」
慰めの軽口に応酬する空元気の軽口は、囁きのように心許ない。
日課となった地獄行に向かうべく、ポルコが何時ものように藁床へ膝を付いたところで、バルドは何時になく真剣な声色でポルコに耳打ちした。
「因果剥がしは順調だ。けどな、お前さんの二つの魂は、ばらばらに解れかかっとる……これからは、魂を寄せ直す工程も必要になるのだ」
「それは……なかなか、骨が折れそうだ」
ここに来て初めて弱音を吐くポルコに、バルドは一瞬慰めめいた言葉を吐きかけたが、眉間をぐっと顰めて別の言葉を継いだ。
「でたらめに挑むにゃ、試練は付き物だろうが」
「……その通りだ、な」
施術が始まり、ポルコの譫言はいよいよ要領を得ない言葉が増えた。
誰かと話しているのだろうか。以前にビアンカが聞き返した、耳慣れない単語も混じっている。
やがて施術の前半が終わり、ポルコが失神しているのを確認したビアンカは、バルドに直談判した。
「バルドおじさま。ポルコ様の心が、何処か、遠くに行ってしまわないように……私が出来ることを、教えて下さい」
バルドは渋い物を口に放り込まれたような顔でしばらくビアンカを見つめると、諦め半分に訊ねる。
「…………痛くて辛いからやめなさいと言っても、聞かんのだろうな。お前さんは」
「……はい。父上の、娘ですから」
梃子でも動かなそうなビアンカの様子に、バルドは悪い所ばっかり似とるとぼやいて、言葉を継いだ。
「お前さんの魔力をな、こいつの魂を貼っ付ける糊に使わせてもらうが……うんと痛いぞ?」
呆れながら告げるバルドに、ビアンカは力強く頷いた。
「――幻聴が、収まったな。魂を寄せ直す工程のおかげか?」
十二日目の記録を付けながら、ポルコは自身に起きた変化に訝しがる。当然、宿の部屋はビアンカとは別室のため、その問いに答える者は居ない。
明くる十三日目、施術中の幻覚の中で、ポルコは引き攣る胸の奥に、不思議な温かさを自覚した。
(……なんだ? この、妙な温かさは? ――どこから、湧いて出た?)
幻視の荒野の中に佇むポルコは、その不可解な熱を快いとは思わなかった。死に際の夢は、母の胸の中のように温かいと聞いたからだ。
翌日の幻覚の中には、芳しい香りが、その翌日には胸を締め付けるような悲しみが襲って来る。
一連の自身の魂への介入を、引き剥がされそうになっている因果による、攻撃だと武藤は仮定した。
だがその悲しみは、何時ぞやの夜会でリリアーナが流した甘ったるい涙とは、匂いがまるで違っている。
「――おい! ビアンカ!! 大丈夫か!?」
バルドの鋭い叫び声で、ポルコの心は急速に現実へと引き戻された。
背中に微かな重みと、体温を感じる。ポルコはこの温かさに、確かに覚えがあった。
「……ビアンカ、お前……無茶を、する……な」
定まらぬ視界の中で、ようやく温もりの正体を理解したポルコは、絞り出すような声でビアンカを労った。
以前の武藤なら、ビアンカの無謀な献身を咎めただろう。
だが、ポルコを二度も救った小さな勇者は、復讐鬼たるこの男に小さな変化をもたらした。
「やれやれ、眠っておるわい……お前さん、今日はビアンカを背負って帰るこったな」
「ああ。こいつには、返せない借りを作ってしまった」
「……わかっとるなら、明日からは気合で魂引き締めとけよ」
ポルコはその晩、手帳にビアンカへの感謝の一文を添えた。
「なんですか……? これ」
「飴だ。監督中のおやつにでもしてくれ」
翌朝、ポルコは宿の食堂で買い求めた飴菓子を、ビアンカに手渡した。
今更手出し無用と告げた件を蒸し返すことを武藤が嫌い、甘ったるい言葉を吐く自分にポルコが怖気た結果の品だ。
「わかりました。いただきますね」
通い慣れた田舎道を往くポルコの足取りは、もはや日課となった地獄行へと続いているというのに、不思議と軽やかだった。
――そしていよいよ、ポルコと武藤の魂から、最後の因果の糸が剥がれ落ちる日が訪れた。
「……終わったぞ」
告げるなり床に大の字になったバルドは、藁床に居座るポルコの脛を蹴った。一休みするから場所を譲れという、言葉を使わない意思表示だ。
やれやれとバルドの家から這い出たポルコとビアンカは、見上げた空の青さに息を呑んだ。
「もうすっかり、季節が変わったんですね……」
「そうだな――町に戻ったら、王都の方に電信を打つか」
その日の晩。所変わって侯爵家のタウンハウスでは、侯爵令嬢リリアーナが、月明かりに涙を煌めかせていた。
「どうしたんだい? リリィ……君の涙は美しいが、その美しさに私の心は、引き裂かれそうに痛んでしまうよ」
「ああ……カルロス様。わたくしのお友達、ベアータさんが……」
「あの男爵令嬢が、どうしたんだい? 君に、何か不埒な真似を……?」
ベイウィンドウに腰掛け、膝に抱いたリリアーナの髪を撫でながら、カルロスは冷えた怒りを顔もおぼろげな少女にぶつける。
「いいえ、いいえ、カルロス様……ベアータさんは、お父上のご都合で、お母上のご実家へ身を寄せられるそうですの……本当に、お可哀想」
リリアーナは、自身の信奉者の少女の実家が、市井の者に負担を強いて享楽に耽った結果、とある強硬な取り立て屋に尻の毛まで毟られた事など当然知らない。
まして、彼女を取り巻く美しく調和した世界に綻びが生じたのが、ポルコの因果が剥がれた事が原因だなど、リリアーナは知るよしもなかった。
「ああ……リリィ、心美しき私の乙女。君の睫毛を涙で濡らす不徳を、私は必ず消し去ってみせよう」
リリアーナに頬を寄せるカルロスの声色は、愛の殉教者そのものだ。
しかし月明かりを青く隠す雲を見つめるその眼差しは、聖愛教団の筆頭祭司として上り詰めた政治家らしい鋭さを孕んでいた。
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