47 / 47
エピローグ 18年後の夏 最終話
しおりを挟む
夕暮れがすっかり夜へと変わるころ、山あかりロッジの外には静かな虫の声が響いていた。
厨房からは香ばしい匂いが漂い、湯気の立つ料理が食卓に並んでいく。
「いやぁ、今日の仕入れは疲れたなぁ……」
一朗が腕を伸ばして大きく伸びをする。
「一朗、今日は遠くまで行ったんでしょ。お疲れさま」
美佐子が微笑みながら、大皿をテーブルの中央に置いた。煮込みハンバーグの香りがふわりと広がる。
「真白の好きなやつ作っといたからね」
「ありがとう、ばあちゃん」
陽子は笑いながら箸を並べて、ふと時計を見る。
「もう七時半か……真白、まだ部屋?」
「夕方に帰ってきたと思うけどな」
一朗は首をかしげながら、味噌汁をよそいはじめた。
「髪、切るって言ってたろ。鏡の前で気にしてんじゃないのか?」
陽子は少し笑って、「あの子ねぇ、身だしなみにはうるさいんだから」と言いながら、階段の方へ声をかけた。
「真白!早く出てきなさい!夕食食べるわよー!」
……返事はない。
「おーい、真白?聞こえてるか?」
一朗も笑いながら声を張るが、やはり静かだった。
陽子がため息をついて立ち上がろうとした、そのとき――
階段の上から、「……いま行くー」と、かすかに声がした。
そして、ゆっくりと足音が響いてくる。
コツ、コツ――と、ひとつひとつ確かめるような足取り。
最初に見えたのは黒光りする長いブーツ。
次に、光沢を帯びた漆黒のラバー。
体のラインにぴったりと張りつくスーツは、照明の明かりを柔らかく反射している。
階段を降りてきた真白は――まるで写真集の中から抜け出してきたようだった。
腰を絞るラバーコルセット、金色に輝く瞳、そして短く切り揃えられた黒髪が、彼女の白い肌を一層際立たせている。
陽子は、椅子から立ち上がった。
息が止まる。
それは、かつて見た“彼女”の姿――。
あの夜、光に包まれて消えていった真白。
一朗を守るために自らの命を差し出した、あの白蛇の少女。
目の前の娘が、まるでその“真白”と重なって見えた。
「……ま、しろ……?」
陽子の声は震えていた。
一朗も同じように呆然と立ち尽くしている。
手の中の箸がわずかに震え、テーブルに当たって小さな音を立てた。
「どうしたの? 二人とも」
真白は小首を傾げ、まるで写真集のポーズのように微笑む。
その笑顔――かつて、あの病室で消えていった真白が見せた最後の笑みと、まったく同じだった。
一瞬、空気が止まったようだった。
美佐子でさえ、手にしたお玉を握ったまま動けない。
「……真白、あんた……」
陽子が震える声で言う。
「その格好……どこで……」
真白は屈託のない笑顔で答えた。
「ねぇ、母さん。この服、物置にあったんだよ。すごいでしょ? ピッタリなの!」
しかし――陽子の目からは、ぽろりと涙が落ちた。
目の前の娘が、まるで“もう一度帰ってきた”真白のように見えて仕方がなかった。
一朗は、無意識のうちに拳を握りしめ、声を震わせた。
「……真白……お前……どうして、その姿を……」
真白はきょとんとしながらも、どこか不思議そうに首を傾げた。
「なんでそんな顔してるの? ただ、びっくりさせようと思って……」
食卓の上に、静寂が落ちた。
湯気を立てていた味噌汁も、煮込みハンバーグの香りも、今はまるで遠い世界のもののように感じられる。
真白は椅子に座ると、そっと持ってきた写真集をテーブルの中央に置いた。
その表紙には、ラバースーツに身を包んだ金髪の女性――若かりし頃の「ミキ」が微笑んでいた。
「母さん、父さん」
真白の声は静かだが、どこか張りつめていた。
「さっきの反応……どうしてそんな顔したの?」
一朗も陽子も言葉を失っていた。
真白は続ける。
「この写真集、物置にあったの。母さんが写ってるんでしょ? “ミキ”って名前で。私に内緒にしてたのはなぜ? 社会現象を起こした人気モデルだったって、すごいことなのに。……それに――」
真白はページを開く。
震える指で、最後の一枚を指さした。
「この写真。最後のページの、この人。私にそっくりなこの人は……誰なの?」
部屋の空気が止まった。
時計の秒針の音だけが、カチ、カチ、と響く。
陽子は、ゆっくりと息を吸い込んで、写真を見つめた。
その瞳が少しずつ潤んでいく。
「……そうね。もう話さなきゃいけない時が来たんだと思う」
「陽子……」
一朗が静かに頷く。
陽子は写真集をそっと撫でながら、真白に向き直った。
「真白。この写真に写っているのは、あなたじゃない。でも……あなたの“中にいる人”なの」
「……中に?」
真白が目を瞬かせる。
一朗がゆっくりと言葉を継いだ。
「その女性の名前は“真白”だ。俺たちの命を救ってくれた、白蛇の神様の化身だったんだ。母さん――陽子を守るために、そしてお前の命を繋ぐために、自分のすべてを差し出した」
真白の唇がわずかに震えた。
「白蛇……? 神様……? そんな……」
陽子は静かに頷いた。
「あなたがお腹の中にいた頃……私は事故で下半身が動かなくなった。でも入院していた病室で、“真白ちゃん”が現れて、彼女は言ったの。『私にしかできないことがある』って。そして……彼女は光に包まれて消えていった…。その後急に私はもう歩けるようになっていた。あなたは、そのときお腹にいた命――“真白ちゃん”が守った命なのよ」
真白は、信じられないという顔で二人を見つめた。
「……じゃあ、私の名前は……」
「彼女の名前をつけたの。あなたに…」
陽子が微笑んだ。
「『真白』。純粋で、清らかで、そして強い。あの子が残していった“希望”の名前よ」
真白は膝の上で手を握りしめた。
心臓の鼓動が耳に響く。
それは、自分の奥深くで何かが目を覚ますような感覚だった。
「……だから、母さんは“ミキ”だったことも、“真白ちゃん”のことも、私には話さなかったの?」
陽子は涙をこぼしながら頷いた。
「あなたには、あなたの人生を歩んでほしかったの。過去の影じゃなく、あなた自身として」
真白はゆっくりと立ち上がる。
写真集を胸に抱きしめると、小さく呟いた。
「……私の中に“真白ちゃん”がいるなら、きっと、ずっと見守ってくれてたんだね……」
その瞬間、どこからともなく、やわらかな風が吹き抜けた。
窓辺のカーテンがふわりと揺れる。
陽子と一朗は思わず顔を見合わせた。
まるで“彼女”が、そっと微笑んでいるように――。
「真白」~~雪と蛇の女~~ 完結
ご愛読ありがとうございました。これにて真白の物語は幕を閉じます。また次作でお会いしましょう!
作者 まへまへ
厨房からは香ばしい匂いが漂い、湯気の立つ料理が食卓に並んでいく。
「いやぁ、今日の仕入れは疲れたなぁ……」
一朗が腕を伸ばして大きく伸びをする。
「一朗、今日は遠くまで行ったんでしょ。お疲れさま」
美佐子が微笑みながら、大皿をテーブルの中央に置いた。煮込みハンバーグの香りがふわりと広がる。
「真白の好きなやつ作っといたからね」
「ありがとう、ばあちゃん」
陽子は笑いながら箸を並べて、ふと時計を見る。
「もう七時半か……真白、まだ部屋?」
「夕方に帰ってきたと思うけどな」
一朗は首をかしげながら、味噌汁をよそいはじめた。
「髪、切るって言ってたろ。鏡の前で気にしてんじゃないのか?」
陽子は少し笑って、「あの子ねぇ、身だしなみにはうるさいんだから」と言いながら、階段の方へ声をかけた。
「真白!早く出てきなさい!夕食食べるわよー!」
……返事はない。
「おーい、真白?聞こえてるか?」
一朗も笑いながら声を張るが、やはり静かだった。
陽子がため息をついて立ち上がろうとした、そのとき――
階段の上から、「……いま行くー」と、かすかに声がした。
そして、ゆっくりと足音が響いてくる。
コツ、コツ――と、ひとつひとつ確かめるような足取り。
最初に見えたのは黒光りする長いブーツ。
次に、光沢を帯びた漆黒のラバー。
体のラインにぴったりと張りつくスーツは、照明の明かりを柔らかく反射している。
階段を降りてきた真白は――まるで写真集の中から抜け出してきたようだった。
腰を絞るラバーコルセット、金色に輝く瞳、そして短く切り揃えられた黒髪が、彼女の白い肌を一層際立たせている。
陽子は、椅子から立ち上がった。
息が止まる。
それは、かつて見た“彼女”の姿――。
あの夜、光に包まれて消えていった真白。
一朗を守るために自らの命を差し出した、あの白蛇の少女。
目の前の娘が、まるでその“真白”と重なって見えた。
「……ま、しろ……?」
陽子の声は震えていた。
一朗も同じように呆然と立ち尽くしている。
手の中の箸がわずかに震え、テーブルに当たって小さな音を立てた。
「どうしたの? 二人とも」
真白は小首を傾げ、まるで写真集のポーズのように微笑む。
その笑顔――かつて、あの病室で消えていった真白が見せた最後の笑みと、まったく同じだった。
一瞬、空気が止まったようだった。
美佐子でさえ、手にしたお玉を握ったまま動けない。
「……真白、あんた……」
陽子が震える声で言う。
「その格好……どこで……」
真白は屈託のない笑顔で答えた。
「ねぇ、母さん。この服、物置にあったんだよ。すごいでしょ? ピッタリなの!」
しかし――陽子の目からは、ぽろりと涙が落ちた。
目の前の娘が、まるで“もう一度帰ってきた”真白のように見えて仕方がなかった。
一朗は、無意識のうちに拳を握りしめ、声を震わせた。
「……真白……お前……どうして、その姿を……」
真白はきょとんとしながらも、どこか不思議そうに首を傾げた。
「なんでそんな顔してるの? ただ、びっくりさせようと思って……」
食卓の上に、静寂が落ちた。
湯気を立てていた味噌汁も、煮込みハンバーグの香りも、今はまるで遠い世界のもののように感じられる。
真白は椅子に座ると、そっと持ってきた写真集をテーブルの中央に置いた。
その表紙には、ラバースーツに身を包んだ金髪の女性――若かりし頃の「ミキ」が微笑んでいた。
「母さん、父さん」
真白の声は静かだが、どこか張りつめていた。
「さっきの反応……どうしてそんな顔したの?」
一朗も陽子も言葉を失っていた。
真白は続ける。
「この写真集、物置にあったの。母さんが写ってるんでしょ? “ミキ”って名前で。私に内緒にしてたのはなぜ? 社会現象を起こした人気モデルだったって、すごいことなのに。……それに――」
真白はページを開く。
震える指で、最後の一枚を指さした。
「この写真。最後のページの、この人。私にそっくりなこの人は……誰なの?」
部屋の空気が止まった。
時計の秒針の音だけが、カチ、カチ、と響く。
陽子は、ゆっくりと息を吸い込んで、写真を見つめた。
その瞳が少しずつ潤んでいく。
「……そうね。もう話さなきゃいけない時が来たんだと思う」
「陽子……」
一朗が静かに頷く。
陽子は写真集をそっと撫でながら、真白に向き直った。
「真白。この写真に写っているのは、あなたじゃない。でも……あなたの“中にいる人”なの」
「……中に?」
真白が目を瞬かせる。
一朗がゆっくりと言葉を継いだ。
「その女性の名前は“真白”だ。俺たちの命を救ってくれた、白蛇の神様の化身だったんだ。母さん――陽子を守るために、そしてお前の命を繋ぐために、自分のすべてを差し出した」
真白の唇がわずかに震えた。
「白蛇……? 神様……? そんな……」
陽子は静かに頷いた。
「あなたがお腹の中にいた頃……私は事故で下半身が動かなくなった。でも入院していた病室で、“真白ちゃん”が現れて、彼女は言ったの。『私にしかできないことがある』って。そして……彼女は光に包まれて消えていった…。その後急に私はもう歩けるようになっていた。あなたは、そのときお腹にいた命――“真白ちゃん”が守った命なのよ」
真白は、信じられないという顔で二人を見つめた。
「……じゃあ、私の名前は……」
「彼女の名前をつけたの。あなたに…」
陽子が微笑んだ。
「『真白』。純粋で、清らかで、そして強い。あの子が残していった“希望”の名前よ」
真白は膝の上で手を握りしめた。
心臓の鼓動が耳に響く。
それは、自分の奥深くで何かが目を覚ますような感覚だった。
「……だから、母さんは“ミキ”だったことも、“真白ちゃん”のことも、私には話さなかったの?」
陽子は涙をこぼしながら頷いた。
「あなたには、あなたの人生を歩んでほしかったの。過去の影じゃなく、あなた自身として」
真白はゆっくりと立ち上がる。
写真集を胸に抱きしめると、小さく呟いた。
「……私の中に“真白ちゃん”がいるなら、きっと、ずっと見守ってくれてたんだね……」
その瞬間、どこからともなく、やわらかな風が吹き抜けた。
窓辺のカーテンがふわりと揺れる。
陽子と一朗は思わず顔を見合わせた。
まるで“彼女”が、そっと微笑んでいるように――。
「真白」~~雪と蛇の女~~ 完結
ご愛読ありがとうございました。これにて真白の物語は幕を閉じます。また次作でお会いしましょう!
作者 まへまへ
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる



