彼はオタサーの姫

穂祥 舞

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終曲/帰省

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 三喜雄は回想を止めて、溜め息をついた。塚山はちょっと酒癖が悪いので、彼のためにもこれから気をつけなくてはいけない。打ち上げの夜も乾杯の後に、オペラ基礎の試験のピンカートンが凄く良かったと三喜雄が感想を伝えたら、すっかり舞い上がってあの体たらくである。これまで札幌で一緒に飲んだ時に全く気づかなかったのは、自分の不覚なのだろうか。とりあえず、店飲みでも家飲みでも、ちゃんぽんはまずいらしいことは理解した。
 あの夜、2時間ほどを馬鹿笑いしながら一緒に過ごした連中の顔を思い浮かべてみる。授業が始まった頃は、内部進学者はもちろん、他の大学を卒業してここに来た者もみんな上手に思えて、自分の場違いさにいたたまれなかった。また、初めて藤巻以外の先生に個人で教えてもらうようになり、これまで指摘されたことのないような……例えば、「片山くんは藤巻のコピーを目指しているのか」などと国見から言われ、ショックを受けた。これまでは、尊敬する師の若い頃のようだと言われると嬉しかったし、それの何がいけないのか、最初はよくわからなかった。
 要するに「自分の歌」がまだまだ歌えていないと、国見は言いたいらしかった。藤巻が出している2枚のCDを至高の手本としてきた三喜雄は、何をどう練習すれば藤巻のコピーにならないのかがわからず、悩んだ。その上、初めての一人暮らしで軽くホームシック気味になっていたところに、気温が一気に上がったせいで体調を崩した。東京は札幌よりも暑いという、動かしようのない事実を呪った。あの時親身になって面倒を見てくれた亮太や、その直後に何とか帰省した札幌で、時間を作り励ましてくれた塚山には、ほんとうに感謝している。あのまま独りであの部屋でぐずぐずしていたら、メンタルをやられたかもしれない。
 歌手としても人としても、俺はまだまだ足りないところだらけだ。大学院に受かったのは始まりに過ぎないと藤巻先生に言われていたのに、それを失念してちょっと浮かれていたかもしれない。
 故郷で落ち着きを取り戻した三喜雄は、自分の現在を直視して受け入れるよう心掛け練習するうち、少し気持ちが楽になった。藤巻よりも年齢が上の国見に対して、やや物怖じしていたのも、慣れてきて緊張が解け始めた。すると彼が自分に「持っている声を自然に出して最大限に生かす」という、極めてシンプルなことを求めているのだと理解できるようになってきた。そんな小さな気づきも、進歩だと素直に受け止める。焦っても仕方がないので、時に自分で自分を褒めながら、少しずつ進むのだ。
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