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第五話「女官たちの警戒と、揺れる日常」
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夜会の終盤、エミリアの手を引くようにして会場を後にしたカイルは、やや早足だった。誰かに見られていたわけではないが、視線の重さや周囲の気配に無意識に苛立ちを覚えていたのだ。
エミリアは何も言わず、ただ隣を静かに歩いていた。けれど、いつものように控えめで静謐なその気配の中に、どこか戸惑いのようなものが混じっているのを、彼は感じ取っていた。
会場を離れ、人気の少ない回廊に出た瞬間だった。
「ちょっとお待ち。副長、あなたはもうお役御免よ」
きっぱりとした声と共に、前方から現れたのは王宮に長く仕える女官のひとり。年配ながらも背筋をしゃんと伸ばし、眼光鋭いその人物に、カイルも思わず足を止めた。
「あとは、私たちが預かります」
そう言って、女官はエミリアの手を取った。エミリアはきょとんとしたままだったが、女官の力は思いのほか強く、すっと引き寄せられるようにして連れ去られていった。戸惑いを残して、エミリアはカイルの方へ小さく頭を下げただけで、言葉を交わす間もなく連れて行かれた。
そのまま、王女専属女官の控室へと戻されたエミリアは、今度は別の意味で“取り囲まれる”ことになる。
「……どういうことなの、あれは?」 「なぜマーレン国の外交官と話していたの?」 「あなたが怖がらずにダンスをこなせたのは素晴らしいわ。でも……それ以上のことが起きてしまったのよ」
囲むように立つ古参の女官たちの顔には、明らかな動揺と苛立ちがにじんでいた。若く美しい女官が注目されることは、ある程度織り込み済みだった。けれど、外交官――しかも北方マーレン国の要人と、個人的に言葉を交わすなどとは、誰も想像していなかった。いまこの瞬間も、王宮ではマーレンとの緊張状態が続いている。どんな些細な接触も、外交の火種になりかねない時期だったのだ。
「エミリア、あなたは私たちにとって――いや、王女様にとって“切り札”なの。目立たず、穏やかに、でも有能で、必要なときだけ表に出る。そういう存在であるべきだったのよ」
年長の女官は、静かながらも厳しい口調で言い切った。その瞳には、守ろうとしていた何かが不意に世間に晒されてしまったような、焦燥と警戒が浮かんでいた。
「よりによって、外交の場で……副長が傍についていながら、こんな形で注目されるなんて。……あの人が気を緩めていたからよ。いつも通り“彼女は目立たない”と油断していたのね」
その言葉に、控えめにしていた若手の女官たちも、一様に息を呑み、視線を落とした。 ――カイル副長なら大丈夫。そう信じていたからこそ、今回の一件が与えた衝撃は大きかった。 いつもの地味で有能なエミリアが、まさか王宮を揺るがす“話題の中心”になるとは、誰も思っていなかったのだ。
エミリア自身は、事の重大さをまだきちんと把握していなかった。彼女にとっては、あれは単に「マーレン語で丁寧に自己紹介した」だけのことだった。問題は、その言葉が、王都では聞いたこともないような“激しい訛り”で発された、という点にある。
「……そんなに、変だったでしょうか?」
エミリアがそう小さく呟いたとき、場にいた全員が沈黙した。 変、ではない。――強烈だったのだ。忘れられないレベルで。
その後の王宮では、しばらく奇妙な空気が漂った。
いつもの業務をこなすエミリアに対して、周囲の人々は妙に過敏だった。誰もはっきりとは言わないが、「もう彼女は“ただの女官”ではなくなってしまった」という意識がにじみ出ていた。
遠巻きに様子をうかがう者、あからさまに距離を取る者、意味深な笑みを浮かべてくる者まで現れた。
「……いろんな意味で、面倒なことになったわね」
王女リリアが、ため息交じりにそう呟いたのは、数日後の書庫でのことだった。 それでも、彼女の表情はむしろ楽しげだった。
「でも、あなたらしいと言えば、あなたらしい。ギャップで人を撃ち抜く女官なんて、そうそういないもの」
エミリアは少しだけ困ったように笑った。
確かに、少しずつ周囲の目が変わってきているのを感じていた。けれど、それでも彼女は、変わらぬ静けさを纏いながら、黙々と仕事に取り組んでいた。
それが、自分にできる最善の“盾”であると、どこかで知っていたから。
エミリアは何も言わず、ただ隣を静かに歩いていた。けれど、いつものように控えめで静謐なその気配の中に、どこか戸惑いのようなものが混じっているのを、彼は感じ取っていた。
会場を離れ、人気の少ない回廊に出た瞬間だった。
「ちょっとお待ち。副長、あなたはもうお役御免よ」
きっぱりとした声と共に、前方から現れたのは王宮に長く仕える女官のひとり。年配ながらも背筋をしゃんと伸ばし、眼光鋭いその人物に、カイルも思わず足を止めた。
「あとは、私たちが預かります」
そう言って、女官はエミリアの手を取った。エミリアはきょとんとしたままだったが、女官の力は思いのほか強く、すっと引き寄せられるようにして連れ去られていった。戸惑いを残して、エミリアはカイルの方へ小さく頭を下げただけで、言葉を交わす間もなく連れて行かれた。
そのまま、王女専属女官の控室へと戻されたエミリアは、今度は別の意味で“取り囲まれる”ことになる。
「……どういうことなの、あれは?」 「なぜマーレン国の外交官と話していたの?」 「あなたが怖がらずにダンスをこなせたのは素晴らしいわ。でも……それ以上のことが起きてしまったのよ」
囲むように立つ古参の女官たちの顔には、明らかな動揺と苛立ちがにじんでいた。若く美しい女官が注目されることは、ある程度織り込み済みだった。けれど、外交官――しかも北方マーレン国の要人と、個人的に言葉を交わすなどとは、誰も想像していなかった。いまこの瞬間も、王宮ではマーレンとの緊張状態が続いている。どんな些細な接触も、外交の火種になりかねない時期だったのだ。
「エミリア、あなたは私たちにとって――いや、王女様にとって“切り札”なの。目立たず、穏やかに、でも有能で、必要なときだけ表に出る。そういう存在であるべきだったのよ」
年長の女官は、静かながらも厳しい口調で言い切った。その瞳には、守ろうとしていた何かが不意に世間に晒されてしまったような、焦燥と警戒が浮かんでいた。
「よりによって、外交の場で……副長が傍についていながら、こんな形で注目されるなんて。……あの人が気を緩めていたからよ。いつも通り“彼女は目立たない”と油断していたのね」
その言葉に、控えめにしていた若手の女官たちも、一様に息を呑み、視線を落とした。 ――カイル副長なら大丈夫。そう信じていたからこそ、今回の一件が与えた衝撃は大きかった。 いつもの地味で有能なエミリアが、まさか王宮を揺るがす“話題の中心”になるとは、誰も思っていなかったのだ。
エミリア自身は、事の重大さをまだきちんと把握していなかった。彼女にとっては、あれは単に「マーレン語で丁寧に自己紹介した」だけのことだった。問題は、その言葉が、王都では聞いたこともないような“激しい訛り”で発された、という点にある。
「……そんなに、変だったでしょうか?」
エミリアがそう小さく呟いたとき、場にいた全員が沈黙した。 変、ではない。――強烈だったのだ。忘れられないレベルで。
その後の王宮では、しばらく奇妙な空気が漂った。
いつもの業務をこなすエミリアに対して、周囲の人々は妙に過敏だった。誰もはっきりとは言わないが、「もう彼女は“ただの女官”ではなくなってしまった」という意識がにじみ出ていた。
遠巻きに様子をうかがう者、あからさまに距離を取る者、意味深な笑みを浮かべてくる者まで現れた。
「……いろんな意味で、面倒なことになったわね」
王女リリアが、ため息交じりにそう呟いたのは、数日後の書庫でのことだった。 それでも、彼女の表情はむしろ楽しげだった。
「でも、あなたらしいと言えば、あなたらしい。ギャップで人を撃ち抜く女官なんて、そうそういないもの」
エミリアは少しだけ困ったように笑った。
確かに、少しずつ周囲の目が変わってきているのを感じていた。けれど、それでも彼女は、変わらぬ静けさを纏いながら、黙々と仕事に取り組んでいた。
それが、自分にできる最善の“盾”であると、どこかで知っていたから。
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