王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと

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第二十話「衝撃の余韻と、風のような護り手」

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夜会が明けた朝、宮廷にはどこか夢から醒めたような、空虚な静けさが漂っていた。

二晩にわたる挙式と祝宴、それに続く諸国の来賓たちとの謁見と夜会──誰もが気を張り詰め、礼節と外交の綱を綱渡るような時間だった。そして、それがすべて終わった今、まるで舞台の幕が下りた後の劇場のように、城内はほっとした空気に包まれていた。

各国の使節団は今朝をもって順次帰路につく。

エルデバーデ王国の王族たちも例外ではなかった。アレクサンダー王と王妃ソフィア、王太子セドリックは早朝、馬車へと乗り込む直前、ジークフリート皇太子とリリア皇太子妃に別れの挨拶を告げた。

だが、その別れ際。アレクサンダー王は、ふと傍らにいたギラン皇帝ダリオスに近づき、低い声で一言耳打ちした。

「──お前のところの若造共より先に、マーレンの第二王子が動くぞ。……あの娘は、もっと奥が深い。逃したら、一生後悔する」

その一言に、ダリオスは思わず息を飲んだ。

昨夜の“あの出来事”がまだ脳裏に焼き付いていた。あの訛り、あの色香、そして何より、言葉では言い表せない“あの違和感”が、なぜか心の奥に居座り続けていた。

最初は、晩餐会で初めて彼女を見たときのことだった。地味な女官などと聞いていたはずが、目の前に現れたのは堂々たる美貌と知性を携えた女。まさか、と思いながらも自らを律したはずだった。それが──昨夜の、あの方言。あまりに衝撃的で、もはや色香だとか格式だとかの話ではなかった。言葉が、人を殴るように印象を刻むことがあるなら、それがまさにそうだった。

「……まさか、わたしが」

若き女官に心を乱されるとは。だがその現実に、ダリオスは未だどこか現実味を持てずにいた。

それでも彼の胸のうちには、すでに奇妙な確信が生まれ始めていた。

──この娘は、ただ者ではない。

それが、ただの情の揺らぎで終わるものかどうか、確かめる間もなく、その“答え”はあっけなく訪れた。


昼を過ぎ、他国の使節がすべて出立した午後。城内はようやく安堵の色が広がっていた。ジークフリートとリリアは、ひとときの散策を兼ねて、回廊をゆっくりと歩いていた。その後ろには、いつものように地味な装いのエミリアが静かに付き従っている。

その光景は、平穏そのものだった。

その瞬間までは。

突如、遠くの窓の外に視線を投げていた者たちの間から、ざわめきが走った。

「待て、あれは……衛兵か?」

次の瞬間、衛兵の格好をした何者かが、懐から刃を抜いた。

──ジークフリート皇太子を狙って。

だが、誰よりも先に動いたのは、近衛でも重臣でもなかった。

地味な装いに身を包み、控えめに後ろを歩いていた女官――エミリアだった。

彼女は風のように、音もなく動いた。

腰に忍ばせていた細身の剣が一閃、空気を切り裂いたかと思えば、飛びかかろうとしていた刺客の腕を正確に打ち払い、そのまま床へと押し倒し、関節を決めた。わずか数秒。誰も声を上げる暇もなかった。

呆然と立ち尽くすアレンバルトとキリオス。二人とも護衛としては一流の剣士である。にもかかわらず、エミリアの初動は彼らの一歩も二歩も上をいっていた。

そして、窓辺に立ち尽くしていた男がいた。ギラン帝国皇帝、ダリオス=ヴェルター。

その目が驚きで見開かれていた。

「……これか。アレクサンダーの言っていた、“奥”とは」

彼は呆然と呟いた。いや、見惚れていたと言っても過言ではない。

ただの護衛ではない。ただの美貌でもない。──あれは“本物”だ。

凛として、揺るがず、守るべき者のために動く。しかも、それを当然のように、ただ静かにやってのける。その姿は、美しさを超えて、畏敬すら呼び起こすものだった。

ジークフリートがエミリアに声をかけたのは、数秒の沈黙のあとだった。

「エミリア……すまない。君に守られたのは、これで何度目だろう」

彼女は微笑を浮かべ、少し首をかしげただけだった。

「守るべき立場でございますから、当然のことをしたまでにございます」

その言葉もまた、地味で素っ気ないものだった。だが、その声が、訛りが、仕草が──場にいたすべての者の心を、強く揺さぶった。

“本物”は、着飾る必要などない。

その瞬間、エミリアの存在は、ギラン帝国宮廷の中で、否応なく“特別”なものへと変わっていた。

それに気づいていたのは、ダリオスだけではなかった。

それぞれの胸に、気づかぬうちに刻まれていたのだ。

この女官の名は──忘れることなど、到底できはしないと。
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