王宮地味女官、只者じゃねぇ

宵森みなと

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第二十一話「剣の記憶と、心の本音」

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あの日の騒ぎを経ても、エミリアは何も変わらなかった。

いつも通り、地味な女官服を着て、皇太子妃の身の回りの世話から各部局との調整、外交文書の手配まで、完璧に業務をこなしていた。彼女自身の中に何かが変わった様子はなかったが、周囲の目は、明らかに違っていた。

かつては“気の利く女官”と認識されていたその存在は、今や「近づきたいが、簡単には届かぬ気品と実力を備えた存在」へと変貌していた。若い士官や貴族の子息らが、さりげなく話しかけたり、花を差し入れたりと、あからさまに距離を縮めようとしてくる。

だが当の本人は、至って無自覚だった。差し出された手紙も「誰かと間違えたのでは」と封も開けずに返し、誘いの言葉にも「公務がございますので」と柔らかにかわす。愛想がないわけではない。ただ、必要以上に踏み込まない。それがエミリアという人間だった。

そんなある日。

一通の召喚状が届いた。差出人は──ギラン帝国軍の元帥、マティアス=シュトラウス。かつて多くの戦を指揮し、今なお軍内部では“生ける伝説”と語られる男だった。

リリア皇太子妃に事情を伝え、エミリアはひとり軍本部へ向かった。重厚な石造りの建物の中は、凛とした空気に包まれ、歩を進めるたびに規律と誇りが漂っていた。そこには、輿入れの際に護衛してくれた将官や士官たちの姿もあった。

「おお、女官様……いや、そろそろ“殿”と呼ぶべきかもしれんな」

懐かしい顔ぶれに迎えられ、静かに一礼を返すと、執務室の奥へと通された。

机の向こうに座っていたのが、マティアス元帥だった。威圧的な雰囲気は一切ない。ただ、年輪を刻んだ目が、エミリアをまっすぐに捉えていた。

「……どうして、一介の女官が刺客を制したのか。その答えを、聞かせてもらいたい」

静かな口調に、エミリアは小さく苦笑した。

「そのお言葉、実は本国でも何度か頂戴したことがございます」

そして、子ども時代──誘拐未遂や襲撃が相次いだこと、それを機に辺境伯出身の母に武術を叩き込まれ、自己防衛の術を学んだことを淡々と語った。

その名が出た瞬間、元帥の眉がぴくりと動いた。

「ラフィーネ嬢の……娘?」

一瞬、静寂が落ちた。だがすぐに、元帥は太く低い声で笑い始めた。

「なるほど、あのラフィーネの娘であれば……そりゃ強いに決まっておる。私がまだ若造だった頃、エルデバーデ国との共同演習で彼女の父上にしごかれたことがあった。いや、忘れられん。あの目と、あの構え……今でも夢に出る」

苦笑するエミリアに、元帥はまるで旧友に再会したかのような目を向けた。

「それにしても……ラフィーネ嬢がまだ若かった頃、わしの初恋だったのだ。まさか、娘御と再び縁があるとはな」

そのやりとりは、まるで遠い親戚同士の語らいのようだった。部屋の中は穏やかで温かい空気に満たされていた。

だが、その頃。とある人物が、落ち着きを失っていた。

ダリオス=ヴェルター皇帝。

エミリアが軍に“呼ばれた”と聞いた彼は、いてもたってもいられなくなり、自ら軍本部へ出向いてしまった。重々しい軍の建物に、帝が直々に足を運ぶなど前代未聞だった。

中から聞こえてきたのは──談笑と笑い声。戸口を開け、姿を現したのは、いつもの地味な格好をしたまま、自然な笑みを浮かべるエミリアの姿だった。

「……彼女をどうするつもりだ?」

半ば睨みつけるように元帥に問いただすと、

「……ご心配には及びません。軍に引き込むつもりなど、ありませんから。ただ事情を聞いたまで」

安堵とも言えぬ感情に胸をなで下ろしつつ、ダリオスは「このままここに置いておけるものか」とばかりに、無理やり理由をつけて彼女を連れ帰ることにした。

歩くうち、気がつくと彼女の手を取っていた。

それはあまりに自然で、しかし自分でも驚くような行動だった。慌てて手を離しながら、ぶっきらぼうに口を開く。

「今のは、あれだ……護衛として、手を引いただけだ」

悪人面のその顔が、子供のように言い訳を並べる様子に、エミリアは思わず吹き出した。

「……ふふ、皇帝のそういうところ、少し……可愛らしいですわね」

その艶やかで柔らかな笑みに、またしても心を奪われた。もう誤魔化しは効かない。

この娘が誰かに拐われる──そう思うだけで、喉の奥が焼けるようだった。

衝動が、堰を切った。

「……笑うな」

不意に腕を引き寄せ、抱きしめていた。彼女の小柄な体が、自分の胸元にすっぽりと収まる。

「もう、いい。好きだ……お前が、誰かのものになるくらいなら……このまま奪う」

その言葉に、エミリアの頬が見る間に赤く染まる。目を見開いたまま、逃れようとはしない。

「……陛下、それは……口付けの前触れのようです」

「そうだ」

そして、唇が重なった。

最初は戸惑いながら、けれど──二度、三度と重ねるうちに、自然と受け入れていた。誰にも見せたことのない、柔らかな笑みを浮かべながら。

この瞬間、確かに二人の心は、初めて真の意味で心が触れ合ったのだった。
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