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第二十八話「訛りが紡ぐ、想いと和解の境界線」
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挙式をひと月後に控えたある日、ギラン帝国に不穏な風が吹いた。
マーレン国との国境付近――ガージデル辺境伯が治める帝国側の地と、マーレン側であるグランバール伯爵領との間で、小競り合いが続発していたのだ。最初は些細な交易の擦れ違いに過ぎなかったが、互いの緊張は次第に高まり、ついには軍の小規模な動員が始まりかけていた。
このままでは、いつ火蓋が切られてもおかしくない。
その報を受け、皇帝ダリオス=ヴェルターは即座に対応を決めた。帝国の威信に関わる一件である以上、己の名のもとに解決を図るべきと。
そして、その隣にはもう一人の名が添えられていた。
皇后エミリア・アルバレスト。
正式な挙式はまだだが、すでに法的にも内政上でも“皇后”として位置付けられている彼女が、今回の随行を願い出たのだ。
「……危険だ。おまえは、留まっていてほしい」
懇願するダリオスに、エミリアは静かに首を振った。
「陛下に何かあったら、私は――待つことなど、できません。共に戦います。それが、妻の覚悟です」
その瞳に迷いはなかった。
リリア皇太子妃もまた、心配して止めようとしたが、エミリアの覚悟を前に言葉をのみ込んだ。そして代わりに、そっと微笑んでこう言った。
「ならば、せめて――化粧を。綺麗なあなたで挑んで。女には、女の戦い方があるわ」
思いがけない言葉に、エミリアは小さく笑った。
「……この顔が、役に立つなら――喜んで使います」
そして当日。
会談は国境を跨いだ野外に設けられた特別な議場で行われることとなった。広大な丘陵地に簡素ながら厳粛な設営が施され、各国代表が時を違えず集まっていた。
すでに席には、マーレン国の第二王子レオンハルトとジーク、そしてグランバール伯爵の姿があった。
ギラン帝国側では、ガージデル辺境伯が正装のまま控えていた。
そして――帝国の馬車がゆっくりと到着する。
最初に姿を現したのは、ダリオス皇帝。そしてその腕に手を添えて、ゆっくりと馬車を降りた女性――それがエミリアだった。
柔らかな光沢を放つ上品なドレスに身を包み、髪はしっとりとまとめ上げられ、整えられた化粧の奥から凛とした眼差しが覗く。かつて「地味な女官」と呼ばれていた彼女は、今やまごうことなき“皇后”の気品を纏っていた。
その姿を目にした瞬間、レオンハルトとジークは思わず席を立った。
あの別れから、まだ半年も経っていないというのに――エミリアはまるで別人だった。
愛し、愛されたことで、蕾のようだった美しさが花開き、柔らかな艶と気高さをまとっていた。凛とした中に色香を漂わせるその姿は、誰の目にも抗えぬ魅力を放っていた。
ダリオスとレオンハルトが対面し、静かに言葉を交わす。続いて、エミリアが一礼し、簡潔に自己紹介を――と思ったその瞬間。
「………本日は、遠路はるばるお越すくださり、ありがどごさいますた」
その訛りが、野外の空気を震わせた。
あまりに予想通りの訛りに、ガージデル辺境伯とグランバール伯爵は同時に動きを止めた。
「……な、なぜにそのような……」
戸惑いの声を上げたガージデル辺境伯に、エミリアは微笑んで答えた。
「……幼少期、アルバレスト家さ仕えでだ庭師がら、マーレン語教わりますて。……すこだま、仲良ぐすてもらってだんだ。……アルホンスでいう方だっけっす」
その名を聞いた瞬間、グランバール伯爵がはっと目を見開いた。
「……アルホンス……っ!」
その声には驚きと懐かしさが混ざっていた。
「……わたしの、祖父です。父が家督を継いだ頃、祖父は他国に渡りたいと家を出て――夢を追いに行ったと聞いていました」
「……夢?」
「……“スカイピート”という花を育てたいと。マーレンでは根づかず、だが――エルデバーデ国のアルバレスト領で一面に咲いていた光景に心を奪われたと……」
その言葉に、エミリアはそっと微笑んだ。
「……アルは、エルデバーデで最期までおらの家――アルバレスト家さ仕えでいますた。すこだま優すくて、あだだがな人だっけっす」
そして、言葉を選ぶように、静かに続けた。
「……彼は、スカイピートでいう花さ魅しぇられでだ。んだげんと、マーレンではおがらねど何度も悩んでで……んだがら、自分の手で“祖国でも咲ぐ花”生み出そうどすてだんだ」
「……祖国でも、咲く花……?」
「ええ。長え時間かげで研究すて、生まれだのが“スノーピート”でいう花だっけっす。白い花弁さ、ほんのりど淡えピンク差すてで、中心は透ぎ通るような緑。……アルは言っていますた。白は、マーレンで降り積もる雪。淡えピンクは、亡ぎ奥様――づまり、おめの祖母の髪色。緑は、おめ方の家系さ受げ継がれる瞳の色……だど」
グランバール伯爵は、言葉もなく、ただ静かに拳を握りしめた。
「……そんな花を……」
「はい。祖国への想い抱えながら、異国の地でその夢育ででいますた。そすて、庭先で咲がしぇるだび、ぼんきり静がにまなぐ細めでだんだ。……“わすの夢は、雪の国さ花を持って帰るんじゃ”ど」
その言葉に、グランバール伯爵の目元が滲んだ。
「……帰ってきたかったのだな……」
それは、何よりの証だった。
祖父が残した想いが、時を超え、国境を超えて、今ここで繋がったのだ。
場の空気が変わった。
緊張で固く閉ざされていた空間に、風が吹き込んだかのように、優しい静けさが広がる。
この瞬間から、対話の扉は音を立てて開かれていった――。
その瞬間、会談の空気が変わった。
言葉を超えた結びつきが生まれ、対立の火種が和解の風に揺れはじめていた。
両国の代表は即座に方針転換を決定し、数時間後には双方の軍撤収と、今後の協定草案の策定に入ることが正式に合意された。
会談が終わった後、エミリアは皇帝の側で控えていた。
そのとき、レオンハルトとジークが歩み寄ってきた。
「……最後に、一言だけ」
ダリオスが少し前に出ようとしたが、エミリアは静かに右手を上げて止めた。
「……どうぞ」
レオンハルトはほんの一瞬、彼女を見つめて――静かに問いかけた。
「……幸せか?」
エミリアは、微笑んで、はっきりと頷いた。
「……幸せだ」
その言葉を聞いたレオンハルトは、しばらく目を伏せた後、やがて顔を上げ、穏やかな声で言った。
「……来月の結婚式には、必ず出席する。……花嫁姿を見届けたいからな」
エミリアは、ほんの少し笑みを深めた。
「………どうも。お待ぢすておるっす」
それが、最後の言葉だった。
過去に置き去られた未練が、ようやく風に溶けていった瞬間だった。
──そして、帝国の未来へ向けて、一歩がまた進んだ。
マーレン国との国境付近――ガージデル辺境伯が治める帝国側の地と、マーレン側であるグランバール伯爵領との間で、小競り合いが続発していたのだ。最初は些細な交易の擦れ違いに過ぎなかったが、互いの緊張は次第に高まり、ついには軍の小規模な動員が始まりかけていた。
このままでは、いつ火蓋が切られてもおかしくない。
その報を受け、皇帝ダリオス=ヴェルターは即座に対応を決めた。帝国の威信に関わる一件である以上、己の名のもとに解決を図るべきと。
そして、その隣にはもう一人の名が添えられていた。
皇后エミリア・アルバレスト。
正式な挙式はまだだが、すでに法的にも内政上でも“皇后”として位置付けられている彼女が、今回の随行を願い出たのだ。
「……危険だ。おまえは、留まっていてほしい」
懇願するダリオスに、エミリアは静かに首を振った。
「陛下に何かあったら、私は――待つことなど、できません。共に戦います。それが、妻の覚悟です」
その瞳に迷いはなかった。
リリア皇太子妃もまた、心配して止めようとしたが、エミリアの覚悟を前に言葉をのみ込んだ。そして代わりに、そっと微笑んでこう言った。
「ならば、せめて――化粧を。綺麗なあなたで挑んで。女には、女の戦い方があるわ」
思いがけない言葉に、エミリアは小さく笑った。
「……この顔が、役に立つなら――喜んで使います」
そして当日。
会談は国境を跨いだ野外に設けられた特別な議場で行われることとなった。広大な丘陵地に簡素ながら厳粛な設営が施され、各国代表が時を違えず集まっていた。
すでに席には、マーレン国の第二王子レオンハルトとジーク、そしてグランバール伯爵の姿があった。
ギラン帝国側では、ガージデル辺境伯が正装のまま控えていた。
そして――帝国の馬車がゆっくりと到着する。
最初に姿を現したのは、ダリオス皇帝。そしてその腕に手を添えて、ゆっくりと馬車を降りた女性――それがエミリアだった。
柔らかな光沢を放つ上品なドレスに身を包み、髪はしっとりとまとめ上げられ、整えられた化粧の奥から凛とした眼差しが覗く。かつて「地味な女官」と呼ばれていた彼女は、今やまごうことなき“皇后”の気品を纏っていた。
その姿を目にした瞬間、レオンハルトとジークは思わず席を立った。
あの別れから、まだ半年も経っていないというのに――エミリアはまるで別人だった。
愛し、愛されたことで、蕾のようだった美しさが花開き、柔らかな艶と気高さをまとっていた。凛とした中に色香を漂わせるその姿は、誰の目にも抗えぬ魅力を放っていた。
ダリオスとレオンハルトが対面し、静かに言葉を交わす。続いて、エミリアが一礼し、簡潔に自己紹介を――と思ったその瞬間。
「………本日は、遠路はるばるお越すくださり、ありがどごさいますた」
その訛りが、野外の空気を震わせた。
あまりに予想通りの訛りに、ガージデル辺境伯とグランバール伯爵は同時に動きを止めた。
「……な、なぜにそのような……」
戸惑いの声を上げたガージデル辺境伯に、エミリアは微笑んで答えた。
「……幼少期、アルバレスト家さ仕えでだ庭師がら、マーレン語教わりますて。……すこだま、仲良ぐすてもらってだんだ。……アルホンスでいう方だっけっす」
その名を聞いた瞬間、グランバール伯爵がはっと目を見開いた。
「……アルホンス……っ!」
その声には驚きと懐かしさが混ざっていた。
「……わたしの、祖父です。父が家督を継いだ頃、祖父は他国に渡りたいと家を出て――夢を追いに行ったと聞いていました」
「……夢?」
「……“スカイピート”という花を育てたいと。マーレンでは根づかず、だが――エルデバーデ国のアルバレスト領で一面に咲いていた光景に心を奪われたと……」
その言葉に、エミリアはそっと微笑んだ。
「……アルは、エルデバーデで最期までおらの家――アルバレスト家さ仕えでいますた。すこだま優すくて、あだだがな人だっけっす」
そして、言葉を選ぶように、静かに続けた。
「……彼は、スカイピートでいう花さ魅しぇられでだ。んだげんと、マーレンではおがらねど何度も悩んでで……んだがら、自分の手で“祖国でも咲ぐ花”生み出そうどすてだんだ」
「……祖国でも、咲く花……?」
「ええ。長え時間かげで研究すて、生まれだのが“スノーピート”でいう花だっけっす。白い花弁さ、ほんのりど淡えピンク差すてで、中心は透ぎ通るような緑。……アルは言っていますた。白は、マーレンで降り積もる雪。淡えピンクは、亡ぎ奥様――づまり、おめの祖母の髪色。緑は、おめ方の家系さ受げ継がれる瞳の色……だど」
グランバール伯爵は、言葉もなく、ただ静かに拳を握りしめた。
「……そんな花を……」
「はい。祖国への想い抱えながら、異国の地でその夢育ででいますた。そすて、庭先で咲がしぇるだび、ぼんきり静がにまなぐ細めでだんだ。……“わすの夢は、雪の国さ花を持って帰るんじゃ”ど」
その言葉に、グランバール伯爵の目元が滲んだ。
「……帰ってきたかったのだな……」
それは、何よりの証だった。
祖父が残した想いが、時を超え、国境を超えて、今ここで繋がったのだ。
場の空気が変わった。
緊張で固く閉ざされていた空間に、風が吹き込んだかのように、優しい静けさが広がる。
この瞬間から、対話の扉は音を立てて開かれていった――。
その瞬間、会談の空気が変わった。
言葉を超えた結びつきが生まれ、対立の火種が和解の風に揺れはじめていた。
両国の代表は即座に方針転換を決定し、数時間後には双方の軍撤収と、今後の協定草案の策定に入ることが正式に合意された。
会談が終わった後、エミリアは皇帝の側で控えていた。
そのとき、レオンハルトとジークが歩み寄ってきた。
「……最後に、一言だけ」
ダリオスが少し前に出ようとしたが、エミリアは静かに右手を上げて止めた。
「……どうぞ」
レオンハルトはほんの一瞬、彼女を見つめて――静かに問いかけた。
「……幸せか?」
エミリアは、微笑んで、はっきりと頷いた。
「……幸せだ」
その言葉を聞いたレオンハルトは、しばらく目を伏せた後、やがて顔を上げ、穏やかな声で言った。
「……来月の結婚式には、必ず出席する。……花嫁姿を見届けたいからな」
エミリアは、ほんの少し笑みを深めた。
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