きっと世界は美しい

木原あざみ

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18.臨界点(2)

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「悠生」

 調整のきいていない大きな声が耳元で響いた。手の置きどころがわからなくて、無意味に掌を握りしめて開いてを繰り返す。この状態なら気が付かれないだろうことだけが救いだった。

「ただいま」
「……おまえの家は、ここの隣だ」

 抱き返すことも突き放すこともできなかった指先をそろそろと持ち上げて、その胸を押す。

「というか、汗臭い」

 本当は微塵もそんなことを思ってはいなかったけれど。ぶっきらぼうな応えにも、笹原は楽しそうに笑うだけだ。陽気な酔っ払いだなと思ったが、笹原がこれだけ飲んでいるところを見るのははじめてだった。

 ――やっぱり、家で俺と呑むより、外で大人数で呑むほうが楽しいんだろうな。

 あたりまえの想像で、もやりとしたものが疼く。否定したくて、もう一度、胸を叩いた。これ以上このままでいると、動揺が伝わってしまいそうだったからだ。
 その腕を笹原が掴む。そして、靴を脱ぐなり、そのまま室内へ入っていく。

「笹原?」
「あのね」

 衒いのない声が悠生を奥へと誘う。

「きれいな星が出てたから、悠生に会いたくなって」
「星?」
「そう。だから、一緒に見ようよ」

 そういえば、今日はよく空が晴れていた。この街は星がよく見える。けれど、気にかけて見上げなければ気が付かないだろう。

 ――それに気が付いて、俺と見たいと思ってくれる。

 悠生が星を好きだと知っていたから、たまたま見上げた夜空と悠生の顔が繋がった。それだけのことだとわかっているのに、鼓動が早くなる。まるで、はじめての恋を知った少女のようだ。思い至った比喩に我に返る。
 なにを考えてるんだ、俺は。現実に思考が戻れば、笹原が向かおうとしている先が、にわかに危険に思えてきた。

「なぁ、笹原」
「ん? なに?」
「酔ってるだろ、おまえ」

 振り向いた締まりのない顔に、悠生は駄目押した。

「ベランダは今日はなし」
「えー、なんで」
「危ないからに決まってるだろ、この酔っ払い!」

 不満に口を尖らせながらも、笹原はずいずいと進んでいこうとする。自分が踏み止まることで阻止を試みたけれど、どちらに軍配が上がるかなんて、あきらかで。
 案の定、つんのめるかたちで笹原の背に激突する。悠生には予見できていた未来だったが、笹原にはそうでなかったのか、その身体が揺らいだ。

「……笹原」

 やってくるだろうと覚悟した衝撃の代わりに、ぬくもりに包まれる。フローリングの上。気が付けば、笹原に覆いかぶさるようにして倒れこんでいた。

「ごめーん」

 支えられなかった、とへらりとすぐ間近で華やかな顔が笑う。

「いや……」

 どちらかと言えば、原因は自分にあるような気がする。大本の原因は笹原かもしれないが。

「大丈夫か?」

 そこまで大きな音はしなかったけれど、にわかに不安になって、問いを付け足す。答える代わりに、笹原の瞳がふっとほほえむ。その色がぼやけて、眼鏡がずり落ちかけていることに気が付いた。
 悠生が直そうとするより先に伸びてきた器用な指先が、するりと抜き取っていく。
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