8 / 14
7 荒ぶる騎士は己が剣を高く掲げる①
しおりを挟む
屋敷の門前に停められた馬車から降りてきた女性は、背丈も顔の様子もルイーサと瓜二つといっていいほどよく似ていた。
深い赤色のドレスが良く似合う令嬢の名はマリナ・バレリア・セレナ。セレナ伯爵家の双子姫の名に恥じない、よく似た姉妹の姿にロカは唸らざるを得なかった。
おそらく凱旋の夜会の時やセレナ伯爵家での披露パーティでも見かけているはずが、とんと記憶にない。それは単にロカがルイーサにただただ見とれていただけなのだが、しかし改めて見ると本当に姉妹はよく似ている。
違いといえばルイーサは頭の後ろで髪をひとくくりにするスタイルなのに対し、目の前の令嬢は長い髪を頭に沿わせるように細かく編み込んでいるくらいか。
二人の様子に感心しつつも、ロカは心の中で最大限警戒をしていた。
最近は鳴りを潜めているが先月のルイーサは何回も脱走を繰り返していたし、その目的として妹のマリナと入れ替わるからと置手紙を残していたからだ。
本当であれば妹の訪問は断りたかったところだが、妻の妹とはいえ次期セレナ伯である。国内における高位の貴族としては同じく高位で有力な貴族との付き合いをおろそかにするわけにもいかないし、セレナ伯家次期当主の人となりを知っておくことも必要だ。
しかも昨日の夕食時にルイーサから直々に会ってくれとねだられれば、惚れた弱みのあるロカに否はない。嫌だと言えるわけもなく、二つ返事で面会を引き受けた次第だった。
それにしても昨夜のルイーサも可愛らしかった。おそるおそるといった風に妹の訪問を切り出してきた妻の顔を思い出したロカは、頬が緩まないようにぎゅっと唇に力をこめる。
馬車から降りたマリナは出迎えのロカとルイーサを前にすると、ぴたりと足を止めて膝を曲げた。
「ラスコーン侯爵様におかれましてはご機嫌麗しゅう。本日はお忙しいところお時間をいただきましてありがとうございます」
マリナは如才なく優雅な仕草で挨拶の口上を述べると、ロカの隣に立つルイーサににっこりと笑いかけた。しかし不思議とこの笑顔はルイーサに似ていない。
何故だろうとロカが首を傾げるのと、ルイーサが妹に一歩踏み出すのはほぼ同時であった。
「ご無沙汰しておりますお姉様。お手紙をいただき、お言葉に甘えて立ち寄らせていただきました」
「手紙が届いたのが昨日だったので驚いたわ。この後王都へ?」
「ええ、仕事の打ち合わせでね」
「忙しいでしょうに、来てくれて嬉しいわ」
「そんなの、お姉様からのお呼び出しなら会いに来て当然よ」
ふふ、と二人が顔を見合わせて笑いあう。並んだ顔の造形はそっくりだが、やはり笑い方が異なるようだ。どこがどう違うとも言えないが、自分はルイーサの笑顔が好きだ、とロカは妻の顔を見つめた。そしてどきりと胸が高鳴る。
あの夜から食事を共にするようになり、ロカに対してはまだまだぎこちないながらもルイーサは笑いかけてくれるようになった。はにかむような表情も、美味しいものを食べたときの驚いた表情も、どれもがロカの心に残っている。
しかし凱旋の夜会でメイドを助けた際に見せた微笑みは別格だった。包み込むような、慈愛に満ちた、そんな笑顔だったのだ。
今、妹に向けられている笑顔は、あの時の表情と同じだった。
なるほど、とロカは一人頷いた。ルイーサにとって妹はとても大切に思う相手で、庇護する対象でもあるのだろう。
挨拶が住んだ令嬢を応接室へと案内すると、それを見計らったように従僕として付き従ってくれるマルシオがワゴンをおしてやってきた。台上には大切な客人が来た時に使うとっておきの茶器が並び、厨房のメイドが腕を振るった焼き菓子が載っている。
「ようこそおいでくださいました、セレナ伯爵ご令嬢様。当家自慢の茶葉と小麦をお楽しみくださいませ」
マルシオはそういって手早く茶の準備を整え、メイドとともにテーブル上へと並べていく。マリナの前に茶を提供すると、令嬢はぱっと表情を輝かせた。
「まあ! こ、こ、これはご丁寧にありがとう存じます。マルシオ様とおっしゃいましたよね。またお会いできて光栄ですわ」
「こちらこそ光栄ですが、侯爵閣下の従僕に敬称は不要です。私の事はどうぞマルシオとお呼びください」
「いえ、父にはラスコーン侯爵様の従僕であるマルシオ様も男爵家のお方と伺っております。呼び捨てなどとんでもないですわ」
「いやあ、恐縮です」
マルシオは本当に恐縮したように頭を下げた。
どうやらセレナ伯は侯爵家の実情をよくご存知らしい。ということは、とロカはマルシオをソファの一画に座らせた。口下手な自分だけより、いろいろ気が回って会話も上手いマルシオがいてくれた方がこの場が助かると思ったからだ。
そしてそれはマリナにも好意的に受け止められたらしい。気位の高い令嬢なら従僕の同席など気分を害するだろうが、どうやらマリナもルイーサと同様にあまり身分や立場を振りかざすような人間ではないということだろう。
ほっとしながらロカは茶に口を付けた。
テーブルを囲んだ四人はそれからしばらく取り留めもない世間話をしていたが、茶を二杯飲んだところで不意にルイーサが立ち上がった。
「お姉様? どうかしました? あら、お顔の色が……」
「ええ、大丈夫よ、マリナ」
妹に声をかけられ微笑むルイーサの表情は暗い。顔色もいつもよりやや青いか。
具合が悪いのかと慌てたロカが腰を浮かしかけるが、妻はそれを首を横に振って制した。
「お手洗いに行くついでに貴女に渡そうと思っていたものがあったことを思い出したの。ちょっと取ってくるから、旦那様とマルシオとお話して待っていて」
「渡したいもの?」
「ええ。馬車に運ばせておくわ。表に停めてあったかしら」
「そうね。門の外に停めさせてもらっているわ。御者で来てくれているのはジェラルさんよ、覚えてるでしょう?」
ええ、とルイーサは頷いて部屋を出て行った。顔色の悪さが気になったが、客を放っておくわけにもいかない。ロカは仕方なくまた茶器に手を伸ばした。
「奥様、少しお顔の色が悪かったですね」
ルイーサの背中を見送ったマルシオがぽそりと呟くと、マリナは穏やかな声で大丈夫ですよと言って微笑んだ。
「姉もわたくしも小柄なので、皆さんが体調を気にしてくださいますが、こう見えて二人とも健康状態には自信がありますの。お姉様なんてここ数年、病気一つしたことがございませんし」
「し、しかし――」
思わずロカが口を挟むと、マリナは肩を竦めた。いたずらっぽい表情を浮かべ、今にもぺろりと舌でも出しそうな仕草にロカもマルシオも毒気を抜かれる。
「うちのお姉様は大丈夫ですよ。あの方は趣味で狩りや野宿を好んでいましたし、おかげでおなかなんかは人の十倍も丈夫なんです」
「か、狩り? 野宿って、あのルイーサ殿が!?」
「ええ。領地では結構な頻度で野山を駆け巡っていました。お姉様は体を動かすことや物事の実験をされることが大好きなので、様々なご経験を積んでいますの」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまったが、なるほどとロカはマルシオと顔を見合わせる。
脱走を企てる行動力はともかく、三階から庭へ伝い降りたり馬を扱ったり、使用人に聞いた話では料理もしたがったりする理由が垣間見えたのだ。深窓の令嬢のはずが気軽にキュロットを履いて動いているのは、恥の概念が異なるのではなく身体能力の他に経験による慣れもあるのだろう。
遠くで聞こえる馬の嘶きに、楽しそうに愛馬の世話をするルイーサの顔が思い浮かぶ。
「奥様は大変馬がお好きなようで、当家にいらしてからもたびたび厩でお連れになった馬の世話をしておられます」
「そうなんです、本当に姉は馬が好きで。ああ、いえリカルドもいますわね。犬も大好きなんです。ご覧になったことあります? 犬のおなかを愛しそうに嗅ぐ姿。リカルドは迷惑そうですし侯爵家の奥方としてはみっともない姿かもしれませんが、とても可愛らしいんですよ」
「ああ、そういえばたまに前髪にリカルド君の毛が付いていることがありますよ」
「一度姉に聞いたら、こうすると気分が落ち着くしリカルドの体調も分かるから一石二鳥なの、なんて笑ってて。こんな音がするとちょっと具合が悪い時なんだ、なんて教えてくれたこともあったり」
きゃっきゃとはしゃぐマリナの姿は、彼女が本当に姉と仲が良いことを窺わせる。ひょっとしたら彼女はルイーサの悩みも聞いているのではないだろうか。
しかしマリナは姉が出て行った扉の方を見て、ちょっと寂しそうに微笑んだ。
「そんな姉とは反対にわたくしは本の虫でした。知識は教養については姉に劣るとは思いませんが、それらもすべて机上でのこと。領地の経営について、父はわたくしの計算力などを高く買っておりますが、わたくしとしては経験値のある姉の方がふさわしいのではと思っておりましたのよ」
恨み言ではないだろうが、その一言はロカの心にちくりと刺さる。凱旋の夜会の頃までは、姉妹に婚約や結婚の話はなかったはずだ。
いずれの娘に跡を継がせようか、セレナ伯はぎりぎりまで悩んでいたのかもしれない。そこへ自分が姉姫との結婚を申し込んだため、結果的に妹が跡継ぎに選ばれたということか。
何を言おうかと迷ったロカだったが、隣に座ったマルシオは即座にマリナへと身を乗り出した。
「机上でのこととおっしゃいますが、知識も教養も伯爵家を継ぐとなれば大切でしょう。そのお若さで跡を継がれるにふさわしいほどに勉強をなさったマリナ様も素晴らしいお嬢様です」
「あ、あ、ありがとうございます、マルシオ様……。そんな、ほめていただけるなんて思いもよらず……」
ぽっと頬を染めたマリナは恥ずかしそうに俯いた。その表情を向けられたマルシオも、さっと顔が上気している。お互いに照れくさそうな姿でもじもじしだし、その間に挟まれいたたまれなくなったロカはそういえばと話題を変えた。
ルイーサのことは心配だが、この場に彼女がいないうちに確かめておきたい。
「マリナ殿にお伺いしたいことがあります」
居住まいを正して尋ねると、はっとしたようにマリナも姿勢を直した。ちゃんと聞いてくれそうだと判断したロカは、先月に起こったルイーサの脱走未遂について説明を始めた。
先月だけで五回の脱走を計画し、実際に部屋から抜け出したことを話すとマリナは目を丸くする。そして最初の脱走時の置手紙の内容を告げると、マリナはそのことですがと断って懐から一通の書簡を取り出した。
深い赤色のドレスが良く似合う令嬢の名はマリナ・バレリア・セレナ。セレナ伯爵家の双子姫の名に恥じない、よく似た姉妹の姿にロカは唸らざるを得なかった。
おそらく凱旋の夜会の時やセレナ伯爵家での披露パーティでも見かけているはずが、とんと記憶にない。それは単にロカがルイーサにただただ見とれていただけなのだが、しかし改めて見ると本当に姉妹はよく似ている。
違いといえばルイーサは頭の後ろで髪をひとくくりにするスタイルなのに対し、目の前の令嬢は長い髪を頭に沿わせるように細かく編み込んでいるくらいか。
二人の様子に感心しつつも、ロカは心の中で最大限警戒をしていた。
最近は鳴りを潜めているが先月のルイーサは何回も脱走を繰り返していたし、その目的として妹のマリナと入れ替わるからと置手紙を残していたからだ。
本当であれば妹の訪問は断りたかったところだが、妻の妹とはいえ次期セレナ伯である。国内における高位の貴族としては同じく高位で有力な貴族との付き合いをおろそかにするわけにもいかないし、セレナ伯家次期当主の人となりを知っておくことも必要だ。
しかも昨日の夕食時にルイーサから直々に会ってくれとねだられれば、惚れた弱みのあるロカに否はない。嫌だと言えるわけもなく、二つ返事で面会を引き受けた次第だった。
それにしても昨夜のルイーサも可愛らしかった。おそるおそるといった風に妹の訪問を切り出してきた妻の顔を思い出したロカは、頬が緩まないようにぎゅっと唇に力をこめる。
馬車から降りたマリナは出迎えのロカとルイーサを前にすると、ぴたりと足を止めて膝を曲げた。
「ラスコーン侯爵様におかれましてはご機嫌麗しゅう。本日はお忙しいところお時間をいただきましてありがとうございます」
マリナは如才なく優雅な仕草で挨拶の口上を述べると、ロカの隣に立つルイーサににっこりと笑いかけた。しかし不思議とこの笑顔はルイーサに似ていない。
何故だろうとロカが首を傾げるのと、ルイーサが妹に一歩踏み出すのはほぼ同時であった。
「ご無沙汰しておりますお姉様。お手紙をいただき、お言葉に甘えて立ち寄らせていただきました」
「手紙が届いたのが昨日だったので驚いたわ。この後王都へ?」
「ええ、仕事の打ち合わせでね」
「忙しいでしょうに、来てくれて嬉しいわ」
「そんなの、お姉様からのお呼び出しなら会いに来て当然よ」
ふふ、と二人が顔を見合わせて笑いあう。並んだ顔の造形はそっくりだが、やはり笑い方が異なるようだ。どこがどう違うとも言えないが、自分はルイーサの笑顔が好きだ、とロカは妻の顔を見つめた。そしてどきりと胸が高鳴る。
あの夜から食事を共にするようになり、ロカに対してはまだまだぎこちないながらもルイーサは笑いかけてくれるようになった。はにかむような表情も、美味しいものを食べたときの驚いた表情も、どれもがロカの心に残っている。
しかし凱旋の夜会でメイドを助けた際に見せた微笑みは別格だった。包み込むような、慈愛に満ちた、そんな笑顔だったのだ。
今、妹に向けられている笑顔は、あの時の表情と同じだった。
なるほど、とロカは一人頷いた。ルイーサにとって妹はとても大切に思う相手で、庇護する対象でもあるのだろう。
挨拶が住んだ令嬢を応接室へと案内すると、それを見計らったように従僕として付き従ってくれるマルシオがワゴンをおしてやってきた。台上には大切な客人が来た時に使うとっておきの茶器が並び、厨房のメイドが腕を振るった焼き菓子が載っている。
「ようこそおいでくださいました、セレナ伯爵ご令嬢様。当家自慢の茶葉と小麦をお楽しみくださいませ」
マルシオはそういって手早く茶の準備を整え、メイドとともにテーブル上へと並べていく。マリナの前に茶を提供すると、令嬢はぱっと表情を輝かせた。
「まあ! こ、こ、これはご丁寧にありがとう存じます。マルシオ様とおっしゃいましたよね。またお会いできて光栄ですわ」
「こちらこそ光栄ですが、侯爵閣下の従僕に敬称は不要です。私の事はどうぞマルシオとお呼びください」
「いえ、父にはラスコーン侯爵様の従僕であるマルシオ様も男爵家のお方と伺っております。呼び捨てなどとんでもないですわ」
「いやあ、恐縮です」
マルシオは本当に恐縮したように頭を下げた。
どうやらセレナ伯は侯爵家の実情をよくご存知らしい。ということは、とロカはマルシオをソファの一画に座らせた。口下手な自分だけより、いろいろ気が回って会話も上手いマルシオがいてくれた方がこの場が助かると思ったからだ。
そしてそれはマリナにも好意的に受け止められたらしい。気位の高い令嬢なら従僕の同席など気分を害するだろうが、どうやらマリナもルイーサと同様にあまり身分や立場を振りかざすような人間ではないということだろう。
ほっとしながらロカは茶に口を付けた。
テーブルを囲んだ四人はそれからしばらく取り留めもない世間話をしていたが、茶を二杯飲んだところで不意にルイーサが立ち上がった。
「お姉様? どうかしました? あら、お顔の色が……」
「ええ、大丈夫よ、マリナ」
妹に声をかけられ微笑むルイーサの表情は暗い。顔色もいつもよりやや青いか。
具合が悪いのかと慌てたロカが腰を浮かしかけるが、妻はそれを首を横に振って制した。
「お手洗いに行くついでに貴女に渡そうと思っていたものがあったことを思い出したの。ちょっと取ってくるから、旦那様とマルシオとお話して待っていて」
「渡したいもの?」
「ええ。馬車に運ばせておくわ。表に停めてあったかしら」
「そうね。門の外に停めさせてもらっているわ。御者で来てくれているのはジェラルさんよ、覚えてるでしょう?」
ええ、とルイーサは頷いて部屋を出て行った。顔色の悪さが気になったが、客を放っておくわけにもいかない。ロカは仕方なくまた茶器に手を伸ばした。
「奥様、少しお顔の色が悪かったですね」
ルイーサの背中を見送ったマルシオがぽそりと呟くと、マリナは穏やかな声で大丈夫ですよと言って微笑んだ。
「姉もわたくしも小柄なので、皆さんが体調を気にしてくださいますが、こう見えて二人とも健康状態には自信がありますの。お姉様なんてここ数年、病気一つしたことがございませんし」
「し、しかし――」
思わずロカが口を挟むと、マリナは肩を竦めた。いたずらっぽい表情を浮かべ、今にもぺろりと舌でも出しそうな仕草にロカもマルシオも毒気を抜かれる。
「うちのお姉様は大丈夫ですよ。あの方は趣味で狩りや野宿を好んでいましたし、おかげでおなかなんかは人の十倍も丈夫なんです」
「か、狩り? 野宿って、あのルイーサ殿が!?」
「ええ。領地では結構な頻度で野山を駆け巡っていました。お姉様は体を動かすことや物事の実験をされることが大好きなので、様々なご経験を積んでいますの」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまったが、なるほどとロカはマルシオと顔を見合わせる。
脱走を企てる行動力はともかく、三階から庭へ伝い降りたり馬を扱ったり、使用人に聞いた話では料理もしたがったりする理由が垣間見えたのだ。深窓の令嬢のはずが気軽にキュロットを履いて動いているのは、恥の概念が異なるのではなく身体能力の他に経験による慣れもあるのだろう。
遠くで聞こえる馬の嘶きに、楽しそうに愛馬の世話をするルイーサの顔が思い浮かぶ。
「奥様は大変馬がお好きなようで、当家にいらしてからもたびたび厩でお連れになった馬の世話をしておられます」
「そうなんです、本当に姉は馬が好きで。ああ、いえリカルドもいますわね。犬も大好きなんです。ご覧になったことあります? 犬のおなかを愛しそうに嗅ぐ姿。リカルドは迷惑そうですし侯爵家の奥方としてはみっともない姿かもしれませんが、とても可愛らしいんですよ」
「ああ、そういえばたまに前髪にリカルド君の毛が付いていることがありますよ」
「一度姉に聞いたら、こうすると気分が落ち着くしリカルドの体調も分かるから一石二鳥なの、なんて笑ってて。こんな音がするとちょっと具合が悪い時なんだ、なんて教えてくれたこともあったり」
きゃっきゃとはしゃぐマリナの姿は、彼女が本当に姉と仲が良いことを窺わせる。ひょっとしたら彼女はルイーサの悩みも聞いているのではないだろうか。
しかしマリナは姉が出て行った扉の方を見て、ちょっと寂しそうに微笑んだ。
「そんな姉とは反対にわたくしは本の虫でした。知識は教養については姉に劣るとは思いませんが、それらもすべて机上でのこと。領地の経営について、父はわたくしの計算力などを高く買っておりますが、わたくしとしては経験値のある姉の方がふさわしいのではと思っておりましたのよ」
恨み言ではないだろうが、その一言はロカの心にちくりと刺さる。凱旋の夜会の頃までは、姉妹に婚約や結婚の話はなかったはずだ。
いずれの娘に跡を継がせようか、セレナ伯はぎりぎりまで悩んでいたのかもしれない。そこへ自分が姉姫との結婚を申し込んだため、結果的に妹が跡継ぎに選ばれたということか。
何を言おうかと迷ったロカだったが、隣に座ったマルシオは即座にマリナへと身を乗り出した。
「机上でのこととおっしゃいますが、知識も教養も伯爵家を継ぐとなれば大切でしょう。そのお若さで跡を継がれるにふさわしいほどに勉強をなさったマリナ様も素晴らしいお嬢様です」
「あ、あ、ありがとうございます、マルシオ様……。そんな、ほめていただけるなんて思いもよらず……」
ぽっと頬を染めたマリナは恥ずかしそうに俯いた。その表情を向けられたマルシオも、さっと顔が上気している。お互いに照れくさそうな姿でもじもじしだし、その間に挟まれいたたまれなくなったロカはそういえばと話題を変えた。
ルイーサのことは心配だが、この場に彼女がいないうちに確かめておきたい。
「マリナ殿にお伺いしたいことがあります」
居住まいを正して尋ねると、はっとしたようにマリナも姿勢を直した。ちゃんと聞いてくれそうだと判断したロカは、先月に起こったルイーサの脱走未遂について説明を始めた。
先月だけで五回の脱走を計画し、実際に部屋から抜け出したことを話すとマリナは目を丸くする。そして最初の脱走時の置手紙の内容を告げると、マリナはそのことですがと断って懐から一通の書簡を取り出した。
311
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、恋愛3位ありがとうございます。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?
氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。
しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。
夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。
小説家なろうにも投稿中
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~
桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜
★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました!
10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。
現在コミカライズも進行中です。
「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」
コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。
しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。
愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。
だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。
どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。
もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。
※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!)
独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。
※誤字脱字報告もありがとうございます!
こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
愛を騙るな
篠月珪霞
恋愛
「王妃よ、そなた一体何が不満だというのだ」
「………」
「贅を尽くした食事、ドレス、宝石、アクセサリー、部屋の調度も最高品質のもの。王妃という地位も用意した。およそ世の女性が望むものすべてを手に入れているというのに、何が不満だというのだ!」
王妃は表情を変えない。何を言っても宥めてもすかしても脅しても変わらない王妃に、苛立った王は声を荒げる。
「何とか言わぬか! 不敬だぞ!」
「……でしたら、牢に入れるなり、処罰するなりお好きに」
「い、いや、それはできぬ」
「何故? 陛下の望むままなさればよろしい」
「余は、そなたを愛しているのだ。愛するものにそのような仕打ち、到底考えられぬ」
途端、王妃の嘲る笑い声が響く。
「畜生にも劣る陛下が、愛を騙るなどおこがましいですわね」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる