妖狐の嫁入り

山田あとり

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狐の巫女

第1話 稲荷を訪ねてきた人

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 横浜の港から、汽笛が遠く響いてきた。
 遥香はるかは丘の上でふりかえり、風にはためく着物のすそを押さえる。
 海の上で夏空の青に入道雲がくっきりと立ち、その下で蒸気船がいくつも停泊しているのが見えた。

「異国の船、なのかな……」

 つぶやいてから遥香は我にかえり頭をふった。長い黒髪がゆれる。髪を結うこともできず無造作にまとめて垂らしているのは、銭がもったいないからだ。
 遥香は異国どころか横浜の繁華街すらろくに知らなかった。
 だって、さびれた稲荷神社をひっそり守る巫女にすぎないのだから。

「帰らなきゃ」

 坂の下の町で買った荷物をかかえ直し、遥香は力なくほほえんだ。汗ばんだ背に風だけはやさしい。
 今、近所の畑からは野菜をわけてもらうことすらできなくなっていた。村八分というものかもしれない。
 遥香の家族は祖父一人。その祖父も遥香には厳しい顔をするばかりで最近はどこかへ出かけていることが多かった。

 明治の世になり二十年あまり。
 異国の物があふれる華やかな港町は、丘をおりればすぐ近い。なのに遥香は幼いころに行ったきりだ。横浜と帝都を結ぶ蒸気鉄道というものにも乗ってみたいけれど、そんなのは夢のまた夢だと思う。

 遥香は丘に広がる畑のあいだをうつむきながら行く。土ぼこりが草履をつっかけた素足を汚した。
 稲荷が近くなったころ、向こうを集落の若者らが歩いていくのが見えた。遥香はおびえて息を殺す。でも見つかってしまい、冷たいまなざしが飛んできた。

「ああら、きつねきだわ。嫌ぁねえ、女狐が着物を着て歩いてるなんて」

 さげすむように言ったのは、ここらの地主である中森家の娘だ。取り巻きの男たちもせせら笑う。

「やめなよ佳乃よしのさん、たたられるぜ」
「まさか。あんな稲荷にそんな霊験なんてないわ」

 あざけるように言われる理由は、遥香もよくわかっていた。だから仕方ない。顔を伏せてすれ違い逃げ出したら、後ろから砂を投げられた。


 ――遥香は、狐の娘だ。

 母はとても綺麗なひとだった。いえ、人だと思っていた。遥香も、父も祖父も。
 だけど、母の本性は狐だったのだ。
 人の姿に化けた妖狐だと人々に知れて逃げ出したのが十年前。遥香は七歳だった。その時に父も、母を追って家を出てしまい帰ってこなかった。

 狐の血を継ぐ、狐憑きの娘。親なし子。
 遥香はそうさげすまれ、遠巻きにされながら暮らしてきたのだった。


「ただいま」

 ガタガタと建てつけの悪い引き戸を開け、遥香は家の中に声をかけた。だが、しんとしている。祖父はいないようだ。
 台所に荷物を置くと土間でたらいに水を汲んだ。板の間に腰をかけ、手拭いで足を洗う。粗末な着物のすそはそろそろ擦りきれそうだった。

「今日は、いないの?」

 寂しくて、小声で言ってみた。薄暗い家のすみの、さらに濃い闇の中からクスクスと笑う気配があった。聞き覚えのある子どもの笑い声に遥香は頬をほころばせる。

「いるのね。かくれんぼなんて私、していられないのよ。明るいうちにつくろい物をしておかなくちゃ」
「――ええ? つまんないの」

 そう言ったのは男の子の声だ。遥香の友だちなのだが、まだ暗闇から出てきてくれないのは遊びたがっているからか。

「ぼくハルカのおしごと、まってる!」
「じゃあ早く終わるように頑張るから」
「ハルカ、がんばっちゃダメ! はりでゆび、プチッてするもん」
「……気をつけます」

 しっかり者のこの子は、いわゆる妖怪だ。そんなものたちと通じることができるのは母から受け継いだ妖狐の力だろうか。
 だけど妖怪の友だちなんて、人に知られたら気味悪がられてしまう。
 それに怪しの者だとして友だちがはらわれてしまったらどうすればいいの。寂しい暮らしの中、遥香のせめてもの支えなのに。だからこの子のことは祖父にさえ内緒。
 早く針仕事を終わらせて遊んであげたい。奥に繕い物を取りに行こうとした遥香は、ふと表に気配を感じ振り向いた。すぐに引き戸がドンドンと鳴る。

「――誰かいるか!」

 外から聞こえたのは、威圧的な男の声だった。

「え……」

 遥香は小さく息をのんだ。
 知らない人、だと思う。
 すぐに別の声もした。

「――こら彰良あきら、しゃべり方が怖いって。ごめん下さーい!」

 たしなめるのは明るい声だが、こちらも男性。二人とも若そうだ。
 遥香はうろたえた。他所の人が訪ねてくるなど、あまりないこと。遥香が応対していいのだろうか。

「どう、どうすれば」

 おろおろしていたら、また戸が叩かれた。待たせてしまう心苦しさに遥香はつい、こたえた。

「は、はい! ただ今――」

 あわてて草履をはき、戸に駆け寄る。ガタガタと開かない引き戸にあせってグッと力をこめたら、戸が外れた。

「きゃ!」

 戸板ごと外に転げ――と思ったら、横からぐいと腕をつかまれた。
 ぶら下げるように支えてくれた人を見上げると、軍服が目に入る。
 軍人さん。
 遥香は服だけで少しおびえてしまった。
 ととのった顔立ちのその人は二十歳そこそこの若さだが、鋭く遥香をにらむ。

「この稲荷の巫女というのは、おまえか?」
「え、あ、はい……」
「だーかーら! 彰良は話がいきなりすぎるって」

 明るい声が戸板の裏からした。
 倒れた戸を受けとめてくれた人も、ひょいと出てくればやはり軍服だ。そんな人たちが遥香になんの用だろう。
 ――もしや、狐の娘ということや、妖怪と友だちなことが通報されたのか。遥香を捕らえに来たのでは。全身から血の気が引く。

「ええっとさ、俺らは見ての通り、帝国陸軍の者なんだ。だけどまあ、怖がらないでくれると嬉しいな」

 明るい方の人が笑顔で言った。そのまま戸を直しに行かれて遥香はうろたえる。

「あ、私が」
「いいから喜之助きのすけに任せておけ。今、他に誰かいないか」

 彰良と呼ばれていた男は面と向かってもぶっきらぼうだった。転ぶところを助けられたのに礼を言う隙もなく、遥香はとにかく問われたことに答えた。

「はい……祖父は他出たしゅつしておりまして、帰宅もいつになるか」
「親はいないのだったな」

 ギクリとし、遥香は小さくふるえた。
 そこまで調べがついているということは、やはり連行されるのか――人々を迷わす術を使うとして死罪になるのかもしれない。
 声も出なくなった遥香をどう思ったか、戸板をはめた喜之助は遠慮がちに言った。

「ごめんなあ。軍人が二人も来て怖がらせてるのはわかるんだけど、とりあえず話だけさせてもらえる?」
「ここで立ち話でもいいが」

 無愛想な彰良までボソリと口添えし、遥香は二人の顔を見つめた。
 この人たちは、遥香が十七歳の小娘だからとむげにしたりはしない。何故かそう思えた。
 だって、女一人の家に上がり込むのを遠慮してくれているのだもの。外でいいから話を聞いてくれなど、官憲にしてはやさしすぎる。

「――とんでもありません、どうぞお上がり下さい」

 どんな話なのかわからないけれど、祖父がいたところでどうなるわけでもないだろう。軍が決めたことに小さな稲荷が逆らうことなどできない。ならば今、一人で聞く。
 遥香などどうせ何も持たない身なのだから、これより悪くなることなどないのだ。
 遥香は気丈にほほえんで、客人二人を招き入れた。

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