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19話 束の間の青春
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リリシア様が厨房に籠ってくれてからの数日間は俺にとって、まるで夢のような時間だった。
俺は、エマさんとの約束通り、放課後はクラスの喫茶店の準備を手伝うことになった。
「わー! アランくん、本当に来てくれたんだ! ありがとう!」
教室はすでに祭りの熱気に包まれていた。
机は部屋の隅に寄せられ、生徒たちが数人のグループに分かれて、看板を作ったり、メニューを考えたり、内装の飾り付けをしたりしている。その誰もが、楽しそうだ。
俺は、今までずっと、この輪の外側にいた。
聖女様の異常な寵愛という見えない壁に隔てられて。
「ええと……俺は、何をすればいいかな?」
俺が戸惑っていると、エマさんが「うーん」と困った顔で作りかけの木製の棚を指さした。
「この飾り棚、うまく固定できなくって……。釘を打つのは校則で禁止されてるし、どうしようかなって」
それは俺が図書館で得た知識が、初めて日の目を見る瞬間だった。
俺は、鞄から丈夫な紐を取り出すと、サバイバル本で覚えた特殊なロープの結び方を試してみた。摩擦と力点の分散を利用した、いわゆる「自在結び」だ。
「こうして、こっちを引けば締まって、緩める時は……」
「わっ、すごい! 全然ぐらぐらしない! アランくん、物知りだね!」
エマさんが、目を輝かせて俺を見る。
周囲で作業していた男子生徒たちも「おー、やるじゃん、アラン」「お前、意外と器用なんだな」と声をかけてきた。
照れくさかった。
だが、それ以上に胸が温かくなるのを感じた。
聖女の奇跡という名のイカサマではなく、俺自身の知識と技術で誰かに認められた。誰かの役に立てた。
それは、俺がずっと心のどこかで求めていた、当たり前の喜びだった。
それから俺はすっかり準備作業に溶け込んだ。
男子たちと馬鹿話をしながら、ペンキで看板を塗り、エマさんたち女子グループに頼まれて、高いところの飾り付けを手伝う。
「アランくん、そこの長さ、合ってる?」
「ああ、大丈夫だ。……エマさんこそ、脚立から落ちるなよ」
「もー、失礼しちゃうな!」
そんな他愛もない会話。笑い声。
俺は、この時間がずっと続けばいいのに、とさえ思ってしまった。
……これで、いいのか?
俺は、この温かい場所を全部捨てて逃げるっていうのに……。
一瞬、胸に罪悪感がよぎる。
だが、この温もりを知ってしまったからこそ、俺は自由にならなければならない。
リリシア様の手がこの教室にまで伸びてきたら、この楽しい時間も、みんなの笑顔も、全てが壊されてしまうのだから。
準備作業が一段落し、教室が和やかな達成感に包まれた、その時だった。
ガラッ……!
教室の扉が勢いよく開かれた。
全ての視線が、そちらへと注がれる。
そこに立っていたのは、顔や服のあちこちを小麦粉と謎の黒いススで汚した、リリシア様だった。
その姿は、まるで激戦を終えた兵士のようだったが、表情だけは至上の幸福感に満ち溢れていた。彼女の両手には、巨大な木箱が抱えられている。
「皆様、お待たせいたしましたわ」
教室の喧騒がピタリと止んだ。
空気が急速に冷えていくのを感じる。
「チャリティー用の『祝福の炭塊』、第一次ロットが完成いたしましたので、ご報告に参りました」
リリシア様は、にこやかにそう言うと教室の中を見渡した。和気あいあいとした生徒たち。楽しげな飾り付け。
そして――エマさんと並んで、少し照れくさそうに笑っている、俺の姿を。
彼女の完璧な聖女の笑みは崩れない。
だが、その翠色の瞳から、すっと、全ての光が消え失せた。
「……あら、アランくん」
その声は、絶対零度の氷のように冷たかった。
「私がいない間に、とても楽しそうですわね」
楽しい時間は終わった。
俺の束の間の青春は、たった今、終わりを告げた。聖女様が教室に帰ってきたのだ。
俺は、エマさんとの約束通り、放課後はクラスの喫茶店の準備を手伝うことになった。
「わー! アランくん、本当に来てくれたんだ! ありがとう!」
教室はすでに祭りの熱気に包まれていた。
机は部屋の隅に寄せられ、生徒たちが数人のグループに分かれて、看板を作ったり、メニューを考えたり、内装の飾り付けをしたりしている。その誰もが、楽しそうだ。
俺は、今までずっと、この輪の外側にいた。
聖女様の異常な寵愛という見えない壁に隔てられて。
「ええと……俺は、何をすればいいかな?」
俺が戸惑っていると、エマさんが「うーん」と困った顔で作りかけの木製の棚を指さした。
「この飾り棚、うまく固定できなくって……。釘を打つのは校則で禁止されてるし、どうしようかなって」
それは俺が図書館で得た知識が、初めて日の目を見る瞬間だった。
俺は、鞄から丈夫な紐を取り出すと、サバイバル本で覚えた特殊なロープの結び方を試してみた。摩擦と力点の分散を利用した、いわゆる「自在結び」だ。
「こうして、こっちを引けば締まって、緩める時は……」
「わっ、すごい! 全然ぐらぐらしない! アランくん、物知りだね!」
エマさんが、目を輝かせて俺を見る。
周囲で作業していた男子生徒たちも「おー、やるじゃん、アラン」「お前、意外と器用なんだな」と声をかけてきた。
照れくさかった。
だが、それ以上に胸が温かくなるのを感じた。
聖女の奇跡という名のイカサマではなく、俺自身の知識と技術で誰かに認められた。誰かの役に立てた。
それは、俺がずっと心のどこかで求めていた、当たり前の喜びだった。
それから俺はすっかり準備作業に溶け込んだ。
男子たちと馬鹿話をしながら、ペンキで看板を塗り、エマさんたち女子グループに頼まれて、高いところの飾り付けを手伝う。
「アランくん、そこの長さ、合ってる?」
「ああ、大丈夫だ。……エマさんこそ、脚立から落ちるなよ」
「もー、失礼しちゃうな!」
そんな他愛もない会話。笑い声。
俺は、この時間がずっと続けばいいのに、とさえ思ってしまった。
……これで、いいのか?
俺は、この温かい場所を全部捨てて逃げるっていうのに……。
一瞬、胸に罪悪感がよぎる。
だが、この温もりを知ってしまったからこそ、俺は自由にならなければならない。
リリシア様の手がこの教室にまで伸びてきたら、この楽しい時間も、みんなの笑顔も、全てが壊されてしまうのだから。
準備作業が一段落し、教室が和やかな達成感に包まれた、その時だった。
ガラッ……!
教室の扉が勢いよく開かれた。
全ての視線が、そちらへと注がれる。
そこに立っていたのは、顔や服のあちこちを小麦粉と謎の黒いススで汚した、リリシア様だった。
その姿は、まるで激戦を終えた兵士のようだったが、表情だけは至上の幸福感に満ち溢れていた。彼女の両手には、巨大な木箱が抱えられている。
「皆様、お待たせいたしましたわ」
教室の喧騒がピタリと止んだ。
空気が急速に冷えていくのを感じる。
「チャリティー用の『祝福の炭塊』、第一次ロットが完成いたしましたので、ご報告に参りました」
リリシア様は、にこやかにそう言うと教室の中を見渡した。和気あいあいとした生徒たち。楽しげな飾り付け。
そして――エマさんと並んで、少し照れくさそうに笑っている、俺の姿を。
彼女の完璧な聖女の笑みは崩れない。
だが、その翠色の瞳から、すっと、全ての光が消え失せた。
「……あら、アランくん」
その声は、絶対零度の氷のように冷たかった。
「私がいない間に、とても楽しそうですわね」
楽しい時間は終わった。
俺の束の間の青春は、たった今、終わりを告げた。聖女様が教室に帰ってきたのだ。
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