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2章 聖地の豊かすぎる日常
18話 砕け散ったエリート
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最高の昼寝だった。
三時間は眠っただろうか。俺が目を覚ました時、窓の外は、すでに夕日に染まり始めていた。
「ふぁ……あ」
大きなあくびを一つ。
そういえば、あのシュタイン領から来た、小難しそうな貴族の一行は、どうしただろうか。
俺は、ベッドから起き上がると、窓の外を眺めてみた。
ちょうど、一行が領内視察を終えて、領主館の方へトボトボと歩いてくるのが見えた。先頭を歩いている、あのエルンストとかいう男、来た時よりも、なんだか背中が丸まって、小さく見える。
「……まだいたのか、あいつら」
俺は、心底うんざりして呟いた。
しつこい。実に、しつこい。一体、何が楽しくて、人の領地をそんなにウロウロするんだか。
「まあ、あれだけ歩き回ったら疲れるよな。さっさと帰って、自分の家で寝ればいいのに」
俺は、全くの他人事として、そう思った。
やがて、一行が領主館の中へと入っていく。
もう一度顔を合わせるのが面倒で、部屋に引きこもることに決めた。
コンコン、と控えめなノックの音。
入ってきたのは、セバスだった。
「アッシュ様、お目覚めでございますか。シュタイン領のエルンスト殿が、お帰りのご挨拶に、と。ぜひ、もう一度アッシュ様のお顔を拝見したい、と申しておりますが……」
「はぁ? なんでだよ」
俺は、心底、嫌そうな声を出した。
「もう、話すことなんてないだろ。あいつの聞きたいことには、全部正直に答えてやったはずだ。もう、用はない」
そうだ。これ以上、何を話すことがある。
俺は、セバスにきっぱりと言い渡した。
「面倒くさい。セバス、お前から、うまく言っといてくれ。『神は、既にお休みになられました』とか、そんな感じで。とにかく、追い返しといてくれ」
安眠を妨害する者は、誰であろうと、断固として排除する。それが、俺の流儀なのだ。
「かしこまりました」
セバスは恭しく一礼して部屋を出て行った。
だが、その時、俺の言葉を、ドアのすぐ外で、聖女セレスティアが聞いていたことに、俺はなんとなく察しはついていた。
彼女の脳内で、俺のただの居留守の口実が、またしても恐るべき神託へと変換されていると、までは思いもしなかったが……。
◇◇◇
その頃、応接室で待っていたエルンストは、もはや抜け殻のようだった。
彼の脳裏には、視察で見た、信じがたい光景の数々が、こびりついて離れなかった。労働を祈りと呼ぶ民、自らの意思で奉仕するという魔獣、神の助言で花を咲かせる大地……。
(……あれが、統治。私の知る統治とは、全く違う。だが、現に、あの地は豊かだ。民は、幸福そうだ。ならば、間違っているのは……私の方、なのか……?)
彼の、エリートとしての自信と、貴族としての矜持が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
それでも、最後に、もう一度だけ、あの青年の顔を見ておきたかった。あの、全てを超越したかのような、眠そうな瞳を。そこに、何か、自分が進むべき道のヒントがあるような気がしたのだ。
そこへ、聖女セレスティアが一人で入ってきた。
その表情は、穏やかでありながら、どこか近寄りがたい神聖な雰囲気をまとっている。
「エルンスト殿。大変申し訳ございませんが、アッシュ様は、既にお休みになられました。これ以上の謁見は、かないません」
「そ、そんな……! 私は、最後にご挨拶だけでも、と……!」
エルンストが、思わず食い下がる。
すると、セレスティアは、少しだけ、哀れむような、それでいて絶対的な真理を告げるかのような目で、彼を見つめた。
そして、とどめの一撃を放ったのだ。
「神は、こうもおっしゃっておりました――『もう、彼に用はない』、と」
その言葉は、静かな重みを持って、エルンストの心臓に突き刺さった。
用が、ない。
それは、彼にとって、ただの面会の拒絶ではなかった。
神は、お前という人間の全てを見通した上で、もはや語る価値すらない、と判断された。お前の存在そのものが、この聖地にとって、神にとって、取るに足らないものである、と。
そう、宣告されたように聞こえた。
「……よ、用が……ない……」
エルンストの顔から、完全に血の気が引いた。
セレスティアは、さらに続ける。彼女の口から紡がれたのは、「神は既にお休みです」という、ただの居留守の口実を、美しくも残酷に昇華させた言葉だった。
「神は、あなた様との問答を終え、再び、この聖地の安寧を見守るための、静かなる瞑想に入られたのです。その神聖なる安寧を、これ以上、人の世の些事で乱すことは、誰にも許されません」
エルンストは、もはや何の言葉も返すことができなかった。
彼は、ふらふらと立ち上がると、一礼する気力もなく、まるで夢遊病者のように、応接室を後にした。
彼の部下たちが、心配そうにその肩を支える。
シュタイン領へと帰っていくエルンストの背中は、来た時とは比べ物にならないほど、小さく、そして、ひどく老け込んで見えた。
◇◇◇
俺は、部屋のベッドの中で、セバスからの「エルンスト様一行は、ご納得の上、お帰りになられました」という報告を聞いていた。
「よし、セバス、グッジョブ! あー、これでようやく静かになるな」
俺は心底満足して呟いた。
「じゃ、本当に寝るから。今度こそ、起こすなよ」
隣の領地の領主代理が、完全に心を折られ、ヴァルハラ領が、近隣において「絶対不可侵」の存在として認識されることになったなど、後に噂としては耳にした。
しかし、俺は再び手に入れた安らかな静寂の中、フカフカの枕に顔をうずめ、幸せな眠りへと落ちていくのだった。
三時間は眠っただろうか。俺が目を覚ました時、窓の外は、すでに夕日に染まり始めていた。
「ふぁ……あ」
大きなあくびを一つ。
そういえば、あのシュタイン領から来た、小難しそうな貴族の一行は、どうしただろうか。
俺は、ベッドから起き上がると、窓の外を眺めてみた。
ちょうど、一行が領内視察を終えて、領主館の方へトボトボと歩いてくるのが見えた。先頭を歩いている、あのエルンストとかいう男、来た時よりも、なんだか背中が丸まって、小さく見える。
「……まだいたのか、あいつら」
俺は、心底うんざりして呟いた。
しつこい。実に、しつこい。一体、何が楽しくて、人の領地をそんなにウロウロするんだか。
「まあ、あれだけ歩き回ったら疲れるよな。さっさと帰って、自分の家で寝ればいいのに」
俺は、全くの他人事として、そう思った。
やがて、一行が領主館の中へと入っていく。
もう一度顔を合わせるのが面倒で、部屋に引きこもることに決めた。
コンコン、と控えめなノックの音。
入ってきたのは、セバスだった。
「アッシュ様、お目覚めでございますか。シュタイン領のエルンスト殿が、お帰りのご挨拶に、と。ぜひ、もう一度アッシュ様のお顔を拝見したい、と申しておりますが……」
「はぁ? なんでだよ」
俺は、心底、嫌そうな声を出した。
「もう、話すことなんてないだろ。あいつの聞きたいことには、全部正直に答えてやったはずだ。もう、用はない」
そうだ。これ以上、何を話すことがある。
俺は、セバスにきっぱりと言い渡した。
「面倒くさい。セバス、お前から、うまく言っといてくれ。『神は、既にお休みになられました』とか、そんな感じで。とにかく、追い返しといてくれ」
安眠を妨害する者は、誰であろうと、断固として排除する。それが、俺の流儀なのだ。
「かしこまりました」
セバスは恭しく一礼して部屋を出て行った。
だが、その時、俺の言葉を、ドアのすぐ外で、聖女セレスティアが聞いていたことに、俺はなんとなく察しはついていた。
彼女の脳内で、俺のただの居留守の口実が、またしても恐るべき神託へと変換されていると、までは思いもしなかったが……。
◇◇◇
その頃、応接室で待っていたエルンストは、もはや抜け殻のようだった。
彼の脳裏には、視察で見た、信じがたい光景の数々が、こびりついて離れなかった。労働を祈りと呼ぶ民、自らの意思で奉仕するという魔獣、神の助言で花を咲かせる大地……。
(……あれが、統治。私の知る統治とは、全く違う。だが、現に、あの地は豊かだ。民は、幸福そうだ。ならば、間違っているのは……私の方、なのか……?)
彼の、エリートとしての自信と、貴族としての矜持が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
それでも、最後に、もう一度だけ、あの青年の顔を見ておきたかった。あの、全てを超越したかのような、眠そうな瞳を。そこに、何か、自分が進むべき道のヒントがあるような気がしたのだ。
そこへ、聖女セレスティアが一人で入ってきた。
その表情は、穏やかでありながら、どこか近寄りがたい神聖な雰囲気をまとっている。
「エルンスト殿。大変申し訳ございませんが、アッシュ様は、既にお休みになられました。これ以上の謁見は、かないません」
「そ、そんな……! 私は、最後にご挨拶だけでも、と……!」
エルンストが、思わず食い下がる。
すると、セレスティアは、少しだけ、哀れむような、それでいて絶対的な真理を告げるかのような目で、彼を見つめた。
そして、とどめの一撃を放ったのだ。
「神は、こうもおっしゃっておりました――『もう、彼に用はない』、と」
その言葉は、静かな重みを持って、エルンストの心臓に突き刺さった。
用が、ない。
それは、彼にとって、ただの面会の拒絶ではなかった。
神は、お前という人間の全てを見通した上で、もはや語る価値すらない、と判断された。お前の存在そのものが、この聖地にとって、神にとって、取るに足らないものである、と。
そう、宣告されたように聞こえた。
「……よ、用が……ない……」
エルンストの顔から、完全に血の気が引いた。
セレスティアは、さらに続ける。彼女の口から紡がれたのは、「神は既にお休みです」という、ただの居留守の口実を、美しくも残酷に昇華させた言葉だった。
「神は、あなた様との問答を終え、再び、この聖地の安寧を見守るための、静かなる瞑想に入られたのです。その神聖なる安寧を、これ以上、人の世の些事で乱すことは、誰にも許されません」
エルンストは、もはや何の言葉も返すことができなかった。
彼は、ふらふらと立ち上がると、一礼する気力もなく、まるで夢遊病者のように、応接室を後にした。
彼の部下たちが、心配そうにその肩を支える。
シュタイン領へと帰っていくエルンストの背中は、来た時とは比べ物にならないほど、小さく、そして、ひどく老け込んで見えた。
◇◇◇
俺は、部屋のベッドの中で、セバスからの「エルンスト様一行は、ご納得の上、お帰りになられました」という報告を聞いていた。
「よし、セバス、グッジョブ! あー、これでようやく静かになるな」
俺は心底満足して呟いた。
「じゃ、本当に寝るから。今度こそ、起こすなよ」
隣の領地の領主代理が、完全に心を折られ、ヴァルハラ領が、近隣において「絶対不可侵」の存在として認識されることになったなど、後に噂としては耳にした。
しかし、俺は再び手に入れた安らかな静寂の中、フカフカの枕に顔をうずめ、幸せな眠りへと落ちていくのだった。
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